第2話 政治目的に利用された原爆投下

 原爆の開発を担ったマンハッタン計画の報告書が米陸軍から一九八五年に「ジョーンズ・レポート」として刊行されている。

 天皇がポツダム宣言受諾をラジオ放送した八月十五日の後も満州や千島ではソ連の侵攻が続き、一部では戦闘も繰り広げられていた。この戦闘のひとつだった千島列島北端の占守島での戦闘は激戦で、放置すれば日本軍が勝利してしまう、無条件降伏した日本軍が勝つという異常な事態に発展している。

 アメリカは日本本土での民間人も混じった玉砕戦になると、米軍の損害が甚大なものになることを恐れていた。

 既にアメリカにとっては第二次大戦の最大の目的だったナチス粉砕が実現し、厭戦気運が広がるアメリカで更に死者を生む戦争継続を米世論が支持しないことを、ルーズベルトの死で昇格したトルーマン大統領は最も恐れていた。しかもソ連の参戦を求めたヤルタ協定が存在するために、日米両軍が本土の西部で激戦中に、ソ連軍がヤルタ協定を逸脱する日本本土への侵攻も許してしまう恐れもあった。スターリンはポツダム会談中に北海道の北半分の占領を主張している。

 厭戦世論への対応とソ連参戦前に日本の降伏を実現するためにトルーマン大統領は原爆投下を急ぐ必要があった。しかし、トルーマンには原爆投下がもたらすもうひとつの効果への期待もあった。


 一九四五年七月十七日から八月二日まで、ベルリン郊外で米英ソ連の三巨頭が一堂に会して持たれたポツダム会談の主目的は欧州の戦後処理を討議することだった。しかし太平洋で継続中の日本を相手の戦争の早期終結も大きなテーマだった。

 その日本に無条件降伏を呼びかけたポツダム宣言がワシントン時間の七月二十六日に日本向けに短波放送で送られた。

 当時の国務次官で開戦時まで駐日大使だったジョセフ・グルーらは、早期終戦を実現するためには、天皇の存続を示唆する英国型の立憲制度を宣言に盛るべきと主張した。しかし、二十六日に日本に向け送信された宣言では天皇制の存続を示唆する文言は削除されていた。トルーマンの意向でそうなったが、トルーマンが日本が直ちに受け入れる可能性の高い宣言案を退けた要因に原爆の存在がある。

 原爆の最初のテストがニューメキシコ州の実験場で成功したのは七月十六日のことで、ポツダム会談のために既に現地入りしていたスティムソン陸軍長官に直ちに報告された。実験の成功によって八月上旬の日本本土への投下が可能になった。


 原爆の実用化はアメリカにふたつの目的達成をもたらした。ひとつは当初の目的だった日本との戦争終結を早める道具だ。ふたつ目は、ルーズベルトと違い戦後のソ連との関係を危惧するトルーマンに、ソ連を威嚇する外交上の強力な武器を提供することだった。前回のヤルタ密約で触れたように、末期のルーズベルト政権では政府の中枢にソ連スパイが混入するなど、ソ連に対する腋が甘い姿勢にトルーマンは危機感を抱いていたのだ。 

 ポツダム宣言を日本が直ちに受け入れると原爆投下は不必要になる。それはソ連に対する示威行為を失うことをも意味した。トルーマンが強硬な無条件降伏を盛った宣言に固執したのは、日本の受諾を、原爆投下時期と設定された八月上旬以降に引き伸ばす狙いがあったからだ。ポツダム宣言の最終文が完成したのは七月二十六日だったが、原爆投下はその前日の七月二十五日に決定されている。宣言文が関係国の間で合意され時には原爆投下は既定の方針だったのだ。

 さらにポツダム会談の冒頭に、スターリンが対日参戦の予定日を八月十五日とトルーマンに伝えていたことも要因にあった。八月上旬の原爆投下によって日本が降伏すれば、トルーマンにとっては、ソ連への政治的効果を手にするだけでなく、ソ連が参戦する前に終戦に持ち込む可能性が期待できた。


 トルーマンの狙い通り、天皇制を否定すると危惧する日本政府や軍部内の議論が渦巻き、日本は直ちにポツダム宣言を受諾することがなかった。こうして八月六日に広島に原爆が投下された。ところがそれでも日本は降伏に応じず、原爆投下を知ったスターリンが対日開戦を一週間繰り上げて八日にソ満国境を越えてしまった。

 アメリカ政府の政治判断が加わったことにより、日本が容易に受け入れ難いポツダム宣言が発せられ、多くの市民を巻き添えにする広島、長崎に原爆が投下された。大量殺戮兵器を使用せずとも日本の宣言受諾を可能にするオプションを手にしながら、戦後のソ連との外交関係を有利に運ぶための道具に原爆が利用されたのだ。


 今になっても繰り返される、日本が最初のポツダム宣言を拒否したためにアメリカは原爆投下に踏み切り早期終戦に貢献した、というアメリカの釈明は真実を隠蔽している。政治判断が非人道的な原爆投下を招いたことは自国が残した記録から明らかだ。

 オバマ大統領の広島訪問はこのような歴史を鑑みて評価すべきであったが、そのような報道を目にすることはなかった。

 

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