階段の段差は凶器にもなりうる
「勿論、それだけではあなた方の訓練になりませんので、僕もちょっかいは出させてもらいますよ」
すると彼は持っていた棒状の何かを包んだ布を、乱雑にひっぺがし始めた。そして中から現れた黒い刃に、思わず光莉は身震いする。なぜならそれは、立岩久瑠が使っていたあの黒刀に酷似していたからだ。
「そ、それは……」
「その通り。これは立岩久瑠が使っていたディフェンスルーさ。そして同時に、初田紡さんを殺めた刀でもある」
まさかとは思ったが、本当にそれを自分の前に持ってくるとは……彼に人の心はないのだろうか。レーウェンの気遣いのなさは天下一品である。
光莉の親友である初田を惨殺した刃。そんなもの、普通の人であればトラウマのある本人の前に持ってこようなどしないはずだ。
「それ、しまってよ……」
「それはできない相談だ。あいにく国の法律で、一個人で所持できるディフェンスルーは一つと決まっていてね。今僕の手元に残っているものは、これしかないんだ」
「嫌……アタシ、そんなもん見たくない」
「じゃあ僕に一発でも攻撃を当てられたら……しまってあげてもいいよ」
「……その言葉、忘れんなよ」
徐々に体温で温かくなってきたディフェンスルーを握りしめ、すかさず光莉はレーウェンに向かって殴りかかった。
宣戦布告なぞ、知ったことではない。しかしその攻撃はひらりと避けられ、思わず前のめりになって転びそうになった。
「くそッ!」
「気が早いなぁコメットちゃん。でも何か変な勘違いをしてないか? 僕は何も、黙って君の攻撃を食らうとは言っていないよ」
その煽り立てるような口調が、余計に腹立たしかった。だが同時に安心もした。何せ彼がただ攻撃を受けるだけなのであれば、それはもう単なるドMだとしか言いようがなかったからだ。
その疑惑が払拭できただけでも、やはり彼の精神面での異常は軽く思えた。もっとも、彼がドMかそうでないかは断定できたわけでもないが。
「スメシン!」
「任せろ!」
気前のよい掛け声と共に、彼は近くにあった生木から少し太めの枝をむしり取る。ちょうど長さは、光莉の持っているディフェンスルーと同じぐらいだ。
「コメットちゃん、スメシンさん! 二人で来る時はフォーメーションを忘れずにね!」
ここでふと我に返る。そうだ、これは自分達がよりよいフォーメーションを組むための訓練なのだ。このまま彼の口車に乗せられているだけだと、スメシンとのコンビネーションなどうまくいくわけがない。
もしかするとレーウェンはそれらを理解した上で、あえて久瑠のディフェンスルーを使用しているのだろうか。光莉の動揺を際立たせ、スメシンとのフォーメーションを乱すために。
「スメシン! ちょっとこっち来て」
ここは何か作戦を立たなければ。そう思った光莉は、スメシンを自分の方へ呼び寄せた。
「何や?」
スメシンも首を傾げ、こちらの方によってくる。しかしあろうかとかそれを、レーウェンは邪魔をした。ディフェンスルーを峰に持ち替えた彼が、その打撃を背後からスメシンの左肩目掛けて食らわせたのだ。それも一瞬何が起こったのかわからない程の、無駄のない機敏な動きで。
「痛ッ!」「うぎゃっ!?」
左肩を抑えながら、スメシンが光莉の方へよってきた。表情こそ見えないが、その痛みで彼が苦しんでいるのは伝わってくる痛みでわかる。
いくら刀身を向けていないと言っても、やはりディフェンスルーの強度での打撃は強烈だ。さすがは対カレント武器と言ったところか。
打撲のようなジンジンとくる痛みを堪えながら、その目をレーウェンの方へと向ける。彼はそんな光莉の姿を見て、ニヤニヤとしていた。
「何すんねん、レーウェンはん!」
「そうやそうや!」
「そんな余裕を見せてたら、敵は待ってくれませんよ。行動する時はもっと、慎重に動かなくては」
だが確かに、彼の言うことも一理ある。今こそ訓練だからこんな余裕を持った行動ができるが、もし敵がこの場にいた状態で、同じことをやるとどうなるか。おそらく今のような不意打ちをされることは、もう目に見えているだろう。
戦闘時のコミュニケーションの取り方も、改善点として視野に入れた方が良さそうである。とは言え今は、レーウェンに一撃を食らわせる方が最優先だ。一刻も早く彼の持つディフェンスルーを、眼中から消し去りたい。
「スメシン、ちょっと耳貸して……」
「何や何や……」
さすがに今この間でレーウェンが攻撃してくることはなかった。とは言えそれでも攻撃してくるようであれば、こちらとしても彼の幻滅はさらに加速していたところだろう。多少なりの道徳を心得ていたのは幸いだった。
「……おっしゃ。任せとけ」
「頼んだで、スメシン」
お互いに目配せをして作戦の理解を確かめると、スメシンと共にレーウェンの方へ体を向けた。
「どうだい、何かいい案は思いついたかい?」
「うん。それもとびっきりのやつがな」
するとレーウェンが左人差し指の腹を空に向けて、くいくいと曲げた。それもかかって来いとでも言わんばかりの雰囲気で。おちょくっているのか、舐めやがって。
「そっちがその気なら……」
光莉はレーウェンに向かって走り出した。そしてその後ろに、ぴったりとスメシンが足を合わせる。とりあえずレーウェンに言われたフォーメーションを意識して、彼に襲いかかった。
「そうそう、そんな感じだよ」
余裕を見せているレーウェンに渾身の一撃を食らわせるべく、光莉は左手に持ったディフェンスルーを高く構えた。少し振り返ってチラリと見えたスメシンも、しっかりと右手に持った木の枝を構えている。今のところは作戦通り、順調と言ったところだ。
「ほう、二人である点を活かした同時攻撃か。考えたなぁ。でもそれだけじゃ、僕に攻撃を当てることはできないよ」
振り下ろされた光莉の攻撃をたやすくかわすレーウェン。しかしこれも計算の内だ。すかさずしゃがんだ光莉を飛び越えて、スメシンがレーウェンに向かって追撃を試みる。
「遅い遅い」
だがレーウェンもその先を行っていた。彼は左手を地面に着き、胴を反らしてその攻撃を避けたのだ。続くがむしゃらなスメシンの切り返しも、軽く宙返りして避けられてしまった。彼の運動神経と動体視力は、一体どうなっているのだろうか。
「ほらほら、そんなんじゃいつまで経っても攻撃は当たらないですよぉ」
気の緩んだ隙に、またもレーウェンの峰打はスメシンの右肩は勿論のこと、なんと光莉の頭にまで及んだ。痛みこそスメシンの受けたものとは比にならないものの、攻撃を当てられたと言う悔しさは二倍になった。
ちょこまかとステップを刻んで遠ざかっていくレーウェンを、激痛襲う左肩を押えながら睨みつける。これだけ攻撃されていてまだ、一撃も返せないのはくるものがあった。
「やっぱりコメットちゃんへの攻撃はあまりダメージにはならないか。あらかじめ、スメシンさんの能力で体を硬化させてたようだしね。さぁ、次はどんな策を練ってくるんだい?」
ディフェンスルーを地面に突き刺し、腕を組むレーウェン。さぁ考えろと言わんばかりの表情が、さらに心情に荒波を立ててくる。いや、正直言ってかなり腹が立った。
「あいつ、かなり強いで」
こればかりはスメシンもかなり弱気な発言だ。無論そんなことわかっている。だがその壁を打破するには、生半可な策では軽くあしらわれてしまうのだ。
何か良い策はないものか。両手で頭を掻きむしり、無理やり案を引っ張り出そうとした。
自分達にしかできないもの。それをレーウェンは、二人の矛と盾のフォーメーションだと言った。しかしそれでは何が足りない。その何かが今、光莉とスメシンには必要なのだ。
「光莉、考えろ。神と人にしか、ワイらでしかできへんことを」
神と人にしかできないこと……。光莉の脳裏に一つ、思い浮かんだものがあった。神にしか、天生体にしかできないことが。
「もしかしたら……これなら行けるかもしれへん。スメシン!」
「おう……何々……」
耳打ちを終えると、スメシンは親指を立てて頷いた。
「それやったら行けるかもしれへん」
「やろ!」
地面に突き刺していたディフェンスルーを引き抜いたレーウェンは、その峰を肩に乗せて口笛まで吹いている。余裕綽々と言ったところか。
「次の君達の作戦、楽しみにしているよ」
ほざいてろ。すぐさまこちらもディフェンスルーを握り直し、次の攻撃に備える。
「スメシン、いつでも行けるで」
「おっけ」
準備が整ったらしいスメシンが、レーウェンに向かって走り出した。そしてその後ろにすぐ、光莉も並んだ。先程の光莉が盾となるフォーメーションとは、また違った陣形である。
「おや、それじゃあ普段のものと同じじゃないか」
スメシンの背で見えないものの、レーウェンの煽り立てる表情は容易に想像できた。これはもう、ギャフンと言わせてやるほかない。
「おりゃあっ!」
手に持った木の枝を振りかざし、立ち尽くすレーウェンの頭上にスメシンの一撃が落とされる……。だが次の瞬間、黒い粒子と共にスメシンの姿が目の前から消え去った。
何が起こったんだーー。粒子が辺りに散り始めると同時に見えたレーウェンの顔が、あたかもそう言っているように見えた。
地面にカランと音を立てて、スメシンの持っていた木の枝が落ちる。無論これらの行動全て、単にレーウェンを驚かせるためだけにやったのではない。当然ながら彼に一撃でも攻撃を当てるための、光莉が練った策なのだ。
すかさず光莉はレーウェンの横腹目掛けて、握りしめたディフェンスルーでスイングをした。しかし向こうもそう甘くはない。持ち前の動体視力でそれを軽々と避けた、が……。
「引っかかったな」
宙に散っていた黒い粒子は再び集まり、人型を形立っていた。そう、レーウェンの背後にはすでに、新たに具現化し直していたスメシンが待機していたのだ。
「これがワイらにしか、できへんことや!」
硬い握り拳を作り、唖然とするレーウェンにスメシンが殴りかかる。これは決まった、そうスメシンも確信したことだろう。
「君達のこと、ちょっと侮っていたよ」
殴りかかろうと突き出していたスメシンの、もとい光莉の右腕に謎の激痛が走った。それも生半可な痛みではない。昔体育の授業で運動音痴故に跳び箱で腕を骨折してしまった時と、まるで同じ痛みであった。
「あああああッ!」「うぐっ!」
苦しながらも見たレーウェンの右腕は、位置が攻撃前より右に移動していた。推測するにどうやら、勢いよくレーウェンはディフェンスルーの峰をスメシンの右腕に叩きつけたらしい。
スメシンの右腕は、あらぬ方向に曲がっていた。そして同時に、光莉の右腕も機能停止してぶら下がった。これでは感覚が復活するまでの間、骨折した右腕を使うことはできない。
その場で崩れるスメシンから視線を光莉に移すと、彼は両手を叩いて賛美した。
「すまない。君達が予想以上に斬新な作戦をしてきたものだからつい、本気を出してしまったよ。しかし僕は君達の戦い方は矛と盾、その二つでしかないと思っていたが、大きな間違いだった。どうやら君達は矛と矛、その両方にもなれるようだ」
「ああそう……それはありがと」
打撲の比にならない痛みに涙を流しながらも、レーウェンの感心には耳を傾けた。一応彼に自分達にしかできないことは見せつけられたので、高い評価を受けられたのはよかった。
ただやはり、このままで終わりたくもなかった。特に骨折もどきにまでされてしまった以上、何か彼にやり返さなければ気が済まない。
「もう今日はこれでおしまいにしておいた方が良さそうだね。これじゃあ二人に大きなハンデを与えてしまっている」
左目の視界も少しぼやけた。確かにスメシンの実体化回数に限りがある以上、ここらが潮時なのかもしれない。
だが何かまだ、できることがある筈だ。もはや本来の目的を忘れてまで、光莉はレーウェンに一撃をぶち込む策を考えた。
レーウェンは持ち前の動体視力のおかげで、スメシンや光莉の同時攻撃を見切っている。ならばその視界を、何らかの方法で遮ってしまえばその動きも鈍くなるのではないだろうか。
しかしそんな方法など、一体どこに……。悩んでいる内に、また左目の視界が睡魔が襲ってきた時のようにぼやけた。ーーそうか、この方法があるではないか。
光莉はスメシンに向かって、左手でピースの指ををひっつけて横に払う仕草を見せた。これは先程二人で決めておいたジェスチャーで、消えろと言う意味だった。
スメシンは何も言わず、黒い粒子を撒き散らして消えた。それを背後で感じ取ったらしいレーウェンは、光莉の顔を見てから再びディフェンスルーを握り直した。
「そう言う君達の諦めが悪いところ、嫌いじゃないよ」
小声でスメシンに作戦の主旨を伝えると、片腕ながらディフェンスルーを持ってレーウェンに殴りかかった。
無論レーウェンはその動きを見ているので、避ける動作を試みた。そこで光莉は大声で合図した。それは、スメシンに具現化を催促させるためのものだった。
「スメシン、今や!」
次のスメシンの実体化はおそらく、本日最後となる具現化だろう。それを失敗させないためにも光莉は、スメシンにレーウェンの頭と同じ位置での具現化を提案していた。
と言うのも、スメシンは具現化する際に黒い粒子を撒き散らす。それも具現化する中心の量は視界を覆い隠す程のものだ。ならばその性質を活かして、レーウェンの視界を遮ることができるのではと言う魂胆だった。
「な、何だこれは!?」
レーウェンの顔を覆い隠した黒い粒子は、だんだんと人型へと形取られていった。どうやら作戦は思った通り、うまくいったらしい。
視界が遮られてしまったレーウェンは、突然の出来事にあたふたとし始めた。
「み、見えない!」
片手でディフェンスルーを引きずりながらも、光莉はレーウェンのある場所に攻撃の狙いを定めた。それもやられて地味に痛い、あの場所だ。
そして今日、彼のせいで溜まった全ての鬱憤を込めて、ディフェンスルーの一撃がレーウェンの右脛にクリーンヒットした。ゴン、鈍い音と共に難攻不落と思われていた彼が崩れる。
「うぎゃああああッ!?」
まさにしてやったり。ようやくレーウェンに一撃を返すことができた。ただ、これは不意打ちでもあったので、多少の罪悪感はあった。故に次またこのような機会があるならば、正々堂々を心がけていきたい。
スメシンの具現化を中断させ、ディフェンスルーもその辺に投げ捨てた光莉は、蹲るレーウェンに駆け寄った。彼は両手で負傷部位を押さえ、蚊の鳴くような小さな声で呟く。
「
光莉も階段で足を滑らせて、その段差に膝をぶつけたことがある。故に彼の痛みがどれ程のものかは、自分が誰よりもわかっていた。
「約束は約束やで」
彼の目の前に落ちたディフェンスルーを拾い上げると、精一杯の力を込めて放り投げた。片腕のみに加え元の腕力が腕力なので、それが視界から消えることはなかったが、それでもどこか気分が晴れたような気がした。
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