吸血鬼になれ

 35


 先程まで藪林は、レーウェンと言う外国人に一方的な形で追い詰められていた。だがそんな彼が今、逆にそのレーウェンを追い詰めている。余裕の表情を見せながら戦っていたレーウェンが、苦しげな表情で藪林の攻撃を避けているのだ。

 加えてレーウェンも、藪林の全ての攻撃を避けきっているわけではない。猛攻を避けきれず、カスリ程度であるもののダメージを受けることが多々あった。あまりに続く打撃攻撃の応酬に、彼もバテてきているのだろうか。


「まずいな……レーウェンはんの苦手な長期戦や」


 光莉の隣に立っていたスメシンが、レーウェンの様を見て呟く。


「一体先生に……藪林に何が起こってるん?」


 全く今の状況が理解できず、敦はとうとうスメシンに訊ねた。

 が、


「敦とか言ったか。お前さん、あんだけのことしといてようワイに話しかけられるな」


 返ってきた返事はかなり辛辣なものであった。しかしスメシンの言うあれだけのこととは、一体何のことなのだろう。

 敦は進化剤を飲んでからと言うもの、光莉にぶたれた時以前の記憶がない。何せ気がつくと横たわっており、その横でボロボロになった光莉が敦の頬をぶっていたのだ。故にスメシンが言っている言葉の意味など、まるで理解できなかった。


「あれだけの……こと?」

「なんやお前さん、やっぱ覚えてへんのかいな。お前さん、今の藪林とおんなじことになっとったんやで。ただ藪林と違う点は、意識がなくて暴走しとったところやな」


 先生と同じことだって……。今の藪林はまさに、カレントを超越した存在となっている。その状態に敦もなっていたと言うのか。それも、意識の失って暴走までしていたと。

 しかしそうなってくると、あれ程優勢だった光莉達がボロボロになったことにも説明がつく。ならば自分は、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。ーー無実の少女を一方的に恨み、いたぶってしまうと言う罪深きことを。


「その辺にしとき、スメシン」


 だが一番の被害者である光莉は、そんな敦を庇った。


「にいちゃんをあんなにしてもたんにはアタシらにも責任がある。責める権利なんかアタシらにないわ」

「けっ。どんだけお人好しやねん、お前さんは」


 スメシンの言う通りだ。自分は被害者であるにも関わらず、その加害者に同情し、尚且つ咎めないなど異常だ。

 どうして自分はこんな聖人を、弟を殺した犯人だと思い込んでしまっていたのか。つくづく敦は自分が恥ずかしくなった。智也を殺した黒幕は、自分のすぐそばにいたと言うのに。恩師と言うだけで疑いを持たなかった自分が、ただただ許せなくなった。


「それに、にいちゃんは藪林に騙されとった。悪いのは全部あいつやんか」

「もうええわ。勝手に言うとけ」


 一方のスメシンは、敦のことをあまりよく思っていないらしい。まぁそれ相応のことをしてしまっている以上、こちらも彼を責める気にはなれなかった。

 寧ろ、彼がその程度の怒りで収まっているだけでありがたいと言える。


「コメット……ちゃん」

「ん、何?」


 真剣な眼差しを向けられると、少しこれからの発言が躊躇われてしまった。だがここで言わなくては、いつこの気持ちを彼女に伝えられるか。

 自分のすぐ隣に立っている光莉に向かって、敦は両手を合わせて頭を下げた。膝をつきながらは感じが悪いとも思ったが、そもそも足元がふらついて立ち上がることができなかった。


「ごめん! 俺が全部悪かった!」

「はい?」


「はい?」は寧ろこっちの台詞だ。なんで謝られて当然のことをされているのに、その自覚がないんだ。そんな態度をとられてしまうと、こちらが本当に悪いのかと言う疑問まで抱いてしまう。

 ともかくここは、年上としてきっちりと謝罪はしておかなければならない。


「俺、無実のコメットちゃんに攻撃したやん? それに、俺が暴れてたんも止めてくれたんやろ? だからごめん! あと、ありがとう!」

「そんな、アタシはなんとも思ってへんって」

「せやせや、感謝するんならワイに感謝しろ!」

「あんたはちょっと黙っといて」


 スメシンの左足を右足でこづく光莉。スメシンの顔は見えないので表情は読み取れなかったが、どうせ中では不貞腐れた表情をしているのだろう。

 へいへい、そっぽを向いてスメシンが腕を組んだ。見た目の割に彼は、随分と子供っぽいらしい。


「アタシもあいつらに大切な人を殺されたから、にいちゃんの気持ちもわかるわ。復讐心ってやつやろ?」

「……うん」

「でも今は、あいつと闘おうなんて思わんといて。この闘いの後でやったら、アタシもにいちゃんがやりたいこと手伝うから」


 それはつまり、弟の仇はまた今度討てと言うことか。しかし今の敦の復讐心の矛先は、完全に藪林へと変わっている。敦を騙し、智也殺しの犯人も久瑠から光莉へとすり替えた張本人。当然、許せるわけがなかった。


 そして、光莉には迷惑をかけたが、これらの問題全ては敦一人の問題だ。そもそも他人の安寧を願っているような優しい心の持ち主である光莉を、無理やり闘いに巻き込むようなことはしたくなかった。


「ありがとう。でもそのお願いは聞けへんな」

「何で?」

「これからは俺の問題やから。コメットちゃんにはもう、迷惑はかけたくない」


 それにスメシン曰く、今の敦には藪林と同等力があるらしい。ならば今のレーウェンの危機を救えるのは、自分以外に存在しない。自分しか藪林を止めることはできないのだ。

 そう言った決意の元、立ち上がろうと敦は足腰に力を入れた。しかしその途端、体が言うことを聞かなくなったかのように前へと崩れ落ちる。何なんだ、この妙な脱力感は。


「ほれ、言わんこっちゃない」


 格好つけて言い切ったばかりに、思わず敦は赤面した。


「あれ……なんで」

「お前さんの暴走を止めるために、ワイらがお前さんの血を抜いたんや。せやから今のお前さんは、軽い貧血状態になっとるっちゅうわけ」


 初耳だ。そんな大切なこと、もっと早く言って欲しかった。と言うか気を失うまで血を抜かれるなど、どれだけ自分は理性を保っていなかったのか。つい情けなく思えた。


「あともう一つ言っとく。これからはもう、体に力を入れん方がええと思うで」

「は?」

「お前さん、錠剤みたいなやつで過剰に進素を摂取したやろ。それが原因で、今お前さんの体にはある異変が起きてもうとるんや」

「異変……だって?」


 異変……。それは自分が理性を失ったことにも、何かしらの関係があるのか。


「ああ。進素は元々、体の許容量が決まっとる。せやけどお前さんが無理やり体ん中にそれ以上の進素を取り込んだせいで、その逆の作用が起こった」

「逆の作用?」

「進素欠乏、つまりお前さんの体は今、少し力を入れるだけで進素を消費してまう体になったんや」

「進素……欠乏」


 だが力を入れただけで進素を消費する体になったところで、使える進素がなければ問題ないはずだ。その趣旨も、敦はスメシンに訊ねてみる。


「結構賢いやんけ。でも進素の供給は、何も外部からの供給だけとは限らへんねん」

「どう言うこと、スメシン」


 どうやら光莉もその話に興味を示したらしく、大胆に首を傾げた。


「生物の体は一度進素欠乏を起こしてしもたら、その穴埋めとして自分の体内で進素に似たもんを作り出す。それがさっきのお前さんや、今の藪林みたいな異常な力の源や」

「体内で進素……ってことは、俺ら人間の体でも進素が作れるってこと?」

「それも外部からの取り込みと違って、自分の体に合った進素や。普段の進素を用いた時とは出力できる力が違う」


 それはつまり、自分に合った最高の進素と言うわけか。人間の体で進素を作ることができる。これが明るみになれば、カレントはさらなる力を手に入れられるのかもしれない。ふと敦は、そんなことを思った。

 しかし次のスメシンの言葉は、その夢を一気に叩き壊す。


「せやけどハヤスギが光合成してようやく生成できる元素を、たった一人のちっぽけな人間の体で作ろうと思ったら、一体どんな代償を払わなあかんと思う?」

「……代償?」

「生命エネルギー、答えはお前らで言う命や」

「せ、命ッ!?」


 驚きのあまり敦の声は出なかった。するとその心の声を、隣にいた光莉が代弁してくれた。

 体内進素を使用する度に自身の命を削る。そんなことを無意識にしていたと思うと、死を覚悟していたとは言え身震いした。言わば身に覚えのない借金の取り立てよりも、断然恐ろしい。


「じゃあ俺はもうすぐ……」

「その辺は安心しろ。お前さんの場合はまだ容体が安定しとる。せやけどこれから力を入れようってなると、危ういかもな」


 その言葉で、ひとまず安堵する。だがそうなってくると同時に、敦は疑問に思った。今フルパワーで戦っている藪林の場合は、一体どうなるのだろうか。

 命を削りながら戦っているーー。そんなことも知らずに彼は、レーウェンをいたぶっているのか。


「じゃあ先生は? 藪林はどうなるんだよ!?」

「あんな出力の状態を続けとるからな、もうすぐ力尽きるやろ。ありゃ進素が無限に取り込めるようになったと、勘違いしとるクチやで。せやけどあのままやったらレーウェンはんも危ない。もしかすると藪林が死ぬより先に、レーウェンはんが死ぬかもしれへん」


 ちらりと未だ戦闘を続ける藪林達の方へ、スメシンの頭が向いた。もうレーウェンは藪林の攻撃を避けようとせず、ただただサンドバッグのように殴られ続けていた。倒れるよりも前に、藪林の拳がレーウェンを痛めつけられていたのだ。


「じゃあ早くレーウェンさん助けな! あの人がおらんくなったらアタシら、これからどうするんよ!?」


 レーウェンは確か、何かの委員会に所属していたと聞く。つまり彼を失うことは即ち、この状況を他者に伝えるられる者はいなくなると言うことを意味していた。何せ子供だけではこの複雑な状況を、警察に伝えるのは困難なのだから。

 敦がレーウェンと会ったのは今日が初めてだが、改めて彼の立ち位置の重要性を十分に理解した瞬間だった。


「せやけど今のワイらには、あいつに太刀打ちできへん。馬鹿力にお化けみたいな治癒力、一体どないせいっちゅうんや。敦にやった血抜きは意識を保っとるあいつには通用せえへんし、かと言って治癒力を上回る火力を出せるやつもおらんし……」


 治癒力を上回る火力ーー。すなわちそれは、一撃で彼を倒す破壊力と言うことか。だとすればここに、最適な人材がいるではないか。


「俺に、やらせてくれへん?」


 敦は胸を張って、彼らに自分のことをアピールした。


「あんたには、物を硬くする力があるんやろ。だったら、それを俺の体に付与したらええやん。あんたの硬化能力と俺の体内進素を使った攻撃力、合わさったら藪林を倒すこともできるやろ」

「確かにワイには、触れた有機物の強度を上げる能力がある。現にカレントじゃない光莉の体を、ディフェンスルー以上に丈夫にしたわけやしな」


 どうやら光莉は、天生体ではあるもののカレントではなかったらしい。どうりで腕力が敦よりも弱かったわけだ。よくよく考えてみると、他にもそう思わせるような点はいくらかあった。


「それにワイの硬化能力は生命力に溢れとるもの程、その効力が増す。今の体内進素を使って生命力に満ち溢れたお前さんなら、多分えらい破壊力の拳が打ち込めるやろうな」


 だがそこで異を唱えたのは光莉だった。


「でもそんなことやったら……にいちゃんの寿命が」


 当然今の藪林と同じように、体内進素を使うとなると、寿命の短縮も必然的に起こりうるだろう。

 とは言え敦も、元より復讐のために無理な力を得た。それが人助けに使えると言うのなら、そうするに越したことはない。

 加えて光莉には、命を助けてもらった恩がある。その恩をきっちり返してこそ、本当の意味での恩返しだと言えよう。


「やらせてくれ! 藪林を倒す役は、俺にしかできない!」

「お前さんのその覚悟、気に入った!」


 強く敦の背中を叩いてくるスメシン。どうやらスメシンも、ようやく敦のことを認めてくれたようだ。なんだか前にドラマで見た、娘さんを僕に下さいと言うシーンに似た何かを感じた。


「せやけどそれ以外にも一つ、問題があるで。足りんくなっとる敦の血液は、一体どうやって補充するんや」

「アホやなスメシン。それならとっておきの方法があるやろ」

「方法?」


 今度は光莉ではなく、スメシンが首を傾げた。


「あんたがにいちゃんの血液になればええねん」

「はぁ!?」

「それってどう言うことだよ、コメットちゃん」

「ああ、私の左目には物質を複写させる能力があってな。それでスメシンの体も具現化させとうねん。ならそれを使って、にいちゃんの血も代用できへんかなぁって思って」


 それが天生体の力の正体なのか……。初めて聞かされるスメシン具現化の原理は、やはり敦の想像を遥かに超えていた。こんなものがこの世に存在していたとは、カレントと関わりがなかったら知るよしもなかっただろう。


 しかしスメシンは頭を下に向けて、ダメだこりゃと言わんばかりに首を振った。


「仮に血になったとして、それを輸血する方法はあるんかいな。血をタンパク質豊富な栄養食として飲んだとしても、それが血液になるには時間がえらいかかるで」

「でもそれで体の水分が増えるんやったら……にいちゃんの体内進素の力で何とかならへんの?」


 眉間に皺を寄せながら、光莉が意見を出す。おそらくそれは、彼女なりの敦への罪悪感の表れなのだろう。もはや体内進素を使う以外に、思い浮かぶ術がないことへの。


「まぁ進素には元より、生理機能も上げる作用があるしな。一応治癒力の向上も、その作用の一つやし、やってみる価値はあるかもしれへん。せやけどワイの具現化が解けたらコイツ、また貧血状態になるで」

「それなら大丈夫」


 貧血状態よりも、こちらとしてはスメシンが自分の体の中に入る方が心配だ。何をされるかわかったものではない。


「俺やって、やれることはやりたいから」

「そないか」


 そうと決まれば早速準備だ。だが血を飲むなんてこと、敦にはこれまで経験がない。それに唇を切った時にも血は舐めたことがあるが、とても飲み込めるような代物ではなかったのを記憶している。本当の本当に、そんなものを飲んでも大丈夫なのか。

 そもそも物質の複写ができるのなら、他の液体にもなれるのではないのか。


「でもスメシンさんよ、できれば血以外にはなれへんの?」

「無理無理。今シンガンで複写できる栄養価のある液体は、血ぐらいしかないねんから」

「ですよねー」


 大方予想はできていた返答だったが、それでもやるせなさは否めなかった。何せスメシンは、敦に吸血鬼になれと言っているのだ。例えそれしか藪林を倒す術がないにしても、これまで普通の食生活を送っていた敦には抵抗があった。


「あと言うとくけど、今血を出せるんは光莉だけやからな。お前さんに傷口を作ったところで、すぐに治るのがオチやし」

「……ってことは俺、コメットちゃんの血を飲むってことかよ!?」

「ホンマに!? そうなん、スメシン!?」


 聞いていないぞ……。光莉と敦は互いに顔を見合わせた。どうやら案を出した光莉でさえも、そんなことになるとは思っていなかったらしい。

 とは言え、光莉の血を飲もうものなら、敦に女子小学生の血を飲む変態と言うレッテルが貼られてしまう。無論敦にはそんな趣味もないし、何より、彼女に失礼だ。そもそも自分の血を渡して嗚咽される光景など、光莉も見たくない筈である。


「しゃあないやろ。それが今現在、ワイらができる最善の策なんや」

「……わかった。なら一刻も早く、やるしかないな」


 すると光莉は、着ていたパーカーの右腕部分を捲り上げ、中に着ていた黒のインナーも上に上げた。そして近くにあった敦のディフェンスルーを手に取ると、その刃で白い素肌をさっと撫でる。

 プツプツ、点をつけるように血の雫が出始めたところで、それを光莉はスメシンに向けた。決意した彼女の行動力には、もはや尊敬の念すら抱いた。


「じゃあ任せたで、スメシン、にいちゃん」

「ああ。任せて、コメットちゃん」

「ワイの能力は、具現化が解けた時点でタイムリミットが発生する。せいぜい時間で言えば二分、二分以内に必ず藪林を倒せ」

「……了解」


 敦の肩に手を置いたスメシンは、そのまま黒い粒子を撒き散らして消えた。これで硬化は完了したのだろうか。黒い粒子の行く先を辿っていくと、自分の頭上にそれは集まっていた。

 まさか口を開けて、顔を上に向けろと言うのか。低学年の時のように、雨の日で空に向かって口を開けて水を溜めたみたいに。


「にいちゃん、はよ口開けて! じゃないと血が!」

「お、おう!」


 もうヤケクソだ。そんな思いから、敦は叫ぶような顔をして口を開けた。

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