第19話 手作りの真価
メルはここ最近、夜にもなれば日課に励むようになった。
消灯後の暗がりの中でPC画面の灯りだけを頼りにし、手元をモゾモゾとしきりに動かし続ける。
「クッ。クゥッ!」
目は一点のみを見つめる。
唇は煩悶したかのように、ギュッと強く引き結ばれている。
握りしめた棒が引き抜けずに延々と苦戦しているのだ。
グズグスしているうちに事態は動き、PC画面からは柔和な声が発せられる。
『これを繰り返す事で簡単に編めちゃいます』という気さくなセリフが、彼女の心を大きく引き裂いた。
「簡単な訳があるか! ギッチギチだぞボケェ!」
編み棒に絡み付いた毛糸は、さながら知恵の輪のようであった。
糸は意思でも宿ったかのようであり、引き抜こうとする棒に食らいついて離さない。
編み物動画を何度も眺めて勉強したのだが、依然としてファーストステップすらクリア出来ずにいる。
人生始めての手作りマフラー。
その任務をこなすには、彼女の指先は不器用すぎたのだ。
「なんて難解なのだ。最も易しい編み方ですら……!」
なぜ慣れない作業に勤しんでいるのか説明するには、現在より少しだけ遡る必要がある。
今から一週間前。
12月を目前に控えた頃のことだ。
クリスマスという言葉が世間で見かけるようになり、恋愛成就の可否が判明する時期とも言える。
メルの想い人はやたらとモテる。
ケティをはじめ、アルバイト先の同僚に常連客など、ライバルは異様と思える程に多い。
ーーどうにかして差をつける事はできないものか。
悩ましい日々は続いた。
考える余りに知恵熱を出したことすらある。
そもそも彼女は熟考するタイプではなく、体当たり的に解決する事を信条としている。
だがその必殺手段にのっとり、25日にはディナーをと誘ったのだが、『必然性がありません』と袖にされてしまう。
よって、別の切り口で接近するしかなかったのだが、一向に名案が浮かばない。
そんな最中に偶然にもフォグルが立ち話するところを目撃した。
ーー今後寒さも厳しくなるので、防寒具がほしいところですね。
まさに僥倖、得難き幸運。
それからは逸る気持ちを陰らせる事なく自室へと飛び込んだ。
豚をモチーフにした陶器の箱を躊躇せず叩き割る。
そうして判明した手持ち額は1185円也。
怪人といえど懐事情は寒々しいものであり、防寒具を買うゆとりすら持ち合わせてはいなかった。
ーー仕方ない。最終手段だ……!
追い詰められて挑んだのが手作りである。
完成させる自信は欠片もない。
それでもプレゼント無しとあっては、ライバルに先を越されるのは明白だ。
決断後は素早く動いた。
送迎の合間に毛糸を買い求めて製作は始められたのだが、それは自尊心を打ち砕く荊の道であった。
動画を手本に一列だけ編んでみる。
しかし、上手くいかない。
幾晩試してみても一度として成功しないのだ。
慣れた人にとっては容易い作業であっても、彼女にしてみれば途方もない難題で、まさに雲を掴もうとする程に無謀な目標なのである。
組んでは解す事を繰り返す。
新たな毛糸を調達する金は無い。
なので、挑戦するほどに糸は荒れて痩せ細っていく。
それはさながらメルの決意を具現化したようでもあり、諦めの言葉が頭を過るようになる。
期日は刻一刻と迫る。
時間の空費は焦りを生み、更なる失敗の呼び水となってしまう。
『いっそ諦めてしまおうか』と思ったその時だ。
これまでの苦労が馬鹿馬鹿しく思えるほど、意図通りに棒が抜けたのだ。
それはスルリと、呆気なく。
数え切れない失敗の果てに待っていたのは、思いがけない成長なのであった。
「やった……やった! 抜けたぞぉぉ!」
深夜に大騒ぎは禁物だ。
それを承知しているため、顔を枕に押し付けて叫び、さらに両足を交互に使ってマットレスを蹴りつけた。
散々に感情を爆発させると、気を取り直し、それから真っ先にした事といえば日付の確認だ。
今日は12月20日。
製作に残された猶予は短いと思われるが……。
「やってやる! 私のマフラーでフォグルを暖めてやるんだ!」
心に新たな闘志が宿り、製作の続行が決まった。
流石に軍属は根性が違う。
睡眠を1日4時間にまで削り、ともかく編み物に全精力を注いだ。
その甲斐あって、24日の未明に努力が実った。
「やった、とうとう出来た……!」
震える指で成果物を開き、掲げてみた。
それは一応マフラーの体を成している。
長さは首を巻くのに程よく、使い勝手は良さそうだ。
色味はシックなダークブラウン。
肌の白いフォグルには悪くない組み合わせと言えよう。
しかし、その品質はあまりにも微笑ましすぎる。
まず均整な形をしておらず、広げても長方形にはならない。
四辺はグニャリと歪んでおり、あらゆる場所で凹凸がみられる。
色味も手伝って、巨大な食卓海苔を彷彿とさせた。
しかも、失敗を重ねたためにあらゆる箇所が毛羽立っており、攻撃的な姿勢すら感じさせた。
着け心地は相当に厳しいものだろう。
マフラーの端に施した『秘策』部分も本体の低品質が仇となり、小手先の取り繕いと受け取られる恐れがある。
ーー仕方ない、これが私なのだ!
マフラーをなるべく丁寧に畳み、お歳暮シーズンに入手した紙袋に入れると、すぐさま寝床に倒れ伏した。
体力はとうに限界を迎えており、緊張の糸が切れたと同時に意識を手放したのだ。
これより夢の世界への住民となる。
いくつものアラームが彼女を引き戻そうと鳴り続けるが、全てが無駄に終わった。
度重なるドアノックも同様だ。
どれ1つとして覚醒させるには至らず、本人が意識を取り戻すまで即席の『眠り姫』となってしまう。
「はにゃ? 寝てしまっていたのか?」
ようやく体を起こしてみると、体は飢えと渇きに犯されていた。
ひとまず蛇口を捻って水を飲む。
コップ一杯では足りず二杯目を汲んで口に含む。
ーーそういえば、今は何時頃だろう。朝食前くらいかな?
窓の赤みからそのように計算したのだが、デジタル時計は『pm6:12』と表示されている。
それを三度見した後、コップをその場で放り投げ、代わりに紙袋を掴んで部屋を飛び出した。
あろうことか仕事を寝過ごして放棄してしまったのだ。
そしてマフラー。
本日中に渡せなければ意味が無い。
自分の迂闊さ、詰めの甘さを呪いながら廊下を駆けていく。
拠点のスケジュール上、いまは夕食の真っ只中である。
実際食堂にたどり着くと、仲間と談笑するフォグルの姿を捉えた。
「すまん! 眠りこけてしまった!」
メルは滑り込む姿勢で頭を下げた。
今日も出稼ぎの日であったために送迎の役目があったのだ。
対するフォグルは微塵も怒る事なく、柔らかな言葉を返した。
「お気になさらず。ここの所お疲れの様でしたので、送り迎えはイイダさんにお願いしました」
「イーーッ!」
「そ、そうか。疲れていたのは訳がある。それが、これだ」
「なんでしょう。銘菓のようですが」
「あ、いや、中身は違うぞ。今日はクリスマスじゃないか。私からお前にプレゼントだ!」
どうにか25日中に手渡せたとあって、メルは胸を撫で下ろした。
だが安心したのもつかの間。
この時になってようやくテーブルの上を占拠するものに気づいたのだ。
食器やトレイなどではない。
見慣れない紙袋が3つ鎮座しているのだ。
「フォグル、これは何だ?」
メルは自身の声が上ずるのを感じた。
返答は例によって平たいものである。
「右端はケティさんからです。勤務地から人伝いに届けられました。残りの2点はアルバイト先で貰った物です」
「クッ。金持ち連中め!」
フォグルは今日1日で3人の女性から贈り物を受け取ったのである。
それは包装のロゴを見るだけでも高級感が眩しく、メルも思わず「包み紙だけくれ」と言いかけてしまうほどだ。
だが、そんな戯言を吐いている場合ではない。
敵は3人とも黒船で攻めてきたにも関わらず、彼女が繰り出したのは小舟一艘という危機的状況なのだ。
しかも手作り感の著しいもの。
負け戦確定の品評会となることは一目瞭然であった。
実際に品がテーブルに並ぶと、どれもこれもが異次元クラスの品質を知らしめた。
少なくともメルにはそのように感じられた。
材質はシルク、デザインは超一流。
値札を見るまでもなく、どれもこれも高価であることは確実だ。
さらに運の悪いことに全てがマフラーというモロ被りである。
メインで使用されるのがこの中の1点だけであることは予想に難く無い。
そこへ端っこに置かれたのは、海苔にも似た失敗作(オリジナル)だ。
メルは恥ずかしさのあまりに顔が熱くなるのを感じた。
目元も涙で滲み、視界がひどくぼやけていく。
ーー結果をむざむざ見せつけられる前に、回収して撤収してしまおう。
そう思ったのだが、フォグルの方が先に動き、メルの品を手にとった。
「僕はこちらのマフラーを使わせていただきます」
「な、なんだってぇーー!?」
「メルさん。なぜ驚かれましたか。これは僕にくれたものですよね?」
「あ、いや、もちろんだ。でも、どうしてよりによって私のものを?」
「端に僕の名前が入っていますよね、フオグルと。少しばかり読みにくいですが」
「あっ……」
まさか、仇となる心配をしていた「刺繍入り」が結果を分けるとは、製作者にとっても予想外であった。
喜びが胸の中を駆け巡り、暖かなもので埋め尽くされた。
文字通り天にも昇るような心地となったのだ。
「ですので、みなさん。残りの3点は共有物とします。外作業をされる方が優先的に使用するものとしましょう」
「イィーー!」
「待てフォグル。送り主がその結末を知ったとしたら、さすがに悲しむのではないか? お前以外の人間で使い回すなど失礼じゃないか」
「そのような事はありません。受け取った時に『良かったら使って』と告げられましたので。その言葉どおり、有り難く使わせていただきますから」
「うん、うん……?」
言葉を伝えるのは難しいものだと、メルは痛感した。
相手が合理主義者であれば尚更だと。
むず痒いものは感じつつも、やはり努力が実った事は幸福であり、彼女が寝入る時は満面の笑みを作るのだった。
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