第3話 一軒の広さが東京都並み 

 アメリカは広い。これは米大陸を横断する飛行機の窓から見下ろして誰もが先ず抱くこの国の印象であろう。

 米国全土の総面積は九百八十万平方キロで、日本の二十六倍に相当する。アラスカとハワイを除く四十八州だけでもおよそ八百万平方キロで、日本の二十一倍だ。その四十八州では最大規模のテキサス州が七十万平方キロで日本の二倍に近い。

 東海岸のニューヨークから太平洋に面したカリフォルニア州のロスアンゼルスまでの距離はおよそ四千キロで、東京から飛行機で飛ぶと、バンコックが手に届くインドシナ半島の中央部に達する距離に匹敵する。アメリカの広さを知るには、日本に台湾、フィリピン、インドシナ半島を含めた東アジア一帯をイメージすればほぼ正確な距離感がつかめる。

 この広大さは物事の判断に使用される尺度にも日本とは桁違いのものを生むことになる。


 テキサス州の西部に広大な草原地帯が広がる。ダラスの郊外に住んでいた時に車で訪れたことがある。

 地平線まで連なるハイウェー上で行き交う車が二時間の間に一台も目にしない。見渡す限りの無人地帯だ。道路はさすがにアメリカらしく舗装されているが、道路に動物が飛び出して車と衝突する事故を防ぐために道路沿いに設けられた鉄条網を除くと、二十一世紀の時代にいることが不思議に思われるほどの自然のままの光景が前後左右に広がる。

 その辺鄙な地に八世代にわたって引き継がれてきた個人所有の牧場が存在する。十九世紀はじめに渡来したオランダ系移民とテキサス州に多く住むドイツ系の混血がオーナー一家だ。 

 所在地のアルパインと呼ばれる町は人口がおよそ五千人の町で、メキシコとの国境を流れるリオグランデ河から百キロほど北東に位置する。その辺りはロッキー山脈の南端に連なるアパッチ山脈と呼ばれる丘陵地帯で、近くにインディアン討伐のために設けられた、今では無人のふたつの砦が残されている。

 ロッキー山脈から南下してテキサスに定住したアパッチ族が、その後に同じようにロッキー山系から南下した騎馬に長けたコマンチ族に追い立てられて州の西部から隣のニューメキシコ州にまたがる地帯に移ったためで、十九世紀には白人移住者の保護のために騎兵隊が駐屯していた。この近辺にはドイツ系移住者が多かった。


 この個人所有の牧場の面積はおよそ二千七百平方キロだ。日本の都道府県では最大の面積を持つ北海道の三十分の一で、四十一番目の鳥取県の三五〇七平方キロに次ぐ広さだ。佐賀県の二四四一平方キロや、東京都の二一九〇平方キロを上回る土地にこの牧場がある。。

 正方形に換算すれば、一辺が五〇キロの正方形より一回り大きな広さになる。五〇キロは東京駅から東海道線では藤沢駅に、東北本線ならば茨城、栃木、埼玉の県境にある古河駅の手前に至る距離だ。

 自宅を横切るためには通勤列車で一時間を必要とする距離を進まねばならない。世界でトップクラスの選手を招いたマラソン大会を自宅内で開くこともできる。そのトップクラスの選手でも端から端までは二時間半は要することになる。

 草原に放し飼いにしている牛たちを一年に二度集めて、健康度を見、無印の牛にコテで焼印を押す作業には十六人のカウボーイたちが当たり、この広さのために一度出かけると四週間近く野宿の生活が続く。これがすべて自宅の敷地内での出来事なのだ。

 西部劇映画の画面に登場する光景が今でも繰り広げられている。耳にするのは大草原を渡る風の音だけだ。騒々しい俗界から切り離された別世界の地に八世代も続けて住む。これもアメリカである。

 これが個人が持つ牧場のひとつにすぎない。四十八州では最も小さなロードアイランド州よりも大きいことで知られるこの牧場は、アメリカでも個人の所有地では最大といわれるが、テキサス州だけでなく西部のユタ州やネヴァダ州などにも似たような規模の牧場がいくつか知られている。

 西部に散在する牧場の多くは二〇万エーカーはある。およそ八〇〇平方キロに相当する。東京二十三区の総面積がおよそ六二〇平方キロだから、どこもが二十三区を上回る土地を抱えていることになる。

 放し飼いの牛たちが牧場の外に逃げ出さないように鉄条網で囲いをしている。東京都よりも広い面積を囲むのだから、その鉄条網の総延長も気の遠くなる長さだ  この地の住民にとっての日々の関心事はその鉄条網の保守であり、日米間の出来事が遠い存在になるのは不思議ではない。”アメリカ・ファースト”はトランプ大統領が掲げる前から存在してきたのだ。驚いたり、困ったことだと嘆く必要もない。アメリカとはそのような国なのだ。

 

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