ACT.4 疾風勁草(疾風とLa-7)

 〇このお話に登場する飛行機(運用者・開発者)


 ・四式戦闘機「疾風」(日本陸軍・中島)

 隼の上昇、鍾馗の据わり、飛燕の武装、全てを手に入れた結果、低質燃料・オイルでは駄々を捏ねるハイスペックお嬢様に仕上がった。ほぼ試作だけの武装強化型は乙・丙と立派な型式があるのに、翼内砲を廃した特攻機型は一定数造られたにもかかわらず名前がない。案外米軍機に味方認定される誤認ケースが多い。遠目にはP-47に見えるようだ。


 ・九八式直接協同偵察機(日本陸軍・立川)

 小さくて風防の高い固定脚という可愛らしい見かけの飛行機。それでいて視界、軽快、防弾の三点が揃っている。地上部隊のためなら対地も空戦もこなす万能機。ただし固定武装は7.7㎜1挺、エンジンは510馬力。後退翼のせいで低速では翼端失速の気があるものの、取り回しの良さから姉妹機の九九式高練が生み出された。


 ・百式司令部偵察機(日本陸軍・三菱)

 武装司偵型の三型乙は繭型キャノピーをやめて20mm機関砲2門を装備した。外形は二型以前に近づいたが、風防のデザインは非同一。脚と防弾の弱さはともかく、機体構造が脆弱だから空戦はできないという論には思い込み説もある。


 ・一式戦闘機「隼」(日本陸軍・中島)

 三型では水メタノール噴射付きのハ115でブースト圧上限を高め、加えて単排気管で速度アップを図った最終型。そのスピードは五式戦のカタログスペックに迫る。中島は疾風の生産に集中しなければならなかったため、隼三型の生産は立川が請け負って1000機以上を送り出した。


 ・二式複座戦闘機「屠龍」(日本陸軍・川崎)

 大口径砲をぶっ放す防空戦闘機としての夜の活躍が花形だが、対ソ戦以前から襲撃機としても戦果を挙げている。同じ37㎜装備でも乙型は戦車砲(94式)、丙・丁型は航空機関砲(ホ203)であり、後者は弾頭重量と初速がやや減じた代わりに発射速度で圧倒している。もし満州に乙型が残っていたなら最後に戦車を追い回せて本望だっただろう。ただしT-34やISを相手に貫通弾を出せるのかはわからない。

 

 ・La-7(ソ連陸軍/海軍・ラボーチキン)

 傑作La-5FNの細部を手直ししてすっきりさせた完成形。ドイツの二大戦闘機を圧倒(おそらく垂直機動以外では)したらしいが、実際には、左右のスラットの同期が不完全のため250~300km/hの旋回で姿勢が崩れ、特に高速時の縦安定性が悪く、コクピットに排気ガスが充満して灼熱地獄になり、かといって飛行中にキャノピーを開くとなかなか閉まらない、というパイロットを疲労に追い込むアイアンメイデンのような飛行機でもあった。木製だけど。


 ・Tu-2(ソ連陸軍/海軍・ツポレフ)

 Pe-2の後継機。飛行安定性が段違いによく、防弾性能も高い。それでいて速度を犠牲にしていない。降爆もこなすほか、軒並み足の短い戦闘機に代わって遠方の偵察に重宝した。もちろん偵察型は山のようにカメラを積んでいる。


 ・Pe-2(ソ連陸軍/海軍・ペトリャコフ)

 いわゆるソ連の軽爆。快速快速というが重戦闘機と捉えればさほどでもない。モスキートにも似てないし。翼面荷重が200kg/m近いため着速が速く、主脚のダンパーの硬さもあってバルーニングを生じやすかった。偵察専用型は少数生産に留まり、軽爆型も偵察用のカメラ架を備えることから、戦闘機同様、専ら兼用だったのだろう。


 ・Il-2(ソ連陸軍/海軍・イリューシン)

 言わずもがなのシュトルモビーク。MiG-3からエンジンの生産ラインを奪って栄転した、いかにもソ連的な英雄機。43年以降、HEAT子弾をコンテナに詰め込んだPTABを霞網のように投下してドイツ戦車を屠りまくった。対日戦では海軍所属機が防御機銃で九七式飛行艇を撃墜したレアケースがある。


 ・Yak-9(ソ連陸軍/海軍・ヤコブレフ)

 実は疾風と同じ名前を持つ戦闘機。連合軍/NATOコードネームがともに「フランク」。Yak-3も含めた型式のややこしさは飛燕並み。対日戦にはエンジンをVK-107(1500馬力)にしたYak-9Uの装備部隊も参加している。U型をLa-7と比べると出力は一回り小さく、機体規模もほんの少しだけ小さい。最高速や翼面荷重はほぼ互角なので、Uの方がすばしこい印象になりそう。Yak-7の構造簡略化による不具合解消で制式化に至ったYak-9の生い立ち、およびLa-7の評価を考えると取り回しではヤクに軍配が上がるだろう。

 





(以下本文、23000字程度)

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 一九四五年八月八日、ソ連、対日宣戦布告、翌九日零時、東西及び北方より三個方面軍を以てソ満・蒙満国境を越えて満州に進攻、わずか一週間の戦闘で首都・新京(長春)に迫り、二〇日には占領に至る。

 この間満州西部で毎日一〇〇キロに達する進撃を続けたザバイカル方面軍(兵員六五万名、火砲一万門、戦車・自走砲二四〇〇両、航空機一三〇〇機)に対し、たった一〇〇機で抵抗する陸軍航空部隊の中核となった飛行戦隊があった。


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 座席をいっぱいまで下げ、対地高度約六〇〇メートルから緩降下。OPL照準器に入ったT‐34の背中がみるみる大きくなっていく。

 砲塔の上で戦車兵が車載機銃をこちらに向けている。銃口がテルミットの火のようにばちばちと燃えている。そこから撃ち出された光の矢はまっすぐこちらに向かってきて、目の前で風圧の壁にぶつかったようになって逸れていく。不思議なものだ。

 周囲の車両からも無数の火線が走ってきて目の前で交差する。そして何発かは機体に跳ねてがつんがつんと衝撃を響かせる。辺りは射撃の騒音で満ちているが、被弾の音は全く質が違う。被弾の衝撃は背中に来る。檻の中に閉じ込められたような気分になるほど激しい対空砲火だった。こればかりは何度やっても恐い。心臓を冷たい手で握られたように息が詰まる。呑まれてはだめだ。腹に力を込めて操縦桿を引き、左手でガスレバーの爆弾投下ボタンを探る。

 ピッチアップ、投下。機体がわずかに浮き上がる。

 振り返る。単縦陣で続く二番機の鴻上機が主翼の下から一対の「タ弾」を落とす。爆弾のコンテナはすぐに弾け、中から飛び出した子弾が鋼鉄のシャワーになってT‐34に降り注ぐ。着発信管によって弾頭の成形炸薬(HEAT)が炸裂、T‐34の上面を貫く。車体にいくつか赤い斑点が見えた。その中の一つから火が噴き出す。一瞬後には全体に火が回っていた。操縦席から慌てて一人車外に逃げ出すのが見えた。そのT−34の前方にもエンジンルームから黒煙を噴き上げる同型車が一両いる。私の獲物だろう。分隊で二両、堅実な戦果だ。

 超低空で車列から離れる。まっすぐ飛んでいてはいい的だからペダルを少しだけ右に踏み込んで機体を滑らせる。が、それでも背中の防弾鋼板に敵弾の跳ねる衝撃が聞こえた。座席を下げたのは鋼板の陰にすっぽり体を収めるためだ。機体構造自体一式戦や二単より頑丈なこの四式戦、そう簡単には墜ちない。鴻上も無事に離脱して戦闘編隊の位置についた。

 周りにはひたすら平原が広がっている。西に横たわる大興安嶺山脈は大気が曇っていて実際より遠く巨大に見える。

 今回の出撃で八機の戦隊機はいずれも「タ弾」を抱えていた。装甲の厚い戦車には機関砲でも効き目がないし、通常爆弾も直撃、あるいは至近距離で炸裂させなければ損傷させられない。その点、霞網のように「面」で狙うことができ、かつ装甲貫通力のあるタ弾は今のところ我々が使用しうる最良の対地攻撃手段だった。ただ一機に携行できるのが二発、それも一度で落としてしまうから、敵に痛手を与えるためには基地と戦場を往復して何度も反復攻撃を行わなければならない。今日の襲撃もこれで二度目だった。

 右旋回反転。再び敵車列の後方に回り込んで機銃掃射を仕掛ける。非装甲の対空車両やトラックを狙う。二〇ミリ機関砲の装弾数は各門一五〇発。発射速度は毎分七五〇発だから発射ボタンを押し続けていればたかが十二秒で撃ち切ってしまう。できるだけ多くの車両を仕留めるために、狙撃のつもりでよく狙って一瞬だけボタンを押す。撃ち終わるごとに首を巡らせて上空に目を配る。

 やがて二〇ミリ弾が尽きたので再び離脱して迂回上昇、敵の上に戻った。そのまま上昇するともろに敵の砲火に晒されることになるから、まずは低空で離脱しなければいけない。

 旋回しつつ小隊長・新保大尉の分隊を待つ。機の損傷を確認しようと思って自分の左翼を見ると、ちょうど国籍マークの日の丸に腕がすっぽり通りそうなほどの大穴が開いていた。残った外板が風圧でフラッターを起こしている。二〇ミリ榴弾だろう。桁に当たっていたら翼端が飛んでいたかもしれない。

 四式戦二機が近づいてきて旋回に加わる。新保分隊も上手くやったようだ。

 今度は今まで直掩に残っていた第三小隊の四機が降下してタ弾を投下、地面にわっと砂煙が上がる。幸い敵襲はない。敵地上戦力の撃滅とこちらの戦力温存のため、敵戦闘機部隊との積極的な交戦は行っていない。作戦機の保有機数をとってもソ連軍は予想一五〇〇機以上。それに対して我々関東軍第二航空団隷下の作戦機はわずかに一〇〇機前後。実戦部隊の戦闘機に至っては一個戦隊、一個独飛中隊の約五〇機。できるだけ消耗を避けて戦い続けなければならない。上空直掩の途切れるタイミングを狙って空き巣のように襲撃を済ませる。

 第三小隊が離脱。我々第二小隊も基地に機首を向けようとしたが、おかしなことに敵の対空砲火が止まない。我々はすでに射程外のはずだが……。

 ハーフロール、背面。肩にベルトが食い込む。

 鴻上機も私に合わせて背面。やや距離が開くがそれでも上手く高度を保っている。

 火線の集中する先を注視。

 地面を滑る影を先に見つけた。それで当たりをつけて影の主を探す。低空に機影、翼に日の丸、後退翼。九八式直協だろう。いつの間にか戦闘に混じっていたようだ。よく見ると四機飛んでいた。蜂のように低速でくるくると回りながら小さな爆弾をぽんぽん投下している。狙いはトラックなどのソフトスキン。時折前方機銃や後方旋回機銃が光る。我々四式戦が騎兵突撃をかけたのだとすれば、九八式直協は剣豪のように敵中で大立ち回りを演じていた。

 正立に戻して送話のスイッチを入れる。

「小隊長、味方直協がまだ攻撃をかけています。援護に残りましょう」

「よし、そうしよう」新保大尉はそう答えてややスロットルを開き、下方が見えるようにバンク角を深くとって旋回を始めた。新保大尉は周りとあまり波風を立てようとしないタイプで、あるいは戦闘にあまり自信がないのかもしれないが、私の提案や助言に対して言い返すことは稀だった。御しやすい上官である、と評して差し支えないだろう。

 その直後だ。改めて赤白い地面を見下ろした時、九八式直協がやけに速度を出して飛んでいるな、と思った。だがそれは味方機ではなかった。確かに空冷の単発機ではあるものの、主翼に国籍マークがない。ソ連機は基本的に上面標識をしていないのだ。だいたい平面形も独特だった。ソ連製戦闘機に共通のテーパーの強い主翼はどことなく有機的で、翼というよりも長い鰭と表現した方がしっくりくる。

 私は唯一後方にいた鴻上に対してついてくるようさっと合図を出し、すかさず降下に入った。ほぼ垂直。カウルフラップを閉じてガスレバーを一杯まで押し込む。高度計は左に、速度計は右に回る。速度は軽く七〇〇キロを超えた。P‐47にも追い縋る四式戦のダイブから逃げられるか?

 敵機は四機の緩い編隊、狙いは当然九八式直協だろう。私は操縦桿の引き金を引いて機首機銃を撃った。敵への牽制であり、味方への警告だった。 

 敵はすぐこちらに気づいて攻撃を諦めた。左に九〇度ロール。主翼が消滅したような素早さだった。グレーの機体にくっきりと赤い星が見える。胴体と尾翼に一つずつ。上面に比べてやけに主張が激しい。揚力のベクトルが変わった機体は弾かれたように曲がっていく。当然こちらの腹側に向かっていく。

 私はバレルロールで降下方向を反転させ機首を合わせる。操縦性は素直な四式戦だがこの高速だとやはりピッチが重い。このままの角度で一〇〇〇メートル以下に突っ込むのは危ない。

 敵編隊は砂煙を巻き上げるほどの低空で離脱を図っている。その様はまるで魚雷の航跡のようだった。

 機首上げ。ボンネットの縁に足をかけて全身で操縦桿を引く。腹に力を入れ、呼吸を止めてGに耐える。水平まで引いて機首下げ、マイナスGで頭に血液を送り返す。

 振り返る。鴻上は一五〇メートルほど後方にきちんとついている。

 敵機は前方、約八〇〇メートル。まだ撃つには遠い。ロールと引き上げでかなり削がれたが、こちらは時速六五〇キロ。地表高度でこれだけの速度を出せる戦闘機はない。次第に敵に近づいていく――。

 そのはずだった。しかし降下で得た速度がなくなって六〇〇キロを切る頃になると逆に距離が開き始めた。敵の方が速い。こちらはエンジンも過熱している。筒温は二二〇度を超えていた。再度機銃で牽制するが、敵は回避機動を取らない。速度を削ぐのがこちらの狙いだとわかっているのだ。

 これ以上は追えない。だめだ。

 カウルフラップを開いて上昇に移る。戻ってくるかと思ったが、敵の編隊はまっすぐ離脱していった。

 上を見ると新保分隊はまだ旋回を続けている。それは敵の増援がなかったということを意味していた。本当に四機だけだったようだ。だとしたら帰りの駄賃のようなつもりで九八式直協を狙ったのだろう。哨戒か、爆撃機の護衛かわからないが、たまたま近くを通っただけで、地上部隊の支援がメインではない。それならもっと大軍勢で来るはずだ。

 敵機が本当に戻ってこないのを確認して基地の方角、南南西に機首を向ける。九八式直協が四機揃って高度一〇〇〇メートルを南に向かって飛んでいた。中支から派遣されてきた部隊らしく、グレーに緑色の虎柄迷彩は満州の地面にはあまり馴染まない。どの機も重い損傷はなさそうだ。直協は空戦も考慮した飛行機で運動性も高いが、本職の戦闘機に一撃離脱をかけられれば無事で済むはずがない。我々が残っていて幸運だった。

 互いに翼を振って別れ、我々二機はさらに上昇して約四〇〇〇メートルで新保分隊に合流した。

 四機揃う。南に針路をとって基地を目指す。空は快晴、空気は冷たいが夏の日差しは容赦なく降り注ぐ。左翼を見ると大穴の周りの外板はさっきの急降下ですっかり剥がれて、ある意味では綺麗になっていた。

「笹川、敵機種、わかるか?」新保大尉が無線で訊いた。

 私はさっき追った敵機の姿を思い出した。機首が太かった。ソ連の単発機で空冷エンジンを積んでいるのはラボーチキン戦闘機だけだ。舵の効きが早く、低空での加速・最高速性能は四式戦以上だった。私は実感としての性能も交えて質問に答えた。

「グレーの二色迷彩でしたが、編隊長機は尾翼を白く塗っていました。確か、機番は……そう、22だった」


 途中、味方の双発機が白い雲を引きながら上空を高速で我々を追い抜いていった。百式司偵だろう。速度差は百キロ近くありそうだった。いくら足の速い百式でも水平飛行ではない。降下加速だろう。敵状は刻々と変化しているし、偵察機も員数不足だからとにかく大急ぎで飛び回らなければならないらしい。

 やがて山間の開けた渓谷の底に赤峰飛行場が見えてくる。満州西部、砂地の山肌は尾根と谷の線でくっきりと黒い影のコントラストに区切られ、日差しを受けた面はみかん色に染まっている。砂埃で大気全体が暖色に霞んで見える。それが赤峰の景色だった。上空に太陽光を反射する点が二つ。飛行場直掩の一式戦だ。我々の離着陸を見守るために飛んでいる。指揮所の横に白い布版。着陸よしの合図だった。滑走路上空で一番機から順番に旋回して間隔の広い単縦陣の着陸態勢をとる。

 旋回しながら下を見ると先ほどの司偵が砂煙を上げながら離陸していくところだった。新京に帰るのか、あるいは他の飛行場をハシゴするのかもしれない。猛然と砂煙を巻き上げて向こうへ飛び去っていく。繭型の胴体が滑らかに太陽を反射する。機体は赤褐色の塗装のようだが、大気の霞のせいで余計に赤く見えた。飛行場のエプロンにはアラートの一式戦二機が残る。それだけだ。先に帰った第三小隊の四機はすでに掩体に引き込まれたようだ。もともと可動から外れている機体も何機か掩体に入っているが、あとは襲撃のために出払っている。

 第三旋回でフラップと脚を下ろす。被弾のせいかやや左傾していたが無事に着地できた。

「情報、敵偵察機、通遼より西進中。高度四〇〇〇」滑走中、飛行場の指揮所から電話が入った。戦隊長の声だ。「新保小隊、補給後ただちに発進されたし」

 準備線まで走らせて機体を回す。さっそく機付きの板坂上等兵が翼によじ登ってくる。

「おかえりなさい、ケガはありませんか」と訊いた。

「俺は大丈夫だよ。ただ機体はかなり銃弾を浴びてしまった」

「すぐに直します」

「その前に二〇ミリと燃料の補給を早く。エンジンに弾が当たってないか一応確認してくれ」私は板坂の耳に寄せて大声で言った。すぐに離陸したいからエンジンは止めない。プロペラピッチを浅くして風を抑える。爆音もやや小さくなる。

 我々の着陸が済むや否や列線で待機していた一式戦二機が飛び出して滑走路を横切るように離陸していく。三型特有の単排気管がアフターファイアでバチバチと光る。ほんの数十メートルで砂煙が止み、ふわりと浮き上がった一式戦は滑走路の軸線に合わせながら低空で速度を上げ、ほとんど小さな十字にしか見えないような距離になってから急角度で上昇を始めた。

 私は右の主翼の上に出て機関砲の点検口を開き、弾帯を担いできた機付員から受け取って砲の機関部に差し込む。その間に鴻上機が停止位置についたので地面に降りて指揮所まで走り、小隊四人揃って戦果を報告する。合わせて戦車三両、その他車両二十七両を仕留めた。うち我々分隊で二両と十五両だ。

 コクピットに戻って給油を待ちながら、胴体の中を覗き込んで操縦索が損傷していないか確かめる。撃たれた破孔から光が差し込んで洞窟のように光の柱ができていた。

 それから私は航空図を開いて敵の偵察機がどんなコースで飛んでいるのか予想を立てた。

「こちら笹川、迎撃の隼の針路知らせられたし」私は戦闘指揮所を呼び出した。

 三十秒ほどあって返事が来た。

「小塩分隊、針路〇〇五」

 フィレットの後ろで板坂が準備よしのサイン。編隊で離陸したいので鴻上機を待とうと思ったが、見るとプロペラが止まっていた。さっきの襲撃でエンジン回りに被弾したのだろうか。仕方ない。一人で行こう。私はピッチを最高に戻し、ガスレバーを押し込んで周囲を確認しながら滑走路に躍り出た。四式戦は一式銭ほど軽く上がらない。滑走路をまっすぐ使ってじわりと尾部を上げ、操縦桿を右に倒し、右のペダルを踏んでトルクによる左傾を抑える。左翼の損傷の分やや大きく舵を切る。速度を稼いで地面から足を離す。振動が消えたその瞬間に配電盤のトグルを切り替えて脚を仕舞う。

 北北西に一五分、一〇〇キロほど戻ってシラムレン川上空五〇〇〇メートルで哨戒。三〇分ほど待って、どれだけ目を凝らしても機影を見つけられなかったので帰還する。

 ソ連軍航空部隊の中で我々が最も頻繁に遭遇するのが偵察機だった。敵はこちらの地上部隊の動向を探るとともに主要都市、飛行場に対してもかなり綿密な情報収集を試みている。前線だとヤク戦闘機やラボーチキン戦闘機、あるいはIL‐2襲撃機が低高度で進入してくることもあるが、五〇〇キロ以上の長距離進出となると大抵はPe‐2かTu‐2が高度三〇〇〇メートル程度で突っ込んでくる。どちらもベースは爆撃機だが、偵察型はカメラを積んでいるらしい。

 つい一昨日も奉天に向かうTu‐2を迎え撃った。太陽を背にして静かに忍び寄り、敵が気づいた時にはすでに距離七〇〇メートル、緩降下で逃げようとしたが、我々は前上方から急降下、私の攻撃で左のエンジンから黒煙を噴き、続く鴻上機の攻撃で双尾翼の左側が吹っ飛んだ。それでかなりバランスを崩したものの、黒煙の尾を長く引きながら飛び去っていった。頑丈な飛行機だ。私たちもこの日の主任務は例によって機甲部隊の攻撃だったし、まだ往路で爆弾を抱えたままだったので深追いはしなかった。帰路だったらすぐに反転してもう一撃くらいはできたかもしれない。

 ほとんどタッチ・アンド・ゴーのように穴だらけのままの機体で飛び立って以来、結局新保分隊とは合流できなかったが、基地に向かっていると前方に一式戦二機が見えてきた。先にスクランブルしていった小塩分隊だ。見たところぴんぴんしている。会敵できなかったのだろうか。翼を振って三番機の位置で編隊を組む。

「見つからなかったのか」私は電話を送話に切り替えて訊いた。小塩は私の同期だ。気心も知れている。

「いや、いたよ。しかし先に気づかれてな、高度も取っていなかったんで離される一方だった」

「ツポレフか」

「いや、ペトリャコフだな。液冷の方だよ」

 ドイツ降伏以降、極東ソ連軍の活発化を見て戦隊で用意したソ連機識別用の写真集があるのだが、Pe‐2とTu‐2はとてもよく似ている。どちらも双発双垂直尾翼で機体規模もほぼ同じ。主翼の平面形、機首の形なども似通っている。Tu‐2の方は背中に銃座があるのだが、それもぱっと見ではわからない。Pe‐2は液冷、Tu‐2は空冷なのでナセルの太さで見分けるのがほとんど唯一の方法だった。爆撃機だけではない。戦闘機もどれも同じような主翼をしているので戦隊員はソ連機の識別には苦労している。

 しかし、通遼か。じきに進攻するつもりだから偵察するのだろう。ソ軍の進撃は速い。ほとんど洪水のように満州を襲っている。今日我々が襲撃をかけた地点は蒙満国境―新京約五〇〇キロの中間よりまだ西側だった。だが通遼に到達すれば新京はもう目の前だ。


 再び赤峰飛行場。着陸して準備線まで走ると先ほどの板坂に代わって鴻上が主翼によじ登ってきた。

「ご無事で」と鴻上。

「敵は見つからなかったよ。空振りだった」と私は飛行帽を取りながら返す。今度はすでにエンジンを止めてあるので声が通る。「それで、さっきはどうした。オイル漏れか」

「オイルクーラーの配線をやられたんです。それでシャッターが開かなくなっていた」

「直せそうか」

「はい。もう少し回していたらエンジンが焼き付いていたかもしれない」

「そうか、危なかったな」

「すみません」

「気にするなよ。まず命あること、次に機体が無事であること。でないと戦えないからな。戦果は三番目だ」私はそう言って額の汗を拭った。自分で言ったことだが妙に説教臭かった。「それにしても、今日の襲撃は上出来だったよ。あの急降下でもきちんと俺についてきたし、タ弾の狙いもよかった。もうだいぶ慣れたな?」

「いえ、まだまだ目を開けておくので精一杯です」

「それであれだけ突っ込めれば上出来だよ」

 鴻上は少し嬉しそうに頬を緩ませて自分の機の方へ戻っていった。鴻上軍曹は少年飛行兵一四期。私の八期後輩にあたる。戦隊への配属は去年の暮れ、以降実戦参加の機会がほぼなかったせいで咄嗟の判断や空戦技能はまだまだだが、センスは悪くない。

 私は主翼の端で陰の中に入ってマフラーで飛行服の中の汗を拭った。水筒の中の水を飲み干す。八月中旬、やはり地上の空気は熱い。しばらく涼んでいると板坂が呼びにきた。

「班長、二四発です」と板坂。被弾数の話だ。

「そうか、もう少し食らっていたような気もするけどな」掠っただけだと音は聞こえても弾創は残らない。板坂は貫通孔を数えているのだから、二四発と聞いて私が少ないと感じるのは当然だった。

「一番危なかったのはこいつです」板坂は無線機の点検口に腕を入れて防弾鋼板の端を指差した。

 私も点検口に頭を突っ込んで中を見る。鋼板の角に銃弾のめり込んだ痕があった。

「もう少し角度が悪かったら抜けてますよ。肩か脇腹に当たっていたでしょう」

「機体の方はどうだ。急所に当たってなかったか」

「ええ。エルロンのヒンジに近いのが一発ありましたけど、班長ならエルロンの片方くらい飛んでも綽々で帰ってくるでしょう」

 相手が歳下だったら「この野郎」とでも言ってゲンコで突っ込みを入れているところだろう。しかし板坂上等兵は階級が下とはいえ歳は一回り上だった。

「これだけの穴だと、飛ぶのも結構しんどかったんじゃありませんか」板坂は主翼の穴の下に立って言った。

「かなり左に傾いたよ。だから敵を待っている間は左旋回していた。勝手にそうなるんだから、手放しで飛んでたよ」私は頭の後ろで手を組んだ。

 板坂は「はっはっはっ」とシュールそうに大笑いしながら穴の回りに残った外板のボロをむしり取った。とんだ怪力である。

 日陰の外に出て自分の四式戦をぐるりと眺める。暗褐色の胴体後部に弾痕が四つ、空集合記号“∅“に似た一〇四戦隊のマークが描かれた垂直尾翼に一つ。機首周りには全然ない。

 それから機を掩体まで押していくというので私も加わった。四式戦は全備で一式戦より一トン近く重いのでとにかく人手がいる。とはいえ整備員も頭数がない。赤峰進出に当たって鞍山の整備員を全部連れてくることなどできるわけがなくて、もともと一機四人ほどついているところを一機一人、あるいは一人二機という具合で、戦闘機の後部胴体に同乗してもらって移動するのだ。だからパイロットができることは整備員の仕事でも手伝うのが道理だった。

 機体の修復ばかりは板坂に任せて宿舎で顔を洗って着替え、一眠りして夕食の高粱飯とかぶの葉の味噌汁を厨房に貰いに行く。

 そこで新保大尉に鉢合わせたので訊いてみると、離陸後に無線の調子が悪くなって私がどこへ飛んでいったのか見当がつかなくなってしまったのだという。同じくシラムレン川の上空に二機で留まって一時間ほど網を張っていたのだが、なにも見つけられなかったので帰ってきたそうだ。私が寝ている間に帰還・着陸したことになるだろうか。単独行動を咎められるのではないかと思っていたので、むしろ決まりの悪そうな新保大尉の態度は拍子抜けだった。


 日没間際に準備線に出ていくと私の四式戦は補修が終わっていた。板坂が剥がした主翼の外板はピタリと同じサイズのパネルで塞がれている。パネルの塗装はほとんど剥げているが、日の丸は上から塗ってある。至って綺麗な仕上がりだ。小さな穴も絆創膏のような小さな金属板で塞いで溶接した上に研磨してある。外板の上から当てる以上、空気抵抗になってしまうのは仕方ないが、整備員の心遣いが嬉しい。ツギハギの素材になっているのは大抵の場合損傷で用廃になった他の飛行機で、赤峰に進出してきてまだ二日だというのにすでに何機か駄目にしている。戦闘による被害よりも運用上のミスによる損失で、着陸後に機体を回されて脚を折るとか、離陸前に衝突するとかいった事故によるものだ。どの飛行場、どの部隊にいても実戦になるとこういった事故が増える。赤峰ではまだ人的被害が出ていないのが幸いか。

「班長、今日のはT‐34でしょう?」板坂が斜め後ろに立っていた。

「ああ」私は振り返って頷く。

「一昨日より上手く描けたと思うんですがね」と板坂が四式戦の胴体後部左舷に近づいていくので、私も「どれどれ」と言ってついていった。

 日の丸の右上に撃墜マークが並んでいるのだが、見るとその下の列に赤い塗料で戦車のシルエットが一つ追加されていた。これで三個目になる。真ん中の一つはアメリカ製のM4シャーマン中戦車を模したものだが、左右はソ連自家製のT‐34を模したものだ。何しろ辺りが暗くなっているので遠目にはマークが増えていることに気づかなかった。

 東西の山並みを見ると日差しはわずかに山頂のあたりに残り、稜線の輪郭は金環日食のように真っ赤に輝いていた。それが全てアクリル画のようなくっきりとしたコントラストの中で生じている。赤峰のハゲ山はいかにも異国の景色だったが、その雄大さが私はさほど嫌いではなかった。


 私は指揮所に入ってソ連機の写真集を開いた。ラボーチキン戦闘機・La‐5はもともと液冷のLaGG‐3を空冷エンジンに換装した改修型であり、欧州戦線ではメッサーシュミットやフォッケウルフの最終型を相手に互角以上の性能を示したそうだ。ただ木製機ゆえに急降下の突っ込みには劣ると言われている。

 しかし変だ。側面写真を見るとLa‐5の機首上面にはオイルクーラーらしい膨らみがあるのだが、私が見た戦闘機の鼻っ面はまっすぐだった。あの側面形は目に焼き付いている。そういえば胴体後部も違う。写真だと完全なファストバックだが、記憶ではもう少しバブルに近い形状だった。そう考えると今日遭遇したのはLa‐5とは別のタイプ、あるいは後継機なのだろうか。

 私が思案していると小塩が指揮所に入ってきた。飛行服を着たままだった。緊急発進から戻ったあともアラートを続けていたのだ。彼は額の汗を袖で拭ってベンチに腰を下ろした。大の字になった、と言ってもいい。脚を伸ばしてくたくたになっていた。

 しめた、と私は思った。昨日、私の出撃中に敵の飛行場襲撃があったのだが、防空にあたっていた小塩の一式戦は敵機とやりあっている。私がラボーチキンを相手に強気に出られたのも今朝戦隊長からその戦訓を聞かされていたからだ。

「お、ずいぶん勉強熱心なやつがいるじゃないか」小塩は歌舞伎みたいにぐるぐる首を振りながら私に言った。

「小塩、昨日の迎撃でラボーチキンとあたったか?」と私。

「ラボー? 空冷のやつか」

「そうだ」

「ああ、やったやった。墜としちゃいないが。あれはアメちゃんの戦闘機より低空ではずっと機敏だよ。おまけに速い。縦旋回なんかついていったら一発で後ろにつかれちゃうよ」

「加速もいい」

「うん。結構ぐるぐる回ってたんだが、始終奴さんの方が優速だったからな。ただあんまり積極的な戦い方ではなかったな。イリューシンがしっぽり飛行場をやってる間こっちを釘付けにしておければいいんだってくらいのもんだったよ」

「尾翼が白いのがいたか?」

「いたね。うん、いたいた。そいつが上手かった」

「なるほど」

「ふうん、そういう訊き方をするってことは、出くわしたんだな?」

「そう、出くわした」

 私はそこで写真集を閉じて今日の戦闘の顛末を彼に聞かせてやった。

 ともかく、実際問題は遭遇した時にどう戦うかである。私は宿舎に向かって歩きながら考えた。急降下なら四式戦に分があるが、低空に下りれば機動性と加速性は相手が勝る。ラボーチキンの低空性能が過給機のセッティングによるものなのだとすれば、高度は三〇〇〇メートル以上に保って戦うべきだろう。中高度での旋回や加速はどうだろう。こちらが不利になれば急降下で一時は引き離せるが、深追いしてくれば食いつかれる恐れもある。急降下からの緩い上昇ではどうだろう。木製機は強度を出すために金属製機よりも重量がかさむ傾向にある。上昇力はさほどではないかもしれない。

「鴻上、あの戦闘機に勝つためにはどう戦えばいいだろうか」私は訊いた。私たちの分隊は宿舎でも隣同士に寝床を構えていた。下士官同士の分隊であればそれは全然普通のことだった。

「何より高度優位を維持することが肝要だと思います。敵を下にして急降下、急上昇で連撃をかければ、敵は低空に下りて逃げるほかありません。たとえ上昇に食いついてきたとしても、我々のうち一機が攻撃をかけて、一機が上空で待機していれば、その無防備なところを狙うことができます」

「なるほど。相手が一機なら、確かに勝てそうだ」

「相手も二機なら、やはり、こちらの二機目の後ろにつくでしょうか」

「うん。だから、速度に気を付けなければ食われるな。敵の正面に出てはいけない」

「はい」

「同高度の旋回戦にもつれ込んだらどうする?」

「敵の旋回性能がわからないので、危険だと思います」

「そう。やはり優位で戦うことだな。墜とされないためにはそれしかない」

 一撃離脱を徹底し旋回戦はできるだけ避ける。鴻上の答えは分隊戦闘の規範通りだったが、規範通りに戦うのが一番有利で安全なのだ。ただし、状況がそれを許す限りにおいて、だ。敵のパイロットたちの多くはすでに欧州戦線であの優秀なドイツ空軍と渡り合っているのだろう。生半可なセンスでは生き残れない。勘も鍛えられているはずだ。たとえ同じ機体に乗って戦うのだとしても我々に対して互角以上の実力を示してくるに違いない。正面切って戦えと言われれば俺だって少しは緊張するさ。私はそう思ったが鴻上には言わなかった。必要以上の不安を煽るのは得策ではない。


 その日は敵襲の知らせもなく、比較的穏やかな夜になった。明日もまたタ弾攻撃だろう。そう思いながら眠りについた。

 だが早朝、「情報、敵戦爆連合編隊白城子方面に向かう」の一報に叩き起こされた。いや、実際には当番兵の鳴らす鐘の音で目が覚めたのだが。

 飛び込むように飛行服に着替え、襟ぐりから吹き上がってくる汗の臭いに耐えながら掩体に走る。既に機付き二人がエンジンの始動にかかっていた。一人がエンジンの下でイナーシャ(慣性起動器)を回し、一人が操縦席で点火スイッチを回している。イナーシャの甲高いサイレンのような音が私は好きだ。クラッチを接するとその音が低くなってプロペラがぎくしゃく回り出す。そこですかさずプラグを点火してエンジンに火を入れるのだ。私が手伝うまでもなくハ45は自力運転を始める。離昇二〇〇〇馬力の爆音は前世代のどんなエンジンとも一味違う。極めて暴力的で、耳を塞がずにいれば音圧そのものが鼓膜を食い破ろうとしてくる。

 私は板坂と入れ替わりに操縦席に入ってベルトを締め、互いに肩を叩き合って離れる。舵とフラップの動作を確かめ、誘導路を走りながら電話で指揮所を呼び出して感・明を確かめる。

 滑走路に出るととても整列などとはお世辞にも言えない状態で、各機互いを斜めに見ながらひしめき合っている。前方の機体が走り出して、自分の主翼の幅がきっちり空いているのを確認できれば発進よし。いちいち指揮所の合図など待っていられない。先行機の巻き上げた砂煙を突き抜けるようにして離陸する。

「情報、敵編隊転針、通遼方面に向かう」指揮所から追加の情報が流れてくる。

 高度四〇〇〇で北西に向かって巡航で飛びながら、全速で追いついてきた味方を迎え入れて本来の小隊に並び直す。新保小隊は四機揃った。出動機は全て四式戦。その数二〇機。戦隊保有機の約半数だ。一個小隊四機、三個小隊からなる中隊三個に本部小隊と予備機を合わせて一個戦隊四〇機余りが定数であり、ソ連軍の宣戦までしばらく実戦から離れていた我々の戦隊は幸い装備機の充足を済ませていた。二個中隊から小隊五個を選抜した編隊はなかなか壮観なものた。暗褐色の塗装も比較的整っていたのだが、どの機もすでに複数回の地上襲撃を経て、私のように色の違う外板でパッチワークになっているものも多い。それがむしろゴロツキのような、一筋縄ではいかなそうな強者感を醸し出している。

 各機機銃・砲を試射。曳光弾が花火のように前方へ伸びていく。その後全機六〇〇〇まで上昇、シラムレン川(西遼河の支流)に沿って東に飛ぶ。完全な地平線の上に真っ青な太陽が現れ、天と地の境界を紫に、そして真っ赤に燃やしていく。次第に前方の地表が煙っているのが見えてくる。あれだけの軍勢を動かしているのはソ連軍に違いない。前線は日ごとに一〇〇キロ以上も動いていて、我々の赤峰飛行場などはもう敵の後方に取り残されてしまったようなものだ。敵戦爆編隊はその地上部隊の通遼攻略を支援するのだろう。通遼には味方の四四軍が防衛線を敷いているはずだが、戦力差があまりに大きすぎる。漸次後退しか手段がないだろう。

 敵編隊の機影より先に砲火の光が見えた。既に戦闘が始まっている。高射砲の炸裂する黒煙に加え、空中を渡る曳光弾の光も見える。あそこにはまだ味方がいる。案外地上軍も頑張っているじゃないか。

 戦闘空域上空に到達する。ソ連軍はIl‐2襲撃機を主体として西遼河沿岸の日本軍陣地に銃撃をかけていた。公主嶺から飛来した部隊だろう、味方の二式複戦(独立飛行第二五中隊)や四式戦(第一三錬成飛行隊)は護衛の戦闘機隊(Yak‐9)に東側で阻まれて襲撃機部隊に近づけずにいる。我々が背後を突く形となった。

 だが上空にはまだ敵の直掩隊が残っている。そこで我々は先行二個小隊で直掩を引きつけ、三個小隊で低空から接近して襲撃機に逆襲をかけることにする。新保小隊は制空組に入った。昨日の交戦が買われたのだろう。

 ほぼ同高度で空域の周りを遊弋していた百式司偵一機が我々に近づいてきて編隊の端についた。古風な機首に機関砲を突き出した武装司偵型だった。やはり褐色の塗装。

「独飛八一中隊、戸羽少尉です。第一撃のみですが、お供いたします」

 武装とはいえ司偵は司偵。防弾もないし、空戦のための機体強度もない。戦力にはなりたいが単機で突っ込むこともできずにうずうずしていたのだろう。八一中隊なら去年鞍山防空でB‐29を相手に共闘した仲だ。心強い。

「こちら新保、戸羽少尉、編隊後尾についてくれ」新保大尉はやや打ち解けた口調で答えた。普段より頼もしい印象の声だ。知人なのかもしれない。

「了解」

 武装司偵は少し左に滑って我々八機の背後に入る。百式司偵なら四式戦の足に後れを取ることもない。

 敵直掩隊の高度は約四〇〇〇。高度優位だが早朝に西から突っ込むので太陽の隠蔽は使えない。敵に降下で逃げられてしまっては台無しなので早めに降下増速をかけて同高度でエンゲージを狙う。

 こちらは八機、敵は一二機。二機で三機の相手をしなければならない。だが相手を誘うなら劣勢くらいでなければ。

 OPL照準器を点灯。斜め後方につく鴻上機を振り返る。戦闘編隊のやや開いた位置につけている。後上方を確認したあとゴーグルを外して汗を拭うのが見えた。緊張している。昨晩高位戦の重要性を語ったばかりなのに自ら同位戦を仕掛けるのだから、どうしたものか困るのは当然だ。だが、きちんとついてこい。俺についてくれば墜とされることはない。

「新保小隊、これより第一撃」各小隊長が電話でコール。

 降下加速から水平に戻して時速七五〇キロで敵編隊に突っ込む。

 敵もこちらの接近に気づいて待機旋回をやめた。こちらに機首を向けて反航戦の姿勢。

 よし、まずは釣り針にかかった。

 彼我距離七〇〇で射撃開始。

 こちらの発砲に気づいた敵機はくるりと翼を返し、向かって右下方に抜けた。しかしやや上方に位置していた四機だけは蛇行するように正立に戻してこちらの腹の下を抜けた。

 相対速度一三〇〇キロ。撃ち始めて二秒ですれ違う。

 その一瞬を切り取ったように敵機のシルエットが目に焼き付いた。

 ラボーチキンだ。

 こちら八機はすぐさま急上昇して高度を六〇〇〇に戻す。上昇しつつ二機ずつの分隊に開いていく。武装司偵は交差ののちそのまま直進して遁走していく。

 背後にすり抜けた四機も上昇して突き上げを狙ってくるように見えたが、こちらが機首を下へ向け始めるとすぐに反転して降下に入った。

 その間に右へ切った八機が緩く螺旋状に高度を上げてくる。

 私は一度鴻上を振り返った。鴻上は何かを悟ったように頷く。

 私は余計に操縦桿を引いて反転降下で四機を追撃にかかる。

 目標の四機は私を見てさらに急角度で降下、緩上昇の八機から二機が分離して我々分隊の追撃に入るのを見る。それをまた味方の何機かが追うだろう。そうやって戦況を動かすのだ。戦況が動くということは敵機が戦闘に集中するということだ。襲撃機を狙う三個小隊はその方がうんとやりやすくなる。

 急降下で四機の敵を追う。二〇〇〇、一五〇〇、七〇〇。ぐんぐん距離が詰まっていく。

 敵の四機が二機ずつに分離、左右に分かれる。

 私はすかさず小隊長機を追った。つまり、より先頭に位置していた機体を追った。

 敵の小隊長分隊は不規則なロールからの急激な引き起こしでこちらを引き離しにかかる。

 食い下がりながら振り返ると、選ばれなかった二機がスピードを落としてこちらの背後につこうとしている。

 その時、至近距離から発砲音が聞こえた。

 敵ではない。

 鴻上が撃っていた。その機体は私の後上方、旋回の内側にあった。

 私は鴻上機の目の前を横切るように翼を翻し反転降下、ほぼ垂直の急降下に入った。

 鴻上もすかさずついてくる。

 背後の敵機はこちらを追い切れずに水平に戻す。

 そしてその二機の横で一機がフラットスピンに入っているのが見えた。グレーの胴体に赤い星。敵に間違いない。右主翼の三分の二ほどが吹き飛んで別個にブーメランのような機動で落下しつつあった。間もなくキャノピーが開いて中からパイロットが飛び出す。ガイドに引っ張られてパラシュートが膨らんだ。

 つまり、鴻上の射撃が敵機の主翼に命中して、急旋回中のGに耐えきれなくなって外翼が吹き飛んだのだろう。もう一度振り返ってよく見ると、墜落機の尾翼は白く、機番は22だった。それに気づいた時、私は胸の空くような、悔しいような、何とも言えない気持ちがした。

 撃墜された機体の僚機が単独でこちらに機首を向けてくるのが見えた。一番機を落とされて激昂しているのかもしれない。まだ何百メートルも離れているのに撃ってくる。曳光弾が私の頭上、下方を通って前方に流れていく。掠る気配もない。すぐ背後に我々の仲間が降下で割って入り、さらにその後ろに別のLa-7二機が迫ろうとしていた。それが危険な状況であると気づいたのか、たった一機の敵は切り返して戻っていった。味方に無線で諫められたのかもしれない。

 私は一〇〇〇メートルでゆったりと引き起こした。鴻上はきちんとついてくる。上空ではまだ花一匁のような消極的な攻防が続いていたが、間もなく敵機が一斉に降下を始めた。こちらの低空部隊に気づいたらしい。しかしすでに三個小隊いずれも一撃を終えて離脱を宣言していた。撃墜の報告も二、三上がっている。

「鴻上、撃墜確実だな」私は送話に吹き込んで振り返る。

 鴻上は「あっ」というような顔をして、それから「こちら鴻上、一機、撃墜確実」と電話に吹き込んだ。

 それから我々は七キロほど退避して高度四〇〇〇メートルで全機編隊を組み直し第二撃に備えたのだが、敵が離脱し始めたので深追い不要ということで地上軍に翼を振って基地に機首を返した。

 幸い戦闘による脱落機はない。全機揃って帰路につく。戦果は襲撃機一機撃墜、二機撃破(不時着)、戦闘機は鴻上の一機のみだった。ほとんど一分にも満たないような短い空戦だった。それほど短い時間、一瞬で勝負がついてしまうのが戦闘機同士の本来の戦いなのだ。

 日は次第に高くなり、地獄のような紫色に染まっていた空は真っ青に晴れていった。今日は赤峰のハゲ山もおとなしく青く染まっている。

 普段より着陸前の反航を長くとって滑走路の手前を低空でゆったりと飛ぶ。アシのような青く背の高い草が機体の脚の下でふさふさと揺れ、プロペラの後流を受けて海のようにV字の波を立てている。驚いて飛び出してきた虫たちが激しい気流に揉まれて吹き飛んでいく。その上を鴻上の四式戦が悠々とパスする。正確に私の二番機位置につけ、脚とフラップを下ろしてなお安定した飛行を続けている。それはまさに勝者の風格だった。


 脱落なし、被弾六機。一機も欠けることなく赤峰に戻った我々を待っていたのは鞍山飛行場への移動命令だった。ソ連地上軍の一部が南進して赤峰に向かっていることから、基地要員も同行、施設は破壊する。戦隊長は我々が集まる前で第二航空軍司令部からの命令を読み上げたあと、「明言はしていないが事実上の撤退だ」と付け加えた。

 戦隊では既に残りの四式戦を索敵に出していて、やはり南に向かってくる機甲部隊あり、ということで、定常の襲撃任務の対象をそちらに切り替えて午後から再び四個小隊を差し向けた。私の分隊は搭乗割を外れていたが、戻ってきた戦隊員に訊くと、不思議なことに敵に戦車はなくて、先導しているのはほとんどSU自走砲だったという。それに対空車両が少ないのか弾幕も薄かった。機体の損傷を避けるためタ弾攻撃のみとして機銃掃射は行わないという手筈になっていたのだが、結局銃撃してきたという。

 夕方に輸送隊派遣の九七重爆二機が着陸、夜中に積み込みを済ませ、航空爆弾を改造して建物を爆破。日の出前に燃費のいい一式戦が上がって飛行場上空で警戒、全機離陸を待って二個小隊がタ弾と二五〇キロ爆弾で滑走路を爆撃。タ弾の威力が小さく見えるが、信管に細工して意図的に不発としてある。子弾一発たかが一キロ。クレーターを埋めるより不発弾の処理の方がよほど面倒だろう。その方がソ軍による飛行場再生を遅らせることができるだろう。ただ難しい調整なのでどうしても半分ほどは接地の衝撃で起爆してしまう。東へ向かう。たった二機の重爆に戦闘機三〇機余り。戦爆編隊ならこんなに贅沢な護衛はない。重爆にはできる限り備品装備を詰め込み、人間は戦闘機に分乗する。私の後部胴体にも板坂が乗った。巡航の速い戦闘機はジグザグのコースをとって鈍足の重爆に合わせる。

 途中、最も危惧していた敵戦闘機との遭遇はなかったが、一度偵察機らしい機影を捕捉した。見つけたのは鴻上だった。

「こちら鴻上、機影見ゆ。十一時方向、高度やや下、数一」鴻上は電話で言った。今の戦隊ではもうほとんど無線機が万全なので機体やパイロットの身振りで合図を出すこともほとんどなくなっていた。

 指示方向に目を向ける。キャノピーの枠や傷を避けるために頭の位置を変えてみると、たしかに黒い点が見えた。

 分隊員が見つけたものだ、分隊で処理しよう。

「笹川分隊、追跡します」

「よし。敵戦闘機編隊なら退避、いいな?」と戦隊長。久しぶりにピストではなく機上からの電話だった。

「笹川、了解」

 増速して黒点に近づく。どうやら向かって左向きに飛行しているらしいので、それより左に機首を向けて進行方向を塞ぐように針路をとる。少しずつ高度を上げて優位を取りに行く。

「しっかり掴まっておいてくれよ、板坂」私は防弾鋼板の後ろに大声で吹き込んだ。

「絶対一撃で仕留めてくださいよ。宙返りだけはご免だ」

 点は次第に形を変え、次第に胴体と尾翼の区別がつくようになってきた。転針、増速など逃げる気配は見せない。気づいていないのか?

 双発機だ。

 しかし拍子抜けしたことにそれは二式複戦のシルエットだった。

 一息ついてガスレバーを引く。

「どうです?」と板坂。私が出力を下げたのを感じ取ったようだ。

「いや、味方だったよ」

「ははあ、そいつは助かりました」

 そうこうしているうちに先方から作戦周波数で電話が来た。

「盤山(盤錦)上空を飛行中の小型機二機、所属知らせ。こちら満軍第三飛行隊、中村中尉。二式複戦、七時方向より接近する小型機あり、数二」

「こちら一〇四戦隊、笹川曹長、疾風二機」

「味方か。いや、あまり大編隊だから敵かと思ってね」相手は少し砕けた口調になった。満軍の兵員は当然満州人だが、日本の軍人も教官などとして相当数参加している。彼もその中の一人だろう。

「こちらも敵の偵察機かと思った次第です」

「なるほど、やはりそう思うだろうな。よほど味方より敵に出くわす。こういう戦況では我々の部隊もあまり士気が上がらなくてね」

 中尉は先を続けなかったが、つまり、負け戦を察した満州人たちが前線に出たがらないので日本人教官がこうして哨戒に出ている、ということを言いたいのだろう。それに対して私は気の利いた返事など思いつけなかった。だいたい無線電話だ。二航軍の司令部まで届いていることもありうるわけだから、実際言った部分だけでも相当気まずい発言だった。

 彼の二式複戦は濃緑のウロコ迷彩に日の丸ではなく満軍の五色の国籍マークをつけていた。こちらのやや上位で最大三〇〇メートルほどまで近づいて反転、ガスレバーを軍用(公称)出力まで押して自分たちの編隊を追いかける。それから二〇分ほどで合流できた。


 古巣の鞍山は砂というよりも街や工場の煤煙で紫色に曇っていた。それを見ると帰ってきたなという感じがする。鞍山飛行場は国境に近い地域から脱出してきた練習機でいっぱいだった。滑走路を取り囲むように並んでいる。九九高練や複座型の九七戦は黄色い塗装なので遠目にも一目瞭然だった。たった数日前まではほとんど我々と民間機だけの寂しい飛行場だったのに、随分な様変わりだ。

 上空を旋回、まず重爆が降り、その後小隊ごとに単縦陣をつくって着陸していく。胴体にもう一人乗せているのでやや機首上げになる。失速が早まるので普段より速度を出したまま二点接地、あとは機体が回らないようにペダルだけ意識して、腕の力は抜いて尾部が下がるのに任せた。キャノピーを開けて準備線に走り、ガスレバーを引き、AMC(混合比制御レバー)を全閉してエンジンを止める。その振動を感じ取って板坂がすぐさま無線機の点検口から外へ転がり出た。うーんとひと伸びしてから工具箱を取り出してさっそく点検を始める。居残り組の整備員たちも近寄ってきて、やはり赤峰とは打って変わって賑やかな様子だった。

 そして鞍山帰還以降は奉天防衛が主任務となった。敵地上軍は快進撃を一時停止して包囲網を固めつつあり、地上襲撃よりは爆撃阻止の必要性が大きくなった。一〇四戦隊はかつてB‐29迎撃で名を上げたのだ。対爆撃機戦闘は我々の真髄だったが、しかしソ連空軍の爆撃はより小規模な飛行機を大量に投入して波状攻撃をかけるのが常套であるらしく、しかも狙いは工場ではなく主に駅などの輸送拠点だった。どうせ後で占領してしまうのだから設備はできれば無傷で手に入れて再利用するという打算のようだった。欧州戦線にしてもソ連はポーランドのいくつかの都市で徹底的な包囲戦をかけ、ドイツ軍を撤退に追い込む戦法をとったという話も聞く。しかも敵の進入方向が一定ではないから、我々も奉天の周囲に戦力を分散して対処しなければならない。その点は対米戦と勝手が違っていた。そこで戦隊の戦法としては、敵編隊接近の報を受けた場合、小隊、あるいは分隊ごとに離れて進出し、それぞれ半径一五キロほどの空域を受け持って哨戒する、ということになった。


 翌日、私は例によって鴻上を分隊員として二機で奉天南西の一区域を担当して哨戒にあたっていた。

 高度四〇〇〇、晴れ。点々とした雲が空の四分の一程度の視界を遮っている。眼下には短冊のような緑の畑が一面に広がっている。今までの戦場はほとんど砂漠のようなものだったのでいささか雰囲気が違う。自分より低高度にある機影はやや発見が難しくなる。

 待機開始から四〇分ほどして雲間に機影を見つけたので翼を振って鴻上に合図、手で方向を指示する。鴻上もその方向を確認して私に向かって頷く。

 接近、単発機二機、機種の細いシルエットはヤク戦闘機らしい。

「敵も二機だな。やってみるか、鴻上」

「はい、行きましょう」鴻上は意気込んでいた。

 電話の送話ボタンを押して少し待つ。「笹川分隊、ヤク二機捕捉、これより接敵」

「了解。新保分隊、針路一七〇、笹川分隊の援護に向かえ」と指揮所から戦隊長が返答。ひとつ北、隣の空域を担当しているのが新保分隊だから、できれば四対二の優位で戦わせよう、あるいは敵の増援があれば対応させようということだろう。

 我々二機はヤク編隊に向かってさらに近づく。幸い太陽は我々の背後にあり、雲も疎らに浮かんでいた。雲を盾にして左後方から接近、後下方について距離を詰める。敵は地上に集中しているのかこちらには気づいていない。まさか背後から忍び寄られるとは思ってもない様子だった。

「鴻上、俺が一番機を狙う。貴様は二番機をやれ」

「はい」

「狙い、いいか」

「はい」

 敵機はすでにOPLの照門から翼端がはみ出すくらいに映っている。

「五、四、三……」とカウントを取ってゼロで同時に射撃。

 二〇ミリを敵の胴体に当てるためにやや左に狙いをずらす。

 ダダッ、ドッドッと発射の衝撃が響く。

 敵機の左翼付け根に胴体銃の弾が集中して破片が降りかかる。敵機はたちまちエンジンから黒煙を噴き出してダイブに入った。

 衝突を避けるために機体を左に立てつつ上昇する。鴻上もついてくる。見ると敵の二番機にはまだ自分の被弾に気づく暇があったらしく、機体は上昇に入っていた。

 仕留めそこなったかと思って私はすぐに右へ切り返したが、よく見ると風防が赤く染まっている。パイロットを撃ち抜いたらしい。

 敵の二番機は不格好なループを描いたあと緩い降下に入って加速していく。主翼に二〇ミリが当たっていたのだろう、途中で速度に耐えられなくなって両翼が胴体から綺麗に分離して飛び散った。

 一番機の方はエンジンから炎を吹いて一足先に地面に突っ込んでいる。落下傘が浮かんでいるので近づいてみたが、様子が変だ。よく見ると飛行服の上半身に火がついてロウソクのように燃え上がっていた。既にぐったりしているが、まだ意識があるだろうかと想像するとさすがにぞっとした。

 私は一度離れて射撃コースに乗り、その火をよく狙って至近距離で胴体銃を短く一斉射した。一発が相手の胸を貫くを見たような気がした。

「笹川分隊、二機撃墜確実」

 戦闘の間に高度は二〇〇〇まで下がっていた。東へ引き返しながら高度を上げていると左手から四式戦が二機近づいてくるのが見えた。新保分隊だろう。翼を振ると相手も振り返す。高度はこちらよりやや上、距離は一・五キロほどあった。

 そしてその二機の真上に別の機影を見た。例の鰭のようなソ連機の主翼だった。主翼の形が見える。敵はかなりの角度で降下していた。

「新保分隊、回避、回避! 敵機直上、一機」私は送話ボタンを押し切る前から叫んでいた。

 おそらく我々の戦闘に気を取られていたせいで自機の警戒が疎かになっていたのだろう。味方の二機はすぐに機体を左に傾けて射線を外し始めたが、敵機の射撃はそれも見越したような正確さだった。敵機――ラボーチキンの機首が光る。

 敵の火線はまず二番機の機首に、次いで一番機の胴体に刺さった。一番機のキャノピーが砕けて飛び散る。次いで二番機のカウリングの中に小さな炎がメラメラと湧き上がり、次の瞬間には機首全体が赤い爆発に包まれて機体は跡形もなく粉々に解体されていた。落ちていく破片はもはや主翼とも胴体とも区別がつかない。もちろんその中にはパイロットの姿も落下傘もない。一番機はと思って下を見るとものすごい勢いでロールを続けたまま地面に向かって突っ込んでいく。やはり脱出はない。だめだ。

 その間にも二機を仕留めた敵機はこちらに機首を向けて突っ込んでくる。

「鴻上、やるぞ。敵は上にもう一機いる。気を付けろ」

 鴻上は返事をしない。既に敵に集中しているようだ。

 敵は二機。ともにラボーチキン。他にはいない。二機だけだ。

「一撃を躱したら敵に食らいつけ。背中は守ってやる」

 ガスレバー一杯、ブーストレバーも押し込んでエンジン全開。緩く左旋回。

 敵はこちらの旋回の内側に機首を向ける。

 敵が射点につく直前、操縦桿を引き切って斜めにループ、こちらの旋回の輪の中を敵機が通る。グレーの二色迷彩、機番は“22”

 22?

 鴻上は右に切り返して敵機を追う。

 私はそれを見送って上空のもう一機にまっすぐ機首を向ける。かなりの上昇角になる。機速がみるみる下がる。

 思った通り敵も私に向かってきた。

 機首を下げて水平、時速二〇〇キロ。敵機はほぼ真上。

 フラップを下げて水平旋回。失速ぎりぎりだがすさまじいプロペラの後流を受けたフラップと昇降舵が強引に機首を上向ける。

 敵機は狙いを合わせられずに下へ突き抜ける。

 私は一瞬のタイミングでそのどてっぱらに全火力を撃ち込んだ。

 だが傷は浅い。敵は上昇で私の下を突く。

 私はそのまま左翼を失速で押し込んで下を向き、フラップを戻して降下増速、敵の機首がこちらを向く前に左に切って旋回戦に誘う。

 敵が後ろについた。時速三五〇キロ。次第に速度が合ってくる。単純旋回では互角だろうか。

 私はそこで垂直旋回に移った。

 敵はやや外側をついてくる。

 機速は再び二〇〇ほどまで下がる。

 頂点手前でフラップ・ダウン、スロットルを絞る。一瞬機首を押し込んですぐに戻す。

 私の腹側をすり抜けた敵機の背中が目の前にあった。距離わずかに六〇メートル。

 射撃。

 敵の尾部が丸ごと胴体から外れて飛んできた。

 危うく回避、ほぼ垂直降下しながらスローロールで鴻上を探す。

 いた。左、やや下方でローリングシザーズに入っている。くっきりベイパーを引いているのですぐに見つかった。

 降下しつつ時速五〇〇キロまで回復。

 二機は絡み合う蔦のように螺旋を描きながら次第に速度を落としている。互いに相手を自分の前方に押し出そうとしているのだ。

 私にはそこへ突っ込む選択肢もあったが、鴻上の戦いを見守ることにした。ロッテ戦法にしても一機は上空に占位して周囲を警戒しておくべきなのだ。

 私はもう一度敵機の機番を確認した。やはり22だ。

 しかし尾翼は白くない。通遼上空で鴻上が墜とした白い尾翼の機番22とは別の機体だ。

 偶然だろうか。いや、あれは小隊長機だった。彼を慕っていた部下がその番号を引き継いだのではないか。よくわからないが、ソ連空軍にはそんなしきたりがあるのかもしれない。

 だとして、引き継いだのはきっとあのパイロットだろう。白い尾翼を墜として離脱する我々を追ってきたラボーチキンが一機いた。あのパイロットに違いない。

 私に気づいたのだろう、敵はシザーズを抜けて緩降下で加速、鴻上が後ろについたところで右旋回に入った。

 鴻上はフラップを開いて徐々に追い詰める。

 そこで敵はバレルロールを打って旋回の外側に抜け出す。上昇、再び背後に鴻上機を見て降下しつつ左旋回。

 今度は先ほどより速く大きな旋回。だが鴻上はフラップを出したままだ。

 敵はまたバレルロールで上に抜け、今度は頂点でくるりとロールして鴻上に覆いかぶさろうとする。すかさず私は急降下で突っ込んで距離五〇〇メートルほどから敵の鼻先に向かって射撃した。

 敵は鴻上を諦めてクイックロール、右翼を下にしてナイフエッジのまま降下する。

 私はそれ以上突っ込まずに上昇、鴻上がすかさず敵を追い、持ち前の低空加速で逃げられる前に一斉射を浴びせた。

 敵はその一撃でエンジンをやられたようで、身動きできないままゆっくり降下し、最後に少しだけ機首を上げて畑の中に突っ込んだ。機体は接地後しばらくまっすぐ滑り、そのうち左の翼端を軸にしてぐるりと回ってその反動で右翼がつんのめった。機体はばたんと裏返しになり、その荷重で右翼は折れて機体の下敷きになっていた。トウモロコシだろうか、機体が滑ったあとに倒された作物の道がくっきりと残っている。

 私たちはしばらく周囲を確かめ、雲間を警戒し、それから低空に下りて戦果を確かめた。

 機番22は畑の中で裏返しになったまま動きがない。火災もなく、パイロットが這い出してくるわけでもない。もう一機のラボーチキンは一つ川を挟んだ畦道の上に墜ちていた。主翼の後ろでぷっつりと胴体が切れ、そのせいで竹とんぼのようにゆっくり降下したのか、翼がへたれているだけで胴体は潰れていなかった。キャノピーは開いている。近くに落下傘が落ちていたが、パイロットの姿はすでになかった。辺りを機銃掃射すれば炙り出せるかもしれないが、もし他に住民がいたらと思うと気が進まなかった。人口密集地ではないが、満州国の人々はこの大地に点々と居を構えているのだし、さらに言えばこの一面の田畑も彼らの生活の営みそのものだった。

 新保分隊の一機は休耕地に真っ逆さまに墜ちて鉄屑の塊のような具合になっていた。墜落の衝撃で燃えたらしく周りの地面ごと真っ黒に焦げていたが、火はもう収まっていた。もう一機は相当広範囲に破片が飛んだようで、特にここだという墜落地点は見い出せなかった。

 ヤクの二機はそれぞれ新保機と同じような具合で地面に突き刺さっていた。

 この中で生存の可能性が残っているのはラボーチキンの二人だろう。あとはどう考えても絶望的だった。

「鴻上、敵は討ったな?」

「はい」

「では帰還する。後方の警戒、しっかりやれ」

「了解」

「こちら笹川、笹川分隊、新保分隊、敵戦闘機二機と交戦、二機撃墜確実。新保機、舘本機、墜落。ともに脱出は認められない」

 私は無線で戦闘結果を放送して、低空飛行のまま東へ向かった。鴻上機は右後方を全く同高度で飛んでいる。その下に流れる草の葉は湖のようにさざ波を立てて輝いてた。生命力に満ちた輝きだった。

 今日我々はそれぞれ二つ撃墜スコアを伸ばしたことになる。しかしそれでも我々は勝者ではなかった。ただ生き残ったに過ぎない。その事実を突きつけられた我々には大地を渡る草波の光もささやかな慰めだった。

 短い戦闘だったので燃料はまだ残っている。絞っていたスロットルを押し戻し、カウルフラップを開く。上昇、次の戦いに備える。






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 〇おまけ情報・あとがき


 ・註

 史実の日ソ戦におけるLa-7と疾風の戦闘は確認できない。ソ連機による撃墜リストに疾風は挙がっていないし、日ソ戦におけるLa-7の戦闘損失は自爆(体当たり)によるものを含めて多くて5機。体当たりは8月15日、第304戦闘機連隊(304IAP)のА. И. Черепнин少尉による百式重爆に対するもの。追撃中に弾切れのため、少尉は乗機を重爆の尾翼にぶつけ撃墜、自機も墜落したものの落下傘で降下、生還した模様。あとは空中戦によるものと対空砲火によるものがあり、前者は1~2機と思われる。

 http://aces.safarikovi.org/victories/sssr-japan.1945.html

 https://military.wikireading.ru/23212


 http://nvo.ng.ru/history/2018-10-04/14_1016_history2.html

 上記サイトやウィキペディアロシア語版の各部隊のページを参照、まとめると、第104戦隊の展開する地域を担当したのはザバイカル方面軍であり、その指揮下にあった第12航空軍にはLa‐7を装備する戦闘機連隊が3個所属していたが、いずれも戦闘による損失は報告していない。また第9航空軍ではLa-7の損失4機のうち空中戦1、非戦闘3、第10航空軍では非戦闘損失1機に留まる。なお赤軍指揮下で対日戦に参加したLa-7は合わせて313機であり、海軍太平洋艦隊航空隊もLa-7を79機投入したようだが、これに関しては損失などの情報は掴めなかった。


 ・後記

 指揮所からの地対空電話ほか無線電話の文言は樫出勇『B29撃墜記』(光人社NF,2005)を参考にしています。

 下士官の分隊員同士の関係性は小山進『あゝ飛燕戦闘隊』(光人社NF,2001)を参考にしています。初の配属先ニューギニア・ウエワクで小山伍長は松井曹長の分隊二番機となって実戦を生き抜く術を習います。このお話では逆に新米に教える立場から書いています。

 損傷そのままに補給だけして上空に取って返すのも同書を参考にしています。

 座席を低くして防弾鋼板の陰に隠れるのは碇義朗『決戦機疾風航空技術の戦い』(光人社NF,1996)234ページにある第11戦隊の田村邦光准尉のエピソードを参考にしています。ある時准尉は疾風に乗ってフィリピン上空でP47に遭遇、低空を追い回されます。「座席を一杯に下げ、右に左に飛行機をひねって射弾を回避しようとしたが、背中の防弾鋼板に弾丸がガンガン当たる」という一文があり、鋼板に身を隠すために座席を下げた、という因果は明示されていないのですが、そういうことなのではないかと思います。


 ・ソ連戦闘機部隊の編制

 古くはスペイン内戦でソ連に亡命したスペイン人パイロットがロッテ・シュヴァルムを導入したものの、パージ政策でもとの3機編隊(vic.フォーメーション)に戻り、再びロッテが導入されたのがバルバロッサ作戦以降だそう。ロシア語流に言うとロッテ(2機編隊)がパラ(пара, 複数形пары. 英語で言うPair)、シュヴァルム(4機編隊)がズヴェノ(звено, 複数形звена. 英語のLink)になる。戦闘機の編成は1943年末以降だと、3個ズヴェノで1個飛行隊(эскадрилья)、3個飛行隊に司令機ズヴェノ一個を加えて40機で1個戦闘機連隊(истребительный авиационный полк =иап=IAP)を構成、3~4個戦闘機連隊で1個戦闘機師団(истребительная авиационная дивизия=иад=IAD)を構成。さらに戦闘機、襲撃機、爆撃機、偵察機各師団・連隊を擁する航空軍(Воздушная армия)を構成する。

 日本陸軍の飛行戦隊はソ連の飛行連隊に相当する。12機で1個中隊(飛行隊)をなし、本部小隊を加えて戦隊40機+補用とする点もよく似ている。

 https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%98%D1%81%D1%82%D1%80%D0%B5%D0%B1%D0%B8%D1%82%D0%B5%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D1%8B%D0%B9_%D0%B0%D0%B2%D0%B8%D0%B0%D1%86%D0%B8%D0%BE%D0%BD%D0%BD%D1%8B%D0%B9_%D0%BF%D0%BE%D0%BB%D0%BA

 上記サイトには時期ごとのソ連の戦闘機連隊の構成が記されている。


 ・日本陸軍の日ソ戦参加航空部隊

(以下わかる分のみ列挙)


 飛行第104戦隊 疾風/隼 鞍山/錦州/赤峰(鞍山より順次進出)

 独立飛行第25中隊 屠龍 鞍山/公主嶺

 独立飛行第54中隊 九八式直協 張家口(杭州(?)より4機のみ派遣)

 独立飛行第81中隊 百式司偵/屠龍 新京西

 第4錬成飛行隊 九七戦/隼? 奉天北 ジャムス(奉天に移動中ハルビンで武解)

 第13錬成飛行隊 隼/疾風 公主嶺

 第22錬成飛行隊 ? 通化?/敦化?→四平

 第13教育飛行隊 ? 勃利県青山→東豊

 第24教育飛行隊 ? チチハル→三十里

 第26教育飛行隊 ? ジャムス→奉天北

 第42教育飛行隊 ? 衛門屯

 第5練習飛行隊 ? 鞍山 大石橋 特攻部隊要員教育

 関東軍輸送飛行隊 ? 新京 奉天


 装備として他に九七式軽爆もあったようです。ソ連側の撃墜記録に九七式戦闘機、九七式重爆、百式重爆もあります。

 九七戦は8月15日、隼1機とともに2機でВанемяоの飛行場に着陸しようとするソ連軍輸送機を攻撃していたところ、第17戦闘機連隊(17IAP)のP-63に撃墜されたようです。九七戦は後継の戦闘機に第一線を譲ったあとは練習機として重宝しているので訓練部隊の装備機ではないでしょうか。あるいは戦闘機部隊に残っていなかったとも言い切れませんが。

 重爆も訓練部隊の装備機のようですが、どの部隊なのかは判然としません。内地の戦隊から派遣されたということもありうるでしょうか。

 いずれにしてもソ連側の戦果を基にする場合、機種誤認の可能性はある程度考慮した方がいいと思います。


 錬成飛行隊は主に特攻要員の訓練のための部隊なのでしょうか。第4錬成飛行隊は下記の略歴に44年5月30日結成、特操戦闘機教育行う、とあるので装備は戦闘機、人員は特操3期と思われます。45年1月には玄武特攻隊を編成しています。渡辺洋二「重戦がめざす敵」(『陸鷲戦闘機』光人社NF,2019)103ページに、昭和19年8月に70戦隊配属の主に特操1期30人を第4錬成飛行隊に預けて九七戦の戦技教育と一式戦の基本教育を受けさせた、とあるので、その後1年でさすがに機材の更新もあったかもしれませんが、装備機は上記の通りとしました。先述のP-63による撃墜機はソ連側の識別が正しければあるいは第4錬成飛行隊の所属機という可能性もあると思います。

 教育飛行隊の装備機は二式高練(九七戦)や九九式高練だと思います。


 また航空士官学校は空襲の激しい内地を避けて満州派遣隊を各地に展開しており、九九式高等練習機、一式双発高等練習機、四式基本練習機(ユングマン)を装備していました。日ソ開戦以降は朝満国境付近への離脱のみで戦闘参加はありません(当然)。九九高練は特攻機への改造、爆弾懸架具の装着を施されたものもあったようです(改造のみ?)。

 航士校の満州派遣については渡辺洋二「ユングマンの満州」(『異端の空』文春文庫)に詳しいです。同161ページによれば各中隊のもともとの駐留飛行場と、開戦以降の退避先は以下の通り。中国東北部の地図を片手にご覧ください。(そもそも全編にわたって必要?)

 21中隊 鎮東・鎮西→山城鎮

 22中隊 杏樹→朝陽鎮

 23中隊 温春・東京城→水豊

 24中隊 平安鎮→深井子

 25中隊 海浪・海林→通化

 本部  同上


 ソ連の宣戦を受けて関東軍輸送飛行隊も編成されています。人員は満州航空輸送株式会社から3000人弱を徴用、新京、奉天を中心に各地に展開しました。使用機材はDC-3、L-14、九六陸攻の旅客・貨物機型でしょうか。この会社は満州事変後に郵便や測量、整備を含めた事業展開をしており、軍需もかなりやっていたようです。


 九七戦、隼、屠龍を装備していた満州国軍航空部隊の存在も忘れてはいけないはずです。制空は満州軍に任せ、関東軍は対地攻撃に専念した、とかいう情報(噂?)もどこかで目にした記憶があるのですが、検索をかけた限りでは士気が低くてほとんど活動が認められない、といった説などがあるばかりでした。書き手的にはあの特徴的な五色ラウンデルの飛行機が活躍してくれてたら嬉しいのですが。


 陸軍航空部隊略歴(その2)

 分割4

 https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/image_C12122420300?

 分割5

 https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/image_C12122420300?

 分割7

 https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/image_C12122420600?


 飛行第一〇四戦隊

 日ソ開戦時は鞍山に配置、間もなく迎撃のため錦州、赤峰と進出していきます。

 一九四四年後半の鞍山防空戦では隼、鍾馗、疾風を装備していることが当時の戦隊長、瀧山和少佐の回想「飛行一〇四戦隊『疾風』鞍山製鉄所を死守せよ」(『空戦に青春を賭けた男たち』光人社NF,2018)から窺えます。日ソ開戦時の装備機は隼と疾風だったと言われることが多いので、鍾馗は疾風を受領するために内地に乗っていって交換の形で置いてきたのかもしれません。『世界の傑作機・疾風』35ページに中島の太田工場付属飛行場で終戦後に撮られた写真が載っているのですが、これに104戦隊の疾風乙型(胴体武装を12.7ミリから20ミリとしたタイプ)が写っています。戦隊マークは部隊で受領したのちに描き入れるはずなので、解説にある通り何らかの理由で満州から飛来したのだと思います。しかも胴体に帯の入った隊長格の乗機。部品供給なんかの直談判をやっているうちに飛行停止で帰れなくなってしまったのかな、と想像してみたり。ただ104戦隊に乙型が配備されていたことは写真から明らかです。対重爆戦闘の要請から開発された乙型ですが、対地攻撃メインで口径の大きな20ミリが好まれたのか、それとも結局装弾数の多い12.7ミリが好まれたのか気になるところです。


 独立飛行第八一中隊

 44年4月に牡丹江・温春で編成、7月に鞍山、45年7月に新京西に移駐。装備は百式司偵、屠龍のようです。瀧山少佐が鞍山防空戦の回想で武装司偵に射点を譲ったことがあると書いているので、この部隊の装備機でしょうか。対ソ戦まで武装司偵が健在だったらやはり投入していただろうと想像してお話に加えました。



 ・ソ連側の戦力はあまりに膨大なので別にまとめました

https://kakuyomu.jp/works/1177354054890664851/episodes/1177354054890664853

 


 ・疾風の発射ボタン・レバー

 https://ameblo.jp/satsukimasu-minamif/entry-11968246893.html

 上記サイトによい画像があります。翼内砲の発射ボタンが操縦桿頂部にあり、それを覆うカバーを奥へ倒すと胴体銃の引き金になります。引いて13ミリ、押して20ミリ。撃ちわけは容易そうです。

 戦中開発の海軍機がスロットルの方に統一されていくのは操縦桿についていると射撃のその瞬間に機体がブレることになるからで、陸軍機のパイロットは気にしなかったのか、それとも操縦桿に遊びがついていたのか……。


 ・疾風はP-47に似ている?

 「このお話に登場する飛行機」に誤認が多いと書きましたが、把握しているケースは2件あります。

 1つは『世界の傑作機 疾風』(文林堂,1989)48ページ、木村栄一郎氏へのインタビューの一節。1945年1月当時、氏の所属する第一戦隊は台湾南部、潮州に展開中。ある時疾風8機で4対4の編隊戦闘訓練をしていると、4機のP-47が飛び込んできた。攻撃を仕掛けると気づいてすぐに逃げて行ったから、きっと疾風とP-47が戦っているのだと勘違いしたのではないか、「キ84はちょっとP-47に似ていますからね」とのこと。

 2つ目は碇義朗『決戦機疾風 航空技術の戦い』273ページにある内藤雄介氏のケース。1945年5月、氏の所属する第一錬成飛行隊は相模の中津飛行場を拠点に対艦特攻訓練の最中、5月25日、氏が編隊の最後尾で突入の練習を終えて単機で基地に向かっていたところ、厚木飛行場辺りで両脇に他の飛行機が近づいてきて編隊を組んだ。見れば濃紺一色のF6F。氏が慌ててダイブすると同時に対空砲火が射撃を始め、F6Fは追ってこなかった。「内藤の機体は黒っぽい塗装で、しかも特攻機だから、胴体と翼上面の日の丸がついていなかったので、てっきり味方機と誤認して編隊を組んで来たものらしい」


 ・La-7の評価

 「このお話に登場する飛行機」のLa-7は下記サイトにある44年6月のテストフライトにおける何人かのパイロットによる評価を下敷きにしています。

 http://www.airpages.ru/mn/la7_07.shtml

 ほとんど全員のパイロットがコクピットの暑さ、インターフェースの過熱、スラットの同期不全による特定速度域での不安定、ピッチ操作の過敏さを指摘しています。I-16に慣れているはずのソ連パイロットが過敏だというのだからかなりピーキーだったのではないでしょうか。コクピットの過熱についてはLa-5から言われていることで、La-5FNで多少の改善は見られたようですが、La-7になっても続いています。

 ただ部隊配備と実戦試験は44年9月からなので、時を追って諸般の問題が改善されていっただろうことは想像に難くありません。テストの評価をもってLa-7全体の評価を下すべきではない、というのは疾風と同じでしょうか。


 ・La-7のプロペラ

 ちなみにソ連はプロペラの開発を結構積極的にやっていて、La-7はВИШ-105В-4というのをつけています。ピッチ制御は油圧方式、可変範囲は22~51゜30’の29°30’ 疾風も可変範囲30°を目指してラチェ式を導入したのでなんだか似ています。初期の疾風のプロペラは制御回路の接触不良でプロペラ・ハンチング(ピッチ角と回転数が合わずに飛行中の機体が加減速を繰り返す)に悩まされましたが、こちらも結構難物で、機銃との同調が上手くいかずにプロペラが切断されたケースもあるようです。

 直径は3.1mで疾風の3.05mよりやや大きい程度です。


 ・上昇力

 http://www.airwar.ru/enc/fww2/la7.html

 このサイトのLa-7の記事を見ると上昇力でBf109やFw190に対して勝っていたと書いてあるのですが、どうでしょう。同じページでLa-7の5000mまでの所要時間は4.95分=4分57秒(5.3分というデータもあり)、対してBf109G-1はhttp://www.wwiiaircraftperformance.org/me109/me109g.html によると4分11秒。疾風はいいデータをとっても5分54秒です。それぞれ荷重、燃料のオクタン価、時期(ブースト圧上限の設定)などがわからないので突き合わせて比較することはできないですが、109とLa-7なら109、疾風とLa-7ならLa-7の方がよさそうです。木製機だから重そう、という笹川の予想は外れそうです。



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