第69話・前世と今生と……
とある地方都市の小さな寺の墓地の隅にある墓に、ひとりの女性が手を合わせていた。
年の頃は五十くらいだろうか。悲しみ。いや。後悔と言ったほうがいいだろうか。そんな複雑な表情をしている。
「君が訪ねてくるとはね。聡志も喜んでいるだろう」
寺の住職は八十を超えている年配者であるが、まだまだ現役の住職である。
女性が手を合わせていたのは幸田聡志の墓。女神ルリーナにより異世界に渡ったコータの墓になる。
本来ならば無縁仏として葬られるはずであったが、馴染みの住職が引き取り弔ってやっていたのだ。
「私は、この人を裏切った女です」
「聡志は君のことを気にかけていたよ」
彼女の正体は元幸田聡志の娘というべき存在だった。幼い頃に母親の言うままに嘘をついてしまった少女である。
吹き抜ける風は夏から秋の風に変わりつつあった。
「私の本当の父と母は、どうしようもない人たちでした。騙し取ったお金で遊んでいましたが、父は有り金をすべて持って消えました。母はそれ以降も男を代えながら男に金を貢がせ続けて……」
誰に聞かせるわけでもなく、また住職が求めたわけでもない。女はコータと別れたあとのことを語りだした。
「知らなかった。お父さんに会えなくなるなんて……。お母さんは遊び歩いてばかりで居なかった。仕事をしていたお父さんが苦労して、いつも一緒にいてくれたのに……」
ぽろぽろと女からは涙がこぼれていた。
彼女にとって肉親として愛情を注いでくれたのは、血の繋がらない聡志だけだったのだ。
幼稚園の迎えも行事も母は一度も出たことがなく、休日に遊園地や動物園に行ったのも聡志と行ったのが最後だった。
「十六で家を出ました。母とはそれ以降疎遠となりました。あとで知りましたが、母は六十を過ぎた頃に認知症となり施設に入ったそうです。そこではいつも幸田さんのことを探していたと言っていました。母にとっても家庭というのはあの短い間だけだったのでしょう」
聡志の元妻は彼を嫌っていた。完全に金と安定だけが目当ての結婚だったのだ。それゆえに元カレの子供を聡志の子として擬装してまで無理やり結婚した。
しかし年を重ねていくと元妻も男が途切れることが増えていく。たまにいても彼女が満足するような男は寄り付かなくなっていた。
その頃には娘にまで愛想を尽かされてひとりになっていた元妻は、周りの友人知人が普通の家庭で幸せになっていたことで、ようやく自分の立場を理解した。
だが、男に寄生して生きていた彼女にはほかの生き方などできなかったし、プライドも捨てられなかったのだ。
結局ひとりで寂しい時間が増えた元妻は、長年の不摂生がたたり病気がちとなり認知症となって、いるはずのない聡志を探す日々で人生を終えている。
「幸田さんもひとりだったとか……」
「わしは老後からしか知らんが、そうだったようじゃな。女は懲り懲りだと笑っておった」
とつとつと母の話を語った女は、答えの返ってこない墓を見つめていた。
「これは君が描いたものじゃろう?」
目を離すと消えてしまいそうな女を住職は自宅である母屋に案内すると、古びた絵を見せていた。色褪せているが、幼稚園で子供が父親を描いたものだ。
「そんな……、これは……」
「聡志の遺品じゃよ。これだけは処分できなくてのう」
その絵は女が幼い頃に描いたものだった。
忘れていた遠い記憶の彼方になっていた絵を見た女は、ぽろぽろと涙を流して泣き崩れた。
ほとんど身ひとつで元妻に追い出された聡志が数少ない持ち出したモノが、その絵だったのだ。
「もういいじゃろう。君も十分苦しんだ。聡志ならば笑って許してくれる」
「うぅ……。お父さん……」
遠い記憶の彼方の父を思い出し、女は泣いていた。いつまでも泣いていた。
目を覚ますと真っ暗だった。まるで前世のアパートのように……。
夢を見たからだろう。そう思ったのは。
老後に親しくなった和尚様が、私の元娘を名乗る女性と私の墓の前で話している夢だ。
リアルだった。まるで見ていたようにリアルに感じた。
夢でよかった。幸せになっていてほしい。裏切られたとはいえ、幼かった子だ。長いこと悲しかったが、恨んでなどいない。
本当のお父さんとお母さんと幸せになってほしかった。今頃は子供が成人する頃だろうか。
子供と孫に囲まれて幸せになっていてほしい。
「ルリーナ様?」
時間は真夜中らしい。場所は侯爵様のお屋敷の私が寝泊まりしている部屋だ。
周りでは精霊様たちが眠っているが、何故か女神様が私のベッドの横に座りながら眠っている。
「……幸田さん。……ごめんなさい」
泣きはらしたような顔をしている。私の問いかけに答えるように謝罪の言葉を呟いたが、寝言らしい。
「体はどうだ?」
「はい。大丈夫です」
起きていたのはホワイトフェンリルのアルティさんだ。起こしたのかもしれないけど。
「彼女は突然現れて泣いていた。コータを巻き込んでしまったとな」
そっとベッドから起きると、座ったまま器用に眠る女神様をベッドに寝かせてやる。疲れているんだろう。ゆっくり寝かせてあげよう。
「彼女は精霊神ルリーナ様か?」
「はい。私を異世界から転生させてくれたんです」
たぶん気付いていたんだろう。女神様の正体に。私が迂闊にも名前を呼んだこともあるんだろうけど。
「そうか。私の母に聞いたことがある。異世界から神に認められた者がこの世界に遣わされるという。エルフ族はそんな者を神の使徒と呼ぶ」
素直に正体を明かしたが、薄々感づいていたんだろうね。アルティさんに驚きはない。
「みんなは無事ですか?」
「ああ、人間たちも精霊たちも頑張ったからな」
よかった。あの魔人という存在は本当に危険だった。一歩間違うと国が滅んでもおかしくないし、町程度は簡単に滅ぼせる力があったんだ。
私の女神様の加護と精霊様たちの力と正妻さんがいてやっと倒したんだ。まともに戦えば犠牲がどれだけ出たことやら。
ふと見ると女神様は寝ながら泣いている。
悲しい夢でも見ているんだろうか? それともまた私に謝って泣いているんだろうか?
笑ってほしい。
女神様の天真爛漫なあの笑顔で笑ってほしいんだ。
私は感謝しかない。こんな優しいみんなのいる素敵な世界に招いてくれたことに感謝しかないんだ。
そっと精霊魔法を使う。いい夢が見られますようにと。願いを込めて。
窓から差し込む月明かりがそんな女神様を照らすように差し込んだ。
「……うふふ。駄目ですよ。幸田さん。そのお肉は私のです……」
うん。どうやらいい夢に変わったらしい。
恩返しがしたい。女神様とこの世界に。
そのために、明日からまた頑張ろう。
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