アメリカ事情

ジム・ツカゴシ

第1話 不法占拠された北方領土とアメリカの責任

 日ロ間での北方領土の返還交渉が注目されている。しかし、この北方領土の帰属を巡っては米国による重大な過失が存在した。しかし、今ではこの事実は歴史の彼方に忘れ去られ、人の口の端にのぼることさえない。


 終戦の年の二月にクリミア半島の保養地ヤルタで開かれた米英ソ連三国トップ会談で、ドイツ降伏後にソ連が対日参戦することを決めた秘密協定が結ばれた。ヤルタ密約と呼ばれている。

 日本に内容が漏れて、欧州戦線に加えてシベリアでの対日戦争を抱えることを危惧するスターリンの強い希望で関係者間だけの秘密扱いとされ、協定書はホワイトハウスの金庫に収納された。そのため副大統領のトルーマンでさえその存在を知ったのはルーズベルトの死後になってからといわれる。

 この秘密協定書にはソ連はドイツが降伏してから二・五ないし三ヶ月後に対日参戦すること、戦後処理として日露戦争で日本が手にした旧ロシア領をソ連に返還することや、満州や外蒙古の扱いについての合意内容が記され、更に「千島列島はソ連に引き渡されるべき」なる短い一項が挿入されていた。現在に至るまで未解決になったままのロシアが領有を主張している北方領土のことだ。

 この不法領有を日本政府はこれまでにソ連時代からロシアには繰り返し抗議を重ねてきた。しかし、その発端が米国による重大な過ちにあることは日本では指摘されていない。


 戦後の一九四九年に、ヤルタ会談時に米国務長官だったステティニアスが会談内容の回顧録を著している。その書の注記に、千島列島は十九世紀末に日ロ間で日本の領土として確定していたとある。当時の国務省は千島は日本固有の領土であると認識していたことになる。

 この国務省の歴史認識を裏付けるレポートが一九五五年に刊行された米国務省のヤルタ会談記録集に収録されている。ヤルタ会談出席者用の資料には含めず、またルーズベルト大統領やステティニアス国務長官が目にした形跡がない、と断り書きが付記されたこのレポートの日付けは一九四四年十二月二十八日で、国務省のジョージ・H・ブレイクスリーの手になる「千島列島の領有」だ。


 千島列島を北部、中部、南部に分けて、その歴史背景や日ソ双方の経済上と軍事上からの領有意義を論じ、択捉島を含む南部千島は一八五五年に日本の領土として確認され、また一八七五年の南樺太と千島を交換した両国間の合意によっても日本の領土に確定されたもので、ソ連が領有を主張するのは困難と言い切っている。

 このレポートを反映して秘密協定書でも千島は第三項として樺太やその周辺の諸島を取り扱った項目とは別になっており、協定書案を作成した者は北方四島が含まれる千島列島と樺太を同類に扱うべきでないことを知っていた。

 それにもかかわらず、「千島列島はソ連に引き渡されるべき」なる短い一項が挿入されたのだ。


 太平洋各地での日本軍による執拗な抵抗によって米国内では厭戦気運が高まり、ルーズベルトは早期停戦の実現に腐心していた。ソ連による対日戦参戦が終戦を早めるというのがルーズベルトの期待だった。しかしそれまでのスターリンの口ぶりから、ソ連は参戦には積極的ではないとルーズベルトは考えた。

 スターリンは本音を告げずに消極的な姿勢を続けた。ヤルタ会談中に、極東で対日戦を抱えるようなことになると、最高幹部会議や共産党幹部から何ゆえに中立条約の相手である日本と戦争をするのか疑問が出され、それに答えるためには相応の大義名分が必要条件と、北方領土だけでなく、北海道の北半分の領有さえ要求している。

 それが功を奏してアメリカから譲歩を引き出したのがヤルタ秘密協定だった。日本固有の領土である北方領土はこのようにしてわずか一行の文でソ連の手に渡ったのだ。


 日本ではヤルタ協定にあるソ連参戦に焦点が当てられている。しかし、ソ連参戦はヤルタ会談以前に既に既定のことだった。国務省資料には、米軍部内でソ連の参戦と米国の支援策について事前に協議が重ねられていたことを示すいくつかの議事録が収録されている。

 先ず、米軍部内では一九四五年一月十八日にソ連の対日参戦と題する会議が持たれている。その議事録が二十五名の関係者に配付された。同じ一月二十三日には統合幕僚部からルーズベルトにソ連軍の満州攻略に際しての米軍の支援策を盛った長文が提出されている。

 二月五日にはヤルタで米英軍関係者が会合を持ち、その議事録の第四項は「対日戦へのソ連の参戦」で、出席者は書記官を含めて二十六名だった。議事内容は対ソ支援策で領有問題には触れていないが、ソ連の参戦は既定のこととして扱われている。二月八日の米ソ軍関係者の分科会、同じ日の米ソ両海軍トップの会談、その前日の米ソ統合本部トップ会談、そして八日のルーズベルト・スターリン会談の議事録にもソ連参戦は記載されている。ヤルタ密約の調印日は二月十一日だった。


 このようにソ連の対日参戦は関係者の間では年初から広く共有された既定のことだった。機密事項ではあるものの、ヤルタ会談以前の時点でも既にトップだけが知る最高機密ではなかった。スターリンにとっては参戦は既定のことで、協定書の機密保持に執着したのは、日本の領土を獲得する密約を隠すためだった。

 日本にとってヤルタ密約の最も重視すべき事項は、会談中に決まった日本固有の領土をソ連に与えるという異例の措置だ。

 孫引きになるが、長谷川毅著「暗闘」(中公文庫)に、このルーズベルト大統領が目を通さず、米ヤルタ会談出席者ブリーフィング・ブックにも含まれなかったブレイクスリー報告が、ロシア連邦大統領史料に収録されていることが引用されている。

 米国務省の機密文書がヤルタ会談に先立ってスターリンに渡っていたことになる。ソ連には割譲すべきではないという歴史にのっとった見解があることを承知のスターリンが、密約調印の場では素知らぬ振りを貫いたのだ。

 日米戦争勃発の年だった一九四一年八月にルーズベルトとチャーチルとの間で合意された大西洋憲章では、戦後処理として戦勝国が新たな領土を獲得しないことを決めている。北方四島のソ連領有はこの精神にも反している。

 ロシアによる不法占領は大西洋憲章からも外れた異常事で、その発端が米英首脳による過ちに起因していることをアメリカ政府は認めるべきである。そして、日本の外務省のホームページにある北方領土問題の説明にも、ヤルタ密約によって不法占拠された史実を追記してこのことを内外に明らかにすべきである。


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