木地師とサンカ

高秀恵子

第一章 海の天狗と山の天狗

 昔むかし、まだこの国に農業がない時代のお話しです。

 この国の南の方に、海には海の天狗の一族が、山には山の天狗の一族が、互いに助け合って暮らしていました。

 

 海の天狗は丸木舟に乗って、魚や貝や海草など海のめぐみを取って暮らしていました。

 海は遠浅で近くに島があり、入り江は風から舟を守ってくれました。遠浅の海は沖合に行くと深くなり遠くの海へとつながっていました。そういう場所では南の海独特の、大きな魚もとれたのです。

 南の海は暖かく、春から夏、そして秋になっても海に潜って木槍を使えば、その日1日食べられるだけの魚がとれました。

 このように書くと、皆さんは「天狗が海を泳ぐなんて」と驚かれることでしょう。

 しかし天狗は泳ぎも達者でした。男も女も天狗は海にもぐります。天狗の肌の色が赤いと言われているのは、このように日焼けをしていたからなのですね。

 海の世界と山の世界は、松をはじめ、タブの木やクスの木、そしてシュロの木が生える細長い林で仕切られていました。林のかなたは険しい山です。

 

 一方、山の天狗は1年中、山の中にいて、山菜などを取って暮らしていました。

 春から初夏にかけては草や葉っぱの新芽に少しですがカタクリの根っこが、初夏から秋にはくだものが、さらに秋になりますと栗やどんぐりなどの木の実がとれます。そして冬になりますと、わらびの根っこや葛の根っこ、山の芋などを掘り集めました。ことに蔦のつるからは甘い樹液が取れます。山の天狗はそれを土器で煮詰めて竹筒に入れて保存しました。もちろん魚も獣も食べます。

 この南の地には、シュロの木の他に良質の竹にも恵まれていて、山の天狗は竹をたくみに利用していました。

 例えば、アクの強い野生のどんぐりをはじめ、木の芽や葉っぱ、草の根などのアク抜きには、竹をたくみに編んだ籠に品物を入れ、山の清流に置いてアク抜きをしました。

 また、川の魚などを取るときの罠にも、竹細工はおおいに利用されていました。

 

 さて、天狗の姿です。顔立ちは彫りが深く鼻が大きいのは、絵巻物などでみる天狗の姿と同じです。大きく違うのは身に着けているものでした。

 その頃の身なりは、なにしろまだ農業を知らず、綿も麻も栽培していませんし、それに暖かい所です。着るものと言えば、「菰(こも)」という、ススキに似た、河原に生える草の細長い葉を、よじって編んだものを身にまとっていました。この菰の編み物は、住み家の中の敷物やゴザのように使っていましたから、まるでゴザを身にまとったも当然の身なりです。そしてシュロの葉で作ったうちわを、大人の男や女の人は持っていました。そしてもっと特徴的なのは、背中に背負った蓑(みの)です。これは雨が多く日差しも強いので、天狗はいつも背中に蓑を背負っていました。後に天狗は背中に翼があって空を飛べると信じられているのは、この背中の蓑のためかもしれません。

 そして天狗はすばしっこくて走るのも木に登るのも大変たくみでした。

 今、信じられている伝説の天狗は、そういうことからできあがったのでしょう。


 さて、最初に書きましたように海の天狗と山の天狗は助け合って生きていました。

 例えば山でくらしていると塩が不足します。そのときには手土産に山のミツバチの巣をから取ったはちみつですとか、蔦の樹液を煮詰めて作った甘い液を持っていきます。あるいは山の芋や栗やら、夏ならカタクリの根っこやらを持っていきます。すると海の民は海水を煮詰めて作った塩を分けてくれます。

 海の天狗のほうは野菜が不足しました。海草なども食べていましたが、どうしても青物が欲しくなるのです。あるいは酸っぱい野生の果物が欲しいときもありました。そのときには山の天狗の所へ干した魚を持っていくと、山の天狗は惜しげもなく山菜の干したものや摘みたての果物を分けてくれました。果物は土器に入れるとちょうどよいお酒になりました。海の天狗は魚を食べるときの薬味として、ことにミョウガを喜びました。ミョウガは陽ざしの強い海辺では育たないのです。


 海の天狗も山の天狗も、自然のめぐみだけをたよりに生きていましたので、ときには嵐や日照り、あるいは海や山の猛獣のため、生活が苦しくなることがあります。そういうときには、海の天狗は丸木舟をこいで、山の天狗は山道を歩いて、ずいぶんと遠くまで移動しました。そういうときには、山の天狗も海の天狗も、たきぎを燃やして狼煙(のろし)を使ってお互いの位置を教え合いました。ことに海の天狗が遠くのほうへと舟で行くときには、山の天狗にもらった獣の皮で作った袋に真水を入れて運んでおりましたので、海の天狗は心から、山の天狗に感謝をしていました。

 山の天狗と海の天狗がとりわけ交換品として重宝していましたのは、山の天狗が作る竹細工と、海の天狗が丸木舟を作る要領でこしらえた木の彫り物、すなわちお椀や鉢でした。なにしろ南のほうですから暖かく雨もよく降ります。良質の木材がたくさんありました。山の天狗は海の天狗の所へ木材を持って行って鉢やお椀を作ってもらっていたのです。海の天狗はよく研いだ石斧だけで上手に丸太をくり抜き舟やお椀を作ります。また山の天狗も巧みに石の刃を使って竹細工をします。そういう石器や土器は、海の幸山の幸と交換で手に入れます。


 しかし、ある時代、農業というものが始まってから、海の天狗と山の天狗の関係は少しおかしくなりました。

 農業といっても、作物は小芋とササゲという豆と、原始的な瓜類だけですが、こんなものでも生活は大きく変わります。元々、この国に自生している植物というものは、ごく一部のものを除いて人間のいとなむ農業の栽培には適していません。だから自分にとって便利な植物を好きなだけ栽培できる農業は魅力的で、海の天狗は砂浜や河口の砂地で、山の天狗は険しい山の斜面を焼いて農業を始めました。このような程度の農業でも、これまで自然のめぐみだけを頼りにしていた海の天狗にも山の天狗にも大きな生活の変化がありました。


 まず海の天狗は、以前に比べると山の天狗が持って来る、山の芋や葛の根っこやらを、以前ほど喜ばなくなりました。一方の山の天狗にとっては塩は必需品です。

 海の天狗はそれを知って、山の天狗に塩と交換に、山の蜂蜜や蔦の甘い樹液、そして山の果物で作ったお酒をたくさん要求しました。その頃には、ひょうたんの栽培も始まっていました。そのため海の天狗はひょうたんに酒を入れたり、空っぽのひょうたんを浮き球代わりに使ったりしていました。今でも「天狗とひょうたん」という民話があるのはそのためです。

 とにかく海の天狗は塩がある分、慢心しました。まさしくいばって「天狗になっていた」のです。

 山の天狗は大弱りしました。山には蔦がたくさん生えていて、蔦をときどき刈らないと樹木が上手く育ちません。これまでは必要なだけ蔦を刈っていましたので山と蔦は調和して育っていました。しかし、今まで以上に蔦を刈ると、翌年の蔦がなくなるかもしれません。

 なにより山の急斜面での農業は、草刈りやら山の獣との戦いやらで、思いの外、労力が取られるものなのです。山の天狗は海の天狗の期待に応えられません。

 一方の海の天狗は土器に海水を入れて、塩作りに夢中になりました。食べるものは山の物と交換しなくても生活ができるようになったので、今まで以上に塩作りに精を出しました。そしてこれまで天狗の世界になかった布切れなども手にいれました。  

 さて、農業を始めると養える天狗の数が増えました。塩はどこでも求められました。海の天狗は塩作りに夢中になって、次から次へと海の近くの林の樹木を切り倒して薪(たきぎ)にしました。そしてとうとう海辺の樹木だけでは足りなくなり、急峻な山の木も切り倒しました。

 するとここは雨の多い所です。ちょっとした雨でも大雨となり、山ががけ崩れを起こしました。海がにごり、魚が取れなくなりました。

 この様子を見て喜んだのが、稲作を行なっていた、人間です。人間の中でも大王(おおきみ)と呼ばれる位の高い人は、以前から天狗のくらす海と山をほしがっていました。というのは、天狗自身は知りませんでしたが、山の天狗のくらす山には金や銀のとれる鉱山があり、海の天狗が漁をする海には、さんごや宝の貝があったのです。

 人間の大王は、生活に困っていた天狗たちを自分の奴れいにしました。すなわち山の天狗は金山銀山で労働をし、海の天狗はさんごや宝の貝のある海で、人間の監視するもとで漁をしました。金山銀山や宝のある海の離れ島には、天狗だけでなく、いろいろな人間もいました。

 そのうちに天狗と人間の奴れいの一部は反乱を起こし、その者たちは「鬼」と呼ばれるようになりました。おとぎ話の鬼が恐ろしく、そして金銀さんごの宝物を持っているのはそれゆえです。


 

 さて天狗の中には奴れいにも鬼にもならず、人間世界で暮らす者もいました。それが木地師とサンカです。

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