家族を守ること

 29


 光莉の中に眠るもう一つの意識、もといこの世界の神とやらのスメシンがレーウェンに攻撃を仕掛ける。それに続く形で光莉も、レーウェンに棒状のディフェンスルーなるもので殴りかかる。そんな彼らを近藤は、倒れた古木に腰掛けてぼーっと見ていた。

 時刻は午後三時。土曜日にも関わらずこの森の木センター近くには、光莉とスメシン、レーウェンに近藤だけとやや寂しい顔ぶれだ。無論こんな陰気な場所に好んで来る親子など、そもそも存在しないのだが。


 今日は朝早くからレーウェンの電話で起こされた。その内容もかなりどうでもいいもので、光莉の成長ぶりをぜひ見てほしいとのことだった。彼女の戦闘など、立岩久瑠の時しか見ていないのにもかかわらずである。

 だがそれでも実際に見てみると、あの時に比べて光莉の動きに垢がなくなっているのはすぐに理解できた。


 ぎこちなさが消えたとでも言うのだろうか。当時の光莉は……と言ってもまだ二週間程しか経っていないのだが、どこか喧嘩慣れしていない雰囲気があった。

 腕の関節がゆったりとしておらず、固く強張った殴り方。上がった呼吸。それらはおそらく、元より彼女が運動が苦手なせいもあっただろう。


 故に彼女の成長ぶりには、素直に感心した。今の光莉はあの時と違って、しっかりとスメシンとの連携も取れている。もしかすると最初からできることを隠していたのでは、そう思ってしまう程だった。


 気がつくと光莉が地面にディフェンスルーをついて、それにもたれかかっていた。息も上がっているらしく、かなり疲れた様子だ。そろそろ休憩と言ったところか、やはり光莉自身がカレントではないことが祟っているのだろう。


「コメットちゃん、休憩でもするかい?」

「はぁ? アタシらまだ、一回もあんたに攻撃当てれてないままなんやけど。ただでさえそのディフェンスルー、もう見たくないってのに」

「ははは、まぁこの前のようにはいかないさ。僕も本気で相手しなきゃあ、君のためにならないしね。とりあえずは休憩だよ」


 そう言って彼は、持っていた刀状のディフェンスルーを地面へと突き刺した。話を聞くにどうやらそれは、あの立岩久瑠が所持していたものと同一のものらしい。どうりで光莉が嫌がるわけだ。

 何せ恩師を討った武器が今、目の前にあるのだから。視界から遠ざけたいのは至極当然の思考だと思う。


「しゃあなしや」


 一度深いため息を吐くと、光莉はスメシンに向かって指で何かの合図をした。すると彼が黒い粒子と共に消える。一体どう言った原理でこの出来事は起こっているのか。やはり天生体とは人知を超えた存在だ。

 こちらの方に近寄って来る二人に、近藤は足元に置いていたペットボトルを手渡す。中身は勿論、運動後には持ってこいのスポーツ飲料だ。


「プハッ」


 おっさんか、お前は。まるで親父のような飲みっぷりを見せつけてくる光莉に、内心そんな感想を抱いた。おそらく彼女の生活環境では、それが日常的に行われているのだろう。


「て言うかレーウェンさん、やっぱりあなたもカレントだったんですね」

「ええ、まぁ。一応役職が役職ですから」

「ですよねぇ……」


 地味にレーウェンがカレントであることは初めて知った。それもかなりの手練れときた。一応これまでも匂わせるようなことは言っていたが、明確に彼の口から聞くのは初めてである。彼の言う通り役職が役職なので、当然と言えばそれまでだが。


「光莉ちゃんも、すごい動きが良くなってるね。驚いたよ」

「そう? やっぱり? やっぱ走って体力つけた甲斐があったわ」


 まんざらでもない様子で、光莉の顔に笑みがこぼれた。やはり彼女も子供、褒められれば素直に嬉しいのだろう。


 すると突然ズボンのポケットに入れていたスマートフォン、もとい携帯電話が鳴った。こんな時間に、それも休日とは一体誰だ。

 失礼、そう言って近藤は建物の陰へと入る。そこで画面に表示されていた神崎の名を見て、またも首を傾げた。何かあったのか。そう思いながらも近藤は電話を取った。


「もしもし」

『近藤か……今は状況が状況だから手短に話すで。俺がさっき送った写真とボイス、レーウェンさんに見せてくれ』

「えっ、送った写真にボイス? どう言うことですか、それ」

『あはは、実は藪林に探り入れとったのがバレてな。おかげで今、絶賛逃走中やねん』


 バレただと……。拍子抜けするような口調とは裏腹に、とんでもないことを彼は口走った。


「そんな……神崎さん、今どこに!?」


 携帯電話を強く握りしめ、声を荒げて問いただす。おそらく彼のことだ、これだけ言っても居場所は割らないだろうが。


『俺のことは心配すんな。だって俺、柔道の黒帯持ちやで? お前に心配される程、落ちぶれちゃおらへんわ』

「で、でも!」


 気がつくとレーウェンと光莉が、自分の背後に立っていた。どうやら今の声の大きさで、何事かと見にきてしまったらしい。


「近藤さん、どうしたん?」


 首を傾げて無邪気な猫のような目をした光莉が、小さな声で訊ねてきた。だが今は彼女の質問に答えられる程の、心の余裕はない。

 近藤は携帯電話を片手に持ちながらも、もう片方の手で少し待ての仕草をする。だがそのようなことも、次の彼の言葉で無意味と化した。


『じゃあそろそろ切るな。もうすぐやつも来そうやし』

「ちょっと神崎さん! まだ話は……」


 ここで通話が途切れてしまった。これでは神崎の居場所は、わからずじまいになってしまう。すぐさま近藤は後ろにいたレーウェンの肩を、強く揺さぶってから訊ねた。それももう、藁にもすがるような思いで。


「レーウェンさん、大変です。俺の相棒の神崎さん、今藪林に襲われているらしいんですよ」

「何ですって!?」「藪林に?」


 お互い目を合わせ、パチクリとさせる二人。そして改めてこちらへ向き直った時には、すでに深刻な表情へと切り替わっていた。レーウェンはともかく、光莉までもが臨戦的な表情に変貌してしまっている。


「早く助けに行きましょうよ、レーウェンさん! でもあの人、一体どこに……」


 頭を掻き毟るがどこも彼が行く場所など思い浮かばない。強いて言うなら、二人で時たま行く小洒落たカフェぐらいだ。

 しかしここで、なぜか落ち着いた様子でレーウェンが話しかけてきた。よくもまぁこんな状況で冷静になれるものである。


「近藤さん、落ち着いて聞いて下さい。神崎さんの居場所がわからないとは言え、迂闊に外へ探し回るのは危険です。下手にこちらの存在を悟らせるかもしれない。ここはじっと堪えるべきです」


 中々に冷徹な判断だ。そんなもの、人を道具としてしか見えていない者にしか下せない。確かに私情を挟むのは悪いことかもしれないが、それでも今のレーウェンの発言には異を唱えるほかなかった。


「何を言うんです! これまでの藪林の情報は全部、神崎さんがいたから得られた情報なんですよ。そんな仲間をあなたは、見殺しにするって言うんですか!?」

「何もそこまでは言ってません。それよりも僕達は今、するべきことがあるんじゃないかと言っているんです。あなたは神崎さんが送ってきた写真やボイス、ちゃんと見たり聞いたりしたんですか?」

「い、いえ……」


 まさかそんなところまで聞かれていたとは。どうやら彼らが話を盗み聞きし始めたのは、かなり最初の方だったらしい。


「ならそちらの方が最優先ですよ。一刻も早く僕達は、藪林とツリーフレンズとの関わっている証拠を見つけなければならないんですからね」


 レーウェンがそう言うのにも一つ、理由があった。それはこの一件で彼の所属しているカレント対策委員会を動かすには、カレント関与の証拠を必要としたからである。

 何でもカレント対策委員会の実動班とやらは、まだ完全には機能していないらしい。加えて組織に所属しているカレントが少ないこともあり、実動班の要請は非常時のみとのことだった。


「これです……」


 近藤はラインに届いていた写真を確認し、それをレーウェンに見せた。見せるや否や、彼は静かに目を瞑って深呼吸した。

 見せて見せて、光莉も好奇心からか近藤の携帯電話を奪い取る。


「これはもう確定やろ、レーウェンさん。久瑠ちゃんの持っとったやつとおんなじ形状、まさしくレーウェンさんのそれとも同じ型のディフェンスルーやで?」


 そう、写真に写っていたのは紛れもなくディフェンスルーを持つ藪林の姿だった。

 ディフェンスルーは原則、国の許可がなければ所持はできない。無論光莉のような例外も存在するが、それでも藪林にその権利があるかと問われれば否だ。レーウェンからもその辺の事情はしっかりと聞いている。


「でもこれだけやったら……」

「ええ、足りません」


 この写真だけでは、近藤がツリーフレンズの一員であると言う確証はないのもまた事実だ。と言うのも、この彼の持っているものが必ずしもディフェンスルーであると言う確証はないからだ。

 単に黒い刀の模型と言われてしまえば、それまでとなってしまう。故にこれ以外にも納得させるような証拠がなければ、当然対策委員会は動かないだろう。


「でも近藤さん、まだ……」

「はい。神崎さんも隙がないですからね」


 すかさずラインの画面から、次に届いていたボイスを再生させる。資料は元より捜査でも抜け目がないところは、さすが凄腕刑事だ。尊敬しかない。


『……だ。勿論カレントの力は、すでに計り知れないものだよ。だがそれだけでは、まだ足りないんだ。進素の過剰摂取、それこそが我々カレントの、進化の可能性を広げる道になると信じてるよ。まぁそのためにも、まだツリーフレンズのサポートは必須だがね』


 確定だ。カレント、進素、ツリーフレンズ、もはや言い逃れなどできない。彼の組織への関与はこのボイスだけで、一気に近藤達を確信へと導いた。


「決まり、ですね」

「ええ」


 するとレーウェンはおもむろに携帯電話を取り出し、通話を始めた。どうやら対策委員会の方に連絡を入れているらしい。


「……では、よろしくお願いします」


 通話を終えると彼は、携帯電話を元の胸ポケットに入れた。その顔はどこか、不安を臭わせた。


「神崎さんのおかげで、委員会を動かすことはできました。うまくいけば、近い内にはカレント対策委員会の実動班の方達も来られるでしょう」

「でもそれじゃあ……」

「はい。今の僕達には彼の無事を祈ることしかできません」


 今危機的状況に陥っている神崎を助けることはできない、そう言うことなのか。彼のもたらした情報は確かに対策委員会を動かした。だがそこまでしても、彼の状況は変わらないのか。そんなにも運命とは、残酷なものなのか。


 そして何より、自分一人で行くことは避けたかった。神崎を見殺しにしたいわけではない、単に自分の命が惜しかった。

 どれだけ尽くされようとも、所詮は彼も他人でしかない。自分の、いや家族の命を天秤にかけてまで、彼を助けにいきたいとも思えなかった。そんな薄情な自分に、内心腹が立った。情けなく思えた。


「俺、帰ります。家に家族が、待ってますから」


 ふらふらとした足取りで、近藤は歩き出した。駐車場までの区間、自分はどんな顔をしていたのだろうか。行く人々に度々振り返られながらも、その足取りは変わらなかった。


 家に帰ると思わず、リビングのソファに直行して項垂れた。その一部始終を目撃したらしい誰かが、近藤の頭を犬の頭を撫でるようにワシワシした。


「うりうりー」

「うわっ」


 急ぎで振り返り、犯人が仁美であることを理解する。なんだ、お前か。


「どうしたの、そんな顔して。何かあった?」

「うん。実はーー」


 今日あった出来事を、ぼかしながらではあるが仁美に話した。昔から彼女は自分の話を、しっかりと聞き耳を立てて聞いてくれる。そんな彼女だらこそ、共に暮らしたいと願った。今でもその判断は、間違っていなかったと考えている。


 話し終えると、仁美は笑いながら手を叩いた。「あははは」


「何がおかしいんや。俺はこのまんまやったら太樹に嫌われたままやねんで?」

「その考えがすでにおかしいのよ。だって考えてもみて? あなたは事件解決のために死力を尽くした。それでもあの子があなたを嫌うわけ?」

「だってそうやろ! あいつはもう、俺のこと嫌い……なんやし」


 今度は何を思ったか、軽い溜息まで吐く。それもまるで、こいつは全然わかってないとでも言いたげだ。


「息子ってのはね、あなたの思ってる以上に父親が好きなものなの。そもそもあなた、太樹とちゃんと向き合って話ししたことないでしょ」


 うっ……。盲点を突かれたような気がして、眉間にシワを寄せる。彼女の言う通り、最近は太樹ともあまり話せていない。最後にしっかりと話したのだって、森山公園でキャッチボールをした日が最後だ。


「もうすぐ冬休みでしょ? それで最近、太樹が学校で二学期をまとめる作文を書いたの。そこで書いてあったことの一つにね、あなたのことが書いてあったわ。自慢のお父さんだってね」

「太樹が?」


 予想外だ。まさか太樹がそんなことを思っていたなんて。


「だから自己犠牲だけが正義なんて考えないで。命が惜しかったら逃げてもいいの。それにあなたが生きてるだけで、救われる人がいるんだし」


 頬を赤らめ、少し照れくさそうな表情で仁美が言った。そうか、自分は何を迷っていたのだろう。答えなど、初めから決まっていたのに。


「ありがとう、仁美。またちょっと出てくる」

「ええ、気をつけてね」


 近藤はソファから起き上がり、携帯電話を握りしめて立ち上がった。そして家を出るや、ある連絡先をコールする。


「もしもしレーウェンさん、実はーー」


 自分はもう頑張った。あとは家族を守るためにも、この件から手を引くべきだ。カレント、ツリーフレンズ、一般人クライドとして忘れなければならない言葉は山程ある。


「ーーでは、今までありがとうございました」


 彼は引き止めてこなかった。おそらく近藤が彼にとって、不必要であると判断されたからだろう。自ら闘う意思をなくした者を、手元に置いていても意味がないのだから。

 ともあれこれでようやく、自分はこの件から手を引くことができた。ただなぜか、気分は晴れないままだった。まるで何かが喉につっかえたような、吐き出しきれない感じがした。


 そして翌日、署で神崎の死を聞かされた。

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