第8話 トレーニング
「パメラ・・・水・・・。」
ゼエゼエ言いながら、ジェイニーがキッチンに入ってきた。
慌ててパメラは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、グラスに注ぐと彼に渡した。
それを引っ手繰るようにして、グラスの水を飲み干すジェイニー。
そして一言。
「お・・・おい・・・あいつ何者なんだ?」
パメラは、ジェイニーの問いにしばらく考えた後おもむろに答えた。
「・・・ブレッドだけど?」
その言葉を聞き、口から水を吹き出しそうになるジェイニー。
「そんなことは分かっているんだよっ!なんで俺まで、ヴォイストレーニングをしなきゃならないんだよっ。」
「だって、あなた一流になりたいんでしょう?」
パメラが突っ込む。
事の発端はこうだった。
ブレッドが約束どおりギターを弾き終えると、今度はジェイニーに向かってこう言ったのだ。
「君は歌を歌うんだよね。是非、歌ってほしいなあ!」
と、せがんだのだ。
ジェイニーは気が乗らなかったが、まっ、ウォーミングアップにはいいかなあと思いなおしブレッドのギターに合わせて、『スモーク オン ザ ウオーター』を歌ったのだ。
だが
ブレッドは、途中でギターをやめてしまい、そして一言
「基礎がなってない・・・。」
「はあ!?」
言うが早いかピアノに切り替え、ジェイニーをヴォイストレーニングし始めたのだ。
「はい。じゃ、まずはドの音からね。ド~・・・!」
あっけにとられるジェイニー。
しかし、ブレッドはやめない。
「何してるの?ピアノの音に合わせて・・・はいっド!一流になりたいんだろ?」
その言葉に弱かったジェイニーは、渋々ながらピアノに合わせて音を取り始めた。
それから3時間。
休みなしでみっちり、ヴォイトレをジェイニーはやらされたのだ。
「何なんだよあいつは!?ピアノの先生か?それから2人とも、口を開けば、『一流になりたいんでしょ?』なりたいけど、それと、ヴォイトレと何か関係があるのか?」
クスクス笑いながら、パメラが話す。
「ブレッドは何事も一生懸命だから。あなたを本気で、一流にしたいんじゃない?」
「それと。ヴォイトレと何か関係が?」
尚も、パメラはクスクスと笑った。
「一流になりたいなら音が取れなきゃ。だから正しい音階を知ってもらいたくて、ヴォイストレーニングを始めたんじゃないかしら?」
パメラの言葉に、ジェイニーは嫌味を言った。
「詳しいんだな、パメラは。それも、ブレッドを愛しているからかな?」
パメラは、少し考えた。
そして言った。
「こう見えても、昔は音楽関係をかじっていましたから・・・一流どころは、みんなヴォイトレ位やってるわよ。」
それから、おもむろに話し始めた。
「あなたは、彼に似ている・・・。」
「俺が?」
ジェイニーが話した。
「うん。似ている。ブレッドね。本当は物凄く寂しがり屋なのよ。彼は人前では誰にでもよい顔をするの。まるで、悩みごとなどないかのように、とても自然に振る舞っているような、そんな演技をするの。私の前でもね。」
パメラは、なおも続けた。
「私は彼がそんな演技をするたびに、悲しくなって私から嫌味を言うのよ。でも、彼は気づいてないみたい。なんで私が嫌味を言うのか。私としては彼の世界から私が追い出されたみたいで、悔しくて言うんだけど・・・。そんな苦しい思いをしながら、何度も自問自答する日々が増えたわ。」
パメラの言葉はジェイニーの心に刺さった。
まるで俺とクリスみたいな関係だ。
「けれど、やっぱり、最後には、それでも彼に惹かれてしまう。ってことだけ。不思議よね。そんな彼も愛おしくってたまらないなんて。同情でも愛情でも何でもいい。彼が私を必要としてくれれば、それだけで幸せなのよ。」
パメラの言葉をしばらく聞いていたジェイニーは、せせら笑った。
「無償の愛ね。・・・ご苦労なこった。パメラはそれでいいのか?そんなの単なる束縛じゃないか!ブレッドに1日中かかりっきりで。他にやりたいことはないのか?女友達と遊びに行ったり、仕事を一人前にこなしたり・・・音楽に詳しいあんたが何でこんな所にいるんだ?どうして、簡単に仕事を降りて、家事業に専念出来るんだ?」
パメラはジェイニーの言葉に少し戸惑ったが、しばらくしてから言葉を続けた。
「好きだから・・・ブレッドが好きだから私はブレッドの手足になろうと、そう決めたの。だから私は今、ここにいるの。」
毅然としてパメラが言った。
その言葉には嘘や偽りはなかった。
それは、パメラの瞳を見れば分かった。
真っすぐにジェイニーを見つめる目。
その目を見ていたジェイニーは自分が言った言葉が恥ずかしくなり、プイッと目を反らした。
そして、ついっと後ろを向くと話をそのままに、パメラから離れてリビングに戻ろうと歩き出した。
すると、その後ろ姿を追いかけるようにパメラが言った。
「あなた・・・恋をしたことがある?ジェイニー?」
ドクン!とジェイニーの心臓が大きく音を立てた。
彼はそのまま、そこに立ちすくんだ。
パメラは、ジェイニーが水を飲んだグラスを持ったまま、ジェイニーの背中を見つめ続ける。
その視線をジェイニーは辛く感じていた。
自分が嫌になった。
俺は正直恋をしたことがない。
その言葉が木霊し、恥ずかしいやら、悔しいやら、腹正しいやら、そんな混とんとした訳の分からない気持ちが、彼の心をドロドロと埋め尽くした。
しかし、彼はそんな自分の心を見透かされないようにしようと嘘を口にした。
「・・・したよ!ロサンゼルスで何人もね。そんなの当り前じゃないか?俺はミュージシャンだぜ!?恋の一つぐらいしなきゃ、ラブソングは歌えないっ!!」
彼の言葉にパメラはしばらく黙っていたが、やがて、フウ・・・と一つ小さな溜息をつくと一言呟いた。
「そう・・・でも、やっぱり、あなたはブレッドに似ているわ。」
そう言って、ダイニングキッチンに戻り夕食の支度にとりかかった。
ジェイニーはパメラの一言に、なんとなく嫌味を感じた。
パメラは、そんなつもりで言ったわけではなかったのだが、ジェイニーにはそう聞こえたのだ。
このままでは、パメラを叩いてしまうかもしれない。
そう思ったジェイニーは、キッチンを急いで出た後リビングに戻らず、階段を駆け上がり自分の部屋へと戻ってしまった。
「ジェイニー!」
パメラは大声を出したがジェイニーの返事は聞こえず、代わりにブレッドが慌てて、リビングからキッチンの方へと歩いてきた。
「どうした?パメラ?今、凄いドアの音がしたんだけど?」
「どうしましょう。ブレッド!私、ジェイニーに酷いことを言ったのかしら!?なにか、気に障ることでも言ってしまったのかしら!?」
パメラが、オロオロしながら、ブレッドに訴えた。
「・・・分かった。パメラ。あとでジェイニーの所に行くから。君は、夕食の準備をした方がいい。」
ブレッドは優しくパメラを慰めると、ただ黙って2階のジェイニーの部屋の方を見つめた。
ジェイニーは、これ以上ないほど大きな音で自分の部屋の扉を閉めると、ベッドへゴロンと寝転んだ。
そして、白い天井を見つめながら、やりきれなさに歯ぎしりをした。
とにかくこの家にはもう居たくない。
なんだか、自分の心を全部見透かされているようで隠しても隠しても裸にされそうだ。
まるで、ロサンゼルスにいたときと同じじゃないか?俺は、こんな生活が嫌で束縛され、人ともうまくいかず、俺の意見をまともに聞いてくれない野郎共とおさらばするために、こんな辛い思いをしてニューヨークに向かったんだ。
それなのに辿り着いたところは、ロスと・・・クリスとまったく同じ性格をした夫婦が住んでいるところだった。
ハン!笑っちまうぜ。
パメラはクリスと同じことを言った。
人を愛したことはあるのかと・・・。
恥ずかしい話だが、俺にはそういう経験はないのかもしれない。
女と遊んだことはごまんとあるが、女に現を抜かしたことや、女の為に何かをしたなどということは一度もない。
女は消耗品。
酒やドラッグと同じ快楽の一つと考えていた・・・。
ジェイニーが色々思案を巡らしていると、突然部屋をノックをする音が聞こえた。
「ブレッドだけど・・・。」
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