第10話 不意に芽生えたもの
本日の晩餐は、玄米ご飯にかりんとう1本。
待遇の改善など為される事もなく、絶望的な食事を甘受する日々。
それは末端の戦闘員はもとより、怪人候補生のフォグルも貧しい献立で命を繋いでいる。
しかし、寂しい食卓かと聞かれれば、違うと言わざるを得ない。
「フォグル。早く口を開けろ、牛すじ煮込みだ、旨いぞ」
「フォグルちゃん。そんなのより、こっちのローストビーフを食べて欲しいなぁ」
フォグルの両隣に座るメルとケティが囃す。
どうにかして意中の男を振り向かせようと必死であり、略奪レースは取り分け食事時が顕著となった。
怪人待遇の食事は別格だ。
それを良いことに、両者とも胃袋を鷲掴みにしようと試みるのである。
まずは足掛かりと言わんばかりに、それぞれがフォークに1口分を乗せて差し出していた。
「おい、こっちの牛すじを食え。舌の上で肉がとろける絶品だぞ」
「いやいや、やっぱりローストビーフでしょ。とろりの温玉も完備してるしぃ」
「騙されるな、私のを食え。あまりの旨さに脳が焼け焦げるぞ」
「いやいやいや、それならアタシのだって。もう胃が炸裂して四散するくらい美味しいってばぁ」
食レポ下手がしきりに促す。
フォグルとしては食事の邪魔でしかなく、そこそこに不都合さを感じている。
更には視線も気がかりだ。
通りすがる怪人たちは皆が舌打ちをし、周囲の戦闘員たちは恐縮したように小さくなっている。
お世辞にも平穏とは呼べない食事風景であった。
ーーこれは良くない。秩序を著しく乱しているな。
フォグルはそう状況を分析すると、素早く一計を案じた。
一方でメルたちはそんな腹の内など知らず、勝手にヒートアップしていく。
「ホラホラ。1口と言わず皿のもの全部食ってくれて構わんのだぞ。細かいことは言わん。私は太っ腹だからな」
「フォグルちゃん。アタシのも全部あげちゃう! ついでにアタシも好きにして良いよぉ?」
「おいケティ、ふしだらも大概にしておけ! チャチャッとお手軽に始末してやろうか?」
「アッハ! アンタこそ何が太っ腹なのかなぁ? 胸がド貧乳すぎてお腹が目立ってるだけじゃないのぉ?」
「お、死ぬか? それに触れたからには死んでもらおうか?」
「アハハァ! コロッと死ぬのはどっちかな。首ポロンしちゃうのは誰かな。誰なのかなぁ」
にわかに周囲の空気が変わる。
ほんわかとしたもの張り詰め、近くの戦闘員たちは肝を冷やす。
まさに一触即発。
そこで本格的な衝突を防いだのは、他ならぬフォグルである。
「お皿ごといただけるとの事ですので、遠慮なく頂戴します」
「えっ?」
「両方ともか!?」
フォグルは左右から勧められた皿を自分の方へと寄せた。
それから肉や具を細かく切り分ける。
全て均等に、僅かなバラつきも許さぬように。
そうして分割したローストビーフ数切れと汁をたっぷりと吸った牛すじ煮込みを、その場にいた全員に配り始めた。
余分な皿など無いので、玄米飯の上に乗る形になる。
これには末端の者たちも目を見開いてしまう。
本来であれば彼らの口に入るべき代物ではない。
いつぶりか分からぬ獣脂。
それがどれほど高貴に見えた事だろう。
衝撃と期待に押し潰されたような声で、誰かが問いかけた。
「イーーィ?」
「どうぞ食べてください。今日はイイダさんの誕生日でしたよね」
「イィ!?」
「少なくとも、今ばかりは贅沢も許されるのでは?」
この沙汰に涙を見せない戦闘員は居なかった。
目出し帽のように露となっている瞳からは、大粒の涙が溢れ、手元へと落ちていく。
指先も震え、箸がブレる。
それでもどうにか肉片をつまみ、口許へと運び、奥歯でゆっくりと噛み締めた。
ーーグググッ。
徐々に顎に力を入れると、口中は忘れかけていた快楽で満たされた。
溢れる肉汁の旨味を、香りを、その舌触りを。
この頃になると落涙では済まなくなる。
鼻からも感情の証が止めどなく流れ、もはや味覚など無きに等しい。
それでも美味いのだ。
彼らは示し合わす事もなく、全員が魂で味わったのだ。
この結果に不満気なのは女性陣である。
べつに慈善行為がしたかった訳ではない。
ただひたすらに、想い人の腹と胸を満たしたかっただけなのだから。
「なぁんか、釈然としないなぁー」
「全くだ。フォグル、お前は貧相すぎるんだ。だからもう少し良いものを食って……」
メルはそこで言葉を切った。
なぜなら、思いがけないものを目の当たりにしたからだ。
ーーフォグルが、笑ってる……?
これまで1度として表情を変えなかった男が、である。
つり上がった目尻は柔らかみを帯び、代わりに口角が少しばかり上向いている。
誰がどう見ても笑顔そのものだと言えよう。
一方でフォグルは、己の変化に戸惑っていた。
目の前で涙を流される度に、彼の心が掻き乱されるのである。
ーーこの感覚はなんだろう。とても暖かいけれど。
理解が出来ぬままに、突如沸き上がった衝動が魂に刻まれていく。
総統が切望した感情の芽生えが到来したのだ。
産みの親が言うように、フォグルの強さは意思の強さに依存する。
ーー僕の中で、何かが起きようとしている。
その直感は正しい。
一連の出来事が彼に急速な成長を促し、瞬間的ながらも膨大な力がその身に宿った。
それは破格のエネルギー。
他を圧倒するどころか、別次元の存在感を周囲に知らしめたのだ。
異変を真っ先に察知したのはメルだった。
非現実的な出来事を前に、思わず己の正気を疑ってしまう。
だが、視界の端に映るケティの表情を見て、夢幻ではない事を知る。
向こうも顔面蒼白のまま震えていたからである。
「フォグル、お前……」
恐る恐る声をかけた。
すると彼は振り向くなり「何でしょうか?」と答えた。
いつもと変わらず無表情のままで。
そして閃光のごとく煌めいた力も鳴りを潜め、SR値300程度の、取るに足らない男に戻っていた。
メルは適当に言葉を濁し、皿に残る牛すじを口に放り込んだ。
舌に冷めきった肉が乗る。
何度噛み締めてみても、その味を感じとることは出来なかった。
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