121.不測の事態

「弦を使って上に戻るんだ」

「分かりました」


俺は火玉を近くの地面に放つと、垂れ下がった弦に手を伸ばした。

軽く引いてみたが引き返しがない。

気絶している間に村に戻ってしまったのだろうか。


「シュロさん、ここに落ちて来てからどれぐらい経ちますか」

「そんなには経っていないはずだが……すまない、私も少し気絶していてね」


シュロさんは座ったまま答える。

二人とも気絶していた間の時間は分からない。


「モフモフ、お前たちは分かるか」

「このくらい」


両手を広げて見せてくるが分かる訳がない。

もう一度引いてみたが反応はなく、手元の弦が延びるだけだった。

このまま登る事は出来ない。どうする。

悩んでいる間にも、闇の向こうでは何かが砕かれるような音が響いていた。

それは確実にこちらへと近づいてきている。


「モフモフならまだ軽い。弦を引き切る前に辿り着けるかもしれない」

「モフモフ!」


シュロさんの案に俺はモフモフを呼ぶ。

モフモフの一つが俺に呼ばれると同時に弦に飛びついた。

足元の弦が塒を巻いていく中、モフモフは少しずつ登っていった。

その間にも砕く音は地響きと共に近くなる。

間違いようもない。これは魔物の足音だ。

火玉の灯りを目指して来ているのだろうか。

場所を把握するためにも火玉を複数放つべきか、今ある火玉も消し鳴りを潜めるべきか。

悩む俺の横で、シュロさんが呻き声を立てる。

慌ててシュロさんに駆け寄る。


「シュロさん、大丈夫ですか。どこか怪我でも」

「ああ、落ちた時にちょっと足をやってしまったみたいだ」

「そんな、何でもっと早く言って……」


違う。もっと早く俺が気付くべきだったのだ。

気を配っていれば分かったはずだ。


「気付けなくてすいません」

「怪我をしてしまったのは私なのに、何で君が謝るんだ」

「でも……」

「それより」


シュロさんが垂れ下がった弦を指さす。

弦は動きを止めていた。


「登り切った」


上から声が降ってくると同時に、他のモフモフたちが我先にと飛びつく。


「馬鹿! 何やってんだお前ら」


束ねてロープ状にしている弦が切れる心配はないにしても、上にいるモフモフ一つで六つの体重に耐えれるのか。

上で何処かのでっぱりに引っ掻けていれば話は別だが、上から必死な声が聞こえている以上、それすらしていないだろう。


「今が踏ん張りどころ」


登っているモフモフの一つが言う。

お前が言うなと突っ込みそうになるのを必死に堪える。

今はそんなことをしている状況ではないのだ。


「次はシュロさんが登ってください」

「私は登るのに時間がかかる。先に君が行くんだ」

「時間が掛かるからこそ先に、行ってください」

「私の事を思うのであれば先にいってくれ。私が自力で上がるより、引き上げた方が早いはずだ」


確かに、シュロさんの言っている事は正しい気がする。

しかし、俺なら魔物に対して少しは時間が稼げるかもしれない。

考える時間がもっと欲しかった。

しかし、岩の瓦解する音と甲高い声が反響しそれを邪魔する。


「分かりました。登っている間に、シュロさんは弦を腰に巻きっつけておいてください。すぐ引き上げます」


シュロさんは脂汗の浮かぶ顔で頷いた。

弦の揺れが収まる。何とかモフモフたちは登り切ったようだ。


「それと時間稼ぎになるかは分かりませんが……」


俺は火玉を間隔を開け放つ。

火玉で浮かび上がった小さな空間は、幾つも闇の穴が開いている箇所があった。

魔物がやって来る方向だ。

シュロさんが弦を手にしていることを確認し、近くで点っていた火玉を消した。

これで少しは闇に紛れて潜めるだろう。

俺は弦を持つ手に力を籠め、少しずつ登っていった。


半分くらい登った時だった。

岩の崩れる音が鳴り響いた。

穴を無理やりこじ開けたのだろう。

魔物の長い足が不気味に照らし出される。

それは背中に複数の結晶が生えた巨大な蜘蛛。

見た事はないが知っている。あれは紅晶蜘蛛こうしょうぐもだ。

俺はその存在に恐怖を感じつつも、振り切ろうと腕に力を込めた。

今は登る事だけを考えろ。


結晶が天井にでも当たったのだろう。

倒壊していく音が振動と共に襲ってくる。

次の瞬間、甲高い声が鼓膜に突き刺さった。

耳を塞ぎたくなるほどの声音に耐え、紅晶蜘蛛を見る。

結晶が振動し、暗闇に赤く浮かび上がっていた。

そして、俺は結晶の中に魔物の姿を見る。

甲高い声はこの魔物の声なのだ。

手が止まっていることに気付き、素早く弦を引き寄せた。

汗だくになりながら俺は濡れた岩に手を付き登りきる。

しかし、まだだ。シュロさんを早く引き上げなくてはいけない。


「モフモフ慎重に引き上げるんだ」


俺は少し高い壁を狙って火玉を放る。

火玉は埋め込まれた電球のように光を放った。

これならば下に光が届くこともないだろう。

引く作業はモフモフに任し下を覗く。

火玉に照らされる紅晶蜘蛛はまだこちらを探し当ててはいない。

徐々に上がってくるシュロは、気を失ったのかぐったりとしていた。


「ゆっくりだ。ゆっくりでいい」


順調にいっていると安堵の表情を浮かべた俺の下で、シュロさんの上昇が止まる。


「引っ掛かった」


モフモフの一つが言う。


「少し力込める」


別の一つが言い再び弦が引かれるのと同時に、シュロが呻き声を上げた。

慌ててシュロさんの名を小声で叫ぶ。

苦痛に顔を歪めていたシュロさんは俺の顔を見ると、大丈夫だと言わんばかりに笑顔を作って見せた。

その姿が陰り、赤黒い蜘蛛へと代わる。

遅れて岩の瓦解する音が耳を叩いた。

シュロさんの呻き声に飛び込んできたのだ。


「シュロさん!」


叫ぶ俺に応える声はない。

代りに土埃と闇が混ざる中、蜘蛛の突き出た顎が現れた。

驚愕に声を荒げながら俺は無意識に風流弾を放っていた。

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