第22回 井の中の蛙大海を知らなくてもいいんじゃない?


 井の中の蛙にはなるな。

 とか、


 所詮、あの人は井の中の蛙だから。

 と聞くことがあります。


 ネガティブな意味を持っているので、あまり聞いていて気持ちのいいものでは無いですが、分かりやすい表現ですよね。


 でも、待ってください。僕は疑問があるのです。


 それは、「蛙が大海を知る必要があるか」ということです。


 少し考えてみましょう。


 カエルは脊椎動物で、両生類に分類されます。非常に身近な動物で、特に田舎ではあほみたいに大合唱するカエルの歌が聞かれ、雨の日は怖いくらいにコンクリートの上を跳ねている姿を見ることができますね。


 生息地域は水辺で、触ってみるといつでもぺたぺた、ぬめぬめしています。それもそのはずで、呼吸は大部分を皮膚呼吸に頼っており、皮膚が湿っていないと生きていけないからです。また、両生類は周辺の低張な淡水から、浸透的に皮膚を通して水が体内に流入しています。水を飲む必要がある場合は、下腹部の皮膚から積極的に吸水するのだそうです。


 皮膚を通して体内と外界(淡水)で動的な均衡状態を保っているということは、高張な海水にでると、浸透圧によって体内から水分が流出することになります。


 つまり、体の中から水が抜けて死ぬということです。

 一部の特殊なカエルを除いて、大多数は淡水に生きるのがカエルという動物なのです。



 だったら、どうして大海を知る必要があるのでしょう。


 到底生きていけない場所を知ったからと言ってなんでしょうか。仮に海を見たとしても、結局住み慣れた井戸の中に戻ってきます。そして、「海は広かったね」という感想を漏らすのが関の山だと思うんです。


 地球で過ごしていて、「もっと宇宙をみてみろ。お前が踏ん反りかえっているのはこんなに狭い井戸の中なんだぞ」と言われても、ロマンを感じる以外にどうしろというのでしょう。宇宙空間で生きている人なんて殆どいません。


 僕たちは漠然とその広大な空間を知っています。そして、知っていることで幸福を、もしくは豊かであると実感していれば良いなぁ、とは思います。



 しかし、必ずしも大海を知らなくとも問題ないように思えてくるのです。知りたい人は知ればいいのです。



 凡人ならぬ凡ガエルにとっては、井戸の中からお月様がまん丸だなぁと見上げていれば幸せなこともあるんじゃないかなぁ。


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