第3話 デトロイトの安ホテル

今は、1990年代のデトロイト

この頃、デトロイトは職にあぶれたものが多かった。

工場は閉鎖され、街にはホームレスがあふれていた。

今でこそ、デトロイトは素晴らしい町に変化したが、

ジェイニーが若かったころのデトロイトは、貧乏で治安が悪い町だった。


陽光の中、ジェイニーはゆっくり目を開けた。

一面のオレンジ色。

んっ・・・?どこだ、ここは・・・?と思っていると、段々に自分の目が光に慣れてきたのか、周りの景色が、薄っすらと見え始める。

光の差してない雨戸が閉めてある古びた窓の隣には、粗末な年代物の洋服ダンス。

部屋の真ん中には、同じような色の木製のテーブルと椅子。

テーブルの上には山のようなビールの空き缶が積まれており、昨日のあられもないジェイニーの様子が彼の脳裏に思い出される。

・・・そうか・・・。ここはデトロイト。

昨日夜遅く、愛車のポルシェとデトロイトに着いた彼は、泊まる当てもないこの町に、半ば強引にこのホテルに転がり込みメイドにチップを払って、ホテル中の缶ビールを山ほど持ってきてもらったのだ。

その後、部屋を出ていこうとするメイドを彼は強引に襲い、服を脱がしたところまでは覚えているのだが・・・。

その後の記憶が、全くと言っていいほど途絶えている。

辺りを見回してもメイドの姿はないし、ただ、その部屋のテレビだけが、彼の思惑などお構いなしに、殺人事件のニュースを黙々と流していた。

金髪の前髪をサラッと掻き上げながら、彼は陽光の差している窓を開けようとし、床を踏みしめた途端、

『ズキン!』

と頭が急に痛んだ。

ズキンズキン!と激しい痛みが彼を容赦なく襲うと、ようやく脳裏がはっきりとしてきた。

二日酔い・・・。

今まで彼はこの痛みを経験したことがなかった。

昨日よりたくさんの酒を飲んでいたにも関わらずにもだ。

ああ・・・。

まじかよ・・・。

頭を押さえながら彼はフラフラッと窓を開けた。

気持ちの良い晴天であった。

遠くの方から微かに車の音が聞こえてくる。

しかし・・・それだけだった。

もう昼になろうというのに路上には人が疎らしかいない。

いたとしてもホームレスだ。

彼らは何処へ行く当てもなく、辺りをブラブラと彷徨うように歩く。

工場の音も全くと言っていいほど聞こえず、あるのは錆びれた、廃墟の家々と壊れた土地の残骸。

廃墟の建物の窓ガラスの具合で、この町が今どんな状況に置かれているかが偲ばれる。

噂には聞いていたがこれほどとは・・・。

ジェイニーは起き抜けの細目で、ぼんやりと見つめた。

それから視点を変えてホテルの真下を見ると、その建物も錆びれていた。

もとは白だったであろうその壁も、修理を施していないので見事に剥げ落ち、惨めな模様を作り出している。花壇も、手入れをされず放置されており、何の花が咲いているのか分からないほどに、花がしおれてくたびれてしまっている。

そして、その花壇の横の駐車場に彼のポルシェは停まっていた。

赤いポルシェは陽光を受けてボディがキラキラと輝いており、およそこの風景に似つかわしくない代物に見えた。

すると、そのポルシェの周りで、ホームレスの子供達が集団で集まっている。

何をしているのだろう・・・。

目を丸くしてよく見ると、その中の一人の子供が何か釘のような物を持っているではないか!

「あの、クソガキ共・・・!」途端に彼から眠気が吹っ飛んだ。

代わりにジェイニーの顔は狂気に満ち、トランクスを履いてTシャツを着ると、激しく痛む頭を押さえながら、全速力で古びた階段を駆け下りて外に向かった。


「お前ら、人の車に何しているんだーっ!!」

息せき切った彼の罵倒が、静かな町いっぱいに広がる。

その途端、群がっていたホームレスの子供達は体をビクッとさせ、ワーッと!言いながら一面に散らばっていった。

ジェイニーはその中の一人を追いかけようとしたが、頭が痛くて走ることが出来ない。

それにまず何よりも車の方が大事だ。

そう思い、駆け寄って先程の彼等がいた車のボディを恐る恐る見て見ると・・・。

やられたっ!!とジェイニーは思い、頭を抱え込んだ。

助手席のドアの部分に見事な釘のひっかき傷があった。

思いっきりギ~っと引っ張ったのだろうか、後ろの方まで跡が残っている。

「なんてことだ・・・!」

ついにジェイニーはその場へ力なく座り込んだ。

すると、先ほどの騒ぎを聞きつけたのか、ホテルのオーナーが太った体をブヨブヨ揺らしながら、ジェイニーの方へ駆け寄って来るのが見えた。

「どうしたんですか?お客さん。あんなに全速力で駆け降りちゃ、うちの階段がダメになっちまう。」

オーナーの顔はいくらか不機嫌だ。

その顔を見た途端、ジェイニーの顔色から絶望的な色合いが消え、頭痛を我慢しながらオーナーにつっかかった。

「あんた!ここのホテルの責任者だろ!?どうしてくれるんだっ!このありさまを!!」

怒りを込めて訴えるジェイニー。

するとオーナーは「はあ?」と言いながら、ジェイニーの指さす方向を見た。

赤いポルシェに見事な傷が2、3個・・・。

「ははあん。」オーナーがよっこらっしょっと言いながら、中腰になって傷を指でなぞる。

「ここら辺のホームレスにやられたんですな。きっと。」

「きっとじゃねえっ!そうなんだよ!見てたんだよ俺はっ!!」オーナーの言葉になおも言葉を荒げるジェイニー。

その度に頭がガンガンと鳴る。

「見てたって・・・。じゃあどうして止めなかったんです?」

オーナーがしらっという。

「止めなかったって・・・。」絶句するジェイニー。

「あ、あのなーっ!それはホテルのあんたの仕事だろ!?俺は3階の自分の窓からこの一部始終を見ていたんだっ!だから止められる訳ねえだろっ!」

「3階からでかい声出せば、何とか出来たでしょうが。」

あくまでもオーナーは譲らない。

そして、こうも言った。

「とにかく、わたしは貴方が払ったホテル代とチップ代程度のサービスはきちんと勤めました。だから、あなたに文句を言われる筋合いはありませんよ。」

立ち上がりながら、オーナーが手厳しくいう。

「何が勤めただっ!じゃあ、どうして俺の車がこんなになっているんだよ!全てホテル側の責任じゃないかっ!」

バンっと手のひらで車を叩くジェイニー。

「責任者呼ばわりされても困りますなー。第一私はあなたから車のチップ代までいただいた覚えはありませんから。私はあなたのお世話はしても、車のお世話はその時点でする気はありませんでしたしね!おっと!もうこんな時間だ。」

そう言って、自分の右の腕時計を見るオーナー。

それはカルチェの銀時計だった。

「お客さんも、そろそろチェックアウトの時間じゃないんですか?私はあなたから、一夜の宿代と缶ビールのチップしか貰っていませんからねっ!」

オーナーはジェイニーに鼻でフフンと笑うと、ホテルの中へ太い体をブヨブヨさせながら行ってしまった。

後に残されたジェイニーは当然気持ちが治まるわけがない。

またもや車をバンっと叩くと、頭痛のする頭を右の手のひらで押さえながら、体をワナワナ震わせていた。

「ちっくしょうーっ!あのオーナー!頭が痛くなかったら殴り殺してやりてーっ!!」

しかし、いくらあがいてもどうしようもない。

仕方なくジェイニーは周りのホームレスが彼を見守る中、荷物の整理をしようと苦い気持ちでホテルに入ろうとした。

その時だった。

何かが、ジェイニーのTシャツを掴んだ。

一瞬体がビクッとなり、ゆっくりと振り向くジェイニー。

そこには粗末な身なりをした黒いキャップを被った、9歳くらいの男の子がいた。


頭痛と苦痛に顔を歪ませながら、ジェイニーが言う。

「何だお前?」

その子は上目づかいで体をビクビクさせ俯き加減で、ジェイニーの顔をチラっと見ながら、ゆっくり彼に手のひらを差し出した。

そこには10セント硬貨が2,3枚あった。

ジェイニーは、その子と硬貨を見ながら「何の真似だ!」と怒ったように言った。

男の子が、やっとの思いで話し始めた。

「ぼ・・・僕がやったんだっ!!その車の傷!」

それを聞いた途端、ジェイニーの顔がサッと変わる。

そして、震える声で「お前が・・・?」とやっとの思いで言った。

男の子が答える。

「だ・・・だって!ごめんなさい!ここのオーナーのガルシアさんの車だと思ったもんだから。ぼ・・・僕達ホームレスの事いつも馬鹿にして犬や猫のように扱って!だから、こんな立派な車だから、もしかしたらガルシアさんが乗っているんじゃないかと・・・そ、それでっ」

「仕返ししたって訳か・・・」溜息をつきながらジェイニーが言う。

「ごめんなさいっ!それで!これ・・・僕が靴磨きの仕事してやっと貯めたお金なんだ!ぼ、僕これしか持っていないんだけど・・・弁償出来なくて・・・。」

その子は今にも泣きそうだった。

ジェイニーも、とても泣きたい気分だった。

いっそのこと、その子を殴って鬱憤を晴らせば、幾らかスッキリするだろうか・・・そんなことまで考える程だった。

だが、出来なかった。

何故なら、その子は昔のジェイニーの姿に生き写しだったから。

自分を見ているようで彼は出来なかった。

ジェイニーはその子の帽子をパフッと斜めに被せると、

「俺でよかったな・・・もう2度とするなよ・・・」

と言い、お金も受け取らずにホテルに入っていった。


ゆっくりと階段を上がって、自分の部屋のドアを開け、着替えて荷物の整理をする。

長く伸ばしている髪が今日は異常に鬱陶しく感じ、持っていた黒のバンダナでしっかりと結ぶと彼はわずか15分程で、整理を終わらせて部屋を出ていった。

階下に行くと受付にガルシアがいた。

ジェイニーの姿を見つけてフン!と鼻を鳴らすガルシア。

その姿を見たジェイニーは、また心に怒りが復活してきた。

が、何事も無かったかの様に清算を済ませようと受付の方に足を歩ませる。

「いくらだ。」

「追加料金と税金で35ドル頂きます。」(当時1ドル250円日本円に直して、8750円)

徐に懐から、お金を取り出すジェイニー。

その姿をガルシアが横目で見ている。

するとジェイニーが何を思ったのか、ポツリと言った。

「ハンバーガーが好きなのか?」

ジェイニーの言葉に自分の手元にあった、バーガーを見るガルシア。

「あ、まあな。好きというわけじゃあないんだが、手頃だからね。」

彼の言葉にちょっと笑みを見せるガルシア。

だが、ジェイニーは笑みも見せず

「その、ハンバーガーは誰が買ってくるんだ?」と、問う。

「隣町からくる、アネッタが買ってくるのさ。ここのメイドだよ。」

ガルシアが答える。

フーン。

とジェイニーが呟いた。

しかし彼は次の瞬間

「彼女が隣町からくる時に、ホームレスに猫の肉のハンバーガーを入れられないように、せいぜい気を付けるんだな。」

と鋭い目つきで言った。

途端に顔色が変わるガルシア。

ジェイニーはその顔を見て勝ち誇ったように、ペッ!と唾を吐くとドアを開けて外へと出ていった。





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