歩み出す子供達

 近藤や久瑠の話を聞くに智也は、久瑠が何かを唆したためにいじめを余儀なくされたらしい。

 なら智也は、一体何を久瑠に吹き込まれたのか。


「引っかかったのは、俺の息子の言葉やった。俺の息子はボーイスカウトで智也くんに世話になったみたいでね。そこでの智也くんの人物像と、学校での人物像がだいぶ違っとったからな。気になって調べてみたんやわ」

「へぇ、それで?」


 じわじわと近藤も、久瑠を追い詰めていく蛇毒が如く口角を上げていく。その表情を見た久瑠は、より一層機嫌の悪さを訴えかけてきた。


「色んな生徒さんに聞きまわって、俺はある仮説に辿り着いた。それは今ここで言ってことなんかはわからんけど、多分合ってると思う。やからこそ彼の潔白を証明するため、この場で言うわ……」


 病室にいる近藤以外の一同が、同時に唾を飲んだ。おそらく近藤はその演出を見るために、わざわざ間を空けたのだろう。どこまで彼は茶目っ気があるのだろうか。刑事ドラマでもあるまいし、ここはすんなりと言って欲しいものである。


「久瑠ちゃん。君は智也くんが光莉ちゃんのこと、好きなの知ってたんやろ?」

「ア、アタシのことを!? 智也くんがッ!?」


 裏返った奇声を発しながら光莉が、座っていた椅子から大きく仰け反った。しかし対する久瑠の方は恐ろしく冷静で、変わらず近藤を小馬鹿にしたような態度を続けていた。


「その通り。私は智也くんが光莉ちゃんのことを好いとるのを知っとった。やからあの時、それを利用してやりたいと思った。智也くんが光莉ちゃんにちょっかいを出した、あの日に」

「まさかそれって……智也くんがアタシをコシヒカリって呼び始めた、あの日のこと?」

「そう」


 光莉にも、何か思い当たる節があったらしい。その辺のことは敦も詳しく知らないので、適当に話を合わせて頷いた。


「好きな女の子にちょっかいを出す。それは男の子として、至極普通な行動だわな」


 思い当たる節があるのか、それとも経験済みなのか、不思議と近藤がそれを言うと説得力があった。


「光莉ちゃんにそのあだ名で呼んだことを嫌がられた時、智也くんかなり落ち込んどってん。でも私は智也くんにこう言った。なら光莉ちゃんのこと、いじめたらいいんちゃうって。いじめて周りから孤立した光莉ちゃんを、智也くんが助けたらいいっちゃうって」

「やっぱ君、ひどいやつやなぁ久瑠ちゃん」


 智也は光莉のことを好きだったが故に、名前弄りをし始めた。しかし光莉は名前弄りをされるのが苦痛でしかなく、ある日それをやめるように智也へと伝えた。

 自分を拒絶されたと思い、ショックを受けていた智也はやがて、久瑠につけ込まれた……。簡単にまとめるとそう言うことか。


 だが一つ、わからないことがある。それは久瑠がなぜ、智也と光莉の仲を掻き乱したいと思ったのかだ。


 確かに智也は、光莉のことが好きだったのかもしれない。とは言えそれを掻き乱して楽しむ程の歪んだ性格を、久瑠がしているとも思えなかった。

 何せ敦は、久瑠とそれなりに関わりを持って過ごしてきたのだから。彼女がどんな人間であるかは、ここにいる誰よりもわかっているつもりだった。


「久瑠ちゃんはなんで、コメットちゃんと智也の仲を崩そうと思ったんよ。俺には君が、そんなことを進んでやるような子に見えないんやけど」

「……」


 するとさっきまで憎たらしい表情をしていた久瑠が、突然下を向いて黙り込んでしまった。もしかすると自分は、彼女に対し何かまずいことでも聞いてしまったのか。


「……久瑠ちゃん?」

「ううん。敦さんがそう言ってくれて、ちょっと嬉しかっただけ」


 まんざらでもない様子で、久瑠は微笑みかけてきた。その顔はまさに初めて出会った時の、あの笑顔そのものであった。

 やはり彼女にはこの顔がよく似合う。先程までの憎たらしい表情は、正直言って似合わない。


「私な、その時イライラしとってん。カレントになったせいで、大好きやった陸上をやめなあかんくなってもたからな」

「もしかして、智也達の仲を掻き乱そうとしたったのってまさか……」

「その通り。ただの憂さ晴らしや」


 カレントとなってしまい、全てを失ってしまった久瑠。その穴の空いた心を満たすため、彼女はあろうことか他人を蔑むことを選んでしまったのか。元駅伝一位と言う、過去の栄光にも似た権力を使って。


「久瑠……ちゃん」


 無論、人を陥れることは悪いことだ。それが原因で心を痛めてしまい、最悪の場合自殺にまで追い込んでしまう危険性もある。

 しかし久瑠の心情を知っていた敦には、一概に彼女を責めることはできなかった。彼女が大切な弟の仇であるとは言え、同時にカレントの力による被害者の一人だったのだから。


「それが光莉ちゃんのいじめの真実。どう刑事さん、あんたの想像と合ってた?」

「大方は……ってところかな」

「さっすが。まさか私も、ここまでバレるとは思わんかったわ」


 もう何もかも諦めたかのような口調で、久瑠が言った。そして続けざまに、こんなことまで口にし始めた。


「どう敦さん。これが私の本性、あんたの弟を殺したやつの本性や」

「どうって……」

「ふざけんな!」


 ここで声を上げたのが光莉だった。


「そんなしょうもない理由で、人を殺してええわけないやろ! あんたのせいで先生は……初田先生は死んだんやで!」


 光莉は久瑠の方へ近寄ると、その怒りに燃えた瞳を彼女へと向ける。二人の目線の間には、あたかも激しい火花が散っていた。


「うるさい。何が先生と親友や、ふざけとるのはあんたの方やろ」

「何やって!?」

「天生体やからもてはやされて、挙げ句の果てには私らカレントのことも見下しとる。結局いじめられた方が得するなんか、そんなんずるいわ!」


 次第に久瑠の声は、涙声を含み始めた。


「何であんたばっかり……私は夢を失うことしかなかったのに……」

「夢を……失う?」

「そうや! 私は陸上選手になることが夢やった! でもカレントになってもたせいで、その夢が叶わんくなってもたんやで!?」


 久瑠の気迫に押されてしまい、とうとう光莉は口を噤んでしまった。


「やのにあんたは何よ! カレントよりも珍しい天生体、それに初田先生と親友ごっこ、挙げ句の果てには対策委員会のお偉いさんと知り合いに!? これじゃもう、私の人生がカスみたいやんか!」

「そ、それは……」

「ええよ、何も言わんでええわ。どうせ私なんか……力で世界を変えることもできへん負け犬やねんから」


 どうやらこの辺のことは、レーウェンも沈黙を貫くらしい。彼の興味があるのはあくまでも、カレントやツリーフレンズのことだけのようだ。カレント対策委員会とはこうも冷たい人ばかりなのだろうか。

 一方の近藤も、子供の言い争いとは思えないような修羅場に身を引いていた。寧ろ彼は警察なので、もっと積極的に会話に入ってほしいものだが。


 少し考えた後で、敦は久瑠に声をかけた。


「カレントだけのオリンピック……俺はすごくいい夢やと思った」

「えっ?」


 やさぐれていた彼女の目に、ぽっと光が灯る。


「カレントになっても、まだ走ることを諦めてへんなんか、すごいやんか。それだけ走ることに熱意があったってことやろ?」

「それは……」

「確かにツリーフレンズとして力を行使するってのは、間違った方法やで? けど今はこうして、レーウェンさんって言う偉いさんとも出会えたわけやし……。真っ当な方法で、周囲にカレントの理解を得ることもできるじゃないかな」


 正直言えば、敦も完全に久瑠を許したわけではない。しかし彼女のことが嫌いになったわけでもないし、寧ろ夢の話を聞いた時から今に至るまで尊敬すらしていた。

 だからこそ、彼女には立ち直ってほしかった。犯した過ちは大きいが、それでも罪を償って、その大きな夢を叶えてほしかった。


「久瑠ちゃん……」


 もしかすると自分は、死んでしまった藪林の分も久瑠に生きてほしいと願っていたのかもしれない。いや、藪林だけではない。彼女が殺した、智也の分までも。

 殺した相手を殺すだけが復讐ではない。殺した彼らの分、その者を生かして罪を償わせることも、ある種の復讐のようにも思えた。これが人を殺すことに抵抗を覚えた敦や光莉の、精一杯の復讐だと思えた。


「君は結構面倒見もいいし、俺、そんな久瑠ちゃんが好きやねん。やから久瑠ちゃんには、殺した人らの分まで生きて罪を償ってほしい」

「にいちゃん、それって……」


 光莉も何か言おうとしたが、すぐにその口を塞いだ。どうやら敦の思いを察して、受け止めてくれたらしい。

 にいちゃんにやりたいことがあるんやったら、アタシらも手伝うよーー。その言葉を彼女は、本気で言ってくれていたのだ。


「確かに犯した罪は消せへん。やけどそれを償うことならできるから。それに久瑠ちゃんやったら、きっとこれも乗り越えられると思うわ。何せ俺の知っとる久瑠ちゃんは、ランニングの速さ以外は優しいからな」

「うっ……うう……」


 もう久瑠の声は、かすれ過ぎて出ていなかった。


「ごめんなさい……ごめんなさい」


 それは、初めて久瑠の口から聞いた謝罪であった。おそらくその言葉に偽りはない。彼女は心から、自分の犯した過ちに向き合おうとしているのだから。

 どうやら悪人になりきろうとした彼女は、自分の心を偽りきれなかったらしい。


 その後病室の外では、少女の啜り泣く声が長時間にわたって聞こえたと言う。


 38


 ここは病院近くの散歩道。リハビリのためかウォーキングをしている者もおれば、最近流行りのスマホゲームをしながら歩いている者もいる。そんな中で光莉は、敦を乗せた車椅子を押して歩いていた。

 全てが平穏に流れていく日常。それをこの目で確かめながら、考えてみる。もし彼らに望まぬ力が与えられれば、尚もこの平穏は続くだろうか。久瑠のように心を病み、他者をも蝕んでしまうのではないか、と。


 光莉は近くのベンチで足を止めると、重い車椅子を押して少し疲れた腕と足を休めることにした。ちゃんと敦と会話ができるように、車椅子の正面をベンチに向けておいた。


「コメットちゃん、ごめんな。せっかくの休みやってのに、見舞いに来させてもて」

「ええよ、別に。退院してからアタシも暇やから」

「でも店の方、結構忙しいんじゃないん?」

「まぁな。おかげでおじいちゃんも元気にやってるわ」


 家では知善が、今も一人寿司を握っている。由美が亡くなった後、花江屋はその同情を煽ったかのように客足が増していった。その何よりの要因が、由美の人付き合いの良さであった。

 由美は日頃から、近所との繋がりを大切にしていた。そのため結果的に彼女の死が、皮肉にもその功を奏したのである。


 それに知善も、徐々にではあるが由美の死から立ち直ろうとしていた。彼女の遺してくれた地域との繋がりを、これからの生涯に活かしていくために。だから光莉も変わろうと思った。そんな祖父の、力強い姿を見て。


「でもまさか、にいちゃんが久瑠ちゃんを許してまうとはなぁ」

「あはは……」


 由美のことを思い出すと、やはり連鎖的にも初田、そして久瑠のことが記憶から蘇ってきた。

 無論、今さら敦の決定に口出すつもりはない。敦は自分の復讐への思いを断ち切るため……いや、形を変えた復讐を果たすために、久瑠を生かすことを決めた。それを私怨で踏みにじることなど、光莉にはできなかった。


「別に許したわけじゃない。ただ久瑠ちゃんには、生きててほしいって思っただけや」


 力を入れることも許されない、ただただ気の抜けた自分の平手を見つめる敦。それは彼の体が、体内進素と言う呪いにかかってしまったことを再認識させた。

 強引な体内進素の使用により、敦の体には体内進素を供給する道が生成されてしまっていた。スメシン曰くその道は、一度生成されてしまえばもう二度と絶たれるものではないものらしい。


 故にもし敦が激しい運動をしようものなら、彼の体は外部の進素よりも体内で生成した進素を消費してしまうことだろう。まだ若い彼の、残り少ない命の炎を燃やして。

 そんなこともあり光莉はレーウェンを通して、敦に運動を避けさせるようにと伝えた。その事後報告をしたレーウェンの顔は、敦への哀れみを含んでいた。何せ敦は久瑠との思い出でもある、走ることを捨てなければならなくなったのだから。


「ーー俺的には、寧ろコメットちゃんの方がよかったんかって感じやわ」

「えっ?」


 歩いてくる人達をぼぉーっと見ていた光莉は、急な敦の言葉に少しビクついた。


「コメットちゃんも久瑠ちゃんに……大切な人、殺されたんじゃないの?」

「ああ、そのことな……」


 初田のことを思い返し、あの時の記憶が蘇ってくる。

 初田が殺されたのを知った時、光莉は怒り狂った。しかし久瑠にとどめを刺した瞬間、痛みと共にやって来るある感覚があった。

 それが他者を殺めることへの恐怖心のせいであることは、意識が戻った次の日に気づいた。その日の目覚めは、久瑠を殺めてしまったと思い込んでいたこともあり、非常に最悪なものだった。


 だからこそレーウェンから久瑠の生存を聞かされた時、初田の件で安らぐ暇はなかったものの安堵した。それが、親友殺しの犯人の生存報告であったにも関わらず。光莉は自分の手を汚さずに済んだことに安堵したのだ。


「どうせアタシに人殺しはできへんから。にいちゃんのやり方には文句言わへんで。すごい英断やったと思う」

「それは嬉しい言葉やな」


 優しい笑みを含んだ敦の口は、ちらりとその前歯を見せた。反射的に光莉も、この空気に誘われて笑った。それはまるで、初田と話しているかのような雰囲気であった。

 もしかすると敦は自分にとって……。声に出さずとも、光莉は察した。


「アタシな、来年にお父さんの住んどる東京に引っ越すことになってん」

「東京に?」

「その方がレーウェンさんも、動きやすいらしいからな」


 それはレーウェンだけでなく、知善からの提案でもあった。光莉の力を知った知善は、その類の分野を扱っているレーウェンに、孫の保護を任せた。おそらく今回の一件で、知善は自分が光莉の荷物であることを悟ったのであろう。

 後に事の真相を知った一郎も、その意見に賛成。結果光莉は、父の住む東京へと移ることとなった。ちなみに知善にも共に東京へと越さないかとも訊ねたが、由美や杏子の思い出が詰まった家を出たくないとのことで、彼は一人この美濃市に残ることとなった。


「まぁ環境は大きく変わるやろうから、友達もそこで作っていけたらなぁって」

「そうなんや」

「言うても、おじいちゃんはここに住んどるからまた顔は見せにくるな」

「うん。楽しみにしとくな」


 ともかく五年生の一年は全うしなければならないので、光莉もまだしばらくは美濃市に住むつもりだ。

 その間にできる限り敦と関わっていけたら、そう光莉は考えていた。唯一のUMAの理解者として、一人の友として。


「にいちゃんは、これからどうするつもりなん?」

「どうしよっかなぁ。何せ運動ができへん以上、ランニングもできへんやろうし……」


 そう言うかと思ってたよ。光莉はズボンのポケットから、HBのデッサン用鉛筆を取り出す。それは敦と初めて会った日、彼が絵を描く際に使っていたものと全く同じタイプのものであった。


「これ、あげる」

「ど、どうしたん?」

「これでにいちゃんには、絵を描いてほしいねん」


 光莉は敦と初めて会った時から、彼の描く絵に惚れていた。彼の描く絵は現実世界を模したにも関わらず、どこか浮世離れしたような雰囲気が漂っている。それがたまらなく好きだった。

 鉛筆も八十円程の安いものではあるが、彼に絵を描くことの楽しさを思い出してもらえればと、わざわざ文具屋に買いに行った程だ。


「あ、ありがとう、コメットちゃん」


 思っていたよりも喜んでくれたので、光莉もつい嬉しくなって握り拳を作った。ーーよしっ!


「アタシはこれからも、ツリーフレンズと闘い続けるわ。それに近い将来、カレントも世間と広まっていくと思うし、あいつらを野放しにはしとけへんわ」


 おそらくツリーフレンズは、このまま黙って引き下がるようなこともしないだろう。何せ藪林達がやられたところで、失ったものは組織にとってのほんの一部に過ぎないのだから。

 だとするとまた、初田や由美ようなツリーフレンズによる被害者も出てくるかもしれない。それを未然に防ぐためにも、天生体である自分が立ち上がらなければ。そう光莉は決意していた。


「もちろん今のままやったら、アタシなんかスメシン抜きで戦えたもんじゃない。やからアタシも、努力して強くなろうと思う。あいつらツリーフレンズなんかに、負けへんようにな」


 自分は天生体ではあるが、カレントではない。だからこそ光莉は、これから自分を鍛えていこうと思った。今度こそ自分の大切なものを守れるように。ーーそう、自分のこの手で。


「やからにいちゃんも運命と闘ってみて。走るのができんくなったからって、にいちゃんにはもっと、すごいもんがあるんやから」

「……ありがとう、コメットちゃん」


 少し涙ぐんだらしい敦は、その少し震えた右手をこちらへと差し出してきた。そんな彼を見て光莉も、何も言わずに彼の手を握った。

 彼の手は握り返す力こそなけれど、温かかった。

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