第6話 研修のはじまり
「フォグル。それを食い終わったら私に着いてこい」
いつものように最貧な朝食(本日はグリーンピースのみ)を頬張っていると、そのような声がかけられた。
上官の蛇女である。
彼女は用が無くとも朝昼晩に欠かさずやって来るのだが、この日は確たる目的があった。
フォグルに断る理由はない。
トレイを返却棚へと戻すなり、誘導に従う事にした。
食堂を抜け、エントランスより2階へ昇る。
研究所へと繋がる扉を前にすると、蛇女はセキュリティカードをリーダーにかざした。
小さな液晶画面に『オーケー』の文字が表示されると同時に解錠の音がなり、ゆっくりと開く。
後は殺風景な通路を歩いて行くだけだ。
「喜べ。私は今日から正式に貴様の指導役となった。涙が枯れるまで徹底的にしごいてやる」
「そうですか」
「以後、訓練だけでなく、朝から晩まで付きっきりになるぞ。嬉しいだろ?」
「そうですか」
「嬉しいよなオイッ!?」
「そんな事よりも、今はどこへ向かっているので……」
「少しは可愛い気のカケラぐらい見せろ!」
蛇女が目やら頬を真っ赤に染めて詰問する。
ここまで明から様な態度を見せられても、やはりフォグルは冷徹な視線を送るばかりだ。
『怒りのトリガーはどこにあるのか』という難解な命題が頭の中でトグロを巻く。
その結果の無表情だ。
蛇女は露骨に舌打ちをすると、律儀にも宙に浮いたままの質問に答えた。
「これから向かうのは作戦会議室だ。貴様は怪人候補生として参加してもらう。今日から始まる研修の一環だと思え」
「わかりました」
「ここだ。入るぞ」
扉付近に備え付けられたコンソール画面にバスワードを入力後、開いた。
空調の風に乗って獣臭が辺りに漂う。
中には主だった者10人ほどが、長机に並んで座っている。
そして部屋の最奥で扉と向き合うようにして座るのは、フォグルにとって見知った顔であった。
「総統閣下、ご下命通りフォグルをつれて参りました」
「ご苦労。2人とも空いている席に座ると良い」
「ハハッ!」
遅れ気味にやってきた2人には非難がましい目が向けられた。
ここは幹部、すなわち組織でも腕利きばかりが集められている。
SR値も4桁に迫る『化け物』すら珍しくはない。
そんな状況下においても、SR値がせいぜい350止まりのフォグルは涼しげな顔で座る。
このふてぶてしさには、上官の蛇女も呆れるばかりだ。
「では、役者が揃ったところで始めるとしよう。次なる作戦についてだ。ポッチリの無念を晴らすためにも、鋭い意見を頼む」
総統は壁に掲げられた地図に目をやりつつ、声を落として言った。
日本列島全域を収めたものである。
所々に赤字で『バツ』と描かれているのは、これまでに仕掛けた作戦エリアを表しており、同時に失敗を意味する。
先日の決戦にも敗れたために、松戸市にも真新しく入朱が刻まれた。
総統の問いかけに対し、いち早く手を挙げた者がいる。
天辺から爪先まで毛深く、そして筋骨隆々な体格を誇る虎人だ。
「市役所の相談窓口に、ひたすらイタズラ電話を仕掛けましょう! ヤツラは仕事を中断される余りに激しく苛つき、ゆくゆくは日本社会全体を揺るがす事になりましょう!」
「なるほど。他には?」
続いて何名かが力強く挙手。
指されたのは、両手に備わる大鎌が目印の蟷螂人である。
「総統! このような手ぬるい策で何が出来ましょうか。洋服店にある服全てを切り刻んでしまいましょう。そうすれば人間どもは衣服を失い、ゆくゆくは日本社会を……」
こうして、彼らなりの悪巧みが積み上げられていく。
やれ、駄菓子のアタリを買い占めて子供たちを絶望させろ。
やれ、幹線道路に犬のフンを敷き詰めて交通網を寸断させよう、という回りくどい意見ばかりだ。
そして異論や反論が被さるようにして飛び交い、その度に場の空気が荒れていく。
熱い討論はやがて罵り合いにまで発展し、議論の体すら怪しくなる。
この様子が腑に落ちず、上の空となる人物がひとり。
フォグルである。
……この人たちは、もしかして不真面目なのだろうか?
始めのうちは彼もも真面目に聞いていたのだが、次第にその姿勢は崩れ、徐々に首を捻るようになる。
そして検証するだけ無駄であると悟り、遂には思考することを止めてしまう。
そんな彼の動きを真っ先に汲み取ったのは、産みの親に等しき男である。
「フォグル。キミの考えも聞いてみたい。何か案があれば遠慮なく言ってくれ」
総統が名指しで促すと、室内の全てが端の席へと視線を向けた。
その温度は様々である。
軽侮、威圧、好奇に嘲笑まで。
フォグルはそれら全てを意に介さず、咳払いで硬直した喉を慣らす。
そして澱みなく、真っ直ぐな瞳で答えた。
「可能な限りの兵を動員し、原子力発電所を襲撃しましょう。1か所だけ襲うのではなく、複数か所を同時に襲う方が効果的です」
「なっ……!」
「占拠に成功したのなら、交渉などせずに破壊しましょう。そうすることで戦略兵器級の打撃を与えられます。任務に赴いたものたちは全滅するでしょうが、相手方の被害を考えれば有用な策かと」
室内はにわかに静まり返る。
怪人たちはすっかり言葉を失い、二の句を継げないままでいたからだ。
だがそれも束の間。
すぐさま怒濤のような猛反論が押し寄せた。
「素人が知ったような口を聞くな!」
「これだから若造は。後先を考える事すらできん!」
「悪魔だ! 悪魔の発想そのものだ!」
「お前マジの人かよ!」
これまでで一番の荒れ模様となってしまった。
中には手元の武器を見せつける者まで出す始末。
蛇女が慌てて頭を下げるものの、肝心の本人は無表情のままである。
まさしく火に油。
フォグルは怒り心頭となった先輩たちにより、手厚い洗礼(リンチ)を浴びせられかけるが……。
「落ち着け、諸君。世の中には多様な意見で溢れているものだ」
総統の取り成しにより、辛うじて流血沙汰は免れた。
これにて怪人たちは、特に腰を浮かしかけた虎人などは、渋面を作りつつ着座したのである。
それ以降はフォグルの意見など触れられる事もなく、お粗末な悪巧みについて議論が交わされた。
紛糾に紛糾を重ね、言葉で殴り合う事を繰り返し、ようやく意見はひとところに着地する。
次なる悪事は『父の日に電車を止め、子供が起きている間に帰宅させない』というものだ。
この採択にはフォグルも大きく首をひねるが、彼の脳裏にとある金言がよぎる。
『組織人は、無闇に上役と意見を違えてはいけない』と。
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