122.落ちる

壁が音を立て崩れ砂塵が舞い上がる。

顔を叩く砂に目を細めながら俺はシュロの名を叫んだ。

シュロさんの返事はなく、代わりに紅晶蜘蛛こうしょうぐもの咆哮が砂塵を吹き飛ばす。

驚きと恐怖が体を強張らせた。それを払拭しようと掌を起点に風が渦を巻く。

煙幕から現れた黒い巨大な目が俺を捕らえ、闇から伸びた足が穴の横へ突き刺さる。

穴をこじ開ける気だ。

動けと呪文のように繰り返し、関節が錆びた音を立てるようにゆっくりと右手を振り下ろした。

風流弾が放たれ、紅晶蜘蛛の巨体へ吸い込まれる。

しかし、紅晶蜘蛛の動きは止まらない。

右肩が焼けるように熱くなり、思わず左手で抑え込む。

抑え込んだはずの右腕はすでになく、気がついたように痛みがやって来る。

痛み、恐れ、驚き。様々な感情が一気に俺に襲い掛かった。

そして、俺は感情のままに叫び声を上げた。


「しっかりなさい!」


聞き覚えのある声が耳元でした。

体が重くて動かせない。速く体を動かさなければ。


「そんなこと言っても力が強くて抑えきれませんよ」

「泣き言言わずにもっと力を入れなさい!」


砂塵で目が見えない。まっくらだ。何とかして目を開けるんだ。


「魘されて暴れ回るなら目を覚まさせればいいでしょ」

「どうする気ですか」


目に力を入れ瞼を開く。目に入って来たのは拳。


「せめてパーでやってあげてください」

「これくらいがちょうどいいのよ」


目から火花が出るほどの痛みに、俺は両手で顔を抑え呻いた。


「私にかかれば一発よ」

「やりすぎですよ」


眼を瞬かせようやく見えて来た視界に、心配そうな顔のルートヴィヒが映る。

その後ろにはやれやれと言った感じのクルクマさん。

そして、目の前には拳を握るクメギ。

俺はクルクマさんの家のベッドに寝かされていた。


「目は覚めたかい」


クルクマさんに差し出された水を礼を言って受け取る。

そこで、右手がある事に気が付いた。


「右手があるって事は何処までが夢なんだ……」


その疑問に答えられる者は誰もいなかった。

顔を見合わせるクルクマさんとルートヴィヒ。

腰に巻き付くクメギ。

記憶を辿ろうとするが、夢と現実が混同していた。


「混乱しているのは分かるが、洞窟で何があったか始めから話してもらえるかい」


頭を抱える俺にクルクマさんが言う。


「そうだ、シュロさんは!」


ベッドから抜け出しかけた俺をクメギががっちりガードする。

まるででこうなることを見越していたようだ。


「落ち着きなさい! 少しずつゆっくりでいいから」


クルクマさんに宥められ落ち着きを取り戻した俺は、洞窟に入ってからの事を話した。

風を追って痺猿ひえんたちが作った穴を下った事。

ごつごつした岩場を抜け、地下水の流れる場所に出た事。

そして、足場が崩れ、落ちた先で紅晶蜘蛛と遭遇した事。

たどたどしく話す俺の話を、クルクマさんは静かに聞いていた。


「シュロさんは足を怪我していたんだ。俺が最後に登っていればこんな事には……」

「しっかりしなさい! 悔やんでも過去は変わらないわよ」

「……」

「私は今の話を村長に伝えて来るから、君はもうしばらく休んでなさい」


クルクマさんに続き、そわそわしていたルートヴィヒも何かを思い出したように出て行く。

シュロさんの顔がちらついた。


「すまない、全部俺のせいだ」

「誰のせいでもない」


シュロさんは最後まで笑顔だった。


「俺に力がなかったからだ」

「違う」


シュロさんはいつも人の事を第一に考えていたんだ。

最後の最後まで。


「俺がシュロさんの代りに……」


言葉の代わりに涙が溢れた。


「馬鹿なことを言うな!」


立ち上がったクメギが拳を握る。

殴られても仕方ないと思った。殴られるだけじゃ足りないと思った。

それ以上の事を俺はやってしまったんだ。

衝撃がやってきた。顔にではなく胴体に。

クメギに力強く抱きしめられているのだと気づく。


「馬鹿なことを言わないでくれ」


クメギは俺に顔を押し付けながらそう言った。

クメギも泣いていた。

当たり前だ。付き合いは俺よりも長いのだ。

だからこそ、俺がもっと頑張るべきだった。

俺がもっと気を回せば、回避できていたかもしれない。

こういう事態を回避したかったのに――


堰を切ったように溢れ出た感情を止めることが出来ず、俺は声を出し泣いた。


洞窟内の出来事が頭の中で繰り返されていた。

何度繰り返しても最後の記憶がはっきりしなかった。

俺はなぜ気を失ったのか。どうやって戻って来たのか。


記憶より疑問が強くなる。


「あなたは眼前に迫る敵を前に魔力を使い果たしたのです。だからこそ、助かったとも言えますが」


どういうことだ。


「魔力が切れよろめいたことで、躱せるはずもない攻撃を躱せたのです。しかし、その時のあなたは魔法を撃つことしか考えられなくなっていた。使えるはずもない魔法を無理に使おうとすれば、気が保てなくなるのは当然。モフモフがいなければあなたも洞窟から戻って来れなかったでしょう」


俺は奇跡的に助かったのだとナビは言った。


「助けられ、生還できたというのにあなたは何をしているのですか」


叱咤に近い言葉に俺は目を開けた。

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