訓練は突然に
27
「藪林啓司、四十二歳。動画撮影が趣味で、他の教師からの評判もよかったらしい。そんでもって田中とは先輩後輩の関係らしく、前に教師をしていた学校での、先輩教師のような立ち位置やったようや。二人でよく山や海などにも行っとったらしいしな。また、若干自分のクラスの生徒を贔屓しているところがあるらしくって、中でも今年担任をしていた立岩久瑠は特に贔屓されてたんだとよ」
そう言うと神崎は、いつものように資料の束が入ったクリアファイルを手渡してきた。毎度毎度、彼の有能ぶりには感心させられる。短期間でこれだけの資料を集められるとは、さすが凄腕刑事と言ったところか。
「ありがとうございます」受け取る際の礼も、何だかパターン化しているような気がした。
今日も互いの情報を交換し合うため、近藤と神崎は例の小洒落たカフェに来ていた。二人共事前に昼食は済ませていたので、あくまでもブレイクタイムのような感じか。それに情報らしい情報を提供できるのは神崎だけで、こちらはまだ確証すらも得ていない途中報告のみである。
一応今回得た情報も全て、レーウェンに報告するつもりだ。
「ところで光莉ちゃん、元気になったか?」
砂糖とミルクをかなり追加してあるカフェオレを飲んでから、彼は訊ねてきた。相変わらず次の話題に食いかかってくる辺り、余程光莉のことを気にかけているのか。
クリアファイルを自身の鞄の中にしのばせると、近藤もコーヒーを一口飲んでから問いに答えた。無糖のコーヒーを飲んでいると、それだけで大人っぽい雰囲気を出せるような気がする。ついでに余裕の返しを加えれば、尚のことそれっぽくなる。
「まぁ入院時はどうなることかと思いましけどね。最近やと初田さんの葬儀にも出席したぐらいですから、あの子相当強い女の子ですよ」
「そうか。まぁあんな事件があった後や、あの子にも休息っちゅうもんが必要やろ。しばらくは……いや、今度こそ、俺らが事件を解決へと導いていかんとな」
「そ、そうですよね。大人である私達が何とかしなきゃ……」
ーー元も子もありませんから。その言葉を続けたかったのだが、なぜか言葉が出なかった。どうやら自分を偽ってみてもやはり、深層心理では恐怖が払拭できないらしい。
どうすれば光莉やレーウェンのように、恐怖に打ち勝つことができるのだろうか。それがわからない以上、今の使命が果たせないように思えた。神崎の言うその、事件を解決へと導く使命とやらが。
「そういやお前、光莉ちゃんのことについてまた何か調べてたよな。あれはどうなったんだ?」
正直ここでの話題転換はありがたかった。今のことを追及されては、どうにも説明しようがない。
「……え、ええ。まぁ調べてるのは光莉ちゃんのことと言うよりかは寧ろ、笛口智也くんのことなんですけどね」
「えっ、ああ、あれか。確かお前の息子がボーイスカウトやってて、その先輩が智也くんやったって話」
「そうです。何でも、うちの息子の話によると智也くんは優しい人だったらしいんです。それもいじめをするなんて考えられないぐらいに」
「はぇー。あのいじめっ子がか」
「はい」
机に肘をついてその手で顎を触る神崎。それはまるで、話の続きを催促しているかのようだった。ーーそんなことされなくてもちゃんと話すよ。
「智也くんの同級生にも話を聞きましたが、息子とほぼ同じ意見でした。突然彼がいじめをし始めたのにも、周囲は不思議に思っていたぐらいだったって」
「人の心なんて不安定なもんだからな。故人の心情なんざ、ましてや全く事件と関係ないような子のものを振り返っても、俺には何の情報も得られないと思うが」
「いえ」
そもそもの近藤が知りたいことを、どうやら彼はまだ理解できていないようだ。
「私が知りたいのはなぜ、智也くんがいじめをし始めたかと言うことなんです。もしかすると彼は、何者かによっていじめを強要されたのではないのかって。確かにもう、智也くんを殺害した犯人はほぼ断定されて、この事件は解決に向かっています。でもそれだけでは彼の無念は晴らせない、そう思うんですよ」
次第に自分の中で、何かが熱くなってくるのを感じた。
「息子の信じた人を、このまま悪人にしてしまうのは何か嫌なんです。それに俺だって、何かできることをしなきゃって……」
「……それがお前の結論か」
彼はそう言葉を漏らして目を見てきた。ようやく彼は、こちらが言いたかった本当のことに気がついたらしい。
「まぁその辺はお前に任せるわ。また何かわかれば連絡する」
「はい、神崎さんもお気をつけて」
「じゃあな、近藤」
神崎は自分の荷物をまとめると、そそくさとこの場から立ち去っていった。一方の近藤はコーヒーがまだ残っていたので、少しもう少しここでくつろいでから出ることした。
そして店を出ようと立ち上がったその時、気がついた。
「あの人、また伝票持っていっちゃったよ」
28
暗い森の中でポツリと佇んでいる、森の木センターなる建物。そこへ光莉は土曜日である今日、レーウェンに呼ばれて訪れていた。森山公園は何度か祖父母に連れられてきたことがあるが、こんなところに来たのは初めてだ。
太陽の光を浴びて育った自然など、比較的明るいイメージのある森山公園だが、まさかそこにこんなにも陰気な場所があるとは思ってもみなかった。
電気をつけても尚薄暗い建物のある一室で、光莉はレーウェンに自身をここへ呼んだ意図を問いかけた。
「レーウェンさん、なんでアタシをこんな場所に呼んだん?」
「昼間でも人気がない場所と言えば、ここしか思い浮かばなかったんだ」
「どう言う意味?」
話だけ聞いていると、何だかレーウェンが危ない発言をしているようにも聞こえる。何せこちらは天生体と言えどもまだ子供だ。それを大人の男性が人気のない場所に誘い出すなど、普通に考えれば事案だろう。
もっともレーウェンがそんなことをする者ではないことぐらい、わかってもいるが。
「君はこれから、立岩久瑠よりももっと強い敵と遭遇するかもしれない。その時のためにも、君を訓練しようと思ってね」
「はあ」
「確かにコメットちゃん、君は天生体とか言う不思議な存在だ。その点で言えば他のカレントよりも、特異な存在と言っていいだろう。ではなぜこの前の立岩久瑠との戦闘で、あれ程の劣勢に立たされてしまったのか。わかるかい?」
「そ、それは……」
自分なりの答えは見つけていたので答えようとすると、その前に彼が自分の口で答えた。
「まだ君が自分の力を、完全に理解しきれていないからだ」
図星だった。確かにスメシンの身体能力で言えば、普通のカレントである久瑠と同等かそれ以上だ。しかしスメシンの動作を指示するのは、基本的に意識の宿主である光莉だ。そのため采配次第では、この前のように劣勢に追い込まれることも何ら不思議ではない。
こんなこともあるので、彼の言っていることは強ち間違いでもなかった。自分の力と言うよりかは寧ろ、スメシンの力を理解していないと言った方が正しいだろう。スメシンの力をもっと使いこなせたら、そう思ったことは何度もある。
「でもレーウェンさん、訓練するってどんなことすんの?」
「簡単に言うと立ち回りの練習さ。君とスメシンさんはパートナーだ。ならばその立ち回り、即ちフォーメーションを理解することが大切だと思うんだよ」
「立ち回り? フォーメーション?」
無論、彼の言っている言葉はわかる。しかし今の自分とスメシンとの立ち回りを変えたところで、特別何かが変わるようにも思えなかった。
光莉はスメシンの硬化能力で体が丈夫になっているにしても、筋力などの身体能力面ではカレントに劣る。加えて、元より運動音痴だ。故に生命を持たぬために体の丈夫さが光莉より劣っているものの、身体能力がカレントのそれと対等のスメシンが決まって前衛に出ていた。
「じゃあレーウェンさんからすれば、アタシらの立ち回りはどう改善したらええん?」
「なあに、簡単なことさ。コメットちゃんを前衛、スメシンさんを後衛にすればいいんだよ」
「はい!?」
自分の思考とは全く逆な発想のせいで、二人以外に誰もいない空間に光莉の声が響き渡った。一体、彼は何を考えているのだろうか。
「電車の中で聞いた話だと、スメシンさんの能力は有機物を硬化させられるってものだったよね。加えて、具現化を解除してから約二分後に硬化は解ける。ならばコメットちゃんがスメシンさんを守るように、前衛での配置にした方がいいと思ったんだ」
「でも、アタシなんかが前衛に行ってもやで? カレントみたいな身体能力はないからお荷物になるだけちゃうん?」
ノンノン、彼は人差し指を左右に動かした。
「スメシンさんの能力で硬化したコメットちゃんの体は、言わばカレント以上の丈夫さを持っている状態なんだろう? それなら攻撃役のスメシンさんの盾には、もってこいだよ」
こいつ、やっぱりとんでもないことを考えてやがる……。内心彼のことを軽蔑しながらも、ちゃんと褒めるべきところは褒めた。何せその道徳を無視した柔軟な発想のおかげで、自分の新たな可能性を見出せたのだから。
これはまさに、彼が光莉のことを道具としてしか見ていないから故の発想だろう。常識のある普通の人間であればまず、こんな発想は出てこない。光莉のようなまだ幼い子供に、盾のような役割を与えるなど。
「中々イカれた発想してんな、レーウェンさん」
「そりゃどうも」
彼はまんざらでもないような顔で、光莉の悪意ある賞賛を受けとった。
「そのためにも君は、少しでもスメシンさんの動きについていけるようにならなければいけない。よって今から、君とスメシンさんの二人で僕にダメージを負わせてきてほしい」
「はい?」
〈何言うとんや、こいつ〉
今度ばかりは、本気で耳を疑った。そしてスメシンも、おそらく同意見だろう。もしかするとこのレーウェンと言う男、俗に言うドMと言うやつなのか。
しかし彼はそんな光莉の反応を無視して、また話を続けた。
「それとこれ、君に渡しておくよ」
すると彼はおもむろに机に置かれていた、黒く光沢のある棒を手渡してきた。
手で触れた感覚は冷たく、ズシリと重い質感。長さは光莉よりも一回り程小さいと言ったところか。ともあれ、この棒が何かの金属でできていることはすぐに理解できた。
しかしこの棒、どこかで見覚えのあるような気がする。いや、棒と言うよりかは寧ろ、これと似た雰囲気のものを見たと言った方が正しいか。
「これは?」
「ディフェンスルー。素材に特殊な製法で鋳造された合金を使った、対カレント用の武器さ。これはカレントの丈夫な皮膚にも、物理的なダメージを与える程の強度がある。君を襲った田中涼平や立岩久瑠も、似たものを所持していただろう?」
思い出した。そうだ、これは田中や久瑠の持っていたナイフや刀と同じ材質でできているのか。通りで既視感があったわけである。
この黒光りした材質、頭では忘れていても思い出すのは容易だった。何せこれと同じ材質の刀が、初田を帰らぬ人にしてしまったのだから。
しかし彼はなぜ、こんなものを光莉に手渡してきただろうか。
光莉にはスメシンの硬化能力を応用した、植物の武器がある。それらはこのディフェンスルーよりも軽く、それでいて強度も同等だ。ならばいっそのこと、そちらの方に徹底している方が強みとなると思うのだが。
「確かにスメシンさんの能力を使えば、こんな棒はいらないかもしれない。だけど考えてもみて。もし君がスメシンさんを出せない状況に陥ってしまった時、誰が君を守ると言うんだい?」
「あっ……」
「いくらスメシンさんの能力で体が丈夫になったとしても、その硬化にはある程度の制限があるんだよ?」
思い返すと、確かにそれとよく似た状況には陥ったことがある。
二度目となる久瑠との戦闘時、自分の体と武器として使用していた白ネギの硬化が切れたことがあった。その時は近藤のサポートもあり何とかなったが、今考えるとかなり危険な状況だったのは言うまでもない。
「てことはこれって、あくまでも自分の身を守るための道具ってこと?」
「そう言うこと。そのために僕は、あえて殺傷能力の低い棒状のディフェンスルーを持ってきたんだ。何せ君は、人の死に敏感だろうからね」
「そうやけど……」
確かに光莉は久瑠の件以来、人の死には敏感になっている。しかしそれは誰にも話していない。すると彼は、いつの間にそれを知ったんだろうか。
とも思ったが、普通に考えると人殺しなぞ誰もやりたくないのは至極当然のことだ。よくよく考えればそんなこと、ドヤ顔で言われても滑稽に見える。
「さぁ、とにかく外に出よう。こうしている時間がもったいないよ」
変わらず彼のドM疑惑は晴れていないままだが、言われるがままに部屋の外へ出た。そして流れるように薄暗い森へと出た。
この建物の近くには、少し開けたスペースがある。おそらくそこでレーウェンは、その訓練とやらをするのだろう。
一方の彼は言い出しっぺにも関わらず、光莉よりも遅れて建物から出てきた。その右手には何か、布を包んだ棒状のものが握られていた。
「そこの広場で訓練をやろう。そこならまだ、日は多少なり当たるからね」
やっぱりな。何も言わずにディフェンスルーを肩に乗せて、光莉は歩き出した。
広場は森の木々に囲まれていることもあってか、その隙間から差し込む太陽の光で神秘的な空間となっていた。まるでその地が、特別な空間であるかのようだった。
近場な目的地に到着するや否や、レーウェンが光莉にスメシンを呼び出すよう指示する。
「わかった。おーい、スメシン」
〈しゃあないなぁ。ほい〉
体の周りに黒い粒子が舞い始めた。こうしてスメシンを呼び出すのは、久瑠との戦闘以来だ。よってレーウェンとの顔合わせは、実はこれが初となる。
スメシンが降臨すると、少し照れくさそうな仕草で右手をレーウェンに出した。
「よう、お前さんとは初めましてやな。改めまして、光莉の同居人スメシンや」
「お初にお目にかかります。レーウェン・クロックフォードです」
彼の意図を察したのか、レーウェンもスメシンの手を両手で握って会釈した。
「で、レーウェンはんよ。確かさっき、お前さんは自分にダメージを負わせてくれとかなんか言うとったけど……マジなん?」
「はい。僕も一応、カレントの端くれです。多少の怪我ぐらいなら数日もあれば治りますんで、お二人で思いっきり攻撃してきて下さい」
どうやら本気のようである。と言うか何気に彼がカレントであることは初耳だ。もっとも、これまでの会話からそのことは薄々ながら感じ取ってはいたが。
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