第4話 不可思議なるは乙女心
冷えきった麦飯に2粒ばかりのピーナッツ。
そんな絶望感のただよう昼食を、フォグルたちが食していた時の事だ。
末端のモノとは比較にならないほどの巨大なトレイを彼らの前に置く者が現れた。
その振る舞いは酷く雑であり、気遣いを微塵も感じさせない。
やって来たのは教官の蛇女だ。
「おいフォグル、この席は空いているな?」
「はい。誰も座る予定はありません」
「まぁ先客がいたとしても空けてもらうがな」
遠慮など微塵も見せずにドカリと座る。
戦闘員のテーブルに怪人が並ぶ機会など滅多に無い。
たとえ軍事教官であったとしても、彼らは奥に設けられた上席に座るものである。
つまりここは奇特な会食の場となったのである。
フォグルを除いた全員は蛇女にスッカリ恐縮し、身体を縮こませた。
中には指先が震える者まで現れ、箸が『カンカカカン』と小刻みに音を鳴らした。
蛇女はそんな様子に構う気配を持たない。
長く豊かな黒髪を手早くひとつ縛りにすると、不機嫌そうにコッペパンを齧り出した。
ふわりとした食感が視覚越しで戦闘員たちに伝わり、思わず喉が鳴る。
他にも大ぶりなチキンステーキ、トマトとアボガドのサラダ、クルトン入りのコーンスープが凄惨だった食卓に華を添える。
怪人待遇はやはり別格である。
ひとつまみの麦飯を200回噛むような食事とは次元が違うのだ。
フォグルはここでも不条理なものを感じた。
その想いを乗せた視線が、しげしげと肉料理に注がれる。
「何だ、その目は」
蛇女は顔を正面に向けたまま、鋭い視線をフォグルに向けた。
当事者でない戦闘員たちが一斉に震える中で、やはり彼だけが無表情のままで言う。
「なぜここまで待遇に差があるのでしょうか?」
フォグルは蛇女の威圧など意に介す事なく、質問を投げかけた。
しばらくの間、互いの視線がぶつかり合い、局地的に静まり返る。
咳払いひとつ聞こえない静寂を先に破ったのは、問いかけられた蛇女の方であった。
「強き者が富を独占する。それこそ自然の摂理だろうが」
語気の強い返答だ。
だがやはりフォグルは怯むことなく反論を重ねていく。
「野生生物の群れであれば問題ありませんが、我々は大志を抱いた集団です。悲願の達成には効率や合理性が求められます。この組織には無用なしきたりに溢れており……」
「貴様ごときが、上層部の方針を批判するのか?」
「あくまで事実を申し上げたまでです」
「無駄に賢(さか)しいヤツめ。長生きしたければ口を慎んでおけ。ホラよ」
フォグルの正面に手つかずのチキンステーキが寄せられた。
これには周囲のものたちは驚きの声をあげるが、当事者だけが目の色を一切変えようとしない。
「あの、これは……」
「黙って食え。アタシはダイエット中だ」
「いえ。このように場当たり的な行動では意味がありません。もっと大きな部分を変革させなくては」
「何ッ!? 上官の好意を無下に扱うつもりか!」
「ですから、どうせなら綿密な計画の元で改善をしていただきたく」
「調子に乗るな! もう謝っても許してやらんからな!」
末端の全てがひれ伏すような怒気が飛ぶ。
そして蛇女はチキンステーキを素手で鷲掴みにし、豪快に噛み千切りながらその場を後にした。
無意味に足を踏み鳴らしながら歩くのは不機嫌アピールである。
もちろんその様子も、フォグルにすれば奇行にしか映らなかったのだが。
昼食が終われば午後の業務が待っている。
こちらの統率者は蛇女ではなく、ベテランの戦闘員だ。
昼時の騒ぎを不安に思う必要がないので、昨日までと変わらぬ作業風景となった。
これには戦闘員たちも揃って胸を撫でおろす。
作り出されるにゃんこの置物も、自然と穏やかな表情に引き寄せられた。
迎える夕食時。
与えられた物は玄米一膳に魚肉ソーセージが2分の1本。
相も変わらぬ壮絶な献立であるが、馴染みの顔ぶれが囲む食卓は幸福感で溢れている。
皆は心を和らげる大切さに感じ入りつつ、丁寧に咀嚼を繰り返した。
だが、平穏とは突然に破られるものである。
不機嫌さを雄弁に語る足音が彼らの元へと近づいた。
そしてフォグルの傍まで寄ると、かの人物はテーブルを力一杯叩いた。
昼間の蛇女である。
まるで別れた瞬間からタイムスリップしてきたかのように、怒りの冷めやらないまま現れたのだ。
テーブルが叩かれた事であらゆる食器が揺れた。
その拍子で溢せる程の料理が存在しない事は不幸中の幸いと言えよう。
「貴様ァ! なぜ謝りに来ないか!」
「謝罪とは、昼の件についてでしょうか?」
「他に何があると言う!」
「そうですね。大変失礼しました」
軽々しい謝罪がフォグルの口から吐き出された。
気持ちの一切こもっていない言葉である。
彼の場合はそもそも乗せるだけの感情がないのだが、そんな事情を知らぬ蛇女は怒り心頭となる。
彼女の武器である鋭利な爪が徐々に剥き出しになり、無機質な白色灯の光を反射させた。
「ふてぶてしいヤツめ。ツラが良いからって調子に乗るな!」
「ツラとは、容姿の事ですか? 見た目が何だと言うのです? あなたの好みにでも則した……」
「それ以上ぬかすな! 不敬罪だッ!」
フォグルの言葉を遮るようにして必殺の爪が繰り出された。
鉄板すらも容易に引き裂く武器である。
これには大怪我も有り得ると誰もが想定した。
少なくとも蛇女はそう考えた。
だが、結果は予想だにしない物となり、周囲の者たちを大きく驚かせた。
「手応えが無い、だとッ!?」
フォグルはかすり傷すら負う事はない。
まるで掻いたそばから水面が形を取り戻すように、彼の体も爪が通り抜けた瞬間には元通りとなったのだ。
これぞ霧の魔人たる彼の特性【物理攻撃の無効】である。
万能な能力とまでは言えないが、爪による攻撃を受け流す程度であれば造作もない事だった。
「貴様! その不気味な体は何だ!」
「僕もよく理解していません。なので説明も難しくあります。体と言えば先程の続きとなりますが、いったい僕の見た目がどのように……」
「カァーーッ! 黙れ黙れ黙れぇッ!」
蛇女は不用意な言葉を吐き出さすまいと、散々に喚き散らした。
その間も手を休める事無く攻撃を続けた。
しかしその全てが空振りに終わる。
フォグルは彼女の真意は全く理解できずにいる。
彼にとって不可解極まる展開であり、一種の奇行に巻き込まれたとしか思えないのだ。
そして頭を一頻り捻った後で、ようやくひとつの結論に辿り着く。
『教官は不自然なまでに怒りっぽい人である』と。
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