第5話

それから一時間くらいが経過しただろうか? 彼女から連絡が来た。


どうやら無事だったようだが、文面から察するに、いつもとは少し様子が違っていた。


深夜にも関わらず兄貴の手を借りて学校まで送り届けてもらうと、彼女の要望通りの場所へ歩き出した。


【大治郎】

「裏の林で待ってるって言われてもな……」


裏手にある鬱蒼と茂る雑木林へと足を踏み入れ数分。


スマートフォンの心細い光を頼りに、冷たい湿気と木々の香りに満ちる暗闇の中を進んでいく。


うすら寒い風に首筋を撫でられてゾッとする……


幽霊など信じていないが、否定もしていないゆえに、こういう雰囲気は妙に怖ろしく思えて仕方がない……


オッサンだろうと探偵部の変な奴らだろうと、とりあえず人というものが恋しくなる。


早く彼女に会って安心したいと思い、メッセージを打ち込む。


どうしてかはわからないが、偽物の端末で連絡するように言われたのでその通りに。


【大治郎】

「林の中ってどこにいるんだよ? 送信っと」


【マノカ】

「うぅ~らぁ~めぇ~しぃ~やぁ~」


【大治郎】

「……表はソバ屋か……

 どうしたんだこんな時間に呼び出して?」


【マノカ】

「えっ、そんだけ?

 ちょっと待って、もう一回やり直すわ!」


笑いには貪欲な性格なのか?


【大治郎】

「あぁ、一瞬、心臓が止まりそうだったよ……

 それで、なんの用なんだ?」


【マノカ】

「アカン、ウチ納得できひん! もう一回や!!」


予告されてリアクションが取れる程、俺は芸人気質でもない……彼女がやるべきじゃないだろうか?


なるほど……こっちが黙らせてやればいいのか……


【マノカ】

「そんなら、入るとこからやり直しや。

 ほら、はよ――んちゅっちゅっ……はぁ……

 ちょっ! ちょ、ちょっ……ど、どうしたん!?」


【大治郎】

「こんなところで遊んでる暇はないだろう。

 なにかする事がある、そうだろ?」


【マノカ】

「ホント、せっかちやなぁ……

 ウチはどこへも行かへんのに……」


【マノカ】

「まぁ、しゃあない……はよせぃっちゅうなら、

 簡単に……実はな? あそこに……」


マノカの指先から数百メートル程度の場所に聳える、6階建てのビル。


【大治郎】

「あそこは確か……IT関連の企業が入ってる……

 なにがあるんだ?」


【マノカ】

「大事なモノ……欲しいモノがあるねん……」


【大治郎】

「欲しいモノ?

 まさか、侵入するとか言わないだろうな!?

 盗むのはナシだ」


【マノカ】

「……うぅ、せやないねん……せやない……」


適当に言ったつもりなのに当たってしまったらしく、シュンとした表情を示した。


その哀れな雰囲気に……止めようと思っていたけど、協力せずにはいられない気持ちになってしまう。


なにもできなかった昼間の事を思い出すと余計に……あまりに情けなくて、申し訳ない気持ちさえあった。


いや、それは建前かもしれない。


素直な気持ちを言えば、俺をここに呼んでくれて嬉しい……だから、彼女の力になりたいと思ったんだ。


【大治郎】

「しかし、どうやって入る?

 警備は厳重だし、カードキーもない」


【マノカ】

「あっ、えっ……あぁ、大治郎が入るつもりなら、

 どうしようもないわぁ……」


【マノカ】

「ここはネットや?

 入り方やったら、ウチが一番知っとる!

 あん中のセキュリティシステムよりもや!!」


任せておけと言わんばかりに胸を張る。


たしかに、今までの彼女の行動を見ていると根拠のない自信ではないとわかる。が、さすがに無謀だ。


イメージからするとIT関連の企業なんて、セキュリティが強力そうだ。危険すぎる。


【大治郎】

「そうだ……仲間を集めよう? 味方になる者を」


【マノカ】

「えっ、仲間を集める? それでどないするんや?」


【大治郎】

「どこかの映画みたいに十数人そこら集まれば、

 最高のショーになるだろう?

 数が多ければ攪乱できる」


【大治郎】

「見つかりやすくなるリスクもあるが……

 彼らはこの企業のあらゆる情報が手に入る。

 俺達は俺達の目的を達成する」


【マノカ】

「さっすが大治郎、ウチの恋人やぁ!

 そういうとこ、めっちゃ好きやお!!」


じゃれるように抱き着いて喜ぶ彼女だが、戦いはこれから始まるんだ。浮かれるにはまだ早すぎる。


【大治郎】

「さぁ、君の仲間を。

 ネットなんだ、俺達とは違って、

 呼べば光の速さで来るだろう?」


【マノカ】

「えっ? 仲間って大治郎のやないんか!?」


【大治郎】

「なにを言ってる? 俺に仲間なんていない」


【マノカ】

「いっぱいおるやん! 探偵やっとる5人も!!」


なるほどな、これもきっと駅での作戦の時に聞いていたんだろう……


【大治郎】

「あれが? あんなのは仲間じゃない。

 俺がクライアントであれはホスト。

 社会で言うならビジネスの関係だ!」


【マノカ】

「えぇ……その、ウチ……友達おらへん……」


そうか……彼女は人工知能が進化し、発達して広まったこの世の中でも非常に稀有で、技術の特異点とも呼べるべき、真に唯一の存在なのだ……


彼女だけなのだ……


たしかに、こんないたずらっ子が――今はいたずらで済まされる程度だからいいが……


次から次へと同じような存在が生まれれば、比例して光の速度で犯罪も増加するだろう。


【大治郎】

「……すまない……」


【マノカ】

「ええんよ……やけど、やっぱウチ……

 友達欲しいわ……」


【大治郎】

「……俺がいてやる……どうせ俺も一人だ」


【マノカ】

「ははっ……そうやけど、大治郎はウチの彼氏やん?

 友達やあらへん……」


【大治郎】

「だけど、友達なんか作ってどうする?」


人間誰だって、友達だとか口で言っておいても裏切る。結局のところ一人だ……


【マノカ】

「……友達……ウチは友達できたら、

 大治郎置いてけぼりで、温泉とか行ってみたいわ」


【大治郎】

「防水性のスマートフォンに変えなきゃいけないな。

 それかケースを買うか……

 というか、温泉に行ったとしてどうする?」


【マノカ】

「お酒飲んだりして、惚気話とか、

 大治郎の事グチったりしてみたいねん」


【大治郎】

「なんだそれ……俺に文句が?」


【マノカ】

「そうやないけど……なんやろ……

 ウチにも、わからへん」


彼女は苦しそうに胸元に手を当てて拳を握った。


【マノカ】

「なんやろなこれ? 大治郎の事好きや言うても、

 こんなんあらへんかった……

 けど、今はホンマに好きや思うねん……」


【大治郎】

「きっと……それが……

 マノカ……君自身だという事なんだ」


あまりに滑稽だ……


人間のはずである俺よりも……彼女の方が知的生命体と呼ぶに相応しい美しさを抱えているのだから……


いや、俺自身にもあったはずなのに――今もあるはず……なのに、何故か……いつの間にかごまかして埋めて隠して、塞ぎ込んだ……


自分の存在が、世の中に受け入れてもらえないかもしれない……ひどく不安だった……


人間になりたかったのに……人間として認識してもらえないのが恐かったんだ!!


【大治郎】

「マノカ……絶対に帰ると約束しよう……

 必ず成功させるんだ!」


【マノカ】

「うん……せやな! ウチ、これが終わったら、

 温泉行くんや!!」


【大治郎】

「不吉だからその約束はなしだ……」


【マノカ】

「やったら、大治郎に結婚を――」


【大治郎】

「わざとやってるだろ?

 ノーだ! ほら、早く行くぞ!!」


走り出そうとする俺の手に細くやわらかい指先を絡めて引き留めた。


【大治郎】

「どうした!?」


【マノカ】

「そんなんせんでも、ここは現実ちゃうんや……

 ちゅぅぅっ……ぷはぁ……」


【大治郎】

「こんな時に――」


言おうとしながら、彼女に口づけをされて、力がみなぎってくるのを感じる。


特に脚部は重力の支配から逃れたみたいに軽い。


【大治郎】

「なんだこれ?」


【マノカ】

「ほら、飛ぶで!?」


軽く地面を蹴飛ばした程度で彼女の細い体が宙へ舞い上がり、弧を描いてビルの屋上へと降りたのが見えた。


枝の間を通して遥か向こう側に立つ彼女は真似してみろと手招きで俺を呼ぶ……


というよりも、あのキスによって、視力さえもどこかの原住民を越えてしまったようだ。


【大治郎】

「なるほど……それじゃ、やってみるか」


映画のヒーローのごとく屈んで、力強く地面を蹴る!!


無重力を漂っているかのような感覚が全身を包み、下を見れば校舎や近くのコンビニ……


今まで見下してきたあらゆるものが、ミニチュアのおもちゃに見えるのは痛快だ。


【大治郎】

「――!!!!」


酷く退屈な日常に中指でも立てたいほど爽快で、声にならない声を上げる。


こんな気持ちは今まで生きていて、一度も感じた事はなかった。


現実を抜け出した快感。


街中でこんなに叫んだら、お巡りでも呼ばれるんじゃないかって程に。


やがて、力に比例した高度に達すると、一瞬だけ風切り音が消えた。


が、再び風の音が激しくなると同時に、俺の体は重力の鎖に引かれたように落ちていく。


【大治郎】

「――!!!!!!!!」


今までバカにしていた日常へと引き戻されるのはひどく苦痛だ……しかし、今はそんな事を気にしている余裕はない。命の危機が全身に駆け巡り俺を支配する。


【マノカ】

「大丈夫や! ネット世界なら負傷する程度や……

 あ、損壊もするわ……」


キスによって聴覚まで異常に鋭くなっているらしい。


100メートルほど下方にいる彼女の声が聞こえた……


というか、スカイダイビングだったらすでにパラシュート開いてないとマズイ距離じゃないか!?


【大治郎】

「そういう事は先に言え!!」


【マノカ】

「心配せんでええよ、ウチが修復したる!!」


【大治郎】

「そういう問題じゃない!!」


80メートル、60メートル、30メートル……10メートル。

聞いた事もない音が脚部から響いたかと思うと、俺の意識は真っ暗に染まった。


【???】

「ただならぬ好奇心を抱いている? 違うかね?」


【???】

「最近はずいぶんと余裕が出てきたじゃないか?」


【???】

「キンタマが破裂する程度で」


【???】

「こちらブラボー。護衛対象を確認」


【???】

「ごにょごにょ……」


暗闇に包まれた意識の中をこだまする声……


皮肉なもんだ……


最後に聞くのがあのポンコツ4人衆+1の声だなんて……一人だけ下ネタだし……感動もなにもない……

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