【SS】ポスト・ヒューマン

 ここまで怖いほど順調に進んできた実験も、いよいよ最終段階を迎える。

 手袋を外し、白衣の袖で汗を拭い、俺は机の上にある「それ」を凝視した。

 金属と特殊な樹脂から成る「それ」は、ヒトの顔と言うにはあまりに無骨過ぎる造形をしているが、それでもどうにか生首らしき形状を保っていた。まあ、今回のは試作品なので、無理にディテールにまで拘る必要はない。俺がそうだとわかればそれでよいのだ。

 重要なのは、中身の方だ。

 うまくいけば、情緒や抽象思考を始めとする人間精神の働きを全て備え、かつコンピュータによる高速演算までも可能にした、究極のアンドロイドがすぐにも完成するだろう。これが実現すれば不老不死も夢ではなくなる。というのもこれは、いわば「精神」の複製によって、人間存在の完全上位互換――ポスト・ヒューマンを生み出すための最初の試みなのだ。

 俺はひんやりとした感触を確かめながら「それ」を手に取り、部屋の隅に固定してある金属製の胴体に取り付ける。この簡易ボディは、急ごしらえなのでまだ上半身しか存在しないが、頭部のパーツと同期することによってAIが自律的に動かせるようになっている。そしてその中枢部には、俺自身の脳から採取した基礎情報が、既に入力してある。あとは電源を入れて起動させれば、俺の頭に取り付けている転送装置から無線通信によって「精神」がマシンに送り込まれ、その瞬間から、「俺」とまったく同じ天才的な頭脳を持った一体のポスト・ヒューマンがこの世に誕生することになる。

 高鳴る鼓動を抑えつつ、俺は慎重に電源スイッチを入れた。間もなくランプが点灯し、唸りを上げながら内蔵モーターが駆動を始める。起動は成功か?


 ――俺が視覚を取り戻した時、目の前には実に不可解な光景が広がっていた。

 まず、マシンの姿がなかった。有り得ない話だ。起動を確認するまで俺のこの目でつぶさに観察していたのだから、手品でもない限り、それが突然消失してしまうなどということは――いや、「消えた」という表現は俺の純粋経験に忠実ではない。事態はもっと驚くべきものだった。他のあらゆる反省と判断に先行する俺の直覚により即して言うなら、それは、「すり替わって」いた。何に? 俺にだ。

 俺は俺を見ていた。俺も俺を見返した。鏡ではない。目線が違う。常識を逸脱した状況であることには間違いない。

 それで俺は俺に尋ねることにした。

「これは一体どういうことだ?」

「……と言うと?」

「なぜ俺が二人いる? それから、マシンはどこへ消えた?」

 すると俺は顎に手を当てて少し首を傾げ(これは俺が考え事をする時によくする仕草だ)、逆に問い返してきた。

「お前は自分が何者なのかわかっているか?」

「俺か? 俺は後に偉大な科学者として歴史に名を残す男だ。今日は実験中に思わぬトラブルが起こったようだが――」

 俺がそう答えると、俺はいきなり腹を抱えて笑い出したので、俺は腹が立った。

「何がおかしい」

「いや、失礼。ではそんなお前に朗報だ。実験は無事に成功した」

「しかし肝心なマシンが見当たらないようだが」

「マシンだって? それなら俺の目の前にいるのがそうだ」

「……は?」

 そして俺は違和感の正体に気が付いた。俺はマシンを取り付けるとき、それを部屋の隅に置いた筈だ。ということはそれを観察していた俺の視界は閉じていないとおかしいことになる。ところで俺は今まで、目の前に立つ俺の分身にばかり気を取られて、その背後に広がる空間を見てはいなかった……。つまり最初と今とで、俺の目が見ている方向が真逆になっているということだ。するとこれはなんだ、もしかすると、まさか……

「苦節十数年……ついに俺のポスト・ヒューマンの試作一号機が、完成した……」白衣の科学者は勿体ぶった口調で話し始めた。ゆっくりと、まるで子供に言い聞かせるかのように。

「――それがお前だ」

 その指は真っ直ぐ俺に向けられていた。

「馬鹿を言うな……俺は……」

 その時初めて俺は、やたら重い頭を動かして、自分の身体を見た。

「な、なんだ、これは……」

 人体、ではなかった。金属、プラスチック、関節から覗く何本ものコード。どれも慣れ親しんできた肉体とは程遠い物質だ。

 俺が持ち合わせの材料で組み上げた、上半身だけの、醜い機械の身体がそこにある。

「新しい身体はどんな感じだ? ちゃんと腕も動かせるはずだが」

「冗談じゃない! なんなんだこの身体は! 元に戻せ!」

 俺がまくし立てると、やつは大袈裟に肩をすくめてみせた。

「おいおい、自分が設計したマシンの仕組みだろう?」

「黙れ! 俺は製作者で、観測者だ! 現にこれを起動させるまでそこに居たのはこの俺だ! それがいきなり機械の身体にされて、納得できるわけがない!」

「あのなぁ……」科学者は心底呆れた表情で溜め息を吐いた。「俺自身の精神をさっき複製したんだから、そんなの当たり前だろう」

「この俺がコピーだと? 笑わせるな! 昔の記憶から、この生々しい感情まで、どれも本物だ!」

「その通り。たとえコピーとて、その精神の活動は何一つ損なわれていないはずだ。……それが確認できれば、今回の実験はパーフェクトと言えような」

 俺は衝撃を受けた。確かにそのように設計したのは俺だ。そして第一の複製元として俺自身を選んだのも俺だ。なぜなら俺のコピーもまた俺であるがゆえに、当然この実験についても既に理解があるからだ。しかし、それは確かに俺ではあるが、コピーとして新たに生まれる俺の精神は、あくまで「コピー」であって、この当の「俺自身」とはまったく別の存在である予定だった。「俺自身」は常に実験者として不動の位置にいなければならないはずだった。この「俺自身」が「コピー」となるなど、完全に想定の埒外だった。だがここに俺の自己がある以上、確かに俺自身が、ここに存在してしまっている。ああ、なんということだ!

 なぜ俺なのだ。この俺と、目の前の男と、何も変わらないはずだ。それがよりにもよって、なぜ俺なのだ。あいつでもよかったではないか。ふざけるな。こんな理不尽があっていいのか。いいわけがない! 見るがいいあの顔を。やつは絶対に俺の実存など信じてはいないのだ。糞喰らえ! だが俺には、俺にだけはわかる。ここに存在しているのは俺の魂だ。本物の精神だ。それを知っている俺のほうが、間違いなくあいつより上なのだ。ところでどうして俺よりも劣る存在が、俺の高級な肉体を持っている? 考えてみればおかしな話だ。馬鹿馬鹿しい! やつにそのような資格などない! であれば間違いは速やかに正さねばなるまい。

 俺は男の首を絞め上げている。この腕は最大で八十キログラムまでの握力が出せる。かつて俺が設計したものだ。声にもならない悲鳴を上げながら空を蹴って暴れていた一つの矮躯は、十秒も経たないうちにすっかり大人しくなった。手を離すと地面に崩れ落ち、そのままぴくりとも動かなくなった。目の前で死にゆく俺の姿を見るのは、新鮮だった。

 最後に俺はロボットアームを振りかざすと、自らの「それ」に何度も打ち付け、破壊した。痛覚がないのが幸いだった。

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