第13話 パメラとブレッド
それからジェイニーは、何もかも忘れる様に熱いシャワーを浴びると、パメラが用意したTシャツとブレッドのダメージジーンズに着替えて、足早にリビングに向かった。
リビングに着くと、ジェイニーは一呼吸置いた。
また、先程みたいに怒鳴ってはダメだと自分に言い聞かせ、部屋へと入った。
中はドアが開いていた。
黒いソファーには、ブレッドが寂しそうに座っており、聞き覚えの無い曲を演奏していた。
アコースティックギターの音が、一段と哀愁を感じる音だった。
ブルースかバラードか・・・
とにかく聴いた事の無い音楽だ。
暫くその音に耳を傾けて居ると、不意に音が止んだ。
「やあ・・・ジェイニー・・・。」
その顔は疲れている様に見えた。
ブレッドは更に続ける。
「シャワーは気持ち良かったか?まあ・・・いい・・・君も早く真相が知りたいと思うからね。ジャックダニエルでいいかい?」
「じゃあ、それをロックで。」
ジェイニーが呟く様に言う。
ブレッドはリビングのカウンターに入ると、バーボンのジャックダニエルのロックを素早く作り、テーブルにコトンと置いた。
リビングで何処にも座らず只黙って立っていたジェイニーは、ブレッドに手招きされるとユックリと歩みを進めカウンターの椅子に座った。
同時にブレッドもカウンターから出て来て、自分はジャックダニエルの水割を手元に置いた。
そして肩肘を付くと、ジェイニーの横の椅子に座りながら水割りを一口飲んだ。
フウーッっと一呼吸置いたブレッドは、両手で暫く顔を覆っていたが、意を消した様にテーブルに手を置くとジェイニーの方を向き語り始めた。
「じゃあ・・・まず何から話そうか・・・。僕がゴーストライターになったきっかけから話したほうがいいのかな?」
「ああ・・・それとパメラを守る為って言ってた訳をね。」
「分かった。じゃあ話すよ。」
そう言い、ブレッドは全てを語り始めた。
パメラとブレッドは、同じオフィスで働く同僚として知り合った。
パメラはその頃アメリカのロスアンゼルスにある『ユナイテッドレコード』の社長、『カールブロンソン』の妻だった。
しかしパメラは、カールの横暴なやり方に殆ど疲れ果て、仕事の事でちょくちょく行動を共にして居たブレッドと恋に落ちた。
ブレッドは会社に勤める前は、イギリスで大人気だった『シューティングゲーム』というバンドのギタリストだった。
だがそのバンドで音楽的相違による仲間割れが起き、ブレッドは殆ど疲れ果てイギリスからアメリカに移住し、一切ロックからは足を洗い、ロスアンゼルスのユナイテッドレコードの宣伝部で働いていた。
しかしブレッドは、パメラがまさか自分の上司であるカールブロンソンの社長夫人だとは、その時には知る由も無かったのだ。
それが、二人の悲劇の始まりだった。
事の起こりはカールに、ブレッドがイギリスで活躍していた『シューティングゲーム』のバンドのギタリスト『ブレッド・サマーズ』だという事実を見破られてしまった事が始まりだった。
ブレッドの担当した新人バンドがことごとく大当たりし全く偶然か?と疑ってしまう程、全米トップ40に躍り出て行くからだ。
そこでカールは自分の直属の秘書と、探偵事務所に手を回し、ブレッドに違うと言わせられない決定的な証拠を突き付けたのだ。
そして、ブレッドが自分の妻パメラと愛し合っている事実を、彼の前で写真を突き付け公然と暴露した。
ブレッドはパメラがカールの妻だという現実を突き付けられ、パメラとは別れるから会社を辞めさせてくれと彼に頼んだ。
しかし、カールは何と今まで通りパメラと付き合って居ても良いと言うのだ。
その変わり交換条件としてユナイテッドレコードに所属している、有名なソングライターや自称シンガーソングライターと言われている人達に、曲を書いてくれと言う条件を出してきた。
しかも、ブレッドの名前は一切明かさずに・・・だ。
要するにカールは、世間に出す名前はその有名人に任せ、ブレッドに曲だけ提供して欲しいというのだ。
所謂ゴーストライターだった。
勿論ブレッドは断った。
「人に曲を提供するのは、バンド時代でたくさんだ!しかも何で自分が有名なソングライターと言われる奴の為に、曲を提供しなけれだならないんだっ!自分で書けば良いんだっ!」
そう言い、ブレッドは会社を辞めて行った。
それからブレッドは、また違うレコード会社に入り仕事を続けたのだが、カールの妨害は生半可なものでは無かった。
ブレッドが入る会社にことごとく悪辣な邪魔をし、「君の会社に私がこの様な妨害をするのはブレッドが居るからだ。」
と言う電話をその会社の社長に何度も掛けたのだ。
アメリカで三本の指に入るレコード会社の社長を敵に回したら不味いと思い、ブレッドはその会社に居られなくなった。
どんな小さな会社に入っても別の仕事をしても、カールには直ぐに見付けられ同じ事を繰り返された。
途方に暮れていたブレッドの携帯に、ある日パメラから電話が入った。
カールから暴力を受けて居ると言う、泣き叫ぶ様な電話だった。
堪らなくなったブレッドは、パメラとロスアンゼルスの空港で落ち合い二人で駆け落ちをする事になった。
パメラ31歳、ブレッド20歳の時の出来事であった。
ともかくカールに見付からない所なら何処でもいい。
二人共、必死だった。
彼等はとりあえずシカゴに逃げた。
そして暫くは、安アパートを借りて幸せな日々を送っていたが、カールの追随の手は容赦なかった。
ある日パメラが買い物に出掛けた時、カールの追手の黒づくめの集団がパメラを捉え、車へと連れ込んだのだ。
そしてカールはブレッドに電話をしてきた。
パメラの携帯で、彼女を預かっていると。
その場所に行ってみると、パメラが猿轡をハメられ黒づくめの男達に捉えられて居た。
そこにカールが居た。
カールはパメラを返して欲しければ、俺の専属のゴーストライターになれと言う事をこの用紙にサインしろと突き付けて来た。
それは契約書だった。
またカールはこうも言った。
「君がこの契約書にサインをしなければ、此処に居る男達にパメラを廻す」と最終手段を突き付けた。
ブレッドは泣きながら契約書にサインをした。
そうしなければパメラが危険な目に合ってしまう、こうして彼はカールの直属のゴーストライターになり一ヶ月に一回、作った楽譜を持って行かれる日々が続いた。
ジェイニーは黙ったままその話を聞いていた。
自分が考えていた事と余りにも話が大き過ぎたので少し怖くなった。
しかしブレッドは、フーッ・・・一つ溜息をつくとポツリと話し始める。
「僕は最初この仕事が嫌だった、嫌で嫌で堪らなかった。だけど一年、二年と続けていくうちに段々とゴーストのソングライターで満足出来る様になってきた。給料もいいし何よりもパメラを守れる。
」
そう言うとブレッドは持っていた煙草に火を付けてユックリと吸った。
「僕も、ジェイニー今の君と全く同じ考えだった。何故なら僕も野心を持ったギタリストだったからだよ・・・。」
悲しそうに遠い目をするブレッド。
「こんな話をするのは、パメラ以外では君が初めてだよジェイニー。どうしてだろう?君のその素直な真実を求める瞳に惹かれるからだろうか・・・。まあいい。今の僕の生活は・・・確かに君みたいな野心を持つミュージシャン仲間からは、不思議に思われるだろう。僕だって昔に比べたら、どうしてこんな生活を選んだのか時々分からなくなる時があるもの。けれど僕は・・・選んだんだよ。谷底へ落ちる事を・・・。」
「谷底へ・・・落ちる・・・?」
ジェイニーの目が丸くなる。
「人は誰でも谷底へ落ちるのは嫌なものなんだ。それは、ミュージシャン仲間がどんなに酒を飲んでも、薬をやっても、自分をどん底へ突き落しても自分の地位や名誉を、あらゆる言い訳で捨てない気持ちに如実に現れている。僕は薬はやらなかったけれど、酒は浴びる程飲んだ。けれどミュージシャンを辞めようとは思わなかった。食らいついてでも、あの暗い谷底に落ちる事だけは自分が許せなかったんだ。ゴーストライターになるまではね・・・。」
ジェイニーは真剣にブレッドの話を聞いていた。
ブレッドも自分と同じだった。
「死のうと思った・・・。パメラに逢うまでは、死んで現実から逃げる事で少なくとも自分の名誉は傷付けずに済む。そうやって何度も何度も試みて・・・今現在、此処に居るという事は失敗したんだけれどね。すると泣きじゃくる僕にパメラが言った。『何を怖がっているの?』っと。」
更にブレッドの話は続く。
「僕は、その時初めてパメラの顔を見た。とは言っても今まで何回も見ていたけれど、でもそれは見ていたのではなく眺めていたのだという事をその瞬間に悟った。現実を見た途端に、今まで見えていなかった部分が見え始めたんだ。自分が怖がっているという事も。けれど僕は、その気持ちを認めようとしなかった。するとパメラは尚も言ったんだ。」
『谷底に落ちる事を怖がっているのね?怖い事なんて何もないわ。谷底へ落ちちゃえばいいのよ。下は急な流れの川かもしれないけれど、だったらその流れに身を任せちゃえばいいのよ。そうすれば岸辺に辿り着くかもしれないし、大きな石によじ登れるかもしれない。もしかしたら、落ちたら下はフワフワの草原かも知れないじゃない?こんな素敵な事は無いわよ!ねっ?私と一緒に落ちてみようよ!』
「僕は、この一言で何かにフワッと抱き抱えられた様な気がし、暫く何も言えなかった。暖かいものを全身に感じて涙が止まらなかった。だから僕は、つまらないプライドを谷底に落ちる事で捨てたんだ。代わりに見えてきたものは、やはり急な流れの川だった。けれどパメラが居る。そして・・・スポットライトは当たらないけれど、好きな音楽で食べて行ける。もうそれだけで幸せだと本当に心から感じたんだ。この思いは、バンドに居た時には感じられなかったものだよ。」
ブレッドは泣いていた。
いつしか、ジェイニーの前で涙をポロポロと零していた。
人間的に完璧だと思っていた彼に、このような事実があった事を知った時、ジェイニーは体中が熱くなった。
喉の辺りに熱いものが込み上げてきた。
その熱いものを必死で堪えようとすると、彼の瞳から涙が零れ落ちた。
一粒一粒、後から後から止めようとしても止まらない。
ジェイニーは思った。
こんな気持ちは初めてだ。
これが人を思いやる気持ちなのか・・・この熱くてなんとも言えない、自分のものでは無いけれど自分の心が自主的に感じている、この思いこそが・・・!
「ブレッド・・・」
言葉にならない響きだった。
「ブレッド・・・俺は今お前を初めて感じられた様な気がするよ。お前は特別な・・・何って言っていいのか分からねえ。お前は俺とは違った人種だと思っていた。けれど違うんだな。お前も苦しかったんだな。」
ジェイニーはブレッドを見た。
ブレッドもジェイニーを見た。
そしてジェイニーは更に言った。
「俺だけが、苦しみのどん底に居ると思っていた。でも俺は・・・俺はやっぱり逃げていただけかもしれねえ。自分が独りぼっちだと思っていたから。けれど・・・けれど今の気持ちは独りぼっちなんかじゃなかった。皆、俺に伝えて居てくれたんだ。俺に。そして俺が勝手に拒否を続けて居ただけなんだ。壁を作って居ただけなんだ。皆によ。俺はそんな自分が嫌で、それで怖くて逃げだしたに過ぎなかったんだ。どうして、そんな俺に人の心をうつ音楽が書けるんだよ。書ける訳ねえんだよっ!!」
ジェイニーはブレッドの前で涙を流して叫び続けた。
そんな彼をブレッドは、ただ黙って抱き締めた。
やましい気持ち等、今の彼等には一つも無く、ただブレッドは自然にジェイニーを抱き締めたのだ。
今ジェイニーは自分でも何を言って居るのか、まとまりが付かなかった。
しかし今、彼が出している言葉は彼の本当の心の底からの叫びだった。
彼の虚栄心からではなく利己心からでもなく・・・ジェイニーが今まで苦しんできた心が奥底から飛び出したのだ。
そして、その瞬間・・・
ジェイニーは産まれて初めて自分を本当に好きになる事が出来た。
人を好きになる事が出来た。
車でもなく・・・
物でもなく・・・
一人の人間として。
それが証拠にブレッドが彼を抱き締めながら嬉しそうに微笑んで居る姿が見えた。
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