エピローグ 〜少女の現在〜

「にいちゃん、元気にしとるかなぁ」

〈どうやろなぁ。何せ最後に会ったのが、もう二年前やからなぁ〉


 学校からの帰路、光莉は落ち葉が舞う公園の道を一人歩いていた。もはや見飽きたと言っても過言ではない通学路。そこは風通りが良く、冬の訪れを感じさせる寒さが身に染みる。

 そして思い返す、小学五年生の時の記憶。あれからもう四年、とっくに光莉は東京での生活に馴染んでしまっていた。


「でもTwitterを見る限りでは元気そうやったで? 相変わらず絵も描き続けとるみたいやし」


 敦は高校二年生の時に、気まぐれで応募したトレーディングカードのイラストコンテストで大賞を取った。その縁もあってか、今ではトレーディングカードをメインとした若手イラストレーターとして、日々頑張っているようだ。

 もう彼には、明確な生きる目標が見つかったのである。それも自分の才能を最大限に活かせる場所で。


〈せやけどTwitterじゃあ絵ばっかり上げとるからな。日常生活の写真を上げてへん以上、ほんまにあいつが元気なんかはわからへんわ〉

「確かに」


 敦の画風は今でも変わっていない。最近SNSに上がっていたカードの原画は、どれも鼓動や息遣いが感じられそうな程の圧巻さを持っていた。中でもモンゴリアンデスワームに似たイラストは、光莉のお気に入りだ。

 しかしそれだけでは、敦の現在はわからない。最後に顔を合わせたのも二年前なので、光莉もそろそろ彼の今が気になってきた。


「たまには自撮りとかも上げてほしいもんやけどな」

〈無理無理。あいつの性格じゃそんなことはできへんて〉

「そう……よなぁ」


 とは言え、来年には敦が多くイラストを担当した拡張パックとやらも出るそうだ。それを期に彼も何かのイベントで東京を訪れるそうなので、つい数日前に敦から食事でもしないかと誘われていた。何やらその際に、自身が作画担当したカードをふんだんに使ったデッキとやらもプレゼントしてくれるらしい。

 よっぽど敦は、光莉に自分が作画担当したカードを手にとってもらいたいようだ。せっかく遊べるデッキとやらがもらえるのなら、少しばかりそのカードゲームを遊んでみてもいいかもしれない。


「ま、来年にはまた会えるし、それまでのお楽しみか」

〈全く、お前はほんまに敦のことが好きやなぁ〉

「好きは好きでも、仲のいい兄妹みたいな感じやけどな」


 自分と敦の関係を思い返してみても、やはり彼を異性としてみることはできなかった。彼の立ち位置はあくまでも兄、そうでなくても初田のような友人の立ち位置が妥当だろう。もっともそれが二人の関係を壊さないための、最善なる関係なのだが。


 ふと光莉は、凍てつくような風が止んできていることに気がついた。先程まで地に降りることなく舞っていた落ち葉も、今ではすっかり鳴りを潜めている。


「おっ、風が止んだ」

〈そうみたいやな〉

「なら今の内に、早いとこ本部を目指すか」


 次の風がやって来ない内にもと、光莉はカレント対策委員会本部への足取りの感覚を早めた。全ては来年の自分の立場のため、同じ班の者達に勉強をおしえてもらうために。


 光莉は現在、中学三年生だ。加えてカレント対策委員会にて悪事を働いたカレントを取り締まる、実動班としての顔も持ち合わせていた。

 そして来年はもう高校生、故に今は受験生としての勉強シーズンも迎えていた。普段から筋トレばかりして勉学を怠っていた結果、学校での成績は下の下になってしまった光莉。同級生からは筋肉バカとまで言われ、父の一郎からもせめて高校には進んでくれと悲願される始末だ。


 そんなこんなで今日は、レーウェンを含んだ実動班のメンツで勉強会を開くこととなっていた。無論メンバーである光莉を、中卒にしないためである。

 ちなみに今回の勉強会には、レーウェンの上司である班長も来るらしい。つまり男上司二人による暑苦しい勉強会と言うわけだ。絵面を想像するだけで行く気が失せる。


「勉強会行きたくないなぁ」


 ふいに光莉は一歩を小さくし始めた。


〈まぁそう言うなや光莉。たった数ヶ月の勉強と今でやってきた鍛錬、しんどいのは圧倒的に前者やと思うで〉


 しかしスメシンの言う通り、これまでの鍛錬に比べれば勉強なんて屁でもないかもしれない。何せ光莉は対策委員会の実動班に入るべく、日々の努力を欠かさなかったのだから。


 研究が進むにつれてハヤスギの出す進素には、もう一つの性質があることがわかってきていた。それは花粉症を患う者に、進素の供給はされないと言うこと。即ち、カレントになれないと言うことだった。

 どうやらハヤスギがスギの木の一種であることが、何かしら影響しているらしい。加えてハヤスギの出どころも、結局スメシンだけではわからずじまいとなっていた。元より神の世界にあったあれは、なぜこの世界に現れたのだろうか。スメシン以外の神が見つからない以上、真相は深い闇の中だ。


「アタシも花粉症じゃなかったらカレントになれたかもしれへんのになぁ」


 そして光莉は、小さい時から花粉症を患っていた。症状は割と軽度なものであるものの、そのせいでカレントになれる可能性が断たれていた。故にその分の穴埋めを、努力で補わなければならなくなってしまったのだ。つまりは光莉の苦手な、運動による体の鍛錬である。

 そのおかげで昔はあれだけ嫌いだった五十メートル走も、今では目を疑うようなタイムを出せるようにまでなってしまった。


〈バカ言え。素でカレントじゃないやつがカレントになるには、進化剤っちゅうもんを飲まなあかんねんやろ? それも命を危険に晒す、むっちゃ危ないやつを〉

「まぁな。そう考えたら、完全に諦めがつく花粉症でよかったんかもな」


 ハヤスギの出現からもう五年近くが経つ。今ではすっかりカレントの存在は世間に知れ渡り、その力の危険性が危惧されることも多々あった。

 現在の人間のカレント発現割合は、千人に一人と言われている。そのためカレントから来る国民の不安を取り除くべく、カレント対策委員会は実動班の実態を世に曝け出した。これまで隠し通してきた、ハヤスギの影響を受けしカレントの存在と共に。


 その甲斐もあってか、去年辺りから国民がカレントの件で騒ぎ立てるようなことはなくなった。もっとも、ツリーフレンズはまだ壊滅していないので油断はできないが。


 チャンチャララランーー。ふと胸ポケットにしまっていた携帯電話が、独特の着信音と共に振動した。何やらメッセージが届いたらしい。


『今日はハクタイくんも勉強会に参加することになったよ』


 それはレーウェンからのLINEだった。


「マジか……」

〈おめでとさん〉


 ハクタイは実動班の中でも、光莉が苦手とするメンバーだ。何よりその上から目線の態度。確かに光莉よりも彼の方が年上ではあるが、それでもあの態度は気に食わない。ハクタイと言うニックネームも、自分のコメットと同じような感じがして腹が立つ。

 とは言え、やはりこれもささやかな悩みと言えるだろう。ツリーフレンズも最近ではめっきりと活動を潜めている。それは少なからず、世界が平和へと進んでいる証拠でもあるのだ。


 そこで少し、光莉は立ち止まって考えてみた。

 これまで自分が歩んできた道。それは決して楽なものではなかった。でもだからこそわかる、ちょっとした悩みの楽しさ。これが理解できるようになったのも、やはり初田がいてくれたおかげだろう。

 平穏とは、それに至るまでの犠牲の上で成り立っているもの。だからこそ今を生きる人間達は、平穏を大事にして生きなければならないのだ。


 自分がスメシンに助けられず自殺を選んでいたならば、おそらくこんな考えも持たなかっただろう。今生きていることの素晴らしさ、それを感じることもなかっただろう。そう光莉は、しみじみと思った。


〈どうしたんや光莉? 急に立ち止まったりなんかして〉

「……ううん。何でもない」


 ともかく、まず自分がすべきことは目の前の受験勉強だ。それがこれから自分が生きていく上でまず、必要なことなのだから。


「さぁ、勉強がんばろ」


 再び光莉は止めていた足を動かし始めた。

 自分の物語を作り上げるために、自分の歩く道は自分で決める。そしていつか、その人生が昔話となっても恥じないような物語にするのだ。


ーー何せ光莉の物語コメット・テールは、まだ始まったばかりなのだから。

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