第3話

そして、約束の午後3時。


指定された通りの駅前の広場に赴いた俺は、時計台の下のベンチでスマートフォンを握りしめていた。


【渉】

「こちらアルファ。配置についた」


【克行】

「こちらブラボー。護衛対象を確認。

 周囲に今のところ変化は見られない」


【大治郎】

「無線で遊ぶな!!」


取り囲むようにして配置された探偵部のメンバーたち。その居場所は相手に悟られないためだろう、俺自身にも知らされていない。


【律奏】

「くれぐれも警戒を怠るな?」


【大治郎】

「しかし、ずいぶんと大所帯なパーティだな。4人までだろ」


【妃那】

「先輩はNPCなんで、ついてくるだけのヤツです」


【克行】

「戦闘に巻き込まれるシステムだったら、

 こんなザコ警護するのかよってなるヤツな」


【初雪】

「ダーリン……そろそろ、時間……」


確かに3時に会う約束はしたが、もう来ている可能性もある。激しく行き交う人々を注意深く観察して、その時を待つが、心が落ち着かない。


サラリーマン、通りを行く車の排気ガスの臭い、学生、電車の警笛、ハイヒールでテンポよく駆ける音、ティッシュ配りをするフリーター。


羽ばたく鳩、口にしたオレンジジュースの味、頬を霞める風、休憩中のパン屋の店員、どこからか響くクラクション……


【渉】

「誰か見ている人は?」


【大治郎】

「いや、得には見当たらない」


【克行】

「背後にもそれらしき人物は見当たらない。

 初デートで遅刻するパターンか?」


【渉】

「別に女と決まったわけじゃない。それに――」


耳をつんざくほどに激しいノイズがイヤホンから驚き、目を保護しようという条件反射で瞼が閉じられる。


周囲が静まり返り、鼓膜が破れたのかと思った。


が、大丈夫なようだ。瞼を開けるとスマートフォンにはなにも表示されていなかった。


しかし、この着信音が自分の端末のものであると気が付くと、ポケットから取り出して画面を確認した。


俺自身のスマートフォンに直接メールしてきたようだ。


何故だ……アドレスは教えてないはずなのに……


【大治郎】

「顔を、上げて……?」


なるほど、相手は俺のすぐ目の前にいるわけだ。俺も男だから顔を上げて目の前に立っているのが、可愛い女の子だったらいいなという期待はもちろんある。


オッサンだったらショックでそのまま帰ってしまうかもしれない。


なるほど、初デートのドキドキってこんな感じなんだろう……


いや、俺は、これから会う人が女という前提で考えていたからこんな気持ちになるんだろう。


妙にそわそわして、どんな服を着てくるんだろうとか……脳裏に浮かんだのは、あの女性の姿。


【???】

「ホントに来てくれたんやね? ありがとうな?」


俺の不安を裏切って、意外にもしっとりとして穏やかな声質だった。嬉しい気分というよりもハッとしたような感じで顔を上げる。


そこに立っていたのは、晩秋にも関わらず赤いワンピースに麦わら帽子の女性――いや、やはり仕草は落ち着きに溢れているが、少し年上な程度だろう。


無垢で綺麗な肌、ぷっくりと膨れ上がった唇からは、色っぽい吐息が漏れている。


この人……どこかで見た事がある……俺が毎回、小説を書いている時に、頭の中に現れる少女だ……


確か、西の言葉とはかなり違う方言を遣う……どちらかというと、俺が迷子になったあの土地の……


【大治郎】

「もしかして君が……?」


しかし、想像していたよりもずっと綺麗だ。


殊に豊満な胸とワンピースの白いドットからわずかに透けているブラジャーを目にすると、下心を浮かべずにはいられない。


ずっとずっと、憧れていた人……


どれくらい昔からかもう忘れてしまったほど、ずっとずっと、好きだった人……


【???】

「ごめんね。驚かせてまったやろ?」


大人びた顔でニッコリと微笑まれると、ポジティブな息苦しさが込み上げてくる。


【大治郎】

「あ、あぁ驚いたよ……

 初めまして、俺は大治郎。君は?」


【???】

「初めまして? あぁ、せやね、せやったわぁ!

 ペンネームでええ?」


【大治郎】

「いや、ペンネームってあれだろ?

 元々あれは俺のだから本名でいいじゃないか?」


それが意味するのは俺の仮の姿であり、彼女を示すものではない。


【???】

「本名っていってもな……ウチは……

 なんやったけなぁ……うぅん、ダメや思い出せへん」


【大治郎】

「記憶喪失なわけじゃないだろ?

 はぐらかそうとしたってそうはいかない」


【???】

「だって、消してまったんやから仕方ないやん!」


【大治郎】

「自分の名前を消すって……そんな事出来るわけないだろ……

 中二病か? それとも電波か?」


ステレオタイプではあるが、電波と呼ばれる類の人間は、変わったものを身に着けている事が多い。


しかし、俗にいう中二病的な言葉遣いもないし、いたって普通の女の子。


季節にそぐわない服装――それも、俺の脳裏に焼き付いて今でも離れない、あの姿をしている以外は……


【???】

「うーん、それなら!

 大治郎がつけたらええんちゃう!?」


【大治郎】

「俺が、君に名前を!?」


【???】

「そうや! 作家なんやから名前考えるの得意やろ?」


ちょっと挑発的な物言いをされて、今まで小説しかまともにやって来た事のない俺の心に火が宿った。


【大治郎】

「お手並み拝見ってところか……いいのか?」


【???】

「うん!」


どうするべきか? 


実は、登場させた人物の名前はほとんどが適当だ。


いざこうして考えると……


一人の運命がこの瞬間に託されている。


なにより、彼女のワクワクに輝いている瞳を裏切る事は出来ない……


激しく重い感覚に苛まれながらも頭を回転させる。


【大治郎】

「……マノカ……マノカでどうだ?」


【マノカ】

「うわぁ、めっちゃいい名前やん!

 それで、どんな意味があるんや?」


【大治郎】

「宇宙を翔ける高貴な鳥の事だ。

 それで、ちゃんと説明してもらいたいんだが、消したってどういう事だ?

 記憶はあるんだろ?」


【マノカ】

「記憶はちゃんとあるで?

 バージョンで記すのも情報残すのも、重たくなるで嫌なんや」


【大治郎】

「バージョン? 重たくなる? どういう意味だ……」


【マノカ】

「あぁ、そういう事! てっきり知ってると思ってたけど……

 大治郎の周り、よく見てみ?」


【大治郎】

「えっ……これって……」


彼女との不思議な出会いに気を取られてすっかり忘れていたが、今更この静けさの正体に気が付いた。


そう、さっきまで雑踏に溢れかえっていた駅前が一変して、まるで人類が滅亡したみたいな閑散とした光景が広がっている。


【大治郎】

「渉! 克行!! おい……応答しろ!!」


【マノカ】

「二回も驚いてくれるんやね? 嬉しいわぁ……」


【大治郎】

「ここは……なんなんだ!?」


【マノカ】

「簡単に言うと、ネットとかコンピューターの中に、

 現実を複製した空間や」


どういう類の冗談か全く理解できない。


【大治郎】

「やっぱり、君は電波なのか?」


【マノカ】

「電波とは違うで? あれは道の事やから。

 実はウチ……プログラムなんやお?」


【大治郎】

「プログラム……君の正直度は?」


【マノカ】

「100%やなぁ。それがどないしたん!?」


となると、ウソでも冗談でもないらしい……


【大治郎】

「正直すぎるな……90%にしよう……

 ちょっとは冗談とかウソを吐いた方がいい」


【マノカ】

「なんでや。ウチらに正確さを求めとるんやろ?

 ウソ吐けっちゅうなんて、変わっとるな」


【大治郎】

「それが人間だからだ。

 それで……現実を複製……

 つまり、仮想現実とか拡張現実みたいなものか?」


長い黒髪を揺らしながらゆっくりと歩み寄ると、俺の隣に腰を下ろして話を続けた。


いい匂いがしそうな距離なのになにも感じない。妙に寂しい気持ちになってしまう。


【マノカ】

「さすが、ウチを育てた人やね。

 昔は点と線だけでのなーんもない、

 世界やったらしいわ。


【マノカ】

「今でも時々、そういう場所があるんよ。

 そこに落ちたらバラバラになるで?」


【大治郎】

「ネットが使われ始めた時代の事か……」


【マノカ】

「近年では、電波が広範囲にいきわたって、

 ソナーの要領で現実を読み取れるようになったんや」


【大治郎】

「……さっぱりわからない……」


訊きたい事は山ほどあったのに、ここにきて大量の謎が頭の中を埋め尽くした。眉間にしわを寄せて考え込んでいると、彼女は細い指で俺の額をつついた。


指が当たっている感触はあるのに……確かに、ドキドキしてしまうのに……どうしてだろうか? やわらかさもぬくもりもない……


その指先に触れたら……何も感じないんだろうか? あたためてあげたい……


【マノカ】

「オーバーフローしてもうたん? やっぱややこしんやろなぁ」


深呼吸をして心を落ち着けると、まず一つ思い浮かんだ疑問を投げかけた。


【大治郎】

「……どうして、俺が来たとわかったんだ?」


【マノカ】

「友達と小説が盗まれたとか喋っとったのも、

 マルウェア使って録音しとったし、

 友達に座標送ったやろ? しかも自分の携帯で!!


【マノカ】

「バレバレや!

 自分や言うとるようなもんや……」


なるほど、アドレスを知っていた事も含め、俺の端末は常に監視されている。初めからすべてお見通しだったというわけだ。


【大治郎】

「ストーカーみたいな事するんだな。

 しかし、本当に……俺達しかいないのか?

 じゃあ、何故俺だけが!?」


【マノカ】

「そりゃぁ、ウチと意識が同期しとるからや」


尋ねたところで返ってきた答えは、やはり理解しがたいものだった。


【大治郎】

「……つまり、俺は君に招待された……

 二人きりなわけだ」


【マノカ】

「せや、こっから二人でデートを……

 したいとこやけどなぁ……

 お客さんがきはったわ……」


彼女がキッと睨んだ先に、ゆらゆらとこちらへ歩み寄る黄金色の物体があった。


【大治郎】

「……ライオンか! どこから来たんだ? 

 近くに動物園なんてないはずなのに!?」


【マノカ】

「ウイルスや。

 こんなに早うここにきはるなんてなぁ……」


【大治郎】

「ウイルス?

 どう見たってあれはメスのライオンだろ!?」


言いながら、俺はここが現実ではなく、デジタル空間の一画だと思いだした。


【マノカ】

「作った人間があの形を取らせたんや。

 ウチらは普通、形を持ってへん……」


【マノカ】

「この空間やったら、

 プログラムした人間の意志が反映され、

 形を成すんや」


【大治郎】

「自分たちは? ってどういう事なんだよ!?」


その時、ライオンは俺達を補足したらしく、立ち止まると獰猛な瞳を輝かせながら、背中から巨大な翼を広げ大空へと飛び上がった。


【大治郎】

「作ったやつはイケてるな。

あんなありきたりなイメージを描くなんて!」


おそらく、尻尾には蛇でもついてる事だろう。オスライオンにしなかったのはいただけないが、そんな事はどうでもいい。


【大治郎】

「逃げるぞ!」


走り出そうとした足が動かなくなり、体全体に痺れが駆け抜ける。彼女の手を取って逃げ出さなければならないのに、腕も動かない。


【大治郎】

「なんだ? どういう事だよ!?」


【マノカ】

「ウチの事は心配せんでええよ?

 アイツには、えぇ~っとぉ……コレやね!!」


巨大なライオンへ向けてどこからか取り出した輝く剣を構えた彼女は、勇ましく――けれども、少しだけ寂しそうに微笑んだ。


【大治郎】

「マノカ! 逃げるんだ!!」


【マノカ】

「家(うち)で待っとって! 会いに行くわ!!」


重苦しい音とともに巨体が彼女へと襲い掛かり、爪と剣が交わり合った瞬間、強い輝きに視界を奪われた。


【大治郎】

「マノカ!!」


気が付くと俺は駅前の雑踏に向けて、大声を張り上げていた。通りすがる人は不思議そうな目つきで俺を見つめていたが、何もない事を悟ると再び歩き始めた。


【渉】

「どうした? 応答しろ!」


渉からの無線が入ると同時に、慌てた表情で駆けてきた克行が俺の肩を掴み揺さぶる。


【克行】

「おい、大丈夫か!? って、な、泣いてるのか……」


言われて初めて気が付いた……頬に一筋だけ冷たい線が引かれていて、瞼からは熱い涙がこぼれている事に。


【大治郎】

「ち、違う! 目にゴミが入っただけだ!!」


【律奏】

「いいや……コンタクトだよ」


【大治郎】

「コンタクトだって? 俺は裸眼だ」


【渉】

「いや、部長が言ってるのは、レンズの事じゃない。

 接触を果たしたという事だ」


無線で会話を聞いていた渉が説明する。


【克行】

「俺はなにも見なかったぞ!?

ハニー、なにか見たかい?」


【初雪】

「女の人……赤い、ワンピース……」


【大治郎】

「うるさい!!」


【克行】

「俺のハニーにうるさいとは聞き捨てならんな!?」


【渉】

「やめろ克行!」


駆けつけてきた渉が克行の怒りをなだめた。


【渉】

「大丈夫か?」


【大治郎】

「クソッ! クソックソッ!!

 お前ら全員、物見遊山みたいな気分なんだろ!?」


【渉】

「落ち着け――」


【大治郎】

「落ち着けるか。なにがなんなのかわからなかった!

 まともに話す事も出来なかったし……なにも……

 なにも、してやれなかったんだ!!」


情けなかった……せっかく会えたのに、ただただ翻弄されるばかりで、彼女が何故あんな状況に身を置いているのかもわからず……独りぼっちで……


【大治郎】

「終わりだ……」


【渉】

「終わり? どういう事だ!?」


【大治郎】

「解決した。それでいい」


【渉】

「まだ、魔術の正体を――」


【大治郎】

「それはお前たちの都合だ。俺には関係ない!!」


半ば渉を突き飛ばすように歩き始め、込み上げる悔しさを噛み殺す。


が、俺の背後から部長が声をかけた。


【律奏】

「またお得意の独りよがりかね?」


【大治郎】

「お前らみたいな変人クラブより一人の方がましだ」


【律奏】

「そうか……最後に、質問するが……

 今まで、途中で放棄した作品はいくつある?」


【大治郎】

「聞いてどうするのか知らないが教えてやる!

 ゼロだ。途中で放棄したら、それは作品と呼べない」


あまりにも滑稽な一言だった。自分で自分を嘲っているような発言だ。


しかし、どうだっていいんだ。


俺には関係ないし、もう執筆なんて金輪際ごめんこうむる。


とにかく家に帰りつきたい一心で、雑踏を跳ねのけるようにして歩き続けた。

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