71.未熟なものたち

魔物と言えど、数多の石を投げつけられては無事では済まない。

柵を掴んでいた痺猿ひえんの腕が折れ、突進してきた痺猿の足を挫く。

憎しみの声をあげながら倒れた背を、石が圧し潰す。

奇声を上げた口ごと顔面を吹き飛ばし、体勢が崩れた痺猿にも追い打ちの如く石が投げ込まれた。

これも生きるためだと思いつつも、すぐそこに生々しい死がある。

柵を掴み、歪に首の曲がった痺猿が崩れ落ちていく。

生残な光景に俺は石を掴んだまま、死んだ痺猿から目が離せずにいた。

恐怖を振り払おうと俺は頭を振った。

圧倒されてどうする。

残酷だが、これも乗り越えなくてはいけない脅威。

自分を叱咤して掴んでいた石を握り込む。

俺は迫りくる痺猿に石を投げつけた。


怒号が飛び、拉げる音が響き、咆哮が入り混じる中、俺は必死に痺猿を狙う。

暫くして変化が起こった。

柵に垂れ下がった痺猿が霧となって四散したのだ。

次々と散っていく痺猿。一帯に濃い霧が立ち込める。

すぐ近くだというのに、高台から見下ろす光景は雲の上にいるようだった。

先程まで見えていた地面が白く変わり、柵の天辺が辛うじて見えるのみ。

シュロさんの号令を聞かず、村人の手は止まっていた。


「どうなったんだ? 全然見えないぞ」

「姿が消えた……」


村人達が困惑して見下ろす霧の中、まだ痺猿の気配は消えていない。

そして、まだ森の中からも痺猿の怒声が聞こえている。

力尽き霧となっても、なぜこれだけ多くの痺猿が残っているのか。

洞窟でムクロジと共に埋まった痺猿がこれ程いるとは思えない。

痺猿の声が近づき、焦る心が思考の邪魔をする。


「戻って来たのか」


見下ろしていたシュロさんが、我が目を疑ったように後退る。

シュロさんは異変の答えを見つけたのだ。

戻って来たとは、死の淵からという意味ではない。

では、何処から――


「まさか!」


俺も信じられない思いで眼下へ目を走らせる。

目を凝らしても俺には霧の中は見渡せない。

白い靄が広がっているだけだ。

唇を噛み、なんとかして答えを見つけようと身を乗り出した。

その時、霧が森の中に流れ出す。

まだ体の出来上がっていない痺猿に吸収されていくのだろう。


俺の視線は森の中ではなく、石を投げ込んだ先に注がれる。

答えは霧の下だ。

霧が徐々に引き、柵が現れる。

更に霧が引く事で俺は確信した。

地面に転がる痺猿。

眼下に迫る痺猿は蘇った痺猿だけではなかった。

この地を離れていた痺猿も、蘇ったボスの元に集っていた。

あの獰猛な産声が、散っていった痺猿達をこの地に引き戻したのだ。


「すぐ下にいるぞ!」


誰かが声高に叫ぶ。

動揺する村人達の下へ痺猿が押し迫っていた。

塀を登ろうと飛びつく痺猿を見つけ、俺は慌てて石を投げつける。

肩口に当たり地面に転がった痺猿は、それでもまだ塀に手を伸ばす。

やはり俺の力でも一発では仕留めきれないか。

俺は素早く足元に転がる石に手を伸ばす。

しかし、モフモフが石を吹く方が早かった。

何処に当たったのか分からないが、痺猿は短く嘶き、堀の中へ落ちて行った。


霧の中を痺猿は柵を押し退け、空いた隙間から雪崩の如く押し寄せていた。

軽々と堀を超え、既に塀の元へ足を進めていた。

一匹を振り落とそうとも、次から次へと塀に手を駆け上ってこようとする。


上がってくる痺猿に村人が槍を付く。

体勢が悪いにもかかわらず、素早い動きで翻弄されているようだ。

俺もそちらへ加勢したいが、こちらも痺猿が迫って来ている。

石を投げつけるにしても角度が悪い。


「モフモフ! あれを何とかしてくれ!」


吹き矢を持つモフモフが瞬時に察知して石を吹く。

顔に当たったのだろう、頭が激しくぶれ痺猿の動きが一瞬止まる。

動きが止まればこっちのものだ。

痺猿は槍に差され、あっけなく落ちて行った。

これだけ使える武器だと知っていれば、勿体ぶらずにもっと吹き矢を持たせていたのに。

これは作戦に対する俺の読みの甘さと、石を見せつけるモフモフに対して苛立ってしまった俺の心の狭さが原因か。

今更後悔しても遅い、この状況を何とか打破しなくては。

俺は気を引き締め下を向く。

すぐ目の前に痺猿の爪が迫っていた。

乗り出していた身を慌てて引っ込め、反射的に出していた風の玉が痺猿を切り裂く。

痺猿の返り血を浴びながら俺は尻餅をついた。

今のは危なかった。

一瞬でも遅れていれば、爪は深々と刺さっていただろう。


「何をしてるんだ、お前は!」


荒い息を繰り返していた俺へ、上から衝撃が来た。

クメギが拳を握り、怒り狂っている。

クメギの持ち場は向こう側のはずだ。

状況が分からない俺にクメギが塀の外を差す。

俺は慌てて立ち上がり、クメギの指の先へ目を向けた。

そこには壊れた柵。

風の玉は痺猿だけではなく、柵も切り裂いていたのだ。


「お前は妨害したいのか! さっさと行って直してこい!」

「行ける訳ねえだろ!」


まだ殴ろうとするクメギを俺は必死に宥める。


「二人とも喧嘩は後だ!」


シュロさんが槍で撃退しつつ叫ぶ。

俺が壊してしまった柵の間から、更に痺猿が押し寄せていた。

持ち場に走っていくクメギを横目に槍を掴む。

すぐ下に迫る痺猿に槍を突き下ろした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る