第18話 資金の投入先
フォグルの出稼ぎは順調である。
毎日のように女性陣が攻め寄せる場面こそあったものの、常に闘牛士(マタドール)のような華麗さでかわし続けた。
そうやって迎えた給料日。
組織の口座に振り込まれるので、フォグルの手元には一銭も入りはしないが、給与明細は直接手渡される。
手取りは交通費込みで14万2000円。
独立して生活するには窮屈な額面であるが、幸いにも拠点暮らしである。
給与額について不安を抱く心配はない。
それどころか『末端の人たちの暮らしが改善されるかもしれない』という仄かな期待すら胸に宿る。
仕事あがりに、いつもの猛追を撃退しながら。
「フォグルくん。バイト代が入った事だし、これからパスタでも食べに……」
「結構です」
「ヘグッ!」
「フォグル君。もし良かったら今晩は一緒にディナーでも……」
「結構です」
「カハァッ!」
歩調を乱すことなく、言葉による斬撃を繰り出した。
倒れ方から見るに、女子大生は袈裟斬り、店長は胴薙ぎといったところか。
まるで時代劇のやられ役のように、どちらも美しく倒れる。
フォグルは特に後処理を気遣うことなく、迎えの軽トラに乗り込んだ。
「大義だった。よくぞ立派に勤めあげたな」
車内でメルが労った。
まとまった給与というのは、収入が不安定な組織にとって実に有り難いものである。
「この金額が私の評価らしいですが、どれほどのものか分かりません。いかが思われますか?」
「ぅうーん。悪くはない。だが、もっと頑張る余地はある、かなッ!」
「そうですか。具体的にはどの程度まで評価されれば……」
「出発するぞ、ベルト締めろ!」
メルは言葉を遮るようにして車を急発進させた。
というのも、彼女もまた世間知らずであり、まともに働きに出た経験は1度として無い。
なので、いくら貰えば上々かなどは知りようがないのだ。
最低限として、上司の沽券を守るためにもボロを出すわけにはいかなかった。
時刻は6時前。
そこそこの渋滞に巻き込まれたメルは、ハンドルに苛立ちを叩きつけた。
体を揺らして前方を確認したり、対向車線のスムーズさに恨みがましい視線を送ったりと、落ち着きを見せない。
だがその時、微かな異変に気付く。
ーーフォグルが、笑っている?
助手席に座る彼は、車窓から外の景色を眺めている所だった。
そのために横顔の端しか見えないのだが、気配はいつものそれとは大きく異なる。
取り巻いている空気が柔らかいのだ。
「フォグル、お前……」
その顔を振り向かせようとして手を伸ばすも、けたたましいクラクションの音によって遮られた。
いつの間にか前方は車が流れており、意図せず道路を封鎖する形となっている。
チッと舌打ちを鳴らし、再び急発進。
年代物の軽トラは、尻を叩かれた老馬のような悲鳴をあげて走り出した。
拠点に戻ると、ちょうど夕食時であった。
フォグルたちも身支度を整えてから食堂の列に並ぶ。
例によって怪人の方はスムーズであるが、フォグル側はやはり渋滞が起きていた。
この待機時間も慣れたものである。
「皆さん。お腹一杯食べられると良いですね」
せめて給料日くらいは贅沢を許してほしい。
そんな願いと希望を抱きつつ、自分の番が来るのを静かに待つ。
やがて窓口までやって来ると、今晩の食事を受け取ったのだが、思わず両目を疑ってしまった。
これには堪えきれずコックに質問を重ねた。
「すみません。他の料理はありますか?」
「ァア? んなもんねぇよ! 今日はそんだけだぁ!」
「今日の午前に少なくない額が振り込まれたはずです。資金難を理由に食事を絞るのは……」
「うっせぇ! 後がつかえてんだよ、早く退け!」
包丁で脅されるようにして追い出されてしまう。
彼のトレイには椎の実が2つ。
これだけである。
麦飯の1膳すら出されはしなかったのだ。
フォグルは列から外れると、奥に座る怪人席の方へと顔をむけた。
するとどうだろう。
その両目に飛び込んでくるのは、七面鳥の丸焼き、山盛りのスライスパンに、小分けされた湯気立つビーフシチュー。
ヒラメのムニエルにアボガドサラダ、更にはワインの赤みが食卓に華を添えている。
それを当然のように食す怪人たち。
食べ方は卑しく、肉の切れはしや魚の身が床を盛大に汚していく。
末端は床に広がる残飯程度のものすら口に出来ないにも関わらず、この豪奢ぶりである。
ーー働かないばかりか、訓練すら遠退いている連中が、なぜだ。
そう思った瞬間には足が動いていた。
椎の実を殻ごとかみ砕き、トレイはその場で放り投げた。
怪人専用スペースには古株ばかりが並ぶ。
長テーブルには純白のクロスがかけられ、それを汚す者の数は十を超え、最奥にはコウモリに似た男が座っていた。
執行部長のユダンである。
彼はフォグルの姿に気付くと、ワイングラスを軽くあげることで挨拶した。
「やぁ、たしか君は候補生の……」
「霧の魔人フォグルです」
「そうだった。名前を失念して済まないね。一定レベルに到達していない者の名は覚えにくくて仕方がない」
この返しに周囲は沸いた。
虎男など腹を抱えて大笑いする有り様だ。
もちろん、フォグルが合わせる事はなく、むしろ不快感を増す事となった。
両手に宿る意思の力。
それは机を叩くという反抗的な態度によって現れた。
場の空気は一転して剣呑となる。
虎男が「死にてぇのか」と怒鳴り、カマキリ男も両手の大鎌を掲げながら立ち上がった。
あからさまな威圧なのだが、フォグルが動じることはない。
「あなたたちの供応は、享楽は誰のおかげだと思っているのです?」
「あんだとぉ!?」
「何ら貢献することなく連日にわたって大酒を飲み、無駄飯を喰らい、空威張りする。それが誰の犠牲によって為されているか、考えた事がありますか?」
「何が言いてぇんだオイ!」
虎とカマキリがフォグルを挟み撃ちにする。
丸太をも砕く拳は彼の腹を、鉄を両断する程の鎌は首を跳ね飛ばすべく繰り出された。
一般人であれば即死の威力を誇る。
だが相手は霧の魔人だ。
それらは虚しく空を切り、両怪人は間抜けな顔を晒すばかりである。
その両者に冷たい言葉が静かに告げられる。
「解らないのであれば教えて差し上げましょう。この煌びやかな晩餐の犠牲者は……」
言い終える前にフォグルは両足を力強く開き、同時に両手を左右に繰り出した。
それは掌底にも似た動き。
特別な訓練を受けていないために型はお座なりであるが、その威力は凄まじいものだった。
虎男の逞しい腕は不自然にねじ曲がり、カマキリ男の鎌は亀裂が走り、その痛みで悶絶した。
「愚痴すら溢す事なく勤しむ、名もなき人達だろうが!」
かつて一度として声を荒げる事の無かったフォグルは、食堂が静まり返るほどの怒声を響かせた。
今度は表立って咎める者など居ない。
近その圧倒的な強さを前にして金縛りに遭ってしまったのだ。
唯一冷静なままでいられたのは、最奥でニタニタと笑う男だけであった。
「キシシ。随分と力が余っているようですねぇ。虎もカマキリも組織で指折りの人物であるのに、まるで子供扱いとは」
「僕の言葉が理解できていますか?」
「ええ、もちろん。あなたの要求は末端人員の待遇改善にある。そうでしょう?」
「まさしく。考え直して貰えますか」
フォグルは拳の握り方を静かに変えた。
彼なりの脅しであるのだが、効果のほどは不明だ。
両者の距離が離れているにしても、ユダンは人を小馬鹿にしたような表情を変えなかったのだから。
「うぅーん難しいですね。というのも、怪人開発に大金がかかっていますから」
「開発?」
「ここ最近、惨敗続きでしたでしょう? ゆえに新たな怪人が必要との決定がなされ、すでに多額の資金が動きましたよぉ?」
「つまり、僕の要求が通る事はないと」
「いえいえ。あなた、出稼ぎされているのでしょう? 頑張って貰えれば改善も夢ではありませんよぉ」
この提案で納得するフォグルではない。
そもそも論点がずれかけている事にも気づいている。
「節制するという発想には至らないのですか?」
「先日もお話しましたが、怪人は多くを食べる必要があるのですよ。そうでないと弱体化してしまいます。無意味に貪っているように見えたかもしれませんがねぇ」
「あなたに言っても無駄のようです。総統に直接持ちかける事にします」
「ふふ。そんな勝手が通るとお思いで? 総統閣下はお忙しいお方。我ら執行部の許し無くば叶いませんよ」
「では力づくでも」
「それはそうと、あなたの周りにはお友達が多いようですねぇ。何か不幸が起きなければ良いですが」
ここでフォグルの血の気が引いた。
予想外の形で脅迫されたからである。
「人質のつもりですか。あなたにとっても仲間だというのに」
「いえいえ、とんでもない。あくまでも一般論と言いますか、年長者からの助言ですよ。人の生とは儚く、いつどこで命を落とすか分からないと教えて差し上げたまで」
「何が言いたいのですか?」
「賢く生きなさい。無闇やたらに噛み付くのは狂犬だけで十分でしょう」
フォグルにとって親しい者と言えば、メルとケティ、そしてイイダを始めとした最下層の者たちだ。
特に末端の人員は拠点から出る機会も少ない。
執行部がその気になれば、フォグルがアルバイトに出た頃合いを見計らって粛清することなど容易い。
そこまで読み切ってしまえば、あとは態度を軟化させる以外に方法は無い。
「これまで以上に稼いだなら、待遇を改善していただけますか」
「もちろん。我らとて意地悪でやっているのではありませんから。手元に潤沢な資金さえあれば、下々の者たちにまで恩恵をもたらすつもりですよ」
「先ほどの非礼はお詫びします。では、これにて」
「構いませんよ。過ちは誰にでもありますからねぇ、キシシ」
フォグルは頭を下げ、静かにその場を立ち去った。
『過ち』という言葉が棘として胸に突き刺さったが、その痛みを顧みる事なく食堂から姿を消した。
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