これっきりだ

「そう……やけど」


 まさか……。どうやら彼も、目の前の相手が自分と敵対する相手であることを確信したらしい。


「そうか……君が船越光莉やったんか」

「ならもしかして……にいちゃんが……」

「もういい、何も言うな」


 彼も気を利かせてのことなのだろう。これから戦う相手と話す必要はない、そう判断させるための。

 運命とはどれ程残酷なものなのか。せっかく自分と同じものに興味を持っていた……わかりあえると思っていた人物と、こうして対峙しなければならないのだから。


「一つ聞かせろ」

「……何?」


 もう二人の距離は、昨日のものとは違った。あくまでも敵同士、互いに後ずさりするような感じだ。


「どうして二人を?」

「どうしてって……」


 二人とは、田中と久瑠のことを言っているのだろうか。そんなこと、言わなくても向こうはわかっているはずだが。

 もしかすると彼は、わかっていてあえて訊ねてきているのかもしれない。光莉の心の奥底に眠っている罪悪感を、引っ張り出してくるために。光莉の今の心情を、戦闘に支障が出るレベルにまで掻き乱すために。


「そっちが喧嘩売ってきただけやろ?」


 だがそれはお門違いだ。確かに殺生には抵抗はあるし、絶対にやりたくないとも思っている。とは言え光莉は、実際に殺生をしたことがない故に胸を張って言えた。自分は何も悪くないと。


 無論、久瑠危うい状態まで持っていってしまったのは紛れもなく事実だ。現にその時は罪悪感や虚無感などの、様々な思考が頭に浮かんでいた。

 ただ、田中に関しては自分が直接手を下したわけではない。そのためそれを追求されたとしても、罪悪感を感じたかと問われれば否と答えるだろう。彼は彼の意思で自害したのだから。


「アタシは……悪くないから」


 それに第一、やることなすこと全てに罪悪感を抱いていては、これから彼らと戦っていくことなどできるわけがない。初田のような犠牲者を出さないためにも、そのことはすでに念頭に置いていた。


「そうか。君……いや、お前が思っていた通りのやつで助かったわ」


 何も掻き乱せないことを理解したらしい彼は、その背負っていたギターケースからあるものを取り出した。もう嫌と言う程見てきたその形状には、もはや何も感想など抱きたくなかった。


「スメシン、準備できとる?」

〈いつでもできとるわ〉


 32


 ようやく自分の趣味と理解の合う人間が現れた。そう思ったら、実はその人間が弟の仇だった。こんなフィクションのような展開には、正直心が磨り減った。


 そっちが喧嘩売ってきただけやろーー。光莉は敦の問いにこう答えていた。確かに智也が彼女にいじめと言う形で喧嘩を売ったのは事実だし、彼女からすれば久瑠の保護も鬱陶しかったと考えると、その答えも納得できる。

 ただ、たったそれだけの理由で智也の命を奪い、久瑠も意識不明の重体にさせるのは話が違う。子供故の無邪気な考えでは、もう擁護はできないレベルに達していた。


 だから敦も、彼女に同情するのはやめた。愛する家族の無念のためにも、心を鬼にして彼女を殺すことを決意したのだ。ーーそう、全ては最初に戻っただけ。


「うりゃああッ!」


 持っていた刀状のディフェンスルーをきつく握り締め、敦は光莉に斬りかかった。一瞬彼女もたじろぐ素振りを見せたが、すぐに臨戦態勢へと入った。


「スメシン!」


 その黒い粒子のようなものは突然現れた。それが見るからに男性の肉体を形作った時、敦は確信する。これが藪林の言っていた、天生体の力なのかと。己に眠る神を具現化する、彼女の力を。


 具現化した神の頭部は、包帯のようなものでぐるぐる巻きにされていた。さらにその正面には、なぜか『米』と言う文字が書かれていた。奇抜な頭部には目を見張ったが、それでも全身黒のスウェットとスラックスの出で立ちのせいで、とてもじゃないが彼が神だと思えなかった。

 ただ、敦よりも頭二つ分ぐらい高い身長とその見えない表情のせいで、ただならぬ圧力は感じた。


 悟よりも頭一つ分ぐらい背の高い神が具現化を終えると、すぐさま光莉はミニリュックから顔を出していた、長ネギらしきものを引っこ抜いて彼に手渡した。


「ほら、スメシン」

「あいよ」


 どうやら彼はスメシンと呼ばれているらしい。なんとも間抜けな名前だ。しかし名前の由来はどうであれ、今は彼を倒すことに集中せねば。


 体に力を入れると、普段のそれを通り越してしまうぐらいの力が入った。際限のない、強力な力。そうか、これがカレントが普段味わっている感覚なのか。改めて敦は、自分に力があることを実感した。

 前に、久瑠から感情と進素のエネルギーが関係していると聞いたことがある。おそらく今の力は、目の前の仇に対する怒りからも来ているのだろう。


「おりゃあああッ!」


 だが敦の攻撃は、あろうことかスメシンとやらが持っていた長ネギにやすやすと防がれてしまった。それも圧倒的な強度を持つ、対カレント武器と言われるこのディフェンスルーの一撃がである。


「えっ……いや、まさかッ!」


 すかさず敦は、違う角度からもディフェンスルーで斬りかかった。しかし今度は、光莉の右腕で防がれてしまう。何度も言うが、この対カレント武器ディフェンスルーの一撃がである。


「イテテ……やっぱディフェンスルーの攻撃は腕で防ぐもんじゃないなぁ」

「当たり前やろ、何のための手に持ったディフェンスルーやねん」


 と言うことはやはり、光莉が手に持っているものも、敦の武器と同じ材質のディフェンスルーと言うことか。だが彼女の驚くべきポイントは、そのディフェンスルーとも肩を並べる体の丈夫さだった。

 ディフェンスルーは並みの武器などでは傷つかないカレントの体に、物理的なダメージを与えられる程の強度を持った特殊合金で作られていると言う。しかしそれと同等の皮膚の丈夫さとなると、彼女の皮膚の頑丈さは今の敦には攻略不可能であると認識せざるを得なかった。


「何やねんこれ……一体どう言うことなんや……」


 無理ゲーは承知で来ていたが、ここまで無理難題であるとは思わなかった。

 ディフェンスルーと同等の強度を持つ長ネギに、ディフェンスルーと同等の強度を持つ肉体。もしかするとスメシンには、ものを硬くする能力があるのかもしれない。


「んじゃあそろそろ、こっちも反撃させてもらおか」

「せやなぁ。ワイらかて、やられっぱなしじゃ悔しいし」


 黙れ関西弁野郎。それはこっちの台詞だ。ディフェンスルーと同じ強度の体に、謎の神様。こんなもの、どう対処すればいいのだ。


 気がつくと敦の体は宙を舞っていた。そして同時にやって来るのは腹部の痛み。ちらりと見えた右足を上げるスメシンの姿から、自分が彼に蹴飛ばされたことを悟った。


「うぐっ!?」

「まだまだッ!」


 足は遅いものの、状況把握に必死でこちらへ向かって来る光莉への対応が一瞬遅れた。そして無慈悲に振り下ろされる、棒状のディフェンスルーによる一撃。


「危なっ!」


 本当に危なかった。間一髪、持っていたディフェンスルーで光莉の攻撃はガードできた。ただ今の一撃でわかった。彼女の一撃は思っていたよりも強くない。


「な、何や!?」

「負ぁーけぇーてぇ……たまるか!」


 鍔迫り合いの勝者は敦だった。攻撃してきた光莉を後ずさりさせ、すかさずこちらも彼女達との距離を取る。だがまさに防戦一方、攻撃などできるタイミングもありはしない。

 今のは彼女が女だったからか、はたまたカレントとしての体力強化の恩恵が少かったのかは定かではない。しかし今のおかげで、光莉に対しては力押しが可能であることがわかった。

 無論そんなことを知ったところで、彼女の防御力の高さには太刀打ちできないのだが。


「はぁ……はぁ……」


 漏れ出る吐息は、冬故に白かった。身体中から滴り落ちる汗も、自身の体力の消耗を知らせてくる。これでは凍てつくような冬の寒さも、真夏の暑さとさほど変わらない。


「はっきり言わしてもらうわ」


 ピンと真っ直ぐに伸びた長ネギを右肩に置いた、スメシンとやらが物申す。その上から目線の口調には、神と言えどもカチンときた。


「何やねん……」

「このまんまやってもお前さん、ワイらには勝てへんで」


 そんなことわかってる。お前がわざわざ言わなくても。

 だが次の彼の言葉には、驚きを隠さずにはいられなかった。


「素直に人質の居場所は吐いた方がええで」

「はぁ!?」


 人質がいるなど、藪林からは一言たりとも聞いていない。ただ敦は、何とかして光莉をここへおびき出すと聞いていただけだった。

 もしかすると彼は光莉の仲間か何かを捕らえて、ここへ彼女を誘き出したのかもしれない。となれば彼女は、まんまと罠にかかったと言うことか。


「知るかよ……そんなやつ」

「はぁ!? ふざけんのもええ加減にせぇよ!」


 とうとう光莉も怒りの感情を露わにし、こちらに痰を吐き出すが如く暴言を浴びせてきた。それも足で地団駄を何度も踏み、威嚇までしてくる始末だ。

 どうせこの様子だと、彼女の人質となっている仲間とやらもろくなやつではないのだろう。何せ、人殺しの仲間なのだから。


「ふざけとんのはどっちやねん……」


 腹はこちらも立っていたので、せめてもの暴言は吐き捨てた。だが光莉とスメシンのコンビネーションを破るには、もうあれしか望みはない。


 ズボンのポケットから進化剤の入った銀紙を取り出すと、そこから二粒全てを押し出して手に乗せた。

 もしかすると勝てるのでは……。そんな自信過剰な考えは捨てる。命と力、それらを天秤にかける時はやってきたのだ。


 進化剤は水なしでも飲めるからなーー。藪林の言葉が頭にこだまする。そしてついに、覚悟を決めた敦は進化剤を一気に二粒飲み込んだ。一度喉には引っかかってしまったが、無理やり唾を作って飲み込んだ。


「あんた、今何を……」


 畏怖したような表情と共に発せられた光莉の声は、なぜかエコーがかかっていた。どうやら、早くも進化剤の効力が出始めたらしい。いわゆるトリップと言うやつである。


「うっ……」


 急に激しい動悸と共に胸が爆発しそうな感覚に襲われ、その場にしゃがみ込んだ。苦しい……。これが進化剤による、力ある者の選別か。


 コイツ、今何やったーー。

 わからん、何か飲んだように見えたけどーー。


 朦朧とする意識の中で、彼らの姿は走馬灯が如く流れていった。と言うよりかは寧ろ、眠気に襲われて意識が遠のいていく感覚の方が近い。ともかく今の敦には、彼らの言葉を耳に入れている程の心の余裕はなかった。


 なぜ自分はこんなことをしているんだ。今にも倒れそうな状態で、ふとそんなことを思った。何のために、誰のために自分は戦っているのだ。

 当然それは、智也や久瑠の無念を晴らすため。だが本当にそれは、ここまでする価値のある行為なのか。疑問に思った。思ってしまった。


 智也は光莉をいじめて、その光莉に殺された。同情するつもりはないと思っていたが、それでも自分の中の良心は問いかけてくる。智也の自業自得では、と。


「……知っとる!」


 自分の叫び声で景色が変わった。慌てる光莉とスメシンの姿。これは走馬灯ではない、目に見える現実だ。一瞬だが自分は、正気を取り戻したのだ。


「智也が殺されたのは自業自得だってこと!」


 しかし、


「それでも俺は、アイツを殺した船越光莉が許せない!」

「な、何を言っとん、にいちゃん……」


 それが消えゆく意識の中で、かろうじて聞き取れた言葉であった。


 33


 まさかこんなことになるとは……。草陰に身を隠していた近藤は、戦っている敦と光莉を見て思った。戦いを続ける彼らを見ていると胸が痛む。子供を持つ親なら当然だ。

 早く自分が敦を止めていれば、そう考えても過去は変えようがない。それに自らこの件から離れてしまった時点でもう、自分には彼らの姿をただ見ているだけしかできなかった。


 時は少し前に遡る。ツリーフレンズの件から降りた近藤は今日、ちょっとした事件の捜査に出ていた。当然例の件に比べると些細なことで、正直話の種にもなりはしない。久々のゆるくん平穏な事件だった。

 その道中、たまたま近藤は光莉の姿を見かけた。当時の表情は今も鮮明に憶えている。普段のものとは違い、表情がやや強張っていた。それもまるで、初田を探していたあの時と同じように。


 何かあったのではないか。そう思うと居ても立っても居られず、近藤は彼女の助けになろうとした。だがその瞬間に動きを止める。ーー無理だ。

 自分からつながりを切っておいて再びよりを戻そうなど、喧嘩した子供の仲直りと同じだった。


 そもそも近藤がレーウェン達とのつながりを切ったのも、大切な家族を危険から守るためである。なのにもし再び彼らと関わろうものなら、また家族を危険に晒すことになるだろう。それだけはどうしても避けたかった。

 何より近藤は、自分の命を危険にさらしたくなかった。


 故に光莉には声をかけられなかった。

 正直自分でも、情けないやつだとは思っている。でもそうするしか、自分を含む家族を守る術が思い浮かばなかったのもまた事実だ。それぐらいに、自分とは弱い人間なのだ。


 だが気がつくと、近藤は光莉の後を追っていた。そして、光莉と敦の出会いの一部始終を目撃し、戦闘が始まるのもただただ黙って見ていた。

 なぜこんな場所に来てしまったのかはわからない。だが自分の中でまだ、この件に未練があることだけはわかった。

 一度事件を受け持ってしまった身として、警察官の誇りは一抜けを許してはくれなかったのだ。


 そして、現在に至る。


「うわぁッ!」

「大丈夫か、光莉ィ!」


 歯を食いしばった表情の敦が、無我夢中で光莉のあちこちを殴る。顔、腹部、胸部、その度に城跡には、耳を塞ぎたくなるような鈍い音が鳴り響いた。

 敦の両拳からは血が出ていた。おそらく硬化した光莉の頑丈な皮膚を、サンドバッグにしたためダメージを受けたのだろう。だがそれでも、彼の猛攻は止むことはなかった。まるで同じ動作しか繰り返すことのできないロボットのように。


「おりゃあああッ!」


 見兼ねたらしいスメシンが長ネギを持って敦に襲いかかる。スメシンには有機物を硬化させる能力があるらしい。大方その長ネギも、硬化済みなのだろう。

 しかしその一撃を肩に受けたにも関わらず、敦は光莉への攻撃を止めることはなかった。ダメージに、気がついていないのか。


「痛、痛いッ……」


 光莉の目にはもう、涙が浮かんでいた。そして同時に、スメシンも彼女の受けた痛みが伝わったのか、その場に膝をつく。

 まさかディフェンスルーでもダメージが通らない光莉の皮膚に、敦の拳がダメージ与えていると言うのか。だとすると彼は、先程何を口に入れたんだ。


 こんな場面を見ていても、近藤は前のように光莉を援護することはできなかった。死への恐怖が邪魔をして、その場から動くことすらできなかった。

 どうせ自分なんて、子供二人さえも救えない人間なのだ。大衆を守る者とは名ばかりの、何もできない警察官なのだ。


 確かにこれまで自分が成そうとしていたことは、ほぼ確信にまで至っている。あとは本人の口からそれを聞くことができれば、智也の無実も証明される。

 だが結局はそれだけ、今の自分にできるのはそれだけなのだ。今目の前で苦しんでいる人を助けるよりも、すでに亡くなった者の名誉を守ることぐらいしかできない。それが何より、悔しかった。


「……智也の仇、殺す! 殺す!」


 壊れた機械のように、何度も同じことを言い放つ敦。そのことから彼が、光莉のことを智也の仇だと誤解しているのはすぐに理解できた。

 結局彼も、何もしてくれなかった警察に愛想を尽かしてしまったのだろう。だから家族の無念を晴らすために自分が、人殺しと言う汚名を背負ってまで弟の仇を討とうとしている。彼女が無実であることも知らずに。


 敦の変貌は、遺族に安心を与えてやれなかった近藤にも責任がある。だが今の自分に何ができるのか、近藤は苦悩した。自分の成すべきことが、わからなくなってしまった。


「ないやんか。俺には神崎さんみたいな、正義感なんか」


 事件の収束を図るため、自身の命まで投げ出した神崎。そんな彼は近藤にとって尊敬できる相棒であった反面、命の大切さを教わった反面教師でもあった。

 確かに神崎は腕っ節が強く、その足元にも近藤は及ばなかった。それでも人間を超えた存在であるカレントには、歯が立たなかった。結局人間クライドとは、その程度のものなのだ。


 だから今の自分になど、何もできることはない。弱い自分にできることなど、思い浮かぶのはこのくらいしか……。


「これっきりや。お前らと関わるのは」


 取り出していた携帯を懐にしまうと、近藤は戦いを続ける彼らを置いてその場を後にした。

 恐怖に屈して逃げ出した警察官。そんな自分でも息子は、太樹は受け入れてくれるだろうか……。

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