104.目覚め

「くれてやる」


俺は右の拳を突き出す。もちろん強化は解いていない。

歪な牙が腕の周りを舐めるように走る。それは速さを増し、腕を回る輪のように爪を突き出す。

削り喰ってやる、と鉄の擦り合う声が唸る中、俺は手を広げてみせた。

何かをせがむ様に手の平を上に。

掌に真紅が現れ、揺らめきと共に火玉へと変化する。

細長い爪が火玉へ集まるより前に、俺を覆うゲル状のグリュイへそれを押し付けた。

焼け焦げた匂いが広がり、溶かした飴のように泡立つグリュイ。

泡は大きく膨張し飛沫を上げて破裂した。

緑黒い液体が飛び散り、グリュイが笑う。

変化はそれだけだ。それも、一時的な変化。

見る間に元通りとなっていく様を、俺は傍観するしかなかった。


「こんな小さな火で何かできると思ったの? お兄ちゃんに出来るのは、全て諦めて楽になる。それだけだよ」


出来るかもと思った。でも、それは叶わなかった。

あっけなく覆されたことで、俺の中で違和感が生まれる。

属性を変えたとしても、今のグリュイに有効な攻撃など与えられないだろう。


「俺の攻撃は、全て効かないのか」

「思ったより諦めが早いね。それとも……」


これだけ差があっても、グリュイは俺を包み込むだけで一切攻撃してこようとはしない。

一見、威嚇するように爪を突き立てる素振りをしようとも、俺の身体強化を突き破ろうと刃を刺しもしない。

いくら鈍い俺でも、これだけ不自然にやられたら嫌でも気づく。


「グリュイ、俺を騙していたな」

「何かに気付いたようだね。でも、もう遅い」


グリュイはうねりながら俺から離れると、細い爪が渦のように眼前へ迫る。

俺はそれを正面から受け止めた。

正しくは、微動だにしない俺の一寸先で爪は止まっていた。


「どうも、白けてきたね」


気の抜けたグリュイの声が通りすぎ、俺は激しい揺れのなか目を覚ます。

黒い外套に黒い仮面のグリュイが、俺を揺すり起こしていた。

目覚めることで俺は催眠術にかかっていたと確信する。

何処から催眠術に掛かったかは朧気だが、催眠前と同じ状態で居ることは分かった。

あれほどの事があったというのに、俺はクメギの眠る寝台へ寄りかかり座っていた。

変わったのは辺りが見え易くなった事。

家の中に薄く日が射し始め、夜明けが近づいていると知る。

白けてきたとは、こっちの事だったか。


俺はグリュイの催眠術に掛かり、グリュイを得体

の知れない何かと思い込んでいた。

不自然に綻ぶ身体強化は、範囲を広げるため仕掛け。

覆えていない部分がクメギだったのだろう。

身体強化を持続させるために、グリュイは俺に痛みを与え、恐怖心を煽ったのだ。

グリュイらしいと言えばそうだが、もう一度催眠術を掛けると言われても、俺は全力で拒否するだろう。


「もっとましな掛け方無かったのかよ」


俺は痛む頭を手で押さえながら、グリュイを睨む。


「見るなら、面白い夢の方がいいでしょ」

「お前が楽しんでただけだろうが!」

「楽しめなかった? おかしいな。次はもっと趣向を凝らしてみるよ」

「次なんかねえよ!」


俺は手を振りグリュイを遠ざけると、クメギへ振り返った。


「それで、俺はちゃんと出来ていたのか」

「身体強化って言っても僕に範囲が見えている訳じゃないから分からないよ。お兄ちゃんの感触的に分かるんじゃないの」

「お前の味が濃すぎて出来てるか分からねえんだよ」

「そりゃそうだよ。お姉ちゃんを意識させないようにしてるんだから。それでも分かる事はあると思うけどね」

「とりあえず、出来ることはやったかな」

「それなら、お姉ちゃんを信じて待つしかないんじゃないの」


俺は会話を止め、グリュイを横目で見る。


「どうかした?」

「いや、お前から信じるって言葉が出るとは思わなかったよ」

「僕にだって信じる心はあるよ」

「言い方は悪いけど、お前が言うとなんか嘘くさく聞こえるんだよな」

「僕は人を信じていないって言いたいんでしょ。それは違うよ。種として信じていないというか。どうでもいい存在だと思っている。でも、個としてみた場合、それが変わってくるってだけの事だよ」

「個としてみたら、俺は信じられるのか」

「信じてるよ。取り敢えずはね」

「取り敢えずかよ!」


グリュイが笑うように鼻を鳴らし、俺もそれに応える。

まだ微妙な関係といえる面もあるが、信じあえる関係というのも作られている。

それが、俺の勝手な思い込みでないといいのだが……


「さて、終わったことだし僕は戻るから、後はよろしくね」

「ああ、ありがとうなグリュイ」

「やった分はきっちりデォスヘルに請求するから、気にしないでいいよ」

「……そういう事かよ」


その請求は回り回って俺の元に来るのだろう。

デォスヘルは結果の報告だけでいいと言っていたが、気が変わったとか言わないだろうか。

どちらにしても俺に対した情報などない。


グリュイを家の入口で見送り、クルクマさんへ知らせに行くか考える。

まだ村が起きるには早い時間だ。

俺も寝ていた割には眠い。あれで寝れたと言えるのかも分からない。


「もう少し日が昇るまで、俺も休むか」


誰に言うでもなくそう呟き、家の中へ戻る。

クメギの様子も気になるし、寝台脇で少し寝るつもりだった。

しかし、その計画は覆される。

その状態が信じられず、固まる体。

思わず口から言葉が零れた。


「クメギ……」

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