112.水の魔物
流れの速い川の中で浮かび上がった顔は、川の勢いなど無いかのように一つ処に留まっていた。
白い鱗に吊り上がった目は両生類を思わす。
顔の端に着いた大きな黒い目が、静かにこちらを見ている。
これが以前モフモフが見たという水の魔物か。
俺は咄嗟に身構えると、向こうも警戒したのか目を細めた。
しかし、それ以上の動きはない。
このまま相手の動きを待つべきか。
先手必勝、こちらから動くべきか。
俺としては無闇に敵を増やしたくはない。
かといって友好的に握手を求めにいって殺られてはたまらない。
結局は相手の出方次第なところがある。
そのまましばらく睨み合いが続いた。
数の上ではこちらのほうが上だ。
向こうも迂闊に動くことが出来ないでいるのだろうか。
そんな事を考えていると、水の中から何かが飛び上がった。
それは水の弧を描きながらモフモフの目の前の地面に落ちると、勢いよく身を跳ねさせた。
なんの事はないこの川に生息する魚だ。
モフモフの一つが無造作にその魚に手を伸ばすと口に運ぶ。
なぜそんなにも躊躇なく口に運べるのか理解に苦しむところはあるが、魔物ですら一口で食べてしまうのだから、お腹は丈夫なのだろう。
そう思っている間も次々と魚が跳ね上がりモフモフの目の前に落ちてきている。
モフモフ達は嬉々として魚を口に運んでいった。
これはモフモフを翻弄する作戦なのか。
川の中から飛び上がってくる魚。
口を大きく開けながらそれを受け止めていくモフモフ。
この状況が良いことなのか悪いことなのかも判断できぬまま、モフモフの腹が満たされていく。
俺はどう動くのが正解なのだ。
迷っている間も魚は次々に飛んでくる。
それに混じって細長い生き物も飛んでくる。
まさかあれが毒を持った生物なのか。
魚を食わせ気が緩んだところで、毒を持った生物を食わす気か。
「モフモフ、気をつけろ!」
俺の忠告に振り向いたモフモフの口にはすでに細長い生き物が挟まっていた。
それが、口の中へと吸い込まれていく。
しまった、遅かったか。
「早く吐き出すんだ。毒を持ってるかもしれないんだぞ!」
俺の忠告にモフモフは親指を立てる。
俺の心配を他所にモフモフの顔は美味と物語っていた。
思い返せば、モフモフは
これくらいの毒を持った生物など影響ないのだ。
まあ、俺にはあの細長い生物が毒を持っているかすら知る由もないのだが。
しかし、あの魔物は何をしたいのだろうか。
「あの魔物は、
ふと近くで声がして、目だけを動かし声の主を探す。
やはりナビだ。それも得意げに講釈を垂れる教授のような素振りの。
水面に浮かんでいる顔は俺よりは小さいが差ほど変わらない。
川の流れが急すぎて水中まで見通すことが出来ないが、俺と変わらない体がついているのだろうか。
蛇というからにはひょろ長い体か。
「私のような八頭身の美的なボディかもしれません」
「お前はどう見ても二頭身だろうが!」
この忙しい中、ナビと関わっていても仕方がない。
どうせこいつは魔物の名前以外は教えてくれないのだ。
「今回は特別に魔物の特徴を教えてあげましょう」
「本当か!」
「あの魔物は水の中に住んでいます」
「だろうな。それから?」
「……」
「……」
「……以上、ナビのワンポイントアドバイスでした」
「引っ込んでろ!」
苛立ちを込めてナビを叩き落とす。
矢張りこいつは役に立たないナビだった。
ナビの事はどうでもいい。
射水蛇という魔物をどうするか考えなければ。
弾かれたように川から降り注ぐ魚は、止まることなく続いている。
地面に落ちる前に口で受けるモフモフ達の宴も、変わりなく行われていた。
しかし、何かが違っていた。
モフモフの数が減っている。
「川に落ちたのか!」
この勢いだ。下流に流されたのかもしれない。
俺は橋の下流へ目を走らせる。
この流れだろうと、モフモフなら水面に顔くらい出せるはずだ。
射水蛇は橋の上流で顔を出しているから、反対に顔を向けることになる。
「お前らも、魚食ってないで探せよ!」
振り返った俺が見た物は、数を減らしたモフモフ。
視界を邪魔するように降り注ぐ魚の群れ。
「お前の仕業か!」
水面に浮かぶ射水蛇に指を立て怒鳴る俺の横で、水飛沫が上がった。
今まで魚を食って喜んでいたモフモフ達の姿は、忽然と消えていた。
「モフモフ!」
俺の叫びは水面を滑り、モフモフに届くことなく流されていく。
既に魚は降り注ぐことを止め、残骸のごとく地面で撥ねる魚。
「モフモフをどうしやがった!」
言葉など通じないであろう相手だが、叫ばずにはいられなかった。
案の定水面から突き出た顔から返事はない。
ただじっとこちらを見つめるのみ。
俺はこんなにも簡単にモフモフを失ってしまうのか。
急に静まり返った森の中、孤独が突き刺さる。
俺では水の中を見通す事は出来ない。
水の中でモフモフが苦しみ藻掻いているのかさえ分からない。
水の魔物を前にして、水中に助けに入ることなど以ての外だ。
俺には成す術がないのか。
俺は足を震わせ、力なく膝をついた。
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