第16話 討伐ライン

組織の意向によりフォグルは出稼ぎに出ることとなった。

場所はハンバーガーチェーン店のクマガヤ支店である。

下宿ではなく拠点から通うのは、交通費をチョロまかすためだ。

その悪事は、メルが運転する軽トラに乗り込むことによって可能とする。

悪びれもしないあたりは流石怪人と言うべきだろう。



「メルさん、運転ありがとうこざいます。それでは出勤して参ります」


「いいかフォグル。決して仕事中に能力を使うなよ? ヒーローが飛んでくるからな」


「承知しました」


「何か困ったことがあれば早急に私に報告しろ。必ずだぞ」


「承知しました」


「いいか、間違っても同僚の女子大生なんぞに相談するんじゃないぞ!」


「承知しました。そろそろ……」


「それとアイツだ、店長の女! あれはダメだ、絶対に気を許すなよ! 確実にお前の事を狙ってるからな!」


「行って参ります」


「おい返事! 命令を復唱しろぉーー!」



時刻は朝の8時50分。

バイトに間に合わないと判断したフォグルは、話途中で車から出た。

この態度にメルの心は不安に苛まれる。

そうでなくとも心配で仕方ないのに。


メルはバイト初週の頃なんかは客として紛れ込み、ホットコーヒーの1杯だけで店内に居座る事もあった。

フォグルの勇姿を眺めるためであり、同時に悪い虫に目を光らせる為でもある。

もっともそれは総統に叱られて以来、フォグルの勤務中は拠点に戻るようになったのだが。


そんな恋心(おやごころ)など知る由もなく、フォグルはユニフォームに身を包む。

それは超有名ハンバーガーショップのものであり、モデル体型の彼にはよく似合っていた。

バックヤードで店長と簡単な朝礼を終えると、すぐにレジへと回る。

本日で10日目の勤務。

勤勉なフォグルにとって、一通りの業務を覚えることは簡単な事であった。



「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」


「ポテトのLふたつ。それとオレンジジュースひとつね。持ち帰り」


「お飲み物のサイズはいかがなさいますか?」


「えーっと、Mでいいや」


「承知致しました。総額で824円となります。早急にご用意します故、今しばらくお待ちくださいませ」



フォグルの接客態度はなんとも堅苦しいものだ。

それでも礼儀正しく口調は明瞭で、ホテルマンのような精練さを感じさせる。

そしてなんと言っても美男子。

テレビや雑誌から飛び出したような美しさを誇る店員に、婦女子一同は熱い視線を向け続けた。



「オーダー頂戴しました。ポテトのLを2点お願い致します」



フォグルはドリンクの準備を手早く終えつつ、調理スタッフに声かけをした。

相手は噂の女子大生バイトである。


彼女は同時期に入った新人であり、機器の扱いにはまだ不馴れであった。

左右を見回したり、ポケットからメモを取りだしと、錯乱しかけている様子が見てとれる。

このまま放っておけば一層慌てる事は明白だ。


ーーひとりで任せるには難しい、か。


フォグルは素早く調理場に赴き、滞っていた作業に着手した。

思わず見とれてしまうほどの精練された動き。

周囲がボンヤリ眺めている間にすべてを完遂してしまった。


それ以後も各セクションの完了見込みを正確に予知し、接客から調理まで縦横無尽の大活躍を見せた。

立場上は彼も新人であるのだが、吸収力が段違いである。

これまでの働きぶりが店長の目に止まるのも、必然というものだ。



「フォグル君ありがとうね。ほんと助かったよ!」


「いえ。私もこの集団の人員ですから。窮地とあれば一命を賭す事も厭いません」


「あぁっ……! 貴方に出会えた事以上に素晴らしいことなんて、この世にあるのかしら!」



手放しでの称賛に周りも賛同の声を次々にあげた。

特に人材難で苦しんでいた店長は、両目を潤ませるほどの感激ぶりである。

責任者と言っても20代半ばの、エリアでは珍しい女性管理者だ。

気苦労が絶えない事は想像するに難くない。



「フォグルくん、私からもお礼を言わせてね!」



そう言って愛らしく笑うのは同期の女子大生だ。

要領は悪いが、愛嬌は人一倍というタイプである。

小柄であることもその魅力に拍車をかける。

年頃の男相手であれば瞬時に恋心を抱かせるような、必殺スマイルがフォグルに投げ掛けられるが。



「お気になさらず。当然の事をしたまでです」



興味を微塵も示さなかった。

というのも、フォグルが気にするのは2点のみ。

規定通り給与が支払われること。

そして、自分の正体が知られぬことである。

それ以外については、昨年の天気予報よりも価値が無いものだと断じるのだった。


お昼時もフォグルのファインプレーで難なく過ごし、時計の針は3時を指した。

店内は親子連れや学生ばかりとなり、彼らは食事よりも会話に夢中の様子だ。

このまま無事に勤務が終わる……と思われたのだが。



「ふざけんな! 責任者を出せぇ!」



和気あいあいとした店内に場違いな怒声が響き渡る。

憤激した客はふらつく足取りでカウンターの前にまでやってきた。

顔は赤く、呂律も怪しい。

誰がどう見ても深酒をした中年男であった。


とはいえ、客は客。

異常を察知した店長は、すぐさま事情の確認に動いた。



「お客様、何かご不都合がありましたでしょうか?」


「フツゴーだとぉ? このコーヒーだろぉ! 熱くって飲めやしねぇよ!」



男のコーヒーが特別熱いのではない。

人を見て、品物をわざわざ変える意味もマニュアルも無いからだ。

そもそも熱い分には冷ませば良いだけであり、怒り狂う理由としては無理がある。

それでも酔客は引き下がろうとしなかった。



「誠意を見せろよオラ! 舐めてんじゃねぇぞオラ!」


「申し訳ありません。スタッフ一同注意してまいりますので……」


「そもそも何だぁ! 女ごときが責任者気取りかバカ野郎!」


「キャアッ!?」



まだ湯気の立つコーヒーが辺りにブチまけられた。

その大半は店長の体にかかり、清潔なシャツを黒く染めていく。

その暴挙はカウンターで黙っていたフォグルからよく見えた。

そして一連の流れを眺めているうちに、かつて抱いた事のない感情が沸き起こる。


ーーこの男は何だ。目的は何なのか。


その答えを見いだす事は出来ない。

問いは糸口を求めて何度も繰り返されるが、眼前のクレーム対応と同様に進展を見せなかった。

やがて彼の胸に熱いモノが広がっていく。

ジワリ、ジワリと体内を侵食するかのように。


ーー殺してしまえ。


何者かの声が耳元に届く。

もちろん、囁く距離に人影など無い。

明らかに幻聴の類いであるが、不思議な説得力を持っていた。


ーー遠慮する必要があるか。やってしまえ。


謎の声に魂が同調すると、胸の中のものに確かな手触りを感じた。

怒り、である。

新たな感情の芽生えがフォグルのSR値を遥か高みにまで引き上げていく。

350……380……440……。

そして500を超えた瞬間に、例のトリオが店の入り口に姿を表した。



「そこまでだ怪人!」


「我らデリンジャーⅢが来たからには」


「あなたの好きにはさせないわ!」



予期せぬ事態に店内のあらゆる動きが止まる。

カウンター付近の店員はもちろん、テーブル席に座る客の全てがだ。

唯一事態を飲み込めていないのは酔客だけであり、いまだに愚にもつかぬ批判を繰り広げるという状況となる。



「怪人がいない!? 悪者はどこだ!」



フォグルのSR値はすでに戻っており、怪人と称して良い者など、ここには居ないのである。

強いて悪者を見いだすとすれば、難癖をつけて離れようとしない男であろう。

退治するには明らかに小物だ。

それでも何らかの注意や指導なり入る事が期待されたが。



「クソゥ! 怪人め、どこへ行った!」


「ねぇみんな。あそこの人たちは困ってるようだけど……」


「ピンク、構うのはおよしなさい。ちょっとしたクレームではないですか。我々はもっと大きな所で闘う。そうですよね、レッド?」


「ブルーの言う通りだ! オレたちはでっかい悪と戦わなくちゃならない! 行くぞ!」


「行くって、どこへ!?」


「逃げた怪人を追うんだ!」



こうしてデリンジャーⅢはその場を後にした。

存在しない『逃げた怪人を追うために』である。

この対応にはフォグルも疑問に思う。


ーーあらゆる悪を許さないのでは無かったのか?


どうやら悪の定義も人それぞれのようである。

クレーマーの扱いは専門外だったのだろう。


それからトラブルはどうなったかと言うと、無事に解決した。

客の一人の通報により駆けつけた警察官が男の身柄を拘束して連れ去ったのである。

罪状は営業妨害と器物損壊の現行犯。

迅速かつ的確な対応にフォグルは思う。

こちらの方がよほど信頼が持てる、と。

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