第60話・アナスタシアの想い

 侯爵様のお屋敷に戻った私はアナスタシアさんに怒られちゃった。あれは町の困っている人たちのための仕事だから、参加したら駄目らしい。


「侯爵家の歴史は長いが、客人が庶民の仕事に混じったのは初めてだな」


 周りには侯爵様や奥さんたちもいて、物珍しげに見られている。


 一緒だった精霊様たちはご飯を食べに行っていて、スレイプ君と仔フェンリル君たちは庭でお昼寝しているみたい。孤立無援だ。


「気持ちはわかるけど、貴方の行動は困るわ。お客様が朝から食事もしないで出ていって、しかも働いていたなんてなれば、侯爵家に不満があると言っているように受け取られかねないのよ?」


「すみませんでした」


 うーん。お屋敷の人たちや町の人が朝から働いているし、せっかくなんで仕事を探したのがまずかったのか。


 人様のお宅に泊まるなんて経験は何十年もなかった。それに身分のあるお屋敷なんて行ったことない。言い訳にもならないよなぁ。


「コータ君って、貧乏だったのにゃん?」


「えっと、はい」


「気持ちはわかるにゃん。アタシも将来不安だったから、こつこつお金貯めていたにゃん」


 助け舟は意外なところから来た。


 侯爵様の奥さんのひとり。猫耳の獣人さんだ。猫的な要素は耳と尻尾だ。あとは多少癖っ毛だけど、ほとんど人間と変わらないように見える。


「でもコータがお金稼ぐなら、ポーションでも作ったほうが早くない?」


「なんだ。稼げるスキルがあるのにゃん」

 ただ、変わりそうだった流れはソフィアさんに戻されてしまった。


「そもそも精霊使いなら食べていくのに困らないのよね。魔法系の人は普通でも働き口が多いのに……。しかも大精霊殿を召喚出来るなんて、明らかにしたら王国の爵位がもらえるわよ」


「いえ、精霊様でお金儲けはダメかなと……」


 うーん。根本的な価値観が違うね。アナスタシアさんいわく、精霊使いは高給取りになれるらしい。でも精霊様でお金儲けはいけない気がする。


「そうなのでしょうか?」


「そんなことはない。精霊の意思に反しなければ問題ない」


 私としてはなんかズルをしているようで気が引けていたが、アナスタシアさんがパリエットさんのお姉さんに確認するとあっさりと否定されちゃった。


「まあ、いいわ。できれば先に相談してね」


「はい」


 アナスタシアさんの表情がコロコロと変わる。悩むような困ったような面白くなさそうな。


 結局アナスタシアさんはため息と共にお説教が終わった。


「うふふ、朝起きたらいなかったから拗ねてるだけよ」


「お母さま!!」


 心配と迷惑をかけて反省していたが、少し沈んだ空気を変えたのはアナスタシアさんのお母さんだった。


 アラフォーくらいのはずだと思うのに二十代に見えるお母さんだ。並ぶと姉妹にしか見えない。特にドレスの胸元のボリューム感が凄い。アナスタシアさんも大きいが更に一回り大きい人だ。


 正妻さんはなんか近寄りがたい偉い人の雰囲気があるが、この人はそうでもない。漠然としたイメージだけどね。


 ニコニコとしたお母さんに冗談を言われたからか、アナスタシアさんは顔を赤くして子供のように照れている。仲がいい親子なんだろう。


 羨ましいなぁ。八十年も生きたのに私には手が届かなかったものだ。






「本当にもう……」


 コータが朝食を食べに行くと、アナスタシアは侯爵家の自室に一旦戻り、ため息交じりにソファーに座り込む。


 本音を言えばアナスタシアは不安だったのだ。町に到着した翌日の早朝から働こうとしたことで、コータが侯爵家を出ようとしているのではと考えてしまい不安になっていた。


 元々侯爵家ではなく町の宿屋に行こうとしていたこともある。庶民が侯爵家に居づらいと感じることくらいはアナスタシアも理解していた。


 コータやほかのワルキューレのメンバーはともかく、アナスタシアは侯爵家を出て宿屋になんて行けない。単純に離れていくのかと不安だったのだ。


 一般的に旅人も冒険者も、長旅の後は数日ほど休むのが当然だ。最近はコータと精霊のおかげで野外でも快適なのでワルキューレのメンバーも疲労はないが、そうはいっても休日は設けている。


 パリエットは久々の姉との再会を喜んでいたし、ほかのメンバーは侯爵家が初めてではない。三食昼寝付きの休日だと喜んでいるくらいだ。


 そもそも老後の心配など突然言い出したコータの考えが、アナスタシアには理解できない。


 強くなって名を上げたい。綺麗な彼女がほしい。お金持ちになりたい。地位や名誉がほしい。


 若い人の願いや望みはアナスタシアもそれなりに見てきたが、まさか老後の心配をしているとは思わなかった。


 貧乏性なのは旅をしていたので気付いているが。


 アナスタシアはそのスタイルと美しさで、今まで数多くの男たちを魅了して虜にしてきたし、同性や冒険者には頼られることも多かった。


 それがコータは頼ることも自分に熱い思いを向けることもない。まあ、本音を言えば自分の気持ちを理解しようとはせずに、一方的に気持ちをぶつけてくる男性たちには少しうんざりしていたのも事実だが。


 コータの遠慮した態度がアナスタシアにはもどかしく切ない。


「アナ。ちょっといいかしら?」


「はい。お母さま」


 ぐるぐると頭の中を駆け巡る様々な思いと考えが迷走してきた頃、部屋に母であるフローレンスがやってきた。


「いい子ね。彼」


「……はい」


「でも、彼、たぶん親に愛されてないわ。人に愛された経験があんまりないんだと思う」


 メイドが運んできた紅茶を飲み、フローレンスはコータについて口を開いた。


 フローレンスは庶民であったが、誰とでも仲良くなれる社交性と魔法の才で冒険者として活躍していたところを侯爵と出会い結婚した。


 一見すると楽天家だが、天性の洞察力と勘で一時期は侯爵が率いたパーティの頭脳として活動していたほどだ。


 彼女はコータに、なにか感じたらしい。


「いろいろ秘密もありそうね。大精霊が一緒に旅をしているなんて聞いたことがないわ」


「あの……、お母さま?」


「離しちゃだめよ。一緒にいたいなら。離れたら多分戻ってこないわ」


 母はなにを言いたいのかと少し戸惑うアナスタシアに、フローレンスは単刀直入に答えを口にした。


 その言葉にアナスタシアの胸がキュンと締め付けられる。


「あと十年若ければね。私も……」


「お母さま!?」


「冗談よ。でも離れたらだめよ。ちょっと旅になんて出ていって、どこかで引き留められて永住なんてあの子だとありそうだもの。ちょっと強引なくらいでないと逃がすわ」


 フローレンスは冗談を交えながら、器用なようで不器用な娘にアドバイスをしていく。


 アナスタシアはコータとは対極の生き方をしている。愛されることが当然で、愛され慣れている。


 騙されて地獄のどん底のような人生を送ってきたコータとの価値観の相違は、本人が思っている以上に大きい。


「私は、コータの好みではないのでしょうか?」


「そういう問題じゃないと思うわ」


 フローレンスの言葉はアナスタシアの胸に深く残ることになるが、それはそれとしてアナスタシアは、コータがあまりに無反応で自分に対して何もしてこないので自信を失っていた。


 それなりに自信があっただけに結構ショックだったらしい。




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