第2話 乾いたからから原とぬめったどろどろ谷

 こうして故郷の南の海と山を追われた気の毒な天狗たちですが、何とか正体を隠して人間と交わり人間と縁を結びました。

 中には人間の里での生活になじめず、山で修験者と呼ばれる生活をした者もいます。修験者は山をうやまう宗教家でした。天狗は山の天狗はもちろん、海の天狗も山を大切に思っていました。ことに元・海の天狗は山の木を切ったために自分たちの海をうしなったので、山への思いはとても深いものだったでしょう。 

 今、絵で見る天狗が、山伏の衣装を着て手にはシュロのうちわを持っているのはそのせいです。

 とは言っても修験者には女はなれませんし、修験者の男は結婚はできません。修験者や山伏となった元・天狗は少ないものと思われます。

 大半の元・天狗は、木地師と呼ばれる職業、あるいはサンカと呼ばれる竹細工の職人になりました。


 木地師になったのは、元・海の天狗です。今でも「木地師のふるさと」といわれる山の村には、本当に「天狗堂」と呼ばれる岩山があります。

 

 元々海の民だった海の天狗が、山でくらすようになったのは理由があります。

 まず、大陸からすぐれた船の技術を持つ人間がたくさんやって来て、この国の津々浦々を自分たちの港にしました。また、海の天狗が作る丸木舟は時代おくれのものとなりました。

 それで元・海の天狗は丸木舟を作った技を生かし、山の木を切ってお椀や鉢、あるいは木をくり抜いて作った桶や樽を作るのを仕事としていました。

 はじめの頃、元・海の天狗はとっても山奥で、それでいて海が遠くに見える村でひっそりとくらしていました。ひっそりとくらしていたのは、もし元・天狗だと身元が分かれば、たちまち金山銀山の奴れいや、はなれ島でさんごや宝の貝を取る奴れいにされるからです。

 木地師は夫婦で協力して、お椀やくりぬいた樽を作っていました。その頃は石斧ではなく、鉄の道具を使っていたようです。木地師の妻のなかには、元・山の天狗がいまして山の食べものには困りませんでした。木地師はあるときまで人間の役人に見つからないように、ひっそりと自分たちが作った商品を売りに行き、鉄刃物や塩などと交換しました。

 

 木地師はろくろを使います。

 ろくろは木地師が発明したものでした。

 ある木地師はあるとき、ふとしたきっかけで「ろくろ」すなわち木をまんまるく切ったりけずったりする機械を発明しました。

 それは男の木地師です。妻にないしょで都で売られている、いわゆるわいせつ本を買いました。この時代の本は、今とちがって巻き物の形をしています。男はわいせつな本を読んで、そのまま眠ってしまいました。

 すると、ことっとする音がしたので男はあわてて目をさましました。見ればそばにあったどんぐりのかさの部分が取れて、地面の敷物の上を回っています。そのときに偶然、風が吹いて巻き物の軸が回って恥ずかしいようなわいせつな絵があらわになりました。

 これを見た男は思いつきました。

 木の棒を回して、その先に削るための木をくっつけて刃を当てれば、これまでも早く木をくり抜いて、たくさんの器や桶が作れるだろうと。

 そして木の棒を回すのには、シュロの樹皮で作った荒縄を、弟子や妻に回してもらう方法まで思いついたのです。

 ちなみに現代に伝わる木地師の伝説では、巻き物の内容がお経の本ということになっています。

 

 さてあるとき木地師がかくれ住む山奥の村に、都の人から命をねらわれている親王―帝の兄弟や王子に当たる人のことです―が命ごいをして、かくまってほしいと頼みました。木地師たちは喜んで、その気の毒な親王を山の幸で精いっぱいもてなしました。

 このとき、親王はそのていねいなもてなしに喜んで、感謝のしるしにある書類を木地師たちに書いてあげました。

 その書類には「木地師は関所を手形なしで通行できる許可をあたえる」そして「木地師はどこの木も、その山の持ち主の許可なしに切ってもいい」と書いてありました。


 こうして木地師は、かくれ住むこともなく、堂々とこの国のあちらこちらへと行ってくらすようになったのです。

 それでも木地師は海の天狗の末えいです。身はすばしっこく、すぐれた身体能力で山の木を切り倒して仕事場まで運びました。そしてそこにシュロの木があればシュロの荒縄とシュロの葉のうちわを作って持ちました。

 何よりもミョウガが大好物なので、木地師の仕事場近くの山陰には、ミョウガがたくさん育って生えていました。今でも野生のミョウガが木や森の陰に生えているならば、そこは昔、木地師が仕事をしていた場所でしょう。


 一方の山の天狗の末えいは、サンカと呼ばれる竹細工の職人になりました。

 サンカは竹を見つけてはさまざまなものを作りました。

 炊事に使うかごや背負いかごをはじめ、風車や竹とんぼなど、子どものおもちゃまで作ってそれを行商で売ってくらしを立てていました。

 

 このサンカですが、おなじ天狗の末えいなのに、文字で書かれた歴史の本にはほとんど載っていません。そのためサンカについていろいろと、うその情報が昔から伝わっています。

 一番大きなうそは、サンカは農業がきらいで、昔ながらの農業以前の生活を続けた原始人の子孫だというものです。

 しかしサンカは、原始人でも農業がきらいなのでもありません。むしろ先端技術者といっていいほどに、新しいものが好きな職人でした。

 例えばサンカがよく作っていた竹細工のひとつに、「おさ(筬)」という、織物につかう道具があります。「おさ」は、機織りをするときにたて糸を通す、目の細かい、かみの毛をすくときに使う、くしに似た道具です。織物の糸一本が通るような細さの竹細工で、この「おさ」と、横糸をとおす「ひ(杼)という道具があれば、機織りはできました。里で農業をする女の人は、この「おさ」と「ひ」があれば、機織りをしてお金や生活に必要なものが手に入るようになりました。

 また、この国に茶の湯が伝わると、サンカは「茶せん」という、まっ茶をあわ立てる道具すら作るようになりました。

 さらにサンカは養蚕に必要な、さまざまな道具も作りました。養蚕がさかんな村の多くはお米が取れず、竹もあまり生えていない所があります。しかも「おさ」と同様にとても手先が器用で小さいころから竹細工をしている者でなければ作れません。

 サンカの作った道具の道具で一番よく知られているのは、農業のときに使う「み(箕)」という道具です。

 「み」は、だ円形を半分に切った形をした、竹で編んだ道具で、そこにもみがついたままの穀物を入れて、穀物ともみがらを選り分ける道具です。こううい道具を作るぐらいですから、サンカが農業がきらいだとか、さらには農業時代にさからって生きた原始人だとかいうのは、まったく違うことだと思われます。―もしかすると、サンカはどこかのかくれ里でくらしていて、自分自身も農業をやっていた可能性すらあります。

 

 サンカは、簡単な天幕(テント)で生活をし、すぐに住んでいる場所を変えてました。農業や養蚕がさかんな村里に行って、少しの食べものと交換に、「み」や「おさ」や養蚕のための竹細工や竹製の日用品を売りました。サンカ自身は山奥の野生の食べられるものを知っていて、ことに川魚をはじめ、川の生き物を竹の道具を使って取るのが得意でした。サンカが原始人そのままの子孫だと思われたのは、そのせいでしょう。

 サンカはもし、自分たちがたくさんの山の自然の食べものを食べると、今度は村里の人間の食べるものがなくなってしまうと考えていたのです。

 そのため村に来て一通りの行商を終えると、すぐに天幕をたたんで次の村へと行ったのです。

 そしてサンカは、やはり天狗の末えいでした。

 サンカが竹細工以外でやった、ただ一つの仕事は、シュロの樹皮で作ったほうき作りでした。これは今から70年から80年ぐらい前までは、竹の行商をするサンカが、シュロの木があればほうきを作り、今でもサンカが作ったという、ほうきが残っています。天狗はシュロの木の葉で作ったうちわを大切にしていました。だからこのことは、サンカが実は山の天狗の一族の末えいであるしょうこなのです。

 

 本当のことをいうと、サンカが身をかくしていた一番の理由は、実はサンカは同じ天狗の末えいである木地師と大変仲が悪かったからでした。ことに木地師は相手がサンカと知るととても汚い言葉でサンカをののしったのです!

 サンカも木地師も山の自然の材料で生活をしていました。しかし、木地師が手形がなくても関所を通ることができたのに対して、サンカにはそのような特権はありません。サンカはその点、木地師よりも世渡りがへたなのかもしれません。

 だからサンカは、役人よりも木地師から身をかくすように、サンカ道と呼ばれる、誰も通らない特別な山道を通って、竹をみつけたり竹の行商をしたりしていたのです。


 ところで話は飛びます。

 東国に、ぬかるんだどろどろ谷谷という村と乾いたからから原という村がたがいに隣あって住んでいました。


 通称どろどろ谷は、とてもぬめった水田地帯でした。見わたすかぎり稲が育っているので、一見豊かな村に見えました。しかし実際の生活は大変でした。

 どろどろ谷は、とても水はけが悪く、田植えをする人は腰のあたりまで泥につかって田植えをしなければなりません。そのため、稲の苗が、雑草よりも背が高い種類のものが植えられていました。村の人々は、田植えが終わると腰が冷えていたくなり、おしりも足も泥のせいでかゆくてたまりませんでした。

 さて稲の方ですが、ぬかるんだ深い沼田にも負けず、台風の雨の増水にも負けず、背が高く立派にそだちました。しかし稲の生命力は、稲のくきや葉を高く長く成長させるのに使われたため、かんじんの稲の穂の実りは少なく、味もよくありません。

 租税を取る地頭も、さすがに気の毒がって、年貢にはお米の代わりに、長く育った稲わらをもらっていったほどです。稲わらは、牛や馬のえさになったり、いろいろな日用品の材料に使われました。

 それでどろどろ谷の農民の生活は助かったといえば、そうでもありません。

 なにしろ湿った沼ではお米以外の作物は育てられません。野菜や着物はお米を売って買うのですが、この米はまずく収かくされたお米の量も少ないので、あまり売り物にはならなかったのです。ですからどろどろ谷の人々は、とてもびんぼうでした。

 どろどろ谷は冬は何の作物も植えることができません。しかし空っ風が吹いてたくさんの雑草の種が飛んできます。雑草は春になると芽をふき、田植えの頃には背高くそだっています。どろどろ谷の農民たちは、田植えの前に、まず雑草をかり、集めた雑草を肥料へと変える仕事をします。

 腰まで泥に浸かっての田植え仕事が終わりしばらくするとまた雑草が生えてきます。雑草は夏の日ざしをあびて、放っておくとすぐに稲よりも背が高くなります。

 農民の中には田植えをせず、そのまま沼に雑草をそだて、それを利用する者もいました。ことによくそだつのが、すだれの材料となるあし(葦)と、敷き物の材料になるこも(菰)でした。農民たちは冬の間、あしですだれを作り、こもで敷き物を編んで、それを市で売って収入の足しにしました。しかし、すだれや敷き物はほんの安い値段でしか売れません。 

 どろどろ谷の農民たちは、どこか他の土地に住めるのならそうしたいといつも思っていました。 


 さて、どろどろ谷のすぐ近くには、からから原と呼ばれる場所がありました。そこは雨が少なく年中乾いた風がふいていました。地面は石ころが多く、そして水はけが良すぎて稲をそだてる田んぼを作ることはできません。

 ですから、からから原の農民たちは、粟(あわ)やきびなどの穀物やいろいろな豆類を、畑に育てていました。さいわい冬もあたたかい所なので、冬は麦と冬の豆を育てました。

 からから原の人は本当は野菜なども植えてみたかったのですが、土が固いので大根やいもなどは育てることは全く不可能でした。

 からから谷の農民にとって、かわいた風は農業の敵でした。たがやして、うねを用意し、種をまいてもすぐに風がやって来て種を吹き飛ばします。ことに冬のからっ風は農民にとって重要な作物の麦の種を、まいた直後から吹き飛ばすことがあります。そのため、何度も種のまき直しをしないとだめでした。農民たちは防風林がほしいのですが、このかわいた土地に合う樹木の種類を知りません。

 からから谷の農民は、一度だけ、ため池を作って稲をそだてようと思ったことがありました。木のくわを使って少しずつ、固い地面に穴をほりました。ちょうどよいことに、雨の少ないこの土地に、雨がふりました。しかし雨は作ったばかりのため池に少しも水がたまりません。地面の水はけが良すぎて、水を貯めることができないのです。

 地頭もさすがに気の毒がって、租税としてみのった麦を少しだけ持っていきました。

 からから原の農民は、どこかへ移って住めるのならそうしたいといつも願っていました。


 そのためからから原とどろどろ谷の間では、嫁とり婿とりがさかんに行われました。どろどろ谷ではお米がとれますし、からから原では冬に麦がそだちます。

 しかし嫁に行った女も婿に入った男も、新しい生活の厳しさに驚くばかりでした。

 できるなら、家族ごと、村ごとどこか新しい土地へ行って新田(しんでん)開発をしたいのですが、それには一年分、少なくとも半年分の食りょうの貯えが必要でした。しかし今のくらしでは、貯えることなどできません。


 さて、そんな貧しいどろどろ谷とからから原に、木地師とサンカの一家が偶然、稲の収かくが終わり麦を植えるような秋の終わりにやって来て出会ってしまいました。木地師はサンカを見つけると言葉きたなくののしりますし、サンカは木地師が怖くてたまりませんでした。

 かつて海の天狗と山の天狗の一族は、助け合って暮らしていました。その2つの天狗の末えいが、乾いたからから原とぬるんだどろどろ谷のある場所へやって来たのです。

 さてどうなることやら。


 


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