第21話 理想は霞の向こう側
拠点警備を申し付けられたフォグルだが、常に徘徊する必要はない。
日中のうちの半分、交代制で勤める為だ。
夜間はというと、当番の戦闘員がその役目を担う。
1日のうち、せいぜい4時間も働けばノルマ達成となるので、負担はアルバイト時代よりも遥かに軽くなったと言える。
だが勤勉なるフォグルは、怠惰とは無縁の性格をしていた。
「アリリ? 今は待機中だからノンビリしてて良いんだよ?」
詰所にてアリアが心配げな声をあげた。
その時フォグルは、渋面を作ったままで拠点内地図を睨み付けていたのだ。
略式図ではなく、細かな表記のなされた精細なものであるので、大テーブル一杯に広げる必要があった。
大勢がくつろいでいる中であったら顰蹙を買うところだが、現在部屋にいるのは2人だけである。
「すみません。僕の事はご放念ください。今はただ、建物の構造を記憶しているだけですので」
「そうかい。それにしちゃあ随分と怖い顔してたよ? まるで老眼鏡を忘れたウチの父さんみたいだ」
フォグルは曖昧な相づちだけ返すと、再び地図を注視した。
この施設は大まかに言えば2棟に分かれている。
食堂や訓練所などの大型施設や、戦闘員たちの暮らす部屋がある一般棟。
そしてセキュリティドアを隔てて研究棟があり、そちらには会議室や宝物庫に実験室などが並ぶ。
怪人にあてがわれた部屋も研究棟内で、その広さや充実っぷりは末端とは比較にならないほどである。
キングサイズのベッドにユニットバス、エアコンは常時25度を維持できるように稼働。
料理の必要はないのにアイランドキッチンにはIHコンロが配置。
更には娯楽として、テレビデオと多数のボードゲームまでが用意されている始末。
あまりの差別具合にmフォグルは怒りを通り越して呆れてしまった。
「アリアさんは不思議に思いませんか。ここまで怪人が優遇される事について」
「うーん、仕方ないんじゃない? だって戦闘員だけじゃヒーローに勝てないし。怪人さんが居てようやく五分の戦いが出来るんだから」
「ここの怪人の大半はまともに戦いません。上から指名されるのを待つばかりで、普段から堕落しきっています。いっそのこと、総攻めするくらいの気概を見せてもらえねば納得がいきません」
「まぁまぁ。長生きしたければ潔癖になるべきじゃないよ。白湯でも飲むかい?」
「いただきます」
渇きを覚えた訳ではなかったが、提案には素直に乗った。
この流れでは相手の言葉に従った方が良いと感じたからだ。
飲み口に着色汚れの目立つカップがふたつ、大地図を挟んでテーブルに置かれる。
アリアは上の手2本でコップを包みこみ、指先から暖まるようにして湯を飲み始めた。
フォグルもそれに合わせて口に含むと、舌先に塩気を感じた。
純粋な湯では無かったのだ。
これはアリアの些細な気遣いであり、微かとはいえ怒りを鎮める力を持っていた。
実際フォグルは眉間のシワを遠ざけたのだから。
「ところでさ、フォグル君。ひとつ質問しても良いかな?」
「どうぞ。お気兼ねなく」
「怪人の待遇について不満を抱いているようだけど、それはどうしてなの? 君は候補生だと聞いている。歪な待遇に不満を並べるのは不自然だよね。ましてや執行部と揉め事を起こすだなんてさ、正気とは思えないよ」
「そうでしょうか?」
「もちろんそうさ。黙って昇格を待っていれば厚待遇で迎えられるんだよ? だったら騒がない方が得じゃないか。なのに、どうして?」
この言葉にフォグルは、一理あると思う。
いまは最下層の暮らしであっても、そう遠くない未来に引き上げられるのだから、糾弾しない方が得なのである。
利口なものであれば口をつぐんだままでいる事だろう。
だが、彼の胸を占めたのは全く別の感情だった。
心に抱えた疑問符が濁流のごとく暴れまわり、フォグルの感情を激しく揺さぶる。
そして彼の口から零れ落ちたのは飾り気の無い、心の動揺そのものだった。
「わかりません」
「わからないのかぁ。そっかぁ」
「ただ、1つだけ確信しているのは、ここの制度は誤っているという事。それだけは常々感じています」
「ふむふむ。じゃあ君の望みは……組織が公平を重んじること、になるのかな?」
「そうなのでしょうか。見えてきません」
「真面目だなぁ。僕はさ、一刻も早く怪人になってさ、美味しいものを一杯食べたいとしか考えてないよー」
その言い分も分かる、とフォグルは思った。
彼は別に、良い暮らしを求めるなとは考えていない。
しかし、それが何になるのかとも思う。
組織内で上位に上り詰める事を目標としてしまって良いものかと。
ここは爪弾き者が集う秘密結社。
傷の舐め合いなどはせず、肩書きと貧富の差で線引きをし、明確で無慈悲な棲み分けをしている。
掲げる看板は『世界征服』と立派なものだが、することと言えば悪戯レベルの悪事ばかり。
この方針のままで何を得るか、何を変えられるのか。
答えは『皆無』である。
少なくともフォグルはそう強く感じた。
愚痴にも似た意見交換はしばらく続いたが、警備の交代により話は終わった。
これからフォグルが一人で見回りをすることになる。
出掛けに『執行部とはくれぐれも揉めないで、僕らの上位組織だよ』という助言を背に受けて、本日の任務を開始した。
時刻は午後2時。
戦闘員は生業に励み、怪人たちは好き勝手に過ごしている頃合いだ。
フォグルはひとまず作業場まで足を運ぶことにした。
この時間に通路で人影を見ることは稀だ。
住民の多数を占める戦闘員は作業場に集められているし、怪人の大半は自室にこもって酒を飲むか、懐かしのビデオを眺めたりしている。
だからすれ違うとしたら、特別な事情を持つ者だけとなる。
ーーおや、あれは?
通路の向こうから、2人組の男たちがやって来た。
ここは一本道の上に狭く、3人がすれ違う余裕は無い。
両者の距離は考えている間も縮まっていく。
ーーコウモリ風の男、執行部だな。
2人はフォグルなど目に入らないようにして、通路一杯に広がりながら歩く。
ぶつからない為には壁に張り付くしかない。
仕方なく足を止めてへばりつく。
コウモリ男たちはそこで足並みを落とし、ゆっくりと通過した。
濁った眼がフォグルを見る。
視線で存分に踏みつけてから、荒い鼻息をひとつ吐く。
それで満足したらしく、足並みを戻して歩き去った。
フォグルはその背中を見送りつつ『あれが執行部。言い換えれば上層部か』と胸の中で呟いた。
それと同時に、心がズシリと重たくなるのを感じるのだった。
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