第23話 忠誠

気を失っていたフォグルは、冷水を浴びせかけられた衝撃で意識を取り戻した。

彼にとって見慣れぬ場所だ。

というのも、ここは執行部専用の集会所であるからだ。

重厚かつきらびやかな装飾のテーブル、真っ赤な絨毯、棚を彩るは不必要でしかない光り物の調度品。

それらが煩く思えて、フォグルは顔を伏せた。

正面に彼が憎悪する存在が座っているとなれば、無理からぬ事であろう。



「目覚めたかね、フォグル君。気分はどうかな?」



いつもと変わらぬ調子でユダンが言う。

その白々しさは、周囲の厳戒態勢が言外に物語っている。

椅子に座らされているフォグルの四方は配下の者が固めており、全員がスタンガンにより臨戦態勢を整えているのだ。

妙な動きをした途端に電撃を見舞う算段だ。

贔屓目にみても友好的な姿勢からはほど遠い。



「う、あぁ……」


「まだ口がきけんか。まぁ良いでしょう。今はじっと私の話に耳を傾けなさい」



ユダンは一度言葉を切ると、ティーカップを口に当てて喉をしめらせた。

貴族のお茶会を彷彿とさせる優雅さを披露するが、ここは尋問の場でもある。

紅茶の香ばしい香りと、服の焼け焦げた臭いが雑ざり合い、辺りは独特な空気を孕んでいた。



「単刀直入に言いましょう。フォグル君、私に忠誠を誓いなさい。総統ではなく、執行部の長たるこの私に」


「ち、忠誠?」


「そうです。あのようなお飾りの男ではなく、実権を持つ私を崇め、従属なさい。そうすれば、今日からでも怪人として迎えいれますよ」


「あなたが、裏切り者だったのですか」



乱れる思考の中で、行き着いた結論である。

組織の最上位に君臨する総統を見限るよう勧めたばかりか、鞍替えまでをも言い放ったのである。

これが裏切りでなく何だと言うのか。

順当に考えれば反乱であり、処刑相当の処罰を受けることになるだろう。

それはフォグルも重々理解しており、弱々しい声色ながらも彼なりに糾弾したつもりであった。


しかしユダンは表情を崩さない。

今の反応が想定済みだと言わんばかりに、微塵も動揺を示さなかった。

むしろ紅茶を楽しむ素振りにより、周囲に余裕さを見せつける始末である。



「何か勘違いされているようですね。私は裏切ってなどいない。いや、裏切りようがないのですよ」


「わかりません、皆目」


「組織の怪人どものほとんどが私に従っているのです。これは即ち、私こそが主であることの証明ではありませんか」


「そんな事が……」


「総統閣下は根っからの研究者です。あの方は潤沢な資金さえあれば、些事には関わろうとしません。これは統治者失格と断言しても良いでしょう。なので、勤勉なる私が代わりに君臨しているという訳なのです」



ユダンの口は異様に滑らかであった。

多弁であるのは虚勢のせいか、それとも後ろめたさ故か、フォグルには判断が出来なかった。

演説は尚も続く。



「こちら側に来なさい。ヒーローを破るなどという愚かな妄執は捨てて、我らと共に栄耀栄華を極めませんか。自らの手を汚すことなく快楽を追い求め、それに飽きたなら下層民どもをいたぶる……いや、指導や試練を与える。実に甘美な味わいであることを約束しますよ」



『指導』と言い換えるなり、周囲からは小さな嗤(わら)い声が起きた。

虐げることも快楽。

これが執行部の認識であることを如実に物語っていた。

フォグルの心は乱れに乱れた。

これまで培ってきた価値観が揺さぶられ、それは突発的な頭痛となって苛む。



「妄執を、捨てよ……」


「そうです、その通りなのです。私は愚者を使役し、搾取し続けるシステムの構築に成功しました。何ら危険を犯すことなく王公貴族の暮らしを手に入れられるのです。素晴らしいとは思いませんか?」


「搾取……素晴らしい……」


「フォグル君。あなたは選ばれた存在です。短く『はい』と言うだけで十分です。何なら首肯するだけでも宜しい」



霞む両目が、差しのべられた手を捉えた。

劣悪なコンディションがフォグルから判断力を著しく奪い去る。

頭痛も鼓動に合わせ、深く激しく宿主を攻撃し続け、火傷による炎症も呼応するようにして痛みを加速させていく。


孤軍奮闘。

依る辺なき城が陥落したとて、誰が責められようか。

フォグルは小さく息を吐き、口角を僅かにあげ、口許だけで笑った。

その変化はユダンたちにも察知され、場の空気はいくらか緩む。



「どのようにお答えすべきか。僕はこのような場面において、適切な言葉を知りません」


「ふふ。思いのほか謙虚と言うか、可愛いげがあるではないですか。良いでしょう。多少の無礼には目を瞑りましょう。自身の言葉で返答いただけますか」


「すみません。頭がどうにも回らなくて……」


「構いませんよ。時間はたっぷりとあるのですから」



フォグルが口をつぐむと、辺りには静寂が訪れた。

配下だけではなく、ユダンまでもが固唾を飲んで見守るという状況だ。

それはフォグルの霞む視界でもはっきり分かるほどに顕著であった。

耳目を集めた事を確信すると、小さく咳払いをし、保留していた返答を高らかに告げた。


ーー地獄の業火に焼かれ続けろ、この恥知らずめ!


辺りの様相は一変した。

これは静寂どころではない。

その言葉ひとつで時間が止まったかのようになり、周囲の者の自由を奪い去った。


もっとも早く動きを見せたのはユダンだ。

小刻みに震えたかと思うと、金切り声をあげながら手元のカップを床に叩きつけた。

絨毯は血でも浴びたかのように不吉な色へと染まる。



「貴様ァ! 人が下手に出れば付け上がりやがって!」



ユダンは凶相を浮かべたままで、フォグルに向かって猛然と歩みよった。

そして配下からスタンガンを奪い取ると、それを体に押し当て、電撃を繰り返し流し込んだ。

何度も繰り返し、執拗に。



「下層民の分際で調子に乗るな! せっかく目にかけてやったのだから、涙のひとつも流して尻尾を振ればいいのだ!」



度重なる電撃はフォグルの意識を刈り取るに十分であった。

もはや呻き声をあげる事すら無い。

それでも一方的な責めは続けられた。



「私が王だ! 私こそがこの国の王なのだ! 従う気が無いのなら死んでしまえッ!」



とどめの一撃は最大出力だ。

その衝撃によりフォグルは壁まで吹き飛ばされ、その場に崩れ落ちた。

成人男性とは思えぬ程の軽さが際立って映る光景だった。

ユダンはその場でスタンガンを放り投げ、配下に命を出した。

視線はフォグルの姿を捉えているが、その瞳からは興味の色が完全に消え失せ、白く染まりきったものとなっている。




「牢屋に連れていけ。手当ては無用。死んだならばそれで良し、息があれば後に処刑を執り行う」


「ユダン様、この者には霧化する能力があります。鉄格子程度であれば抜け出せるやもしれませぬ」


「もし目覚める事があれば言ってやるがよい。脱獄をしたならば、お仲間は皆殺しにすると。蛇女も猫女も、末端戦闘員のすべてをな」


「……ハハッ!」



配下の男は寒気を覚え、返答に若干詰まってしまう。

主のかつてない程の怒り、そして残虐さに肝を冷やしたのだ。


フォグルは再び両脇を固められて連れ去られていく。

今度は先刻とは事情が異なる。

後に待ち受けているのは懐柔ではなく、逃れようのない死であった。


ユダンは扉が閉じられるのを横目で見つつ、小さく漏らした。


ーーバカな奴。私に従いさえすれば、長生き出来たものを。


その感傷も、新たに用意された紅茶の香りによって掻き消された。

従わぬなら死を、と考えていたユダンにすれば、フォグルの命など気散じの一杯よりも安いのである。

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