70.痺猿襲来

夜が明ける間際、霧漂う森の中に獰猛な産声が響き渡った。

痺猿ひえんが蘇ったのだ。

俺は声に飛び起き、外に転がり出る。

既に外に出て来ていた村人と目が合った。

村人はうなされていたのかというほど汗をかいている。

無理もない。それほど恐怖を煽る雄叫びだった。

他の村人も次々と家から出て来ているのが見えた。

驚愕と共に村は慌ただしく動き出す。


俺は痛む肩を回しながら、見張り台を見上げた。

「奴らが来た」と見張り人が南を指さしながら叫んでいた。

村長が村人に指示を飛ばしているのを横目に身体強化・風を使い、見張り台を駆け上る。


黒い景色が色付き霧立ち上る森の中、樹々の揺れがこちらに向かってきていた。

引っこ抜かれたように木が倒れ、道が出来ている。

あのスピードだと数十分で村に着くだろう。

グリュイの言った通り、香炉を仕掛けてから三日で屍が起きる事になった。

時間までは読めないと言っていたが、明けていないとはいえ夜は終わりかけている。

暗がりの中で戦闘になれば、被害が増していたかもしれない。

松明を入れる篝籠かがりかごを南側に多めに持ってきていたが、使う必要は無さそうだ。


目覚めた屍は本能と恨みで動く。

簡単に言えば凶暴化する。

そして、手近なものから襲っていくのだ。

村人の足跡や匂いが滲み込んだ村と洞窟の道。

それを辿って村まで直進してくるとグリュイは宣言していた。

まさに今その通りの事が起っている。


日が昇るにつれ霧が薄れていく。

まるで森の中に吸い込まれて行くようだ。

奇妙な光景を見て、俺はグリュイを探した。

グリュイは慌ただしく駆け回る村人達を、頭の後ろで手を組みながら見ていた。


「あいつは暇そうに何やってんだ」


俺は悪態をつき、見張り台を滑り降りた。


駆け寄った俺をグリュイは欠伸をしながら迎える。


「今の状況分かってんのかよ」

「僕が戦闘向きじゃないって分かってるでしょ」

「だからって、外に出て来て暇をアピールしてんじゃねえよ」

「はいはい、人目の付かない所に隠れておくよ」


グリュイはひらひらと手を振って村長の家に入っていく。

こいつは全然気にしてないな。

俺は溜息をつき、家に消えていくグリュイを呆れながら見送った。

いや、見送ってどうする。

俺はグリュイを怒りに来たんじゃなくて、異変を聞きに来たんだ。


「ちょっと待った! 霧の動きが変なんだが何か知らないか」


一旦家に消えたグリュイがひょっこりと仮面を見せる。


「ああ、それ。まだ屍が起きてから時間が経ってないからね。体がちゃんと出来てないんでしょ」

「どういう事だよ」

「生まれたての屍はね、体を作る為に周りから色々と吸収する必要があるの。その過程で気の流れが出来ているんでしょ」


グリュイは言い慣れた口調で、体が作られていく過程を説明していく。

殆ど言っている意味が分からなかったが、グリュイからしたら何度も受けた質問なのだろう。

そして、説明された後の顔も何度も見ているようだった。

成程なと切り上げた俺を気にした素振りも見せない。


難しい事は置いといて、魔物達は体を形作りながら、こちらへ向かってきている事になる。

木の倒れ方が可笑しく見えたのは、吸収されていたからか。

骨から動いて他者を襲えるまでの時間を思えば、恐るべき復元力だと分かるだろう。


「魔物にも見つからないように、ちゃんと隠れとけよ」

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


お気楽な声を背に、俺は南の高台へ足を向けた。


高台に登った俺は、痺猿の金切り声に森の中を凝視する。

高台にはすでに村人が配置についている。

その中にはシュロさんやクメギといった狩人以外の姿もあった。

モフモフ達も塀にしがみ付き、外の様子を伺っている。

しがみ付きながらどう戦うのかは分からないが、何とかなるだろう。


南側は塀を作る時に木を切り取っている。

村の塀と森の間に僅かに見渡しの良い空間があるのだ。

俺は用意していた石を片手に痺猿の姿を探す。

ボス猿の為に魔力は出来るだけ残しておきたい。

身体体強化の効果で筋力は少し増している。

何発か当てれば痺猿を倒せるだろう。


森が騒めき、霧を割って一匹の痺猿が姿を現した。

まだ体が出来上がっていないのか、霧を纏っている。

姿を現した一匹が短く鳴くと、次々に痺猿が森から飛び出してきた。

ある痺猿は片腕が無く、ある痺猿は顔の半分が霧で隠れている。

まだ体が出来上がっていないのだ。

それでも村を襲おうと森を抜けてくるのは知能が低いからではない。

死ぬ程の痛みを負わせた人間に対しての恨みが強いのだ。

この痺猿達は引くことを知らないだろう。

ただ死へ引き摺っていく事を望んでいるのだ。

こんなものをいとも容易く作り出せるグリュイに背筋が冷える。


「痺猿が近づいて来るぞ!」


高台の誰かが叫び、緊張が高まった。

森を抜けた痺猿がじりじりと近づいてくる。


「まだ引き付けるんだ!」


シュロさんの声が響き、皆が合図を待つ。

痺猿は体の完成を待たず、柵へと迫って来ている。

そして、痺猿が出来上がった腕を柵に掛けた時、シュロの号令が飛ぶ。


「今だ!」


柵を乗り越えようとする痺猿の群れに、石の雨が降りかかった。

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