第14話 新しい明日へ

翌日、デトロイトの空は気持ちが良い程、晴れ渡っていた。

ジェイニーは朝早く起きて、その空気を体一杯に注ぎ込んだ。

あれ程、晴れた日が嫌いだったジェイニーだったが、今日の青い空は心地良かった。

青い空に雲が点々と浮かんでいる、その光景を見ると昨日までの自分のプライドが少し恥ずかしく思えた。

でも、それも自分だったのだと今のジェイニーには、この空気を吸い込む様に自然に思える事が出来た。

顔を洗ってリビングへ行くと、ブレッドがテーブルの上で書き物をしていた。

何気なくジェイニーが覗き込むと・・・

それは昨日まであれ程、隠して見せなかった楽譜だったのだ。

ジェイニーが驚いた顔をしていると、ブレッドが気付いたのか顔を上げた。

「おはようジェイニー。」

ブレッドの顔は、何かが吹っ切れた様に落ち着いていた。

「ブレッド、お前・・・その楽譜は・・・。」

「あ・・・?ああ・・・これね。」

指差すジェイニーに、ブレッドが言った。

「どんなに隠しても、やっぱり僕はゴーストライターなんだって事に気付いてね。だったら隠す必要もないなと思って、元々この仕事は好きな方だし、どうせやるなら相手が歌ってて楽しくなる様な音楽を作ろうと決めたのさ。そう思ったら、隠すなんて馬鹿馬鹿しいと感じて、これからはリビングで仕事するよ。」

そう言うと、ブレッドはニッコリ笑った。

「けれど、それがバレたらお前・・・パメラが非常に危険な目にあうんじゃ・・・。」

「ちゃんと仕事をしている限りは、向こうも手出しは出来ないよ。向こうにも疾しい所があるんだし・・・パメラもきっと分かってくれると思うよ。」

パメラ、俺が好きになった女性だった。

でも、今考えると俺はラブソングを歌いたいばかりに、パメラに恋に恋していただけかも知れない。

それ程,パメラとブレッドの絆は深かったし、俺が入る隙間なんて無い。

今は、自然とそう思える様になっていた。

ジェイニーが思案していると、徐にブレッドが話始める。

「これは・・・僕が言う事では無いかも知れないけど、ジェイニー、君、一度ロスアンゼルスに帰った方がいいんじゃないか?」

ブレッドの突然の言葉に、ジェイニーが驚く。

「知ってたよ・・・。ジェイニー、君が携帯で時々何処かに電話を掛けたいのを躊躇っていた事、躊躇っているなら、心がそこに残っているなら、もう一度謝って、やり直したらどうかな?って僕は考えているんだけど、僕も逃げてきた人間の一人だったからね。」

「・・・。」

ジェイニーは黙ったままだった。

「ジェイニー、やり直しが利くなら、やり直したほうがいい、僕はもうバンドは空中分解してしまって、イギリスに帰っても誰も居ないけど、君にはまだ仲間が居るじゃないか。電話してみたらどうだい?」

「でも・・・クリスは・・・俺にラブソングを歌わせてくれるだろうか・・・?」

ジェイニーが呟く。

「だから、『デトロイトロックシティの残り香』を持って行くんだよ。それでクリスの前で歌ってみるんだよ。自分がこんなに短期間で成長したんだという事をバンドメンバーに示すんだよ。そうすればクリスも分かってくれるよ。大丈夫だよジェイニー。そのラブソングを歌わせないと言ったのは、君の為だったんだと思うよ。」

「俺の為?」

ジェイニーが答える。

「前の君は、自分の事しか考えてなかった。でも、昨日の君は本当に僕の事を思いやっていた。その人を思いやる気持ちが、君には足りなかったんだと思うよ。人を思いやらなければ、本物のラブソングは歌えない。だからクリスは君が本当の愛に気付くまで歌わせなかったんだと思うよ。」

「じゃあ、俺は・・・気付いたとブレッドは言いたいのか?」

「ああ、今の君なら充分ラブソングを歌える資格があると思うよ。」

ジェイニーは考えた。

クリスは許してくれるだろうか・・・。

あんなに酷い事を言った自分を・・・。

すると、パメラの「朝食出来たわよー」と言う声が聞こえた。


色々と思案して、頭を使っていた二人にとって、この日の朝食は何にも増して美味しく感じた。

いつものトーストとハムエッグ、それにサラダとコーヒーだけだったのに、二人は焼けたパンを全部食べてしまったのだった。

「あらあら、凄い食欲だこと、いつもあまり食べないブレッドまで、よっぽどお腹が空いてたのね。」

パメラの言葉を聞いて、二人はお互いの顔を見あいニッコリと笑った。

朝食も終わって、三人が二杯目のコーヒーを飲みながら一息ついていると、ジェイニーが静かに話をし始めた。

「俺・・・。今日クリスに話をしようと思うんだ。」

ブレッドとパメラは「ウン」と頷いた。

ジェイニーは更に続けた。

「本当は・・・ニューヨークに行くつもりだった・・・。ビッグになる為には、これからはニューヨークに行かなければと、誰かの受け売りを聞いてね。自分の意志ではなかった・・・。このデトロイトだって、KISSの『デトロイトロックシティー』が好きだから、どんな所か覗いてみたくて来ただけだった。すぐニューヨークに行くつもりだった。でも、俺・・・今の俺はニューヨークに行けない。音楽的相違でバンドを辞めてしまったのなら、後腐れはないけど、俺はかっこつけてバンドの人間関係から逃げてきただけだから・・・。ここでクリスに電話しなきゃいけないと思って・・・。もし許されるなら、クリスと仕事したい。音楽作ってみたい。そう思えたんだ。だから、電話してみるよ。」

「そうか・・・。」

ブレッドが溜息をつく様に話した。

「でも、勿論クリスが嫌だって言ったら、この話はそこまででお終い、その時は・・・。」

「その時には、やっぱりニューヨークに行くのか?」

ブレッドが聞く。

「その時には、ここに残って、お前の手伝いでもしようかな?アシスタントとして雇ってくれるか?」


朝食が済むと、ジェイニーはクリスに電話をかけた。

クリスは余程心配して居たのか、ジェイニーからの電話に直ぐに出た。

ジェイニーは、凄く恥ずかしかったが、自分の非を認めクリスに謝った。

そして、もう一度「クリスのバンドで一緒に歌わせてくれないか?」という話もした。

クリスは、こう言った。

「覚悟を決めたのなら戻って来い。その代わり他の奴等と関われない様なら叩き出すぞ!」

と、話した。

ジェイニーは「分かった。」と言い,手土産に素晴らしい物を持って行くよと話し電話を切った。

素晴らしい物とは勿論、例の曲『デトロイドロックシティーの残り香』だった。

電話を掛け終わると、すぐにパメラが二階にやって来た。


「ジェイニー、ジョシュアさんから電話があって、車が直ったみたいよ。」

パメラは、もうあの事は気にしていない様にジェイニーに話してきた。

車が直ったという事は、もう此処を離れなければならない。

思えば色々な事が合った一ヶ月だった。

それまでは、自分の事しか俺は考えていなかった。

周りの人々の事なんか考えていなかった。

自分の気持ちとは、反対の事ばかり言って本当に自分を大切にしていなかった。

後は曲を完成させれば、もう此処での自分の役割は終わりだ。

その前に、パメラに謝らなければならない。

怖い思いをさせちまったからな。

ジェイニーは、ゴックンっと唾を飲み込むと「パ・・・パメラ!」と彼女を呼んだ。

しかし、その前にパメラの方がジェイニーに、ある封筒を手渡した。

「パメラ・・・これは?」

驚いて、封筒を開けて中身を見ると10ドル札が沢山入っている。

「パメラ!受け取れねえよ!こんな物!」

「お願い!受け取って欲しいの!私、私、今日の主人が・・・ブレッドがテーブルで堂々と楽譜を書いているのを見た時、涙が止まらなかったのよ。やっと自分の仕事の自覚が出てきたんだって。やっと自分と正面から向き合う様になったんだって、嬉しかった!体が震えたもの。だから、こんな事しか出来ないけど、せめてものお返しをさせて欲しいの。ブレッドもきっと承知してくれると思う。」

ジェイニーは暫く手の中にある封筒を見ていたが、微笑すると、それを黙って受け取った。

「ありがとうパメラ。助かるよ。」


それからジェイニーとブレッドは曲の最後の仕上げに取り掛かった。

ジェイニーが雰囲気を作り、それをブレッドがピアノで奏でる。

そんな事を三時間くらい繰り返し、遂に曲が完成した。

これで、俺が此処に居る理由が無くなった・・・。

ブレッドは言った。

「ジェイニー、これを持ってクリスの所に戻ってくれ。そしてBIGになってくれ。僕は遠いデトロイトから、君達のことを応援しているよ。」

「ありがとうブレッド、でも・・・。お前は、このままゴーストでもいいのか?」

「僕はこの道を選んだからね。パメラを一生守っていくよ。楽しかったよジェイニー。一緒に仕事が出来て。僕はこの曲と君の事、一生忘れない。たまには遊びに来てくれ。」

「ありがとうブレッド。俺、頑張るよ。」

二人は硬くなに握手を交わし、お互い抱き合った。


それからジェイニーは、すぐに荷物の整理に取り掛かった。

ロサンゼルスのアパートに居た時には、あんなに苦しい気持ちでバックに放り込んでいたのに、今日のジェイニーは、幾分寂しかったが冷静であった。

衣類等も丁寧に畳んで、きちんとした形でバッグの中に入れていった。

そんな自分に気付くと、ジェイニーは心の持ちようで、こんなに行為も変わってくるのかと不思議な驚きを感じて居た。

ジェイニーが荷物の整理をしていると「プップー」とクラクションの音がした。

驚いて外を見てみると、ジョシュアが白いレビンに乗ってジェイニーを迎えに来ていた。

窓からジェイニーが話をする。

「爺さん、どうしたんだ?今からあんたの所に行く所だったんだがなー!」

「ブレッドが電話してきたんだよ。お前さんが今日ロスに帰るって言うから、ガソリンを満タンに入れ てな。多分ハイウェイに出る時に又事故るんじゃなかって、道案内に来たのよ。」

車から流れてくるロックミュージックに負けず劣らずの声で、ジョシュアは大声を張り上げた。

見るとジョシュアのレビンの隣には、自分の赤いポルシェが燦然と輝きそこにあった。

「爺さん凄いな。直しちまったんだなー!」

窓からジェイニーが言う。

すると、ジェイニーの車に乗っていた青年が慌てて降りてきた。

「ジョシュアさん早すぎますよ!試運転なんだから、安全運転で行かないと又事故りますよ!」

「お前は怖がりだなニール。大丈夫だあな。このジョシュア様が事故る分けなかろう!」

騒ぎを聞きつけて、パメラとブレッドが家から出てきた。

ジェイニーは残りの荷物をバッグに詰めると、茶色の革のロングブーツを履いてボストンバッグを肩に掛け、家を出た。

そして、後部座席に荷物を置くとジョシュアに向かってこう言った。

「そんじゃ何かい?爺さん、俺が又事故るとでも思ってんのかよ?」

「はん!あの大きな道で事故を起こすのは、余程のバカか暇人だと思ったもんでな。こんな年寄りが出ないと駄目だと思ったのさ。」

ジョシュアも口達者だ。

「けっ!人の事からかう前に、自分のそのアホさ加減を何とかしたらどうだ?年寄りがピンクの服を着てロック聴いて、レビンなんかに乗るもんじゃねえよっ!」

「事故る奴よりかは、マシだと思うがね。」

平然とジョシュアが言う。

「ヘッ!構ってらんねえや。」

ジェイニーがおどけた様に言うと、それを笑いながらパメラとブレッドが見つめていた。

「そんじゃあ、宜しく頼むよ。」

ジェイニーが笑いながらジョシュアにサインを送ると、ジョシュアはOKと親指を立てて言った。

ジェイニーは自分の車の運転席に入った。

久しぶりの自分の車だった。

彼はハンドルを手で擦ると、窓を開けて改めてブレッドとパメラの方を見た。

「世話になったな。色々ありがとう。」

「君も元気で・・・。」

ブレッドが言う。

「道中気を付けてね。」

パメラが言った。

「あっ・・・それから・・・」

ジェイニーが思い出した様に、ダメージジーンズのポケットからメモを取り出した。

「さっき電話した時に、お前の事をクリスに言ったんだ。そしたら名前を変えて、俺達に一度楽譜を見せて欲しいって言ってた。他の奴等のじゃなくて、お前がオリジナルで書いた曲をね。そしたら交渉次第で『アトランティックレコード』が見てくれるかもしれないって『アトランティックレコード』といえば『ユナイッテドレコード』と同じ位の規模の会社だろ?もしかしたら、カールと戦う為に弁護士をつけてくれるかも知れないって言ってた。此処に楽譜を送ってくれってさ。」

そう言ってジェイニーはメモを開きながら、ここと指で住所を差していた。

「本当かよジェイニー!」

驚いてブレッドが言う。

「ああ本気だよ、クリスは一度言った事は必ず実行する男だからな。」

「あなた・・・チャンスが来たのよ!」

パメラが話した。

「ああ・・・そうだな・・・まだ信じられないけど、とびっきりのを書くって伝えておいてくれよ。ジェイ ニー!」

「ああ、クリスにそう伝えておくよ。」

ジェイニーがメモを渡しながら言う。

そして、ブレッドに指を指しながら言う。

「俺達のバンドのCDがゴールドディスクに輝いたら、マーチャンダイズのTシャツを持って会いに来るよ。いつになるか分かんねえけどな。」

「期待しないで待っているよ。」

ブレッドが笑いながらそう言うと、ジェイニーは車を走らせた。

「あっ!何だワシが一番先だぞ。年寄りが優先だって言うのが分からんのか。あのガキは・・・!」

ブツブツ文句を言いながら、ジョシュアとニールがレビンを走らせて後を追う。

そして二人が居なくなって、街角まで消えてしまうまでパメラとブレッドは見送っていた。

「行ってしまいましたね。」

パメラが、ブレッドの腕を軽く握りながら言った。

「ああ・・・。」

ブレッドが、それに答える様に悲しそうに言った。

「あっ!」

ブレッドが言う。

「どうしたの?ブレッド?」

「自分の話で舞い上がってて言えなかった。ジェイニーに『さよなら』って・・・。」

「ジェイニーも言わなかったわ。『さよなら』って」

パメラが微笑んだ。

「又、会えるかもしれないわ。近いうちに。」

「ああ、そうだなこれで『終わり』って訳じゃないんだもんな・・・。」

ブレッドは、そう言うと何処までも続く青い空を眺めていた・・・。

そこへ一台の黒塗りの車が通り過ぎた。

ブレッドは気付かなかったが、その車がジェイニーとブレッドを永遠に引き離す事になるとは、その時は知る由もなかった。


15分後、ジェイニーとジョシュアとニールは、デトロイトのハイウェイ付近に辿り着いていた。

ジェイニーがコカ・コーラをジョシュアとニールに渡すと、ジョシュアは自分のレビンに背もたれしながら、一息にコカ・コーラを飲み干して言った。

「プハー!うめー!まあ、こっから先なら、お前でも行けるじゃろう。右がニューヨーク、左がロスだ。決めるのは、お前だ。」

「俺はロスに帰るよ。」

右のニューヨークの方角をボンヤリと見ながらジェイニーが言う。

今でもジェイニーにはニューヨークに行きたいという気持ちはあった。

ニューヨークに行ったら、どんな事が待っているんだろうというワクワクとした気持ちが・・・。

しかし、それは結局ただの好奇心であり何も目的がないのに、ニューヨークに等行けば自分が破滅するのは目に見えていた。

ならば一から出直す気持ちでロサンゼルスに戻る方が良い。

何者にも壊されない強固な意思がジェイニーの心の中には宿っていた。

ジェイニーはグッとコーラを飲み干すと、クシャッと紙コップを手で潰し勢いよく車に乗り込んで言った。

「じゃあな爺さん世話になったな!」

そう言い、車を左の方向へと走らせると彼の車はハイウェイの車の流れへと溶け込んで行った。

「道中、気を付けるんじゃぞーっ!ロスまでは遠いからなあーっ!」


ジョシュアが涙ぐんで、もうその言葉も聞こえないジェイニーに向かって大声で叫んだ。

ジェイニーは車を運転しながら、ボンヤリと左の方向に見えるデトロイトの街並みを見つめていた。

あの街で俺は本当に多くの事を学んだ。

昔は、一攫千金の街と言われてたデトロイトも今では本当にゴーストタウン同然となってしまった。

けれども、住んでいる人に呼吸がある様に、街にも必ず息吹はある。

あの街に住んでいる人々は、本当に今のアメリカが置き忘れに何かを心の中に持っていた。

「あっ!」

その時、ジェイニーは思い出したのだ。

俺そのまま車を走らせてしまったけれど、ブレッドとパメラに別れの言葉を言うのを忘れてしまった・・・。

だが、そんなに慌てる事はない。

ジェイニーとブレッドの関係は、終わったのではなく始まったばかりだったのだから。

人生に大事なパートナーを見付ける機会があるとするならば、その記念すべき新たなページが今日、開かれたばかりなのだから・・・。

むしろ『さよなら』を言わない方が良かったのかもしれない。

遠くに見える広大なミシガン湖を見つめながら、ジェイニーはロサンゼルスへと車を走らせていった。


「これが?ラブソング?」

ベーシストのジャンが言う。

「何か変わってるねー」

ドラムスのエディが呟いた。

「今までのラブソングとは、ちょっと違うなあ・・・。もっと愛してるとか・・・。君を抱きたいとか・・・?・・・ないの?」

しかし、クリスは違った。

「・・・いいんじゃないか?今までの在り来たりのバラードとは何か違うみたいだし、この『キミ』って所は色々な人に置き換えられて、ファンは何か共感するんじゃないか?」

「まあ・・・。そういう風に考えてくれると嬉しいね。」

ジェイニーが呟く。

「『デトロイトロックシティの残り香』か・・・。いいんじゃない?おい!ジャン!今日から音作りだ。ピアノ曲になっているから、これに音を乗せていくぞ。気合を入れて音のしていこうぜ!」

クリスは、そう言い。ジャンと音合わせに入った。

クリスが初めて自分を認めてくれた事が、ジェイニーには嬉しかった。

自分の経験したデトロイトでの思い出が、バンドの音で曲になっていく。

その時マネージャーのダン・マーシーが、けたたましくドアを開けた。

「おい!大変だ!『デトロイトロックシティの残り香』を書いたブレッド・アンダーソンが・・・。死んだって・・・。」






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