カレントを超えし者

 34


「うりゃああッ!」

「うぐっ……」


 ボロ雑巾のように投げ捨てられた光莉は、無理矢理その傷ついた体を起こした。こうでもしないと、また彼の攻撃が無慈悲に飛んでくる。動かなければ。

 全身が壊れかけた機械のように軋んだ。そして肩、腕、脚、様々な箇所に激痛が走る。これは打撲以外にも、骨折している箇所がありそうだ。


「ふうぅぅ……」


 だがどうやら、彼にもインターバルと言うものが存在するらしい。多少なりとも生物じみたところはあるようだ。

 活動を停止して立ち尽くし彼を眺めていると、スメシンがよろめきながら近づいてきた。彼がスメシンに見向きもしないところを見ると、あくまでも標的は光莉だけらしい。どれだけ執念深いやつなのだろうか、彼は。


「智也くんの……にいちゃんか」


 彼は智也のことを弟だと言っていた。笛口智也のUMA好きな兄……それは光莉の知る限りでは、笛口敦と言う二つ上の男子中学生だけだった。小学校で見覚えのある顔とは思っていたが、こうして互いに関わるのは初めてだ。

 確かに敦とは、一度会ってみたいと思っていた。だがまさか、こんな形で出会うことになるとは考えもしなかった。それも誤解で命まで狙われるなんてことは。


「立てるか……光莉」


 互いに肩を支え合い、ふらふらと立ち上がる光莉とスメシン。その不釣り合いな身長のせいで、スメシンは中腰の姿勢になってしまっていた。


「何なん……あのデタラメな力」


 しかしあれだけ優勢と思っていた戦況が、こうも一変するとは思ってもみなかった。何より驚かされたのが、敦の異常なまでに強化された攻撃力だ。

 スメシンの力により硬化された光莉の体は、ディフェンスルーと同等の強度を誇る。だかその頑丈さを持ってしても、彼の拳から放たれる衝撃には耐えられなかった。


 敦の攻撃を受けた際、一瞬だが血が見えた。しかし光莉は打撲や骨折こそしているが、見える程の外傷は負っていない。そのことから考えるに敦は、自分自身の肉体が悲鳴を上げる程の力を、無理矢理引き出しているのだろう。

 それ以上に厄介なのが、その体の脆さを補う再生力だ。確かに敦は攻撃の際に自身にもダメージを受けている。が、それが重傷となる前に怪我の治癒を終えているのである。


 圧倒的な火力と驚異的な再生力を持った化け物。こんなもの、一体どう攻略すればよいのか。


「スメシン……あの力ってどう言う原理なん?」

「おそらくあれは、進素の膨大なエネルギーが生み出したもんや。せやけどまさか、人間にあんなことができるとは思わんかったけどな」

「そっか……やっぱりさっきにいちゃんが飲んだ何かが、何かしらの影響を与えとるってことか」


 ともかく今は、半ば暴走状態に陥っている敦をどう対処するかを考えなければならない。

 もっとも、今の彼にはおそらく意識がなかった。言うなれば無意識の内に、目に映った光莉を攻撃している感じだろう。ならば、あの手が有効かもしれない。


「よしスメシン、あの手で行こ。レーウェンさんと初めて戦った時に使った、あの手」

「おっけ。任せとけ」


 親指を立てて頷くスメシン。しかし互いに疲弊しているのはわかりきっていたので、その仕草は心なしか弱々しく見えた。


「船越……光莉ィッ!」


 敦が物凄い勢いでこちらへと向かってくる。これに擬音をつけるなら「ドドド」、それぐらいの迫力はあった。


「頼むわ」

「よしっ!」


 黒い粒子を撒き散らすと共に、スメシンの姿が消えた。地面に落ちる寸前だった長ネギを右手で拾い上げ、少し離れた場所に放り投げる。

 両手でディフェンスルーを固く握りしめた光莉は、カウンターの姿勢をとって構えた。だがその視線の先には、もうすぐそこまで敦が迫っていた。


 その時である。敦の頭部を覆うようにして、黒い粒子が集まり始めた。粒子が彼の頭部を覆い尽くすと、それを実行したスメシンも声を上げる。


「今や、光莉!」


 狙うは足の脛、前にレーウェンにもやった戦法だ。足を狙えばそれだけ動きの制限も狙える。治癒している間にも攻撃を続ければ、体力の消耗も測れるだろう。


「おりゃあッ!」


 ディフェンスルーから繰り出された一撃は見事、敦の右脛にクリーンヒットした。軽い呻き声を上げる敦。少しぐらいはダメージが入ったか。


「まだまだ!」


 尚も光莉の追撃は止まらない。先程受けた分を倍に返す勢いで、何度も何度も敦の脛にディフェンスルーを打ちつける。苦痛に歪んだ彼の顔が、良心を残した光莉の罪悪感を抉った。


 ただ問題は、敦の進素供給上限がどれ程のものなのかと言うことだ。

 今の敦は明らかに異常な戦闘力を有している。それもまだ、限界と言うものが見えてこない。言わばリミッターの外れた暴走列車である。

 しかしどんな乗り物にも必ず、ガス欠なるものは存在する。永久の絶頂など、それこそ存在はしないのだから。ならばその底を見せるまで、攻撃を続けるのみだった。


 が、


「うっ……ううああッ!」

「ぎゃっ」


 何度目の追撃かわからなくなってきた頃合いで、敦は右足の蹴りを光莉の腹部に入れた。嗚咽し、その場でしゃがみ込む光莉。思わず持っていたディフェンスルーからも手を放してしまった。

 そしてその呻き声を、視界を遮られた敦は聴き逃さなかった。


「死ねぇぇぇッ!」


 敦の右蹴りが、光莉の頭部に直撃する。途端に襲ってきた激しい頭痛を感じる間もなく、光莉は六メートル程宙を舞った。これではまるで、スメシンが敦にやったことのお返しだ。

 光莉は打ち身にでもなりそうな勢いで地面に叩きつけられた。無論これぐらいの衝撃で打ち身になる程、光莉の体もヤワではないが。


 声で他人の位置がわかる程の聴力はないと思いたいが、それでも光莉は声を押し殺した。先程の彼の行動は、そう思わせる恐ろしさがあった。

 何とかしてこの状況を打破しなければ。だが一体どうやって……。そうこうしている内にも、スメシンによる目くらましは徐々に消えていった。


「船越……光莉ィ……」


 敦は血走った目でこちらを見てくる。何やらインターバルまでの間隔が短くなっているのか、未だ彼は動こうとしない。しかしその目にはなぜか、涙らしきものが溜まっていた。

 目にゴミでも入ったのか、はたまた目が開けっ放しで乾いてしまったのか。いや、そんなわけがない。彼は確かに泣いている。だがなぜ……。


〈光莉! ぼぉっとすんな!〉

「はっ!」


 頭の中で叫ぶスメシンの声が、爆発音のようにこだました。

そうだ。今は戦闘中、ほおけている余裕などない。


〈今からもう一度ワイが具現化する。そん時に、光莉には大葉を取り出しといてほしいんや〉


 大葉だって。光莉は体を起こして、背中のミニリュックに手を当てる。硬い弁当箱の感触で、その存在を思い出した。


〈お前のリュックん中に大葉が入っとるやろ。それでなーー〉

「えっ…………」


 スメシンの作戦を聞き終えると、光莉は確信した。これなら彼の暴走も止めることができる。だが同時に気も引けた。何せその作戦は、敦の命も奪いかねない危険なものだった。

 ついに自分は人を殺してしまうかもしれない……。光莉は両肩に両手を重ねる。今からやる行為は久瑠にしたものよりも残酷だ。いっそのこと殺人未遂で止まるなら止まってほしかった。


「殺す!」


 ただ、なりふりも構っていられない。インターバルが明けた敦が、またこちらに向かって走ってきたのだ。

 光莉は自分に悩んでいる時間など残されていないことを、改めて悟る。


〈光莉、頼むで〉

「……わかった」


 すかさず光莉はミニリュックに手を突っ込み、小さな弁当箱に入れていた大葉を五枚取り出した。そしてそれを宙に放り投げると、できるだけ敦との距離を遠ざけるように走った。

 だが大葉を取り出す作業に時間をかけ過ぎてしまっていたため、進撃する敦はもうすぐそこまで迫っていた。無論、これも想定内であった。

 これで敦は、放り投げた大葉の方向から背を向けたのだから。


「う、う、うっ……」


 光莉を殴りかかろうとした状態で、敦の動きが止まる。その背後にはあたかも手裏剣を投げるかのような、低い体勢のスメシンが立っていた。

 そう、スメシンが敦に向かって投げたのは他でもない、硬化させた大葉だった。それもただ硬化させた大葉ではない。タバコサイズに細く丸め、硬化させた大葉だ。


 光莉を殴っている時、敦の拳からは血が出ていた。それは彼の皮膚がカレントと同強度故に、それよりも硬い光莉を殴る度にダメージを受けていたからだろう。

 ならば硬化した光莉の皮膚と同等の強度を持つディフェンスルーも、敦にダメージを与えることができる。そしてその強度とも対等を張れる、スメシン産の硬化野菜も同じだ。


「うっ……りゃあ!」


 当然彼の治癒力であればその程度の刺傷、治せないわけがない。だが本題は、その傷が塞がった後である。


「こんな手、使いたくなかったんやけどな」


 敦の背中から、噴水のように鮮血が溢れ出した。筒状に硬化させた大葉がパイプとなって、敦の血液を外へと放出し始めたのだ。

 もはや治癒だけの問題ではない。そもそも引き抜くと言う行為をしなければ、敦の止血は不可能だった。しかし暴走状態で正気でない敦は、そのような思考がない。ただただ血が噴き出すのを感じ、小刻みに体を震わせているだけだった。


「うッ……」


 思っていたよりも出血が酷かったためか、すぐに敦の体はふらつき始めた。そしてそう時間もかかることなく、その場にうつ伏せになって倒れ込む。


「にいちゃん!」


 敦に駆け寄った光莉は、すぐに膝をついて彼の呼吸を確かめた。息はあった。


「よかった……まだ生きとる」


 急いで刺さっていた大葉を引き抜き、止血を試みる。すると彼の体はそれに応えるかのように、驚異的なスピードで傷口を塞いでいった。


「光莉、どけ」

「えっ?」


 だが光莉のすぐ隣に、突如として棒状のディフェンスルーと刀状のディフェンスルーが落ちた。ガランガランーー。金属同士がぶつかる特有の音が鳴り響く。

ふいに上を見上げると、そこにはいつの間にか白ネギを拾い上げていたスメシンの姿があった。


「どうしたん、スメシン」

「そいつは危険過ぎる。殺さなお前さん……死ぬで?」

「なっ……この人を殺すってこと?」

「別に光莉が殺すわけちゃうねんからええやろ」

「はぁ!?」


 いいわけがない。どれだけ敦がカレントの力をも凌駕する危険な存在と言えども、人が死ぬのを見るのは見るのももうたくさんだ。

 それに彼は悪人でもなんでもない。ただ弟の死で閉ざされてしまった心を、藪林につけ込まれて利用された被害者だ。何せ光莉の正体を知るまでは、あんなにも優しく接してくれたのだから。その仮説も間違いではないだろう。


「スメシン……アンタって人間の命を軽く見てへん?」

「当たり前やろ。たかが一人の人間の命と崇高な神の命……まぁ正確には天生体ってやつやけど。ともかく、そんなん比べるまでもないわ」

「馬鹿野郎!」


 光莉はスメシンの脛を蹴った。同時に自分にも痛みが伝わってきたが、どちらかと言えば蹴った自分の足のつま先の方が痛かった。カレントと同等の皮膚強度を持つスメシンと、硬化が解けてただ人間クライドに成り下がった光莉。そうなるのは当然だ。

 だがスメシンにも光莉の痛みは伝わったようで、つま先を押さえながら叫んだ。


「痛っ!」

「命になぁ、優先順位なんかつけたらあかんねん!」

「うるさい! ならお前さんはあん時、初田はんと立岩久瑠、どっちが死んどったらよかったんや!?」

「うぐ……」


 光莉の浅はかなエゴは、スメシンの一喝で脆く崩れ去った。確かに彼の言う通り、光莉にとって久瑠の命は初田よりも格下だったのだから。

 だがそれでも敦の命を取るぐらいなら、人の死を見るぐらいなら、光莉は自分が死んだ方が楽だと思えた。だからこそ光莉は、意を決して敦の頬をぶった。


「起きろ、笛口敦! 起きてアタシをぶっ殺せ!」


 気を失っている以上、この程度でも敦が目が覚めないのはわかっている。でもこのまま彼が何も知らされずに、ただ殺されるのはどうしても許せなかった。


「おい光莉、何しとんねん!」

「見りゃわかるやろ! 人殺しするぐらいやったらアタシが死ぬわ。ほら、起きろ敦!」


 何度も、何度も敦の頬をぶつ。彼の頬はもうカレントの皮膚のように硬くはなく、人肌の柔らかさを取り戻していた。故に赤く腫れ上がり、心なしか彼の表情も苦しげになってきた。


「起きて! にいちゃん!」

「……イテ……イテッ!」


 そしてとうとう、敦の意識が戻った。それも先程のように、力を制御しきれず本能に突き動かされた傀儡ではない。正真正銘、今日初めて会った時の敦だった。

 彼の覚醒に思わず、感極まって光莉も大声を上げた。


「やったぁ!」

「おい馬鹿! ……もうええ、勝手にせい!」


 とうとうスメシンも折れてくれたのか、呆れたような口調でそっぽを向いた。やはり彼は仮にも神、人間の価値観にはまだ慣れないようだ。


「お、お前は船越光莉!」

「気がついたんやな」


 光莉の顔を見るや、驚いた表情をする敦。弟の仇だと思っていた相手が、自分のすぐ側で介抱してくれているのだから無理もない。

 ただ彼に至っては、感謝するどころかすぐに目の色を怒りのものへと変え、睨みつけてきた。光莉の正体を知った、先程と同じように。


「お前……俺に何した?」

「何って、単に介抱してあげただけやで」

「介抱やって? 俺をぶってか?」

「そ、そりゃあ……あれよ。誤解や。あんたがアタシを弟の仇やと勘違いしたんとおんなじ」

「何やとッ!?」


 腰を下ろしていた光莉の両腕を、敦は強く握りしめた。

 痛い。でもそれ以上に彼が苦しんでいることを考えると、この痛みも我慢できた。


「にいちゃんの名前、笛口敦って言うんやろ?」

「なんでお前、俺の名前を……」

「昔な、智也くんから聞いてん。UMAが好きな、変わり者のにいちゃんがおるってな」


 思い返す、一年前の智也との会話。

 智也は四年生の時も光莉と同じクラス、そしてすぐ隣の席だった時期があった。とは言え智也は常にクラスの人気者で、とても光莉には届かないような存在だった。とても話しかけるような話題などないと思っていた。

 しかしある日の給食の時間に、彼がしていた例の話題。それが元で二人の仲は急接近することとなる。それこそ先程にも言った、UMAについての話題であった。

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