第4話 一ドル紙幣と神

 日頃何気なく手にする一ドル紙幣だが、その裏面はよくよく眺めると奇怪なデザインで占められている。

 中央にアメリカのモットーである「IN GOD WE TRUST」が印されている。アメリカは憲法で政治と宗教を明確に区別している。政教分離の原則だ。それにもかかわらず、国が発行する紙幣や貨幣に「神を信頼する」と堂々と大文字で印されている。政府発行のお金と神は共存関係にあるのだ。

 左側にあるのがアメリカの紋章である「The Great Seal 」で、十三段の未完成のピラミッドの真上に独眼が輝いている。ピラミッドの十三段は建国時の十三州を指すとされるが、その上には何とも異様な独眼が輝く。

 その独眼の真上に置かれているのがラテン語の「ANNUIT COEPTIS」で、英訳では「God approves of the undertakings」となる。

 アメリカの行為は神が認めるもの、としている。国や国民の行為は神様が認めたものでなければならないと、米国財務省が明記しているのだ。

 シールの下側にはやはりラテン語で「NOVUS ORDO SECLORUM」の語もある。「New Order of the Ages」、又は「 Beginning of the New American Order」が英訳で、米国建国は新たな秩序の始まりであると高らかにうたい上げたものだ。


 お札にまでこのように神の存在と建国の精神を印刷しないと収まらないのがこの国である。

 終戦直後に日本の占領政策の立案に当ったアメリカは、戦前の日本に存在した神教と政治を一体にした政教一致策をことごとく退けた。そのアメリカの紙幣が神の存在を掲げる。

 ちなみにこの一ドル紙幣の裏側にはもうひとつの紋章が右側に印刷されている。鷲がリボンをくわえているもので、そのリボンには虫眼鏡を必要とする小さな字で「E Pluribus Unum」とあり、英訳では「Out of Many, One」となる。衆をして一をなす、とでも訳せよう。

 これが中国語で「合衆国」になった。中国人はこの国の本質を見抜いて、単に州を集めた合州国ではなく、人民が結集して事に当る建国の精神を理解していたのだ。ペリーの二度目の来航で生まれた日米和親条約では、幕府はこの中国語を借用して米国の国名として印している。


 このふたつからなるシールは、アメリカでは衆人が結集して進めたことも、神の手によって崇高なる行いにし、神の行為は誰も阻むことはできないという信条を我々に伝えている。

 「ゴッド」が登場すると、それまで激論を戦わせていた者たちも、右派であれ左派であれ、あるいは保守主義者かリベラルかを問わず、議論はそこで止まってしまう。神を超える議論は存在しないのだ。この国では神が接着剤の役割を果たしている。

 

 キリスト教で説く神とは、父である神、その息子であるキリスト、そして聖霊の三つが三位一体になった宇宙の創造主で統治者を指す。神はすべてを支配する存在と考えられている。

 一ドル紙幣に現れる「神」は、人が頼りにできる最高のもの、至高のものをイメージしていることがわかる。その意味では日本人が神頼みの対象にする人力を超えた存在とはさほど隔たりがないと思われる。

 違いは、この神のモットーが出現した血なまぐさい歴史背景にある。


 このIn God We Trustの句が最初に使われたのは、現在のアメリカの国歌になった「星ちりばめた旗」だった。第二の独立戦争と呼ばれた米英戦争の末期だった一八一四年、東部のメリーランド州ボルティモアにあったマクヘンリー砦が英軍の艦砲射撃に晒された。その硝煙の消え去らない砦にひるがえる星条旗に感激して弁護士のフランシス・スコット・キーがその場で作詞したのがこの四連詩だった。その第四連にこの句が現れる。

 連邦軍の敗退が続いていた南北戦争中の一八六二年。リンカーン大統領でさえ南北戦争は敗戦に追い込まれるのではないかと周囲に漏らすほどの苦戦続きだった。その北軍の一部が士気の鼓舞のために、神は北軍を味方している、と掲げたのがこの句だった。

 時代が下がった東西冷戦の最中の一九五六年、宗教を禁じるソ連を非難する語にこれが再び使用され、その年に連邦議会は国のモットーに採用している。


 このように、苦難に瀕して国民が一致団結するために、現世を超越した力の効果を神に期待している。神に祈れば、悪を滅ぼし、すべてを支配してくれる。

 政教分離を唱えるグループによって国を相手取った訴訟が頻繁に起きながら、この句が紙幣や貨幣だけでなく、連邦や州の建物にも例外なく刻まれて今日に至っている。

 神がすべてを支配するというこの信条は、生物は原始的な生物から段階的に発展したというダーウィンの進化論を否定することにもなる。人間が類人猿から進化したという進化論は創造主である神を冒涜すると考えるのだ。

 この進化論否定を掲げる人たちによって、いくつかの州で教科書から進化論の記述を除く訴えが起こされている。最初の訴えは筆者が住むケンタッキー州の南隣にあるテネシー州でのことだった。これが教会や宗教団体が経営する私立校ではなく、れっきとした公立校のことだから驚かされる。ちなみにこのテネシー州は黒人排斥の象徴であるKKKの発祥の地でもある。


 アメリカの宗教で注目すべき点は、その神と人とが直接相対するという宗教改革で生まれたプロテスタントの考えを原理主義的に推し進めてきたことだ。この神と人との関係を端的に語るのがクリスマスまで否定した過去の歴史である。


 クリスマスは十二月二十五日と定まっている。なぜこの日なのか、と問えば、何を馬鹿なことをと冷ややかな目で見られるのが落ちだろう。この日にキリストが厩で生まれたからで、当然のことだといさめられることになる。

 ところが、聖書のどのページを繰ってもどこにもキリストがこの日に生まれたとは記載されていない。いつごろの季節に生まれたのかを示唆するのは、ルカ伝に現れる羊飼いたちが夜中に羊の群れを警戒するという記述である。

 今でもそうだが、春から夏の間は羊の群れは野原に放し飼いにされ、夜は野犬などの襲来を避けるために夜警を置くのが慣わしとなっている。秋が深まり牧草が枯れると羊の群れは里に降ろされて囲いのなかに収容される。聖書の記述が正しければ、羊飼いたちが夜警を務めていた季節にキリストが生まれたことになる。そうであればその時期は春から夏でないと説明がつかないことになる。

 

 そこで、歴史を振り返えると、クリスマスの行事として浮かび上がるのが古代ローマの伝統的なお祭りだった「Saturnalia」だ。辞書には古代ローマ時代のバカ騒ぎと記載されている。このお祭りは、十二月十七日から二十四日までの一週間、ローマ人が仕事を一切せず、家を飾って毎日パーティを繰り返しギフトの交換をしたものだった。

 一年でもっとも日中の時間が短く夜が長い冬至を祝う習慣は古くから世界各地に見られたことで、古代ローマ人はそれを最もゴージャスに祝っていたことになる。このローマ人の伝統をキリスト教会が借用した。キリスト生誕から時代が下がった紀元三五四年になって、当時のリベリウス教皇がキリスト教の布教を広めるためにクリスマスの祝いを奨励したのだ。 


 神と信者との間に教会が介在する旧教ではこの教会が肥大化し、教会が何事にも介入を重ねた。それは寄付を集めるための休祭日の増設にも及び、十六世紀には年間の五十二日の日曜日に加えて祭日が九十五日もあった。祭日のたびに信者からはご祝儀が徴収された。 

 神と信者の直接の対話を理想とし、旧教の教会組織を排除したプロテスタントによる宗教改革では徹底して祭日が削減された。こうして旧教が広めたクリスマスも廃止されてしまった。プロテスタント教徒の牙城のひとつだったスコットランドでは十六世紀なかばにクリスマスが禁止され、国教会の英国でも十七世紀に同じように廃止され、その後の王政復古で再びお祝いが許された歴史がある。

 新教徒が宗教の自由を求めて渡来した新大陸でも当然のこととしてクリスマスはご法度で、ニューイングランド植民地では十二月二十五日は通常の日として扱われた。

 クリスマスを廃止した代わりに採用したのが、災害や飢饉など予期せぬ事態に遭遇した際に、住民を激励し神の加護に感謝するお祭りだった。ニューイングランドに移住したプロテスタントたちが感謝祭を祝ったのはこのような伝統を持ち込んだからだ。


 独立国が勝手に集ったように見えるアメリカは、「ゴッド」を共有することでひとつの国として存続してきた。司祭や僧侶からなる教会組織を排除し、教会では信者が神と直接会話をする。政教分離を唱える一方で、宗派や宗旨を超越してしまう魔法の杖をアメリカ人は神に見たのだ。


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