油断
「うちのにいちゃんなぁ、わけわからんモンスターみたいなんにハマっとってな。もう部屋中それだらけ」
「モンスター? 例えばどんなんなん?」
確か、最初にその会話をしていたのは久瑠だった気がする。思い返せばこの時から、彼女との関わりはあったのかもしれない。
「モンゴリアン……何やっけなぁ」
「何よそれぇ、モンゴル?」
「……モンゴリアンデスワーム」
当時から光莉は引っ込み思案であったため、彼らからすればその一声は意外だったであろう。その言葉を発した数秒間は、騒がしかったこの班も静まり返ってしまった。
しかし男子と言うものは基本、自分の話題に興味がある者を拒まない。智也もその例外に漏れず、光莉にマシンガンが如く話しかけてきた。
「よう知っとうな、船越! あとそう言うのまとめて何て言うんやっけ?」
「……UMA……未確認生命体」
「そうや未確認生命体! にいちゃんそれが好きやねん!」
「へぇ。すごいね」
それからと言うもの、光莉と智也の仲は次第によくなっていった。
事あるごとに智也が話しかけてきて、それを光莉が素っ気なく返す。そのやりとりが楽しいのか、向こうは何度も続けてきたし、光莉も別に嫌ではなかった。
寧ろみんなの知らない智也を独り占めしているような気がして、優越感のようなものすら感じていた。そう、あのいじめが始まるまでは。
ともかくそんなこともあり、光莉は敦の存在を知っていた。そのため彼がこうして、自分の名前が知られていることを不思議に思うのも無理はないだろう。何せ彼にとっては光莉など、何の関わりもないただの後輩だったのだから。
「いじめられる前はアタシと智也くん、結構仲がよかってん。やから嫌いにはなっても、アタシには智也くんを殺すことはできへんかった」
「はぁ? じゃあ智也は! 誰に殺されたって言うんや! デタラメな嘘吐いたって意味ないぞ!」
この顔、余程敦は光莉が犯人であると思い込んでいるらしい。まぁ間接的に言うと光莉も犯人ではあるので、強ち間違ってもいないが。
「立岩久瑠って女の子憶えとる? にいちゃんがまだ六年やった年に、駅伝優勝しとった子。その子が智也くんを……」
「そんなわけあるか!」
彼は持っていた光莉の腕を放り投げるように叫んだ。その勢いは、今度こそ自分の腕がちぎれてしまったかと思う程に強かった。
「久瑠ちゃんは俺の復讐のためにずっと手伝ってくれとったんや! やのにあの子が智也を殺した? そんな馬鹿なこと……」
「いや、その通りなんだ。敦くん」
すると突然、聞き覚えのある声がした。この声の主はおそらく、休憩時間にすでに会っていた彼の声だろう。
「藪林……ッ!」「先生!?」
敦と同じタイミングで視線を声の主の方へ向けると、そこには黒スーツを着用した見知らぬ男と、同じく黒スーツを着用した藪林が並んで立っていた。
何より驚いたのが、見知らぬ男の前にいた二人である。なんと手と腕をロープでぐるぐる巻きにされた、痛々しい姿の知善と由美がいたのだ。
「おじいちゃん! おばあちゃん!」
「「光莉!」」
「感動の再会ってやつか? まぁ私にとってはどうでもいいが」
よろよろと立ち上がり、唖然とした表情の敦が呟く。
「その人達は……」
「ああ、この人達は船越さんの祖父母だ。船越さんを呼び出すため、わざわざ誘拐したんだよ」
「なっ……誘拐ですって?」
「当然だ。こうでもしないと船越さんは、私の誘いに乗ってくれないからな」
首を左右に振って下を向く敦。その口からは小声ながらも、「そんなわけがない」と漏れていた。
「それよりも先生……智也を殺したのは久瑠ちゃんってどう言うことなんですか!?」
「どうもこうも、全ては船越さんの言う通りだよ。智也くんを殺したのは他でもない久瑠さんだ。船越さんをうちの組織に引き入れるための、前金のようなものとしてやってもらった」
「何が前金や! アタシは殺してくれなんて頼んでへんわ!」
勝手に人を悪人のように言うのはやめてほしい。そこでこっちを見ている知善と由美が怯えてしまっているではないか。
「じゃあ船越光莉が……コメットちゃんが智也を殺したってのも……」
「勿論嘘さ。君に進化剤の服用を催促させるためのなぁ」
地味にコメットちゃん呼びに戻っているところを見ると、どうやら敦からの疑いは晴れたらしい。ひとまず誤解が解けただけでも安心だ。
「だが驚いたよ。まさか君が、進化剤を服用する前にカレントになるなんて。おかげで今回は素晴らしいデータが取れた。ここまで船越さんにもダメージを与えてくれたのも合わせて、まとめて礼を言うよ敦くん。ありがとう」
「そんな……」
信じていた者の裏切り。それは敦にとって、弟をなくした穴をほじくり返すに等しい行為だったに違いない。
彼は口を開けたまま膝をついてへたり込んだ。その表情はもう、見るに耐えない程の絶望を描いていた。
「スメシン!」
光莉はミニリュックの中に入れていた最後の大葉を取り出し、中に投げた。そして地面に落ちる前にその大葉を、隣に立っていたスメシンが硬化させて藪林目掛けて飛ばす。いつ見てもスメシンのこの軽やかな動きには脱帽させられる。
合計で飛ばした大葉の数は五枚。一枚を除いて全て藪林とその部下に命中した。
だが冬で厚着していたこともあり、そこまでの致命傷にはなっておらず、深く刺さっていなかった大葉は地面へと落ちた。落ちなかった大葉は、藪林の右腕に刺さっていたものだけとなった。
「気が早いなぁ船越さん。まだ私達が攻撃すらしかけてないのに。しかもおじいさんとおばあさんに当たったらどうするんだ」
「黙れ! あんたらがおじいちゃんとおばあちゃんを連れ去った時点で、もう宣戦布告とおんなじや! それにスメシンが攻撃外すわけないやろ!」
「光莉、それはちょっと言い過ぎや……」
胸を張って言ったつもりだったが、スメシンの申し訳なさそうに頭を掻く仕草を見て、思わず光莉も頬を赤らめた。
五枚投げた内の一枚は、彼らに当たっていない。その間を綺麗に通過してしまったのだ。もしあれが知善と由美のどちらかに当たっていれば……。そんなこと、想像したくもなかった。
「コホン……」
ともかく、これからはスメシンの物を投げる時のコントロールも過信しない方が良さそうである。先程の発言を誤魔化すべく、光莉は軽く咳き込んでから次の言葉を発した。
「藪林、早くおじいちゃんとおばあちゃんを安全な場所に移動させろ。じゃないとアタシも十分に戦われへん」
「君、何か勘違いをしてないか?」
「はぁ?」
「元より私達は、戦いをするためにここへ来たのではない。君を捕獲するために来たんだ。脅されている立場の君に、発言権があるとでも?」
「なっ、汚いで!」
やはり今の知善達は光莉への見せしめ、人質。どう動こうとも彼らがいる以上、光莉に拒否権はないと言うことか。
それに加え、敦との戦闘で疲弊した後では十分な戦闘もできない。やられた、これら全てが藪林達の計算通りだったと言うわけか。
「船越さん……いや、ここはコメットちゃんと言った方がいいかな」
「その名前で……呼ぶなッ!」
「口を開くなクソガキ! お前には発言権がないと言っただろうが! 同じことを何度も言わせるんじゃない!」
急に口調が荒くなった藪林に、思わず光莉もびくりと体を震わせた。普段から彼はその中身とは裏腹に、優しげな話し方をしている。そのため今のような彼の本性を見るのは初めてだった。
どうやらそれは敦も同じだったようで、うなだれた体勢を保ちながらも一瞬肩を震わせていた。
「私はね、動画や写真の撮影が趣味なんだ。だから夜景や花火など、暗いところで映える光を写すことが多々ある。しかしその際、時たまカメラがぶれたりして光の線のようなものが撮れたりするんだ。そう言う邪魔な存在を、我々の業界ではコメットテールと呼ぶことがあるんだよ」
「コメット……テール」日本語に訳すと「彗星の尾」と言う意味だ。
「これが中々憎たらしい存在でね、これが写ってしまったものは失敗作になる。君と同じだよ。君は私の人生の物語を狂わせる、コメットテールそのものさ」
「そんなことない!」
すると縄で身動きが取れないにも関わらず、由美が大きな声で叫んだ。
「光莉は私らにとっての希望の光やった! この子が生きててくれたおかげで私らは、今も生きようと思てるんや! だから光莉、あんたは胸を張って生きなさい!」
「やかましい、この老いぼれババアがッ!」
藪林の力を込めたであろう拳が、由美の腹部の一撃を叩き込んだ。
カレントの岩をも破壊する拳。それを生身で受けた由美が、その場に患部を押さえながら倒れ込む。この時見えた表情は、光莉が彼らと接してきた中で一番苦しげなものだった。
「うっ……うっ」
「ゆ、由美!」
すかさず知善が倒れた彼女に駆け寄ろうとした。が、彼を捕縛する縄がそれを邪魔する。
「由美ぃ……」力のない声が彼の無念を感じさせた。
「おばあちゃん! おじいちゃん!」
「あなた方が間違ったことを言った罰です。船越さんは希望の光ではありませんよ。私のコメットテールです」
許せない。歯軋りして光莉は藪林を睨みつける。
こんな悪がこの世界に存在してもいいのか。否、存在していいわけがない。例え命を奪うことができなくとも、鉄拳制裁ぐらいなら誰も文句は言わないだろう。
「さぁそろそろ時間だ。コメットちゃん、私達についてきてくれるね?」
だがそんなに彼のことを恨んでも、逆らうことはできなかった。何せ相手には人質がいる。それを盾にされては、光莉としてもできることができなかった。
藪林の方に向かって歩き出す光莉。その姿を見ていたスメシンも、何も言わずに立ち尽くしていた。彼も彼で、光莉の気持ちを考えてのことだったのだろう。
そして、次の瞬間だった。
「グハァッ!」
藪林の隣にいた彼の部下が、突然後頭部辺りから血を吹き出して倒れた。途端に知善達を縛っていた縄を持つ手も緩まり、知善が前のめりになって倒れる。
返り血で知善の顔中が赤に染まった。だがそれ以上に驚いたのが、藪林の部下が倒れた際に見えた、頭部に刺さった大葉だった。
あそこまで深く後頭部に刺さっているとなると、もう大葉は脳まで達していたのかもしれない。しばらくピクピクと体を硬直させていた彼であったが、次第にその動きは小さくなっていった。
それは初めて見た、人の死の瞬間であった。勿論動揺は隠せずブルブルと体を震わせたが、その感傷に浸っている暇など今の光莉にはなかった。
「知善さん! 由美さんを連れて今の内に!」
聞き慣れた彼の声が、場違いな城跡に響き渡る。
「あっ、させるか!」
懐から取り出した黒い、ディフェンスルーらしき大型ナイフのようなものを片手に、藪林が知善に切りかかる。だがその直前で、あたかもスーパーヒーローのように彼は姿を現した。颯爽と、藪林をも超える高身長で、金髪碧眼の彼が。
ガチッ。藪林のナイフとレーウェンのディフェンスルーが、軽く火花を散らして重なり合う。
「スメシン、今の内におばあちゃんらを!」
「任せろ!」
スメシンは光莉の顔を軽く見て頷くと、すぐさま知善達の方へと駆け寄っていった。その手に例の白ネギを持って。
「誰だ、君は」
「僕はレーウェン。カレント対策委員会の者です」
「何、対策委員会だって!?」
驚いた表情に顔を歪める藪林。その隙にスメシンは、縄でぐるぐる巻きにされていた知善達の縄を、硬化させた白ネギで切った。
ただ先程の藪林の一撃で由美が動けなくなったらしく、それを支えるためにスメシンは、知善と共に由美に肩を貸した。少し離れた場所まで同行するらしい。
「レーウェンさん、どうしてここへ!?」
疑問に思った光莉が問いかける。
「近藤さんから連絡があってね。急いで飛んできたんだ」
「近藤さんが!?」
どうして近藤が光莉の状況を知っていたのかはわからない。だが今回も彼のおかげで助かった。
彼はもうカレントの件からは手を引いたので、会うことはないだろう。それでもこの感謝の気持ちは忘れることもない。せめて心の中だけでもと、光莉は彼へ精一杯の感謝をした。
「観念した方がいいですよ、藪林啓司さん。いえ、動画投稿者のゲヘルツさんと言った方がいいのかな」
「なぜ君が、私の名前を?」
「もうあなたの素性は調査済みですよ。ツリーフレンズのメンバー藪林、このまま戦いを続けても無意味かと」
「……ふざけるな!」
藪林が怒り狂ったように裏返った大声で叫ぶ。そして鍔迫り合いでレーウェンのディフェンスルーを押し返すと、一歩二歩とステップで後退した。その表情には先程のような余裕は一切感じられず、ただただ焦燥しているようであった。
そんな彼をまっすぐ見つめながら、レーウェンは右肩にディフェンスルーの峰を置く。さらには余裕綽々と言った笑みを浮かべて、煽り立てるように口を開く。
「僕、あなたの動画好きだったんですよ。でもこんなことをしている以上、見過ごすわけにも行きませんから」
「舐めた口を聞くな小僧、それは私の台詞だ。私とて、大事な視聴者を手にかけるようなことはしたくない。だがこうなってしまった以上、お前を殺さなければ私の気が済まない!」
藪林がナイフを逆刃にしてレーウェンへと切りかかった。だがレーウェンは優れた動体視力を駆使して、ギリギリのところでそれを避けた。ムキになった藪林が続けて何度か切りかかるが、その度にレーウェンは攻撃が当たる寸前で避けた。
まさか彼は、藪林に圧倒的な敗北感を植え付けるため、わざとこんな嫌味な戦い方をしているのだろうか。
「なぜ、当たらないッ!?」
「あなたの攻撃など、僕からしてみれば止まっているように見えます。だから僕は、無意味だと言ったんです」
そろそろ頃合いかな、そう呟いたレーウェンが藪林の右腕に斬撃を叩き込んだ。服を切り裂いてできた傷口は、それはもう深くまで切り込まれていた。
「ぐっ……右腕がッ!」持っていたディフェンスルーらしきナイフを落とし、傷口を押さえる藪林。
「まずは右腕です」
光莉との戦闘時では、レーウェンもこんな戦い方はしていなかった。短時間で相手の力と気力を削ぎながら戦う。おそらくそれが彼本来の戦い方なのだろう。しかしそれを知った途端、光莉はこれまでのレーウェンとの戦いが、全て茶番であったことを痛感させられた。
わかってたけど、悔しいな……。改めて彼の戦闘力の高さを目の当たりにすると、それだけで溜息が漏れ出た。
「次は左足をもらいます」
「クッ……舐めやがって!」
左拳に力を入れて、藪林がレーウェンへと殴りかかる。しかし利き手ではないと思われる方での攻撃なので、それだけ動きにも無駄があった。加えて武器も持たないところを見ると、まさに闇雲な攻撃と言える。
「うっ……があッ!」
当然レーウェンが手加減するはずもなく、藪林の攻撃をふらついたような力のない動きで避けた。そして幻のような素早い斬り込みで、藪林の
左足から膝をついた藪林が、苦痛の表情でレーウェンを睨みつける。一方のレーウェンはと言うと、そんな彼を不敵な笑みを浮かべながら見ていた。これではどちらが悪役かわからない。
「もうわかったでしょう。あなたは僕に勝てないってね」
「だ……黙れ」
これが藪林の悪行のつけか。光莉は率直な感想を抱いた。
「あいつ、もう無理やな。レーウェンはんもバテる前に決着ついてよかったわ」
急にスメシンの声が聞こえたので、少し光莉は驚いた。
「スメシン? おばあちゃんは無事なん?」
「一応安全な場所へは避難させといたで。せやけどあの容体やったら、結構危ないかもな」
つまりはこの戦いを早く終わらせて、急いでレーウェンに救急車を呼んでもらわなければならないと言うことか。となると、彼に遊んでいる暇はないと言う趣旨を伝えなければ。
それに彼は優れた動体視力こそ持っているが、カレントとして見るとその素質はあまりない。筋力も、スタミナも治癒力も、全てにおいて他のカレントと劣っているように思えた。だからこそスタミナが切れる前にはもう、相手を倒しておく必要があったのだ。
「レーウェンさん! おばあちゃんの容体が危ないねん! 早く決着をつけて!」
「ああ。わかったよ」
レーウェンがこちらを向いて微笑みかけてきた。だがその一瞬だ。その一瞬の隙が、藪林にチャンスを与えてしまった。
服のポケットから取り出した何かを、彼が口に放り込む。それもまるで、敦の時と同じように。
「あ、あれは! レーウェンさん、気をつけて!」
「何? どうしたんだい、コメットちゃん」
「もう遅い! 私の勝ちだ!」
瞬間、レーウェンの体が空中で寝転がっているかのようにぶっ飛ばされた。そしてそのすぐ側には、ただならぬ覇気を纏った藪林の姿があった。表情も今日初めて出会った時のものと同様、余裕のあるものへと戻っている。
やはり遅かったか。この光景には隣で放心状態だった敦も、目を丸くしながら見ていた。
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