進化の先へ
「……はい?」
今彼が言ったことにピンと来ず、ついキョトンとしてしまった。
「もっとも、我々の知る神話のものとは少し違うものだがね。正真正銘、この世界を生み出した者達の一角さ」
全く言っていることが理解できない。神、それもこの世界を生み出した者達の一角とは。まるで言っていること自体が、漫画のそれを超えてしまっていた。
ただでさえ、カレントの存在自体が漫画のような話なのだ。それすら上回る力が実在するなど、もうわずらわしさのあまり頭を掻きむしってしまう
話が一向に飲み込めないまま、敦はわかったような口で続きを催促した。
「で、船越光莉がその力を持つ一人だった。そう言うことですか?」
「その通り。彼女のような人間は、天から得た生、すなわち天生体と呼ばれている。過去にこの世界の神は、何らかの理由で死んだ。そして長い年月を経て人間へと転生した……と言うよりかは、寧ろ寄生したと言った方がいいかもな」
「寄生……となると天生体本人の自我は残ってるのか」
「だが船越光莉の性格は残虐だ。そのことも考慮すると、もう彼女の殺害は仕方ないと言える」
つまり彼女を殺害すること、もとい敦の復讐は公式に認められたと言うことか。神を具現化するや何やらの話は理解できなかったが、そのことについてはあっさりと飲み込めた。やはり敦は自分のことになると、無意識の内に頭の回転が速くなるようだ。
しかしそうなってくると当然、問題点も出てきた。現にこの問題に関しては、敵討ちをする上では避けて通れない道だった。
「でも久瑠ちゃんが敵わないような相手じゃ、俺なんかがまともにやり合えるわけないじゃないですか。ただでさえ俺、カレントですらないのに」
すると藪林が人差し指を立てて、それを左右に動かす。ノンノンノン、何か間違ったことでも言ったのだろうか。
「そのためのこれさ」
すると持ってきていた大きめのカバンの中から彼は、何か錠剤のようなものが入った銀の包装シートを取り出した。
その錠剤はどうやらカプセル錠らしく、青と白で綺麗にわかれている。まさか……ようやく届いたのか、あれが。
机の上に置かれたそれは、圧倒的な存在感を放った。いや、単にそんな気がするだけかもしれないが。
「これこそ、人間をカレントへと進化させる薬、
もう少し早ければ久瑠があのような目に遭わずにすんだものを。ーーとは言えなかったので、ただまじまじと進化剤なるものを見つめる敦。
カプセルの中には何が入っているのかわからないが、それが人体に何らかの影響を及ぼし、カレントの力を与えるのか。はたまた、その者に対する死を与えるのか。
「とりあえず二粒渡しておく、戦闘前にでも飲むといい。だが進化剤を渡す前に一つ、聞いておきたいことがあるんだ」
どうせまた覚悟の話か何かだろう。確かに心配してくれるのは嬉しいが、ここまで引きずられては苦笑いするしかなかった。そんなに自分は優柔不断な男に見えているのかと思うと、気が滅入ってしまう。
「先生が何と言おうと、俺の意見は変わらへん。弟の仇を討てる力が得られるなら、命ぐらい懸けても構わへんわ」
「違う、そうじゃない」
「はい?」
拍子抜けな返答に、思わず目を丸くする。
「その様子だと、やはり自覚がないようだな」
「えっ……えっ?」
「君はすでに、カレントとして覚醒しているんだよ」
「えっ……ええええッ!?」
驚いた。とにかく驚いた。両手で口と鼻を覆い隠し、目も額に皺ができるまで見開いた。久瑠の重体の件が比にならない程に驚いた。
「そ、そ、そんな、俺がカレントにか、か、か、覚醒している!?」
「声がでかい。もう少し声のボリュームを下げろ」
顔をしかめた藪林を見て、どうにか心の動揺を抑えようと努力した。二度目は言われなかったが、とりあえず彼から教わった深呼吸で気を鎮める。ーー無理だった。
「う、嘘でしょお!?」
「前に電話で久瑠さんから聞いたんだ。君は久瑠さんとランニングをしていた時、どれぐらいのペースで走っていた? 思い出してみろ」
「え、ええ、ええ?。ま、まぁ、一応辛いながらもついていはいけてましたけど……」
すると藪林は、なぜか頭を抱えて唸った。
「率直に言わせてもらうと君、鈍感過ぎるよ。久瑠さんが走ってる時の表情、見えちゃいなかったのかい?」
「そ、そりゃあ俺が久瑠ちゃんを抜かしたことなんかありませんし、走ってる時の顔も見えませんよ」
「それでもだ! 走り終わった後、息を切らしたりとかはしてただろ!?」
さっきあんた俺の声がうるさいって言ってたじゃないか。白熱する声の張り合いに嫌気が差したのもあるが、一つ敦は思い出して場を鎮める。
「そ、そう言えば……。ランニング中によく休憩を挟んでくれて、その度に飲み物を奢ってくれようとしてました」
言われてみると、か。彼女は走り終わった時、決まってスポーツ飲料を飲んでいた。今までそんなの普通だとばかり思っていたが、よくよく考えてみると彼女の話と辻褄が合わない。
私は足が速くて息が切れないランナーだからーー。ランニング初日、久瑠はそう言っていた。だとすると彼女はなぜ、最近スタミナ切れを起こしていたのか。それは彼女がカレントとしての力をフルに使っている状態で、敦とのランニングに臨んでいたと言うことではなかろうか。
「彼女は負けず嫌いだからね、大方君の休憩のためと嘘をついていたんだろう。だが実際のところは違う。君のカレントとしての力が強過ぎて、久瑠さんの方も全力を出してしまっていたんだ。全く、恐ろしい力に目覚めたものだよ君は」
さらに湧いてくる、橋下との競争の記憶。あの時も敦は、陸上部での主戦力と言える橋下を負かしたどころか、息切れすらもあまりしなかった。要するにあれも無意識の内に開花させた、カレントとしての力だと言うのか。
「じゃあ俺は……現時点で船越光莉と戦える力を持っているってことですか?」
「いや、それは少し違う」
なんだ、そう言うわけでもないのか。ほんの少し期待したばかりに、急に地に落とされた気分だ。
「何せ船越光莉は久瑠さんを倒す程の力を持っている。そんな相手に久瑠さんにも及ばない君が、勝てるわけなかろう。もっとも、これを使うなら別だがね」
なぜか彼の視線は進化剤の方へと向けられた。
「でも俺がカレントならもう、そんな薬いらなくないですか?」
「はは、まぁ普通ならそう考えてしまうよな」
ここで彼特有の会話焦らしが出てきた。どうせ教えてくれるなら、もったいぶらずに要件を話してほしいものである。
「どう言うことです?」
「その進化剤には液体化させた進素が入っている。それもかなり高濃度のものだ」
進素ーー。過去に久瑠が言っていた、光合成の際にハヤスギが出す元素のことか。
カレントはこれを血中に取り込むことで力を発揮させる。そしてその一日の摂取量も、カレントによって上限が決まっていると彼女は言っていた。
「これを体内に取り込めばおそらく、普通の人間どころかカレントですらも命に関わってくる。それだけこの進化剤に入っている進素の量が、致死量であることをまず理解してほしい。そしてこの進化剤を飲んでもし、君が生き残ることができたなら……。きっと久瑠さんを大きく上回る、強力な力を手に入れることができるだろう」
「つまり許容量を超える進素を摂取する……そう言うことですか」
「ああ。だから私としてもあまりお勧めはしたくない。何せ君は、私にとって大切な生徒なんだからな」
藪林のピクピクと震える頬を見ていると、彼の気遣いが痛い程伝わってきた。だがもうすでに船越光莉は、智也の命を奪うどころか久瑠にまで手を出してしまった。そんな彼女を倒す術がこれ以外にないのなら、もう選択の余地はない。
それに智也の事件の捜査本部が解体されてしまった今、彼女を裁く者は必要だ。
確かに久瑠は無計画さが目立つ少女だった。だが一緒にランニングをし、自分達のことを話していく内に、彼女にも一度挫折した夢があり、そしてこれからの目標があることがわかった。その目標に健気に頑張る姿を見て、敦は彼女を応援してやりたいと思えた。そんな久瑠が、正直言って好きだった。
しかし今の久瑠は、船越光莉にその夢を壊されつつある。当然、許すことはできない。
歯を食いしばって薬を、敦は自身の方に引き寄せる。するとただでさえ乱れていた動悸が、より一層激しくなった。やはり緊張は隠しきれないか。
「俺……やります。これであいつを倒せる力が手に入るかもしれないなら」
「そうか」
ふいに藪林は右手で自身の口元を隠した。そのまま一度天井を見上げてから、視線を敦の方へ戻す。その顔は敦の気を安心させるためか、無理に笑っているかのように見えた。
「私の携帯の電話番号を教えておく。もしその時が来たら連絡をくれ。戦いの場は整えてやるさ」
右手を前に差し出す藪林。
「だからどうか、生きてくれ。それにまだ時間もある。まだ体力作りを続けようってことならそれもいいだろう」
「はい。これからも色々迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします」
敦はその手を強く握った。小学生の時と同じで力強く、そして暖かい手だった。
25
光莉のいる、五年二組の教室の前まで来た近藤。ただ一人で来るのが少し早かったようで、まだ生徒達も給食の時間だった。ほんのりと香ってくる香辛料の匂いから、今日の献立がカレーであることはすぐにわかった。
学校側の許可は既に取っているので、近藤はためらいなく教室の前のドアから顔を覗かせた。ちなみに智也の事件もあってか、すっかり事務の者達とも顔なじみになってしまっている。
教室の中の光景は自身の幼かった頃を懐古させた。何の責任感も感じず、自由気ままに過ごしていたあの頃。今思えばあんな生活が、人間にとって一番幸せな時だったのかもしれない。
教室では大方食べ終わって雑談をしている者もいれば、自分のペースでゆっくりと食事を楽しんでいる者もいた。一方の光莉はと言うと、まだ食事の最中だ。まだカレーの残量が多いところを見ると、余程彼女は食べるスピードが遅いらしい。はたまた、単にカレーがあまり好きではないだけかもしれないが。
彼女は右手を皿に添えて、左手でスプーンを持っていた。久瑠との戦いの時も薄々感じてはいたが、どうやら彼女は左利きのようだ。それに周りとの距離感が感じられる辺り、いじめの時から孤立した立ち位置も変化していない。
ともかく、少し来るのが早過ぎた。近藤は彼らの食事時を邪魔しないよう、そっと背を向けてその場を去ろうとする。しかし彼女もこちらの存在に気がついてしまったのだろう。背中辺りを叩かれたので振り向くと、そこには相変わらず仏頂面の光莉が立っていた。退院明けとは思えない程の平常運転さだ。
「近藤さんやん。今日はどうしたん?」
「あ、ああ、光莉ちゃん。君、ご飯は大丈夫なん?」
「うん。アタシ学校のカレー、あんまり好きちゃうから。全然辛くないし」
低学年の生徒も食べるのだから、甘いのは当たり前だろう。それを食べない理由にしていると、給食を作っている者達が可哀想だ。とは言えそんなことを言いにきたわけでもないので、ここはぐっと我慢する。
「で、なんでここに来たん? もしかしてまたカレント関連の話?」
「いやぁ、それなんやけどな……」
どうやら彼女は、今日も近藤がカレントの件を探りにきたと思っているらしい。だが今回の目的は、少しカレントの件とは毛色が違っていた。
事の発端は遡ること一昨日。それは何気なく息子の太樹と、ボーイスカウトでの智也について話していた時のことだった。
「智也くんって、お前から見てどんな子やったん?」
「何それぇ。前にもおんなじこと聞いたやん」
「いやぁな、お父さんもお前の言ったこと全部憶えとるわけじゃないからな」
本当のことを言うと嘘である。何せ過去に太樹の言った智也の人物像は、明らかに現実とかけ離れていた。そうなれば印象が強過ぎて、嫌でも忘れるわけがなかった。
「もう。智也さんは誰とでも仲良くなれて、優しい人やったで」
無論返答は何度聞いても同じだった。実際、智也は学校の教師達からの評判もよく、学年問わずからも慕われていたと言うのだから、あながち間違いでもないのだろう。であればより一層、彼がいじめと言うチンケな行為に走ったのかわからなかった。
そしてそれを調べるため、近藤は動き始めたのだ。
加えて智也を殺した犯人が久瑠だとわかっている以上、今自分ができることはこれくらいしかなかった。何より、これ以上カレントの事件に関わると、何か不吉なことが起こる予感もしていた。故にあの事件からは、少しでも離れておきたかったのもある。
そして、今に至ると言うわけだ。
「君と智也くん、二人はいじめが起こる前はどんな関係やったん?」
「関係? 別に普通やったで。結構色んな話もしとったしな」
「話? 例えばどんなん?」
「それは言い出したらキリないけど……。例えばお兄ちゃんのユーマ話とか、かな」
「お兄ちゃん? ユ、ユーマ? どう言うこと?」
わけのわからない単語につい戸惑う。ユーマと言うのは誰かの名前なのか。だとするとさらに話は複雑になってくる。何せ新たな事件の関係者が出てくるのだから。
しかしそんな不安も、次の言葉ですぐさま解消された。
「U、M、AでUMA、未確認生物って意味。智也くんのお兄ちゃん、そのUMAが好きらしくてな。アタシも結構、その辺の話に興味あったから」
「そ、そうなんだぁ……」
とりあえずは一安心。余計なことを心配せずに済んだと言ったところか。しかし智也の兄、敦にそんな趣味があったとは知らなかった。無論知ったところでそれが何かの手がかりになるとも思えないが。
ともあれ今の話聞いて感じたのは、やはり光莉と智也の仲はそれ程悪くなかったと言うことだった。そうなってくるといかんせん、コシヒカリと言う名前の弄りだけでいじめが起こるのは不自然だ。
やはり何か他に裏があるのか……。そう思った近藤は、光莉に智也と特に仲がよかった面子を訊ねた。
「確か一番仲がよさそうやったんは……ハルトくんやったかな」
ハルト……小渕晴人のことか。聞き覚えのある名前に、自然と脳内に彼の写った写真のイメージが浮かび上がった。彼も智也と同じボーイスカウトに所属していたので、大方太樹からも話は聞いている。もっとも智也と仲のいい人物だった、と。
「ありがとう、君のおかげで少し進展がありそうだよ」
智也の汚名返上のね、とはさすがに言えなかった。下手なことを言って光莉の心の傷を抉るようなことは、できる限り避けたかったからだ。
初田の通夜も控えている。それくらいの気配りができないようであれば、これから光莉と関わっていく資格もない。
気だるそうに教室へ戻っていく光莉の背中を見送って、彼女の心の強さを再認識した。光莉は過去に捉われず、己の道を切り開こうとしている。そんな彼女と自分、どちらの方が大人なのかと問われれば、誰もが間違いなく後者を選ぶだろう。
それに彼女は、決して近藤の前で涙を流さなかった。例え影で泣いていたにしても、それができるのは大人でも少ない。もしかするとその精神力の強さも、いじめのせいで身についてしまったのかもしれない。
「あっ、そうそう」
ふと、光莉がこちらを振り返って笑みを浮かべた。向こうにも何か要件があるのか。
「近藤さん、あん時はありがとう」
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