第25話 地下深い牢獄にて
フォグルは頬を打つ水滴の感触で意識を取り戻した。
だが、体の覚醒には至らない。
動かそうにも他人の物であるように重たく、眼を開ける事すら不自由さを覚えた。
それでもどうにかして片目だけをこじ開けると、視界には石造りの床や壁、そして鉄格子が見えた。
ーーそうか、僕はユダンにやられたのだった。
朧気な記憶があの凶相を脳裏に映す。
そして耳に残る『後日処刑する』という言葉。
自分の運命を悟るにはそれだけで十分であり、未来の途絶が行動力を著しく奪い去った。
ーー元々は培養管の中で殺される運命だった。それを思えば、長生きできた方だろう。
叶うことならユダン拳で殴りたかったとも思うが、それは無理な相談である。
フォグルはそこまで読みきった上で暴言を吐いたのだ。
あれだけの醜態を晒させたことで、一矢報いたと考えるしかない。
ーー短い生だったが、色々あったものだ。
思いがけず総統に命を救われた事から始まり、多くの仲間と出会い、そして信頼を得た。
アルバイトも彼にとっては充足感を与えてくれた。
女性陣のアプローチには辟易したが、自分のアイディアが世を変える事には快感すら覚えていたのだ。
そして最後に、そして大きく心を占めたのは……。
ーーメルさん。すみません、貴女にはもう会えそうにない。
彼女の暖かな顔が、優しげな視線が尾を引くように思い出された。
それは何よりも鮮明な記憶だった。
他愛のない会話から踏み込んだ話まで、今でも細部まで振り替える事が出来る。
どこか慈しむように、丁寧に心の奥深くへと没入していく。
そして、よく笑い、そして怒る人でもあったと結論づける。
それは知り合った当初と変わらない解であった。
ーー先程から揺れている。地震か?
低い天井からは土ホコリが溢れ落ちた。
くぐもった音に合わせて牢屋のそのものも僅かに揺れる。
しかし、フォグルは不可思議に感じた。
地震にしては断続的であり、間隔も不規則かつ頻繁だったからだ。
自然現象というよりは、人為的な何かだろうという印象を受けた。
ーーまぁ、先行き短い僕には関係の無い事か。
体を投げ出し、瞳を閉じる。
このまま処刑されても良いかという捨て鉢の気持ちに心を染めながら。
しかし、寝付けない。
死の恐怖からではない。
先程から騒がしくしている振動が、何か不吉な色を帯びていたからだ。
それでも我関せずと不貞寝していると、遠くから話し声が聞こえてくる。
陰鬱な牢獄には似つかわしくない妖艶な声であった。
ーーすいません門番さぁん。ちこーっとだけ良いです?
ーーなんだ貴様は! ここは立ち入り禁止だぞ!
ーーいやいや、そんな身構えないで。ただ、気持ちいい事しませんかって話なんですけど……。
ーーえ? 本当か? やるやる!
そこへすかさず断末魔の叫びが響く。
続いて聞こえたドサリという重たい音は、誰かが倒れたことを容易に想像させた。
ーーさすが! 相変わらずドエスな爪捌きだねぇ。
ーーやかましい! 良いから早く鍵を探せ!
やがて会話が遠退くと、今度は慌ただしい靴音が近づいてきた。
それはフォグルの側で鳴り止む。
「いた! フォグル君しっかり!」
「その声は……ケティさん?」
「あぁぁ、あちこち怪我だらけ! 今すぐお姉さんが全身くまなくペロペロして治してあげ……ヘブシッ!」
「どさくさに紛れて何を言うか! この万年発情期め!」
再び人が倒れる音、続いて鉄が擦れる耳障りな音が響く。
それからすぐに、フォグルは抱き起こされるのを感じた。
上半身にかかるぬくもりからは心地好さ、絶対的な安心感が伝わってくる。
「すまない。救出に手間取った」
「メルさん……どうして」
「話は後だ。まずは水を飲め」
口に当てがわれたのはペットボトルの飲み口であり、そこから冷えた水が口内に流し込まれた。
少しずつ喉を鳴らすことで、染み込ませるようにして体内へと送り込む。
するとどうだろう。
焦げ付いた皮膚は粗方が癒え、色白のキメ細かな肌が露になった。
更には活力までも与え、何事も無かったかのように立ち上がったのだ。
これにはメルはもちろんの事、当の本人ですら驚きを隠せなかった。
「フォグル。お前、大丈夫なのか?」
「……はい。まるで別の体に乗り移ったかのようです」
「霧の魔人だから、水を飲むことで体組織が生まれ変わるのか?」
「すみません。体の秘密については知らされていないのです」
「そうなのか。研究室に潜り込めば、色々と分かるかもしれんな」
「そこまでして知る必要は……」
「ちょっとちょっと2人とも! ノンビリしてる場合じゃない!」
「そうだった。フォグル、走れるか?」
その言葉に答える変わりに、フォグルはその場で跳び跳ねてみせた。
動きは力強くも滑らかで、無駄な心配であることを知らしめた。
これを機に3人は通路を駆け出した。
空っぽの牢屋前を通りすぎ、突き当たりの螺旋階段を昇る。
先頭はケティ、その後ろにメルとフォグルが続く。
だが、この並びには少し不自然さを覚えた。
「メルさん。ケティさんは戦闘に不向きです。僕が前に出ます」
「いや、その必要はない」
「執行部と鉢合わせになったら危険です。僕が出ます」
「奴らの事なら心配はいらないぞ」
「もしかして、全てを倒したのですか?」
床に這いつくばる牢番を横目に質問を投げ掛けた。
話を総合すると、それが自然な結論であるからだ。
しかし、メルから返されたのは別の答えであった。
「いや違う。ともかく、執行部の連中は気にしなくて良い」
「わかりません。皆目」
「端的に言おう。ヒーローたちが拠点に乗り込んできた」
「……本当ですか?」
「あぁ。上層階は壊滅状態だ。指揮系統もな。詳しくは身の安全を確保してからだ」
その言葉は、フォグルのなかで他人事のように響いた。
まるで遠国の騒乱を耳にしたときのように。
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