第8話 あとちょっとだけ
ひと気の無い山中にて、岸壁が突如として割れる。
そんな異常事態が起きようとも誰かに知られる心配は無い。
僻地であるうえに時刻も早朝6時とあって、目撃される可能性は皆無と言って差し支えないだろう。
にも関わらず、空洞から顔を見せた女は、オコジョのように周りを警戒しつつ姿を現した。
「よし。フォグル、出てこい」
最初に外へ足を踏み出したのは蛇女だ。
外出するとあって、装いも随分と女性らしい格好となっている。
肩まで伸ばした黒髪は緩く巻かれ、顔や首元をフワリと包むようにクセ付けられている。
ピンクのセーターはタイトなシルエットで、彼女が誇るプロポーションを存分に押し出す。
下は白地のスカート。
所々に描かれた薄紫のバラ模様がなんともオシャレである。
足元は白のショートソックスにダークブラウンのローファーという、極めて少女的な装いだと言って良い。
普段の黒ボンテージファッションからは想像も出来ない変貌ぶりである。
蛇女は奇抜な格好をしているうえに、管理職の威厳も上乗せされて老けてみられがちだが、実年齢は20歳である。
己の嗜好を押し潰し、役目を全うしたがゆえの評価だと言えよう。
実像との解離に悩む時期はとうに過ぎていた。
「早くしろ。人に見られたらやっかいだぞ」
促されて、狼のようにノシノシと現れたのはフォグルである。
彼はネーム入りのジャージを脱ぎ捨て、シンプルで嫌味の無い洋装に身を包んでいた。
青白のストライプシャツの上に、木綿の黒ジャケットを羽織っている。
下には濃紺のデニム、足元はライトブラウンのブーツだ。
間に合わせのコーディネートであるために、どこか『着せられている感』を漂わせている。
だがそこは美青年。
若干の不具合などものともしない。
事実、蛇女はイケメン特有のオーラに襲われたが為に、自然と鼻息を荒くしてしまう。
「教官。今日はどこへ向かうので……」
「おい、教官はよせ。もちろん『蛇女』もだ」
「なぜですか?」
「バカか。人間の街で不用意な発言をしてみろ。アッという間に騒ぎになって、ヒーローどもと一戦を交える事になるぞ」
「確かに。ではどのように呼べば良いのです?」
「私の本名はメルだ。だから、お前は今後、私の事をメルと……」
「わかりました、教官」
「話を聞いていたのか貴様はッ!」
いつものように鉄拳が繰り出されるが、結果もいつものように霧化によってかわされる。
だが、それについても叱責が飛ぶ。
街中で能力を使用したのなら、たちまちヒーローにより感知され、やはり戦いになるというのだ。
つまり約束ごとは2つである。
能力を使わないこと、そしてお互いの事を名前で呼びあう事だ。
「フォグル。理解したか?」
「わかりました。メルさん」
「うむ……まぁ、良いか。これから電車を乗り継いで大宮へと向かう」
「わかりました、メルさん」
「それから、人里に近づいたら……その、こ、恋人として接しろ」
「わかりません、皆目」
「わからなくてもやれ! 理由はじきにわかる!」
2人は数時間かけて最寄り駅まで歩き、無人の改札を抜け、ホームでしばらく時間を潰す。
ベンチに座り、メル特製の『まんまるオニギリ』でブレックファースト。
なにせ時刻表はスッカスカなのだ。
軽食を取り、食休みを取るに程よい空き時間だと言える。
しかし休日とはいえ、この2人は人目を引いた。
なぜなら、待ち合い客年は寄りばかりであり、若者の姿など注目の的である。
それでもカップルであると分かれば、不審な目線は和らぎ、やがて誰も気にしなくなった。
フォグルも合理性に納得し、メルの命令(やくとく)に意を唱える事を止めた。
長らく電車に揺られると、2人は大宮の街へとやってきた。
改札付近から既に人混みであり、ウカウカしていると見知らぬ場所まで流されてしまいそうだ。
繋がれた手には自然と力がこもる。
2人は都会の洗礼を浴びつつ、逃げ込むようにして喫茶店へとなだれ込んだ。
目を白黒させながら席に座るフォグル。
そこへメルが両手にアイスコーヒーを持って現れた。
「フォグたぁん。お待たせぇー!」
名状しがたいメルの声色に、フォグルの混迷は一層深くなる。
男勝りを体現したような女が、小首を傾げて甘ったるい言葉を発しているのだから。
さすがに指導者は紛れるのが上手い。
適切かはさておき、どこからどう見ても民間人そのものだ。
「なに驚いてるのぉ? 変なフォグたん」
「め、メルさん……」
「それでさ、今日はどこ行こうかぁ?」
メルの眉間が若干深くなる事で、フォグルはやっと勝手を取り戻す。
普段から見慣れた表情に近づいたからである。
「それでは、今日の目的地は……」
「うんうん」
「いきなり国会議事堂は難しいでしょうから、まずは市庁舎を調査しましょう」
「うーん却下。そんな所じゃデートにならないんだぞ!」
「デート?」
「もうしょうがないなぁ。今日はメルがエスコートしてあげるからね!」
メルは冷たいコーヒーをストローで一気に吸い上げた。
これは「早く飲み干せ」という催促である。
無言の重圧を感じ、フォグルもそれに倣う。
「それじゃあ、まずは映画館に行こっか!」
こうなればペースは完全にメルのものである。
映画館を皮切りに可愛らしい小物屋を制覇し、ボウリングで体を慣らして小腹を減らすと、ホットスナックの露店を梯子した。
メルは役目を忘れたかのようにハシャいだが、それは擬態する目的がある。
決して疑似的な交際を楽しんでいる訳では無いのだ、決して。
一方、フォグルはついていくのがやっとである。
自然な会話はもとより、各シーンでの適切な態度、施設の利用法や支払いなど、随所でぎこちなさが見られた。
彼にあるのは知識のみで、体験が紐付いてない事が原因である。
この結果にはフォグルも目から鱗の心境となる。
そして2人は公園へとやってきた。
時刻は夕方6時前。
初秋ともなれば冷えはしないが陽は傾く。
そのようなシチュエーションでベンチに並んで座った。
「はぁーー楽しかった。久々に満喫したなぁ」
メルはご満悦である。
何せ1日中、デートの気分を味わえたのだから。
拠点ではしかめっ面しか見せない彼女であるが、仮面をひとたび脱げば極当たり前の顔を覗かせる。
フォグルも上官の機嫌の良さから、上首尾であると推量する。
本人も少なからず手応えを感じていた。
『独りでは危険だったかもしれないな』と、この時ばかりは、変わり者の上司に感謝する。
「メルさん」
「なんだフォグル……いや、フォグたん?」
「あなたには感謝しなければなりません。僕は事前に得た知識を過信していました。本日は同行してもらえなければ、果たしてどうなったか……」
「え、あの、どうしたんだ? さっき食ったタコ焼きでも当たったのか?!」
薄暗く人肌が恋しくなるような、夕暮れ時の公園で2人きり。
そんな強烈なシーンでの殊勝な態度。
これにはメルも平常心を保てずに激しく上気する。
いや、上気『してしまった』のである。
「あ、ヤバイ! 落ち着かなきゃ……」
「どうかしましたか?」
「これは間に合わん、胸を貸せ!」
メルはフォグルの返事を聞く事なく、平たい胸に顔を押しつけるようにして抱きついた。
彼女が焦る理由はSR値である。
上気して心を乱した彼女は、抑え込んでいた値をみるみる上昇させてしまったのだ。
それは400、450、480とグングン伸びていく。
そして500を超えた瞬間、公園のトイレの屋根に3人の人物が姿を現した。
「そこまでだ、怪人! オレたち単発戦隊デリンジャーⅢが、貴様の悪事を粉砕してやる!」
そう、ヒーローに嗅ぎつけられたのだ。
ヒーローから脅威だと解釈される境目がSR500であり、数値はそのまま怪人の定義として扱われる。
そしてこれが、怪人たちが無意味な外出を拒む理由でもあった。
常に窮屈な想いをさせられて嫌になるのである。
「うん? 怪人の姿が見えないわね……」
「見失ってしまいましたか? 面妖な事ですねぇ」
「確かにこの辺りから反応をキャッチした。どこかに隠れているのかもしれないな」
ヒーローから見てフォグルたちは、繁殖行為中のカップルにしか見えない。
それはそれで腹立たしいのか、トイレの方から不穏な空気が漂いだす。
レッドなどは必殺武器に手をかけてすらいた。
「人目を憚らずにイチャイチャするとか、1発くらい撃っても良いんじゃないか?」
「あれは風紀を乱してますねぇ不道徳ですねぇ。レッド、やっておしまいなさい!」
「ダメに決まってるでしょう! ここには怪人は居ないの、他所を探しましょう!」
ピンクの良識的な判断により凶行は阻止され、彼らはその場から飛び去った。
無意味に夕日が落ちる方へ向けて、高笑いをあげながら。
事態の激変にフォグルは思考不能に陥るが、危機を脱した事だけは理解できた。
「メルさん。連中は行きましたよ」
フォグルがそっと囁いても、メルは離れる気配を見せない。
「まだだ、慌てるな。もう少し様子を見るんだ」
「様子も何も、もはや後ろ姿すら見えません」
「油断するな。奴らは狡猾で鼻が利く。我々を泳がせている可能性も否定できない」
「そういうものですか?」
「そうだ。だからもうちょっとだけ、このままで」
メルは中々手を離そうとしなかった。
それからは数十秒おきに短い会話が交わされる。
まだですか?
もう少し待て。
まだですか?
もうちょっと待て。
まだですか?
あとちょっとだけ。
不自然なまでに密着を続けるメルを眺めながら、フォグルは思う。
『果たして帰りの電車に間に合うのだろうか』と。
遠方に住まう人の終電とは、驚くほどに早いものである。
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