第7話 州が主役で、連邦は脇役

 この広大な合衆国はいつ誕生したのか?

 十三の植民地が大英帝国からの独立を宣言したのが一七七六年七月四日であることは誰でも知っている。しかし、アメリカ合衆国がいつ出現したかとなると、答えるのは容易ではない。

 合衆国の英語表記であるUnited States of Americaが、独立宣言の起草者のひとりだったトマス・ジェファーソンの最初の草稿にすべて大文字で記されていたことが知られている。しかし発表された独立宣言書では「十三の合州国」の表現で、国名としては使われていなかった。その時点では現在の表記はまだ存在しなかったからだ。

 現在の表記が現れるのは、その翌年に十三州が集まった会議の場で緩やかな連合を指す語として初めて使用された。


 このように国としての表記が定まらないだけでなく、連邦政府なる組織が設けられないまま時が経過した。独立宣言をしながら、その宣言は十三の州によるものでひとつの国は存在していなかったのだ。

 一七八七年に東海岸のフィラデルフィアに州の代表が集まり連邦憲法の制定を討議し、翌年の一七八八年に憲法が過半数の州によって批准された。初代のワシントン大統領が就任したのは一七八九年のことだった。この時になって初めて「合衆国」が名実共に誕生したのだ。

 この独立宣言から大統領が就任するまでの十三年ほどの時間差がその後のアメリカの歴史に大きな影響を及ぼした。


 既に存在していた州はそれぞれの憲法と議会制度を備え、軍隊や法律も独自のものを持っていた。いわば独立国家並みの体裁を整えていたのだ。

 そもそも州に加えて連邦を必要とした理由は州内部の事情から出たことではなかった。大英帝国は十三州の奪回を狙っていた。それは一八一二年の米英戦争につながっている。新生独立国家を外敵から守る自衛上のためと、諸外国との外交を進める上では十三州をまとめる組織が必要だった。また、独立戦争の戦費捻出のために債券を増発し続けた旧植民地の財政を立て直すために全国をカバーする徴税制度の採用も急を要していた。


 連邦憲法の制定が独立宣言から十二年も後だったのは、憲法に盛る連邦政府の権限と、その連邦政府を牽制する議会の権限の範囲をいかにするかでそれぞれの州の意見が分かれたためだった。

 マサチューセッツ州を中心にしたニューイングランドは、清教徒たちが築いた住民による集団を重んじる中央集権体制を連邦政府に期待した。それに対して東海岸中部から南部の州は、個人の人権を尊重する地方自治を理想に掲げた。連邦政府は必要悪として、その権限を最小限にとどめることを狙ったのだ。

 この中央集権を目指した北部を代表する者がフェデラリストと呼ばれて後世のリベラル派になった。大きな政府を標榜するグループとも呼ばれる。

 地方自治を重んじた南部中心に結集した考えが、十九世紀の民主党、今日の共和党が掲げる保守主義を生んだ。小さな政府を主張する。

 第三代大統領のジェファーソンから、第四代のマディソン、そして第五代のモンローまで、州が連邦に優先する州権主義の牙城だったバージニア州選出の大統領がそれぞれ二期八年を務め、十九世紀はじめのアメリカでは州権主義が政治の主流を占めた。州が主役におさまり、連邦が脇役に留まるアメリカの仕組みが定着した。


 その州権主義を更に徹底したのが第七代大統領のアンドリュー・ジャクソンだった。大西洋岸のサウスカロライナ植民地で生まれたジャクソンは幼い時代に父親を失い、独立戦争中には母親と兄が病死して孤児になってしまった。

 逆境にもかかわらず、弁護士事務所で法律を見習い弁護士の資格を得たジャクソンは、当時移住が始まっていたアパラチア山脈の西側の現在のテネシー州西部に移り、地元の司法長官を務めた後に政界に進んだ。第二の独立戦争といわれた米英戦争では義勇軍を率いて、ミシシッピー河口で大英帝国の精鋭部隊だった陸戦隊を相手に大勝し、救国の英雄と称えられた。

 一八二八年に民主党から大統領に選出されるや、自らの生い立ちを反映した自律と独立の精神を尊重した州権主義と大衆による政治を徹底的に推し進めた。大衆の声を政治に反映させるために、それまでに選挙権に設けられていた財産の制限を取り除いて、成人の男性は誰もが投票できるようにした。アメリカにおける大衆政治の始まりだった。肥大化した連邦政府を縮小し、国立銀行を解体するなど小さな政府の実現に邁進して二期八年間大統領を務めた。

 世界の名著とされる「アメリカの民主主義」を後に著したフランス人のアレキシ・ド・トクヴィルがジャクソン大統領を表敬訪問している。戦功だけで大統領に選ばれた粗野な人物だと同書に書き残した。ホワイトハウスの執務室にジャクソンの肖像画を掲げるトランプ大統領への人物評価に通じる。

 トクヴィルも若かった。この時二十六歳。対するジャクソンは六十四歳だった。ジャクソンの外見や風評に惑わされて背後に流れる大きな潮流を見逃してしまった。この小さな連邦政府と大衆による地方の政治を標榜したジャクソンの政策はジャクソニアン・デモクラシーと呼ばれてアメリカ史に大きな足跡を残した。


 州が連邦に優先する州権主義が広く支持されたために、今日でもその影響が各種の制度に反映されている。

 州はどこもが独立国家並みに独自の憲法を掲げている。筆者の手元にあるケンタッキー州の憲法は二百六十三条にも及ぶ。

 経済活動の基盤となる会社を規定する会社法も連邦法ではなく各州法に準拠する。世界に知られるマイクロソフト社やインテル社、GM社などの大規模上場企業も例外ではなく、それぞれがどこかの州で設立され、その州法にしたがって株式が募られ、事業規約が定められている。取締役の権限や数も州によって異なる。

 取引上の紛争が起きれば、企業が設立登記された州法によって判定され、複数の州にまたがって事業を展開する企業は、それぞれの州ごとに事業許可を得て営業や生産活動に当ることになる。日本企業が海外で事業を始めるためには現地政府の規則に従わねばならない。それと同じように、州ごとに国境線が存在すると考えれば理解しやすいだろう。

 その商取引を既定する商法も各州によって内容が異なる。連邦が関与するのは州際取引と呼ばれる、その州と別の州の間で商品やサービスの提供があった場合に限られ、州内で完結する日常の取引に連邦政府がくちばしをはさむことは禁じられている。

 信用取引には欠かせない抵当権の設定も、その州内でのみ有効なために、抵当権が設定された動産を道をひとつ隔てた隣の州に移せば、債権者は手を出せなくなる。これを防ぐためには隣の州にも抵当権を設定して置く必要がある。

 

 刑法や民法も同じだ。速度制限は州が設定する。州境を越えたとたんにそれまでの時速七十五マイルから五十五マイルに突然制限速度が急変するのも珍しくない。注意しないとスピード違反で捕まることになる。

 死刑を認める州と禁じた州が混在し、同じ罪でも州によってその罰則の程度や内容が異なる。訴訟ではどちらの州の法律を適用するかでその結果に差が出ることになる。

 ハリウッド映画に、犯人を州境まで追跡したその州の警察官が、まんまと州境を乗り越えた犯人の追跡を断念するシーンが出現する。警察の権限も司法権も州境をこえて隣の州には及ばないためだ。ここにも国境線が横たわる。

 国税の連邦所得税はすべての州に適用されるが、州によっては地方税に相当する州の所得税が存在しない地がある。以前に住んだテキサス州がそのひとつだ。州税の税率は三ないし五%程度が一般的だが、テキサス州の住民はその分だけ所得税の負担が軽いことになる。

 

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