第8話 武器の携帯は人権

 米国では相変わらず学校やショッピングモール、映画館などの公共施設で多数の市民が射殺される銃撃事件が頻繁に起きている。その度に、銃規制強化を求める一派と銃携帯擁護派との間の論争が繰り返される。

 人命と引き換えにする、命よりも大切なものが存在することなど日本の常識では考えられないことで、なにを馬鹿な議論を繰り返しているのか、というのが外界からの偽らざる批判であろう。

 アメリカ社会の悩みに、誰でもといっても過言ではないほど銃が自由に手に入ることがある。大量販売店のチェーン・ストアーには銃のコーナーさえあって、最新式の各種の拳銃や連発が可能なライフル銃が展示されている。

 各州でその規則は異なるが、法律上は、前科者や未成年者には店頭で銃を販売してはならないことになっている。前科歴がなくても、身元調査を事前に行なった上で販売が許される。しかし、何千万丁にものぼる市中の銃が、人の手を介して凶悪犯や青少年に渡ることを阻止することは不可能だ。

 なぜ、誰が考えても危険極まりないこのような制度が禁じられないのか?


 実は、銃携帯の権利は憲法で保障されている人権のひとつなのだ。二十七語からなるごく短い憲法修正第二条は、邦訳すればこのようになる。

 「州の自由を保障するために必要であれば、統率された義勇軍の維持と州民が武器を携帯することは妨げられない」

 すなわち、独立戦争で英国の王制とその軍隊を倒したのと同じように、州の自衛のためには義勇軍(現在の州軍を指す)を保持し、州民が州の存続のために銃を携帯するのは、誰も阻止することができない人権だ、と書かれているのだ。

 これをそのまま日本に適用すれば、権力を濫用する首相が率いる自衛隊が長野県に攻め入れば、長野県の住民は武器を手に立向うことを意味する。

 銃乱射に眉をひそめて銃器類の販売規制を唱える筆者の周りの者たちに、この修正第二条の廃止や再修正を訴える者がいないのは、銃の携帯は基本的人権のひとつと考えられているからだ。

 

 この銃規制策の是非を巡る議論に最近になって憲法修正第十条の議論が加わっている。これも連邦と州の間での権限争いから出たことだ。

 米憲法が施行された直後の一七九一年に第一から第十条までの修正条項が同時に批准された。アメリカではこの十条を別に「人権宣言」と呼んで特別扱いにしている。

 その修正第十条を邦訳すれば、「憲法によって連邦に付与されず、各州に付与されることが禁じられていない権限は、各州あるいは州民に帰属する」となる。

 直ぐには理解が難しい規定だが、噛み砕けば、アメリカで認められたすべての人権は、別に連邦に帰属すると定められた例外を除き、それぞれの州と州民が手にする、となる。こと人権に関しては、州が主で連邦は副次的位置に置かれていることになる。

 その結果、この修正第十条を銃規制に持ち出すグループは、連邦政府には銃規制を強化する権限は与えられていないとする解釈を掲げることになる。

 規制するにせよ各州が定めるべきで、連邦政府による銃規制強化策は州権への侵害であり、憲法違反だと批判する。

 すでに中西部を中心に十州近くが、銃規制は州の管轄であり、連邦政府は関与すべきではないとの州法を可決している。

 速度制限が州によってマチマチなのも、連邦政府は口出しができないからで、これのもこの州対連邦の権限争いの一例だ。

 

 テキサス州がカナダと同等の経済力を有するように、国連総会に居並ぶ加盟国の大半よりも規模が大きい州を多く抱えるこの国では、連邦政府は州に準じるという十九世紀はじめから引き継がれてきた州権主義が濃厚だ。

 この強大な連邦政府を嫌う主義の根底にあるのは、公権力への強い猜疑心から出ている。それを端的に語るのが陪審員制度である。


 筆者が住む郡から陪審員に選ばれた通知が届いた。この十数年の間に二度目のことだ。

 周辺のいくつかの郡を担当する巡回判事が週に一回我が郡を訪れ、溜まった訴訟案件を処理する。裁判官がひとりの簡易裁判で、内容は無免許運転やスピード違反から夫婦喧嘩、窃盗、麻薬保持、時には殺人事件まで含まれる。


 筆者の事務所はその簡易裁判が開かれる郡役場から数軒離れただけだ。公判の日の毎週水曜日朝には、周囲の駐車場が車で占拠される光景が出現することになる。

 殺人事件ともなると事前に地元の新聞が報じるが、その他のケースはその日になってはじめて陪審員たちに伝えられる。

 今回は初日に、予定されていたケースはすべて示談ないしは検察側が訴えを取り下げるか、あるいは被告が訴えを受け入れるかしたために陪審員を必要としないと告げられひとまず放免となった。陪審員団の一員に選ばれると四ヶ月間が任期で、その間は毎週待機することになる。


 日本でも民間人が参加する裁判員制度が定着した。しかし、日米両国制度の間には大きな相違点がある。

 アメリカでは陪審員が被告に質問することはない。一方の日本では裁判員に質問を許している。日本の制度は、裁判員が判事の補助的な役割を担って誤った判決に至ることを回避する目的を持っていることになる。

 これに対してアメリカの制度には根底に「お上は権力を濫用するものだ」という伝統的な猜疑心があり、原告である検察側を監視するのが目的になっている。

 だから法律の知識に欠ける陪審員の存在が問題にされることはない。知識に欠けるほうがむしろお上の横車を目ざとく察知できる、と考えられているからだ。

 日本は裁判所に属した機能を持たせ、アメリカでは検察側が横暴にならないように監視する機能を持たせている。ここに両国の考え方の違いがはっきりと出ている。


 この検察は国家や自治体の権力を盾に横暴になりがちだという市民側の基本姿勢は、判決に際しても日本には存在しないアメリカ独特のルールを適用している。

 先ず、陪審員の結論は全員一致でなければならないというルールだ。これはアングロサクソンの英国法を引き継いだもので、一人でも異論が出ると、その裁判はミス・トライアルと呼ばれて、後日に別の陪審員たちによる裁判に付されることになる。人権侵害を避けるためにはわずかの疑義も許さないという考えから出たルールだ。

 ふたつ目は、いったん無罪の判決が下されると、被告はその場で釈放され、検察側には上訴の権利を認めないルールだ。連邦憲法が二度の裁判を許していないからで、これも人権擁護が根底にある。植民地時代に裁判が濫用されたことから出た市民の自衛策だ。


 日本は終戦後アメリカの法制度を導入したとされるが、この検察の権利を制限する考えは採用されていない。戦前に検察権力の濫用が日常茶飯事だった日本にしては不可解な措置だが、日本の風土には馴染まないからだろう。

 一九四七年(昭和二十二年)に施行された日本国憲法ではそれまでにない人権擁護の条項が盛られた。ところが米国流の人権を採り入れたとされる憲法から二年後の一九四九年(昭和二十四年)に施行された刑事訴訟法では、その第三編上訴の条項の冒頭に、検察又は被告人は上訴をすることができるとあり、検察側に再審の機会を与えている。

 

 この陪審員制度に代表される、自らよりも大きな組織は公的なものでも私的なものでも小さな個人に対して横暴になりがちだ、という反権力・権威の考えは独立戦争を支えた信念だった。

 

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アメリカ事情 ジム・ツカゴシ @JimTsukagoshi

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