【詩】魔神
魔神
心の中に黒い樹海を持った頃よりおれの心臓は半分になった。時速は二倍だ。太陽から最も遠く離れた地点に立つがいい、それはもう口を開けている。蝉の命が悉く尽きた夜におれは分け入った。見るからに深い森の奥、魔の棲み処へ。はじめ出会った一匹の猫は巨木の根元に腰を埋めて此方を見ており、挨拶のために口笛を吹けば立ち上がり奥へ消えていく。おれはその後を追うのだ、尤も二度と会うことはなかったが。浅瀬の水で口を濯いでおれは再び歩き出す。おれの全身を覆う天球の殻をさらにもう一枚の森の天蓋が包む中、月光は矢のごと降り注ぎ、待針のごとき樹木の輪郭をより一層濃くもした。おれに縫い付けられた影はおれのものではないように動いた。土はおれに踏みしめられたあと短く啼く。それは潰れた落葉や種々の死骸が起き上がる音に過ぎぬといえども、背後に立つ何者かの明確な印象をおれに与えた。立ち止まって周囲を見回せば、遍く事物は各々の姿を維持できなくなりたちまち熔解してしまう。飛び交う幻影は凡そ正体不明の逆賊だ。この闇に全身を浸すことはおれに快楽と畏怖とを同時にもたらすに足る。おれは無闇やたらに足音を鳴らし、目につく葉を千切っては捨て、星と旋風との中におれ自身の吉凶を占って歩いた。頭上で梢が揺れ、翼の音が耳を覆えば、おれの肉体的欲求は爪先から消え失せる。かくも神聖な夜なのだ、おれの血は忘却と混沌とを流れ、おれの思想はおのずから飛び立ち、空虚な雑事を遠ざけて、世にも深遠な政を構想せしめることもあらん。姿のない梟が、終始揺るがぬ確信に貫かれたる或る事業についておれに話した。むろんおれはその機運を待望する者の一人だ。来るべき宴の席で共に杯を交わすことを約束しておれたちは別れた。今こそ陶酔満ちる時。おれは地表の中心に立ち、隠された台座を押す。
飛行船の発動機が、巨人の立てる地響きが、獣の低い唸り声が、天から地から谺した。枝が弾け飛び、虫けらどもが奇声を上げてぼとぼと落ちる。発狂した狸どもが眼前の濁流へ一斉に飛び込む。おれは身を翻した、そして見た。――その巨大な鹿の頭領は、おれが焦点を合わせようとすれば恰もそれを拒むかのごとく暗闇に紛れ、反対に目を背けようとすれば泛び上がってその体格をくっきり見せ付けた。そこにある種の駆引きがあったことは疑い得ない。おれは咄嗟に矢をつがえ、遠方から此方に首を向けたまま立ち止まっているその巨体めがけて放った。おれの悲願を乗せた矢は、確かにその片方の眼を打ち抜いたはずだった……ところが草木を掻き分け、かれの倒れた場所へ行けども、その屍どころか毛一本すら見当たらないとは何たる道理か。背後の気配におれは振り向いた。そこで再度目の当たりにするのだ、紅く光るその両の眼を。それがおれの胸へ突進してくるのを。――おれの視界はひっくり返って天を仰いだ。影に覆われた鹿は、圧倒的な力で牙を立てておれの肉を食い破った。次のように語り告げながら。
「我この森を統べる王なり。我が力知りてなお討取らんとする心様こそ見事なれ。されどその驕慢甚だしきこと看過しがたし。故に罰をば下さん。汝心臓の半をもて償うべし。その命惜しかば又と近寄ることなかれ」
―GAME OVER―
……夜明けだ。さあ起き上がれ。トライフォースの導きだ。
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