第26話 親離れ
非常階段を登りきると、フォグルにとって見慣れた場所へ出た。
通路を挟んだ向かい側にあるのは作戦会議室。
右に行けば怪人たちの住まう部屋、左は一般棟であり、そちらからは断続的に叫び声が聞こえる。
本来であれば研究棟は重厚なドアによって遮断されているのだが、重機のようなもので破壊された為に筒抜けの状態となっていた。
「メルさん。これからどうしましょう。敵を撃退しますか?」
「いや、あれを倒すのは不可能であろう。破れかぶれで突撃した怪人たちは、皆が簡単に蹴散らされてしまったのだから」
「そうだよぉ。変な事考えてないで、コッソリ逃げ……」
「まずは総統閣下だ。まずは探しだして護衛、それから指示を仰ぐぞ! ついてこい!」
「わかりました。急ぎましょう」
「えぇっ!? 逃げないの?」
2人、遅れて1人が研究棟の奥へと駆けていく。
喧騒から少しずつ遠ざかるが、戦雲は別の形で色濃くなった。
単純な一本道でない為に一目で全容の把握は不可能だが、その端からでさえ被害の大きさを予見させた。
「見ろ、血痕だ」
「この量は危険です。誰のものでしょうか?」
「わからん。閣下でなければ良いのだが……!」
「あぁ、おっかねぇ。あぁ、死にたくないよぉ」
壁には血糊、そして無数の弾痕が戦闘の激しさを物語る。
赤い道標を追って角を曲がると、そこには数多くの死体が転がっていた。
カマキリ男、執行部であるコウモリ男の面々。
そして、ユダンが壁にもたれかかるようにして事切れていた。
「……この男も死んだか」
「胸の銃創が致命傷となったようです。火傷も酷い」
「ほんとだ! ザマァみろってもんよね! あんだけ好き勝手やってたんだから。素敵な顔してお寝んねだなんて、良い気味だわ!」
ケティは本人に怒鳴るようにして口調を荒くした。
恐怖に歪み、苦悶が張り付いたような顔に向けて。
フォグルたちは咎める事はしないが、その死を悼むこともない。
同情を感じるには恨みが大きすぎるのだ。
それからはただ先を急ぐよう促しただけである。
捜索は長々と続けられたが成果は無く、完全な空振りであった。
研究室に足を運んでも、荒れ模様があるだけで藻抜けの空。
総統の私室も資料室にも姿は見当たらない。
やがて行く当てを失い、足は止まりがちとなる。
「どこにも居ませんね。目ぼしいところは探したのですが」
「もしかして、身を隠されているのかもしれん。ご無事であれば良いのだが」
「これ以上探しても無駄よ、だから早いところ逃げ……」
「待て! こんな所に部屋などあったか?」
メルが通路の壁を指差した。
そこには両開き式の小さな扉があり、片側だけ開け放たれている。
メルはもちろん、ケティですら扉の存在を知らない物である。
というのも、取手は無く、色味も壁に溶け込ませるようにして丁寧に偽装されているのだ。
利用経験が無ければ気づかない程の精巧さである。
フォグルは隙間から中を覗いた。
するとその奥には、暗くはあるものの道が続いている事に気づく。
「メルさん。向こうに何かあるようです。灯りが漏れています」
「……行ってみよう。閣下がいらっしゃるかもしれない」
フォグルを先頭に並び、暗がりの中を進んでいく。
足音はたてずにそば耳をたてながらだ。
しかし戦場から離れているとは言え、この周辺もそれなりに騒がしく、小さな物音まで拾いきることは出来ない。
結局灯りの元に辿り着くまで、確たる情報は何も得られなかった。
「なんだこの部屋は……?」
「ほぇぇ。天井が見えないよぉ」
たどり着いた部屋は狭く、そして殺風景であった。
部屋の中央には円盤上の置物、壁はコンクリートむき出しで、それが地上の方に向かって延々と続いていた。
上を見ても光が見えないことから、どこかで壁のようなもので遮られていると察しがつく。
「なんの為の場所なのでしょう。秘密裏に用意されたもののようですが」
「そうだな。少なくとも、私やケティには知らされていないぞ」
「この丸っこいは何かなぁ? もしかして乗り物だったりして……」
ケティがそちらに向けて歩み出すと、背後から制止の声がかかった。
「そこまでだ。それに近づくのは止めてもらおうか」
全員が一斉に声の方へと振り返った。
その人物は部屋の外側から姿を現し、無警戒な素振りで円盤へと歩み寄る。
メルの顔が途端に明るくなった。
というのも、これまで延々と探し続けた相手であったからだ。
「総統閣下! ご無事でした……ッ!?」
3人とも駆け寄ろうとしたが、数歩踏み出しただけで足を止めた。
火焔のように真っ赤な槍を突きつけられたからだ。
それはデモンズ・ランスと言われる名槍であり、斬るもの全てを地獄の業火で焼き尽くすという、恐るべき武器なのだ。
デキン総統の愛用する逸品でもある。
戦闘態勢となったデキンは生易しくはない。
槍より発した真っ赤な闘気が全身に伝播するのを見て、メルとケティは体を凍りつかせた。
各々の天敵にでも睨まれたようである。
前触れの無い敵意にひどく戸惑い、問いかける声は掠れたものとなった。
「……閣下?」
「しぶとい奴らだ。それとも逃げ惑った挙げ句、ここへとやって来たのか?」
「い、いえ! 閣下の御身をお守りしようと探しておりました!」
「不要だ。私にはこの脱出ポッドがある。これがあれば戦域から抜け出すことも容易い」
「脱出……ですか?」
この言葉を3人は別の表情で受け止めた。
メルは戸惑い、ケティは瞳を輝かせた。
そしてフォグル。
彼の眼はみるみる細くなり、それに歯軋りが続く。
体は闘気を孕み、SR値も徐々に競り上がっていく。
デキンはいち早くその様子を察し、乾いた笑いと共に『末子』の成長を褒め称えた。
「ほぅ。随分と成長したものだ。まるで人が変わったようではないか」
「貴方お1人で逃げおおせようと言うのですか? 配下が無惨にも殺され、今もなお殺戮は続いているのですよ?」
「フォグル、無礼だぞ!」
「お答えください。なぜ戦わない。指揮をしない。貴方を信じて集まったものを、なぜ捨て石としたのか」
「フォグル、よせ……」
「答えろ! 総統ッ!」
フォグルの怒声とともに、辺りには一瞬だけ強風が吹き荒れた。
それは相当な熱量を持ち、赤道直下の熱風のようであった。
想定外の出来事が続き、ケティはもとよりメルまでもが口をつぐんでしまった。
それに反し、デキンは高らかに哄笑した。
その声はどこまでも登り、がらんどうである脱出路を木霊させた。
拍手喝采しかねない顔のままで脇腹を押さえ、円盤に肩肘を預けて笑い続けた。
「傑作だ。まさかここまで成長しているとはな。そうかそうか。怒りに我を忘れるほどにまでなったか!」
「そのような話は不要だ! 質問に答えてもらおう。ここに居る者たちのほとんどが、社会から弾かれた経験を持っている。すなわち、心を酷く傷つけられた人たちだ!」
「フォグル……」
「その人々をなぜ裏切れる! どうして安易に見捨てる事が出来るのか!」
フォグルは今にも飛びかからんとしたが、デキンはそれに応えようとはしなかった。
それから間合いを僅かに広げ、口許を歪ませながら言葉を返した。
「成長を見せた褒美だ。私の意図を教えてやる」
「意図?」
「確かに、配下として爪弾き者や社会のはみだし者を集めた。だが、それは決して慈善や善行の為ではない。苦しみから救ってやるという気など更々無かった」
「では、なぜ傷心の人々に的を絞ったのか」
「知れたこと。支配が容易いからだ。特に身寄りを無くした者などうってつけだ。ここを追い出されれは行く当てなど無いのだからな」
メルがその言葉に跳ね上がりそうなほど反応し、体を震わせた。
その瞳に怒りは無く、心の奥深くへと沈み混んで行くように、急速に光を失っていく。
「まぁ思い返せば失敗であったな。怪人としての力を与えはしたものの、まるで役に立たなかった。どれほど強くなろうが、小心者のままではな……」
「だから、見捨てるというのか」
「そうだ。だがフォグル。お前だけは別だ」
「何が?」
「お前だけはこの場で死なせるに忍びない。その成長率、そして覇気には目を見張るものがある。どうだ、一緒に脱出をしないか? これは2人までなら乗れる仕様だ」
デキンは槍の柄で円盤を叩いた。
コォンという軽い音が室内に響き、それはフォグルにとって小さくない意味を持たせた。
ひとつの区切りがついたのである。
その想いは、その場で踵(きびす)を返した事で周囲にも知らしめた。
「お断りします。どこへなりとお行きなさい」
「良いのか? ヒーローたちは手強い。お前でも殺されるやもしれんぞ?」
「僕を認めてくれた仲間たちは、今も死地に取り残されています。彼らを置いてのうのうと生き延びるなど、とても甘受できません」
「そうか。それも良いだろう。生きていたらもう一度会いたいものだな」
「そればかりは御免被ります」
フォグルはそう言い残すと、独り部屋から立ち去った。
残されたメルとケティは困惑し、何度も視線を出口と総統の顔を往復させた。
「2人とも行きたまえ。生き残りたければフォグルの傍を離れん事だ」
「閣下……」
「私の事は金輪際忘れよ。そして、叶うことなら彼を支え続けよ。これが最後の命令だ」
「閣下、私は……!」
「グズグズするな! 行けッ!」
強い声に弾き飛ばされるようにして、2人もフォグルの後を追った。
メルだけが躊躇したように1度だけ振り替えるが、それもやがて姿が見えなくなる。
デキンは独り残されると、槍を床に放り投げた。
それと同時に体を覆う赤い闘気も立ち消え、くたびれた白衣が露になる。
しかし下腹部だけは依然として赤みが抜けず、いつまでも残り続けた。
それは湿り気を帯びており、不吉な光沢までも備えている。
「まさか、流れ弾ごときに、撃たれようとは……歳は取りたくないものだ」
溢れる独り言は途切れ途切れだ。
苦痛に顔を歪めながら、ポッドの扉を開ける。
中はというと機械仕掛けの装備は一切無く、空であった。
資金難のために準備が間に合わなかったのである。
「我が子らに恨まれたかもしれん……。だがその代わり、私の影を追うことは無くなるであろう」
唯一取り付けられた椅子に腰掛け、呻き声を漏らした。
激痛が電気信号に化けて身体中を駆け巡る。
だが、デキンは口許を綻ばせた。
予定に狂いは生じたものの、結末は概ね狙い通りだったからである。
最も気にかけていた『末子』と別れを済ませ、同時に親離れも果たすことが出来た。
この世に残した未練の大半は消化済みである。
「あのタヌキ爺め。私が死んだと聞いたらさぞや悔しがるだろうな。その顔を見れぬ事だけが心残りか……」
体を苛む痛みはもはや遠い。
代わりに寄ってきたのは死の気配である。
それが傍に迫るのと同時に、心に去来するのは自身の記憶である。
その日の食べ物にすら困窮した少年時代。
学問に才があり、親元から引き取られ成長した青年時代。
バイオ医学の研究者となるも、周囲の嫉妬により罠に嵌められ、資格を剥奪された事も思い起こされた。
それ以降、奇縁により『大いなる存在』に見いだされて総統の座を得た。
発足時は一人一人と対話し、各々の境遇に涙を流して共感し、仲間のための楽園建設を目標とした。
そして、いつの間にか組織を乗っ取られていた。
気づいた頃には手遅れであった。
朧気な過去から鮮明なものまでが分け隔てなく、脳裏を駆け巡る。
しかし、もはや全てが遠い過去であった。
間もなく遠い世界へと旅立つ者にとっては、現実味の薄い情景なのである。
「フォグルよ。お前こそ猛き王に相応しい。必ずや生き延びて、打ちひしがれる者たちの、救いとなれ。私のような間抜けになることは、許さぬ……」
その言葉が遺言となった。
デキンは白衣に大輪の花が咲く。
40年に満たない生涯を、こうして独り静かに閉じたのである。
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