第5話 碁盤の目と神の宣託

 アメリカ大陸を東西に横断する飛行機便に乗ると、晴れた日には中西部からロッキー山脈にかけて広大な穀倉地帯を眼下に見ることができる。どこも一様に碁盤の目のように整然と区画されているのが一目瞭然だ。

 この碁盤の目は、単に四角に区画整理しただけでなく、その縦の線は地球上の経線に沿って、横の線も緯度に沿って延びている。今日の大型航空機は高々度を計器飛行で飛んでいるので利用しないが、一昔前は操縦士はこの碁盤の目を頼りに飛んでいた。今日でも小型機の操縦士は、晴れた日には地図ではなくこの地上の線を目標にしている。

 

 建国時の十三州にはその西端がどこまでか判然としない州が存在した。バージニア州やニューヨーク州などはミシシッピー河や五大湖までを州の領土と主張する有様だった。そのため、メリーランドやロードアイランドなど東海岸にある小さな州は大規模な州が連邦議会を支配してしまうことを恐れた。

 このような小規模な州の声を反映したのが一七八七年の北西部条例の成立だった。ニューヨークとバージニアの二大州が譲歩して、アパラチア山脈の西に移住者が増え、成人が六万人に達した際には新たな州として十三州並みの主権を認めることとした。

 この大英断のおかげで、十九世紀には大西部に次々に新興州が生まれ、世界最大の国が出現したのはこの北西部条例が貢献している。一七八七年は一七七六年と並ぶ米国史上では大きな意味を持つ年だ。


 その北西部条例に二年先立つ一七八五年に土地条例が成立していた。独立した十三州やその直後に州に昇格したケンタッキーやテネシー州では土地の登記にかかわる争いが絶えなかった。それは先に移住した者が実地の測量をせずに勝手に登記をしたため、その後に住み着いた住民との間にお互いの所有地が重なる部分が出てしまったからだ。

 そこで、多発した土地の所有を巡る争いを避けるために、この土地条例によって新たに集落を築く際には実地に測量をした区画を国が民間に払い下げることにしたのだ。

 その測量のための起点が存在する。ミシシッピー河の支流のひとつであるオハイオ河がペンシルヴァニア州からオハイオ州に入った直ぐのところにある川沿いの町、イースト・リバプールに起点の礎石が今も残っている。

 条例が成立する前にオハイオ地方の東部には既に移住者が進出していたので、測量の結果である碁盤の目はオハイオ州の西部から始まる。州を東西に横断するインターステート七〇を西に進んでインディアナ州に入ると、今日でも東西、南北に正確な直線で区切られた碁盤の線を目にすることができる。


 東西南北に六マイル毎に目印を立て、この正方形をタウンシップと呼んだ。タウンシップの語は現代になっても生き続けている。このタウンシップは三十六の区画に分割された。一区画はちょうど一マイル平方で、この広さが六百四十エーカー(約二百五十九ヘクタール、二・六平方キロ)に相当する。

 皇居がある東京都内の千代田区の面積がおよそ十二平方キロだから、タウンシップはその八倍近い面積に相当する。アメリカでは最も小さな町でもこれが集落の基本単位となった。

 タウンシップごとに中央部に広場が設けられ、役場や保安官の事務所、そして一角には教会とそれに隣接する寺子屋方式の学校が建てられた。開拓時代を題材にした映画に必ず教会と学校が登場するのはこのためで、当時はアメリカの文盲率は飛び抜けて低かった。

 この教会で説教をするのは、地元で知識階級と見られていた新聞社のオーナーや判事、東部の大学を出た者などだった。教会は周辺から集まった住民が意見や情報を交換するタウン・ミーティングの場にもなった。親たちが説教に耳を傾け、傍らの寺子屋で子供たちは文字や算術を学んでいた。広大な西部のどこの地でもこのような光景が繰り広げられていたのだ。

 

 十九世紀のアメリカ人は広大な西部に新天地を求めて移住を続けた。新たに開拓民が住み着いて最も原始的なコミュニティが創り出された地をアメリカでは西部と呼ぶ。開拓が最初の植民地だった東部の十三州から西に進んだからだ。この西部の地で、移住者が散在するだけで地域社会が築かれる前の状態にあった地をフロンティアと呼んだ。

 一八四五年、民主党系の雑誌編集長だったジョン・L・オサリバンが、未開の西部を開拓するのは、神が米国民に授けた「明白なる天命」だと西部への移住を鼓舞した。


 この頃の米国は産業資本主義経済の勃興期で、土地に縛られた奴隷に代わって自由に流通する労働力を必要とする北部と、奴隷制を基盤にするそれまでのプランテーション経済に支えられた南部の対立が激しくなっていた。

 オサリバンのアピールは、メキシコの領地だったテキサスの地を南部に組み入れることによって勢力の拡大を狙う当時の民主党の思惑から出たものだった。しかし、西部に新天地を求めて進む移住者たちには、このオサリバンのアピールが、荒野を進み自らの手で新たな社会を開く難行は神が与えた天命であり、その使命感に燃える移住者は選民であるという崇高な大義名分を与えることとなった。荒野にユートピアを築くことが天命と受け留められたのだ。

 

 米国の独立戦争は十七世紀の英国に端を発した社会契約説の考えがその根底にあった。独立戦争を戦う市民がトマス・ホッブスやジョン・ロックの名を知ることはなかっただろうが、土地や財産を私有する市民が国家そのものであるという理念で一致していた。しかし、独立戦争とその後の新生アメリカを実質的に統率したのは当時の知識階級や有力者たちだった。市民が国家といいながらも市民の大半はそのような指導者たちに導かれていた。

 ところが、原野や荒野に新たに出現した社会はごく普通の市民たちだけで構成されていた。独立時の理念を自らが実現する社会がフロンティアに続々と出現したのだった。司教を戴かない教会はその一例にすぎない。警察官に相当するシェリフも市民から選挙で選ばれた。鍛冶屋の主がシェリフにおさまることになり、それは現代の米国にそのまま引継がれている。

 アメリカン・ドリームを追って移住者が移動するにしたがってこのフロンティアも西に移動した。国勢調査が始まってからちょうど一世紀後の一八九〇年、国勢調査局はもはやフロンティアは消滅したと宣言した。爾来、米国のほぼ真ん中で、テキサス州北部でオクラホマ州との州境をなす西経百度から西を西部と呼んでいる。

 テキサス州の北部はフライパンの柄のようになっていてパン・ハンドルと呼ばれる。その柄の東側がこの西経百度の線上にある。


 独立後ほぼ百年間のこの時代が、アメリカ民主主義の全国への伝播と、この国固有の考え方である独立心と自律を標榜するアメリカニズムを生んだ。

 毎年夏休みには米大陸を横断する主要なインターステート上を色とりどりの各州のライセンス・プレート(ナンバー・プレート)を付けた車が行き来する。 

 アメリカ人ひとりひとりはそのことを自覚しているわけではないが、このアメリカニズムの誕生の場だったかってのフロンティアへの思いを心のどこかに抱いているからだろう。その面影を残す大地を目指して車がインターステート・ハイウエーに列をなすのだ。

 

 カトリックの総本山であるローマ法王庁が堕胎を禁じていることは広く知られている。避妊器具の使用も認めないために人口増で悩む発展途上国において出生児の急増を生み、またアフリカではエイズの蔓延を引き起こした。

 そのカトリックに反抗して生まれたプロテスタントの信者たちが、妊娠中絶を施す診療所が面する路上で反対デモを繰り返し、過去には診療所を爆破する事件にまで発展している。

 妊娠中絶に反対する一派の中心になっているのがアメリカに独特の保守主義を標榜する人たちだ。人は創造主の神が授けたもので、人間の判断で命を絶つのは神の意向に反する罪を犯すと唱える。母親の胎内で胎児が生まれた瞬間から胎児の命は神の手に委ねられたのだから人が手を加えるべきでないという考えだ。

 ところが、保守主義も他の分野になると逆の主張を繰り広げる。それが日本人の理解を越えるこの国の特徴を生むことになる。

 保守主義は罪を犯した者に対して厳罰を課すことを求める。死刑の存続を支持するのは保守主義者だ。神の授ける人命であっても、犯罪となれば厳罰が命に優先することになる。ここではプロテスタントはローマ法王と対立している。

 ゲイやレスビアンに対して冷ややかな姿勢を表明するのも保守主義者たちだ。保守主義者が同性婚を認めないのは中絶反対の例と同じように、聖書では禁じている神の意向に反した行為だからだ。ここではローマ法王とプロテスタントは同調することになる。

 あちらを立てればこちらが立たない、クイズを解くような錯綜ぶりに事情に通じない日本人は判断に困ることになる。

 このようなアメリカの宗教観や倫理観だが、マクドナルドのレストラン店でさえ、ハンバーグを前にして食前の祈りをするのがこの国の人たちだ。



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