覚醒と覚悟

「あの場でベンチに腰掛けていた初田紡は、君も知っての通り死亡していた。死因は例の黒い刀の外傷による出血多量と見て間違いない。箇所は右足首、右手首、胸部から腹部にかけての三箇所だよ」

「おいおいレーウェンさん、何もそこまで事細かに言わんくても……」

「おっと、すまない光莉ちゃん。余計なことまで口走ってしまった」


 全くだ、とも言えなかったので、ひとまずできる限りの愛想笑いでこの場を取り持つ。だが彼のおかげで、生々しい初田の死を思い出させられたのは、決して気持ちのよいものではなかった。


「ちなみに初田紡の葬儀は、遺族の要望で実家の東京で行うとのことだ。行く行かないは君の自由だと思うよ」

「うん……考えとく」


 これが失ってからわかる、喪失感と言うものなのだろうか。そのせいか今の光莉には、例の組織と戦う気力がどうしても湧いてこなかった。

 初田と親友になるまではこんなこと考えもしなかったが、守るべきものがあるとそれが戦う理由にもなる。しかし今の自分にはそれがない。親友と同等の大切なものは、何も思い浮かばなかったのだ。


「レーウェンさん、近藤さん、アタシはこれからどうしたらいいん?」


 切実な問いが溜息混じりに出た。だが不思議と、悲しみの涙は出なかった。


「ど、どうしたらいいんって光莉ちゃん……そりゃあ……」


 お前なんぞに訊いてない。全く近藤と言う男は初田からも聞いていたが、どうも頼りない男である。やはりこんなデリケートな話、彼の前ですること自体が間違いだった。


「光莉ちゃんはどうしたいんだい?」


 だが次のレーウェンの言葉には、自分も自然と言葉が出てきた。それは彼の物腰がどこか、初田の面影を残していたからかもしれない。


「アタシはもう戦いたくない。先生がおらんくなって、もうアタシには守るもんがなくなってもたから」

「それはいい考えだと思うよ。何せこの事件は子供が絡んでいいものではない。大人しくしている方が君のためにもなるだろうし」


「だけどね」続けざまに彼は自らの持論を否定した。


「奴らの組織……ツリーフレンズもそう簡単に諦めてはくれない。何せ二人も手持ちのカレントがやられたんだ、君をこのまま放っておくわけにもいかないさ。もしかすると君だけでなく、君の家族にまで手を出すかもしれない」

「それは……」


 これまで自分は単に、降りかかってきた火の粉を払うぐらいの気持ちで組織と戦ってきた。それもついでに組織の壊滅も狙えるのでは、そんな安直な考えも抱いていたぐらいだ。

 だが昨日のこともさることながら、今の彼の言葉で思い知らされた。自分は祖父母や父、彼らのことを何も考えずに戦ってきていた。自分が戦うことで彼らに迫る危険を、直視せずに戦ってきたのだ。


「ちょっとレーウェンさん、そんなこと言ったら……」

「いいんです、これは僕らの一存で決められることではありませんから。それにまだ組織の関与の証拠が少ない以上、数少ない国のカレントを呼び寄せることもできない。結局は光莉ちゃん本人の力にも頼らないといけない状況なんです」


 つまりは己の命や家族は自分で守らなければならない、そう言うことなのか。自分には戦わなければならない理由がある、そう言うことなのか。


「君にはまだ守るべきものがある、それを理解してもらった上でもう一度聞くよ。君はこれから、どうしたいんだい?」


 もうこれ以上何も失いたくないのは事実だ。しかし戦いたくないのもまた事実。であれば自分はこれから、どうしたいんだ。頭に様々な考えが錯乱する中、光莉は葛藤から逃避したい気持ちになった。


「どう思う、スメシン」


 彼の返答はなかった。あくまでもこの問題は、自分の考えでどうにかしろと言うことか。


「アタシは……」


 ふとここで、初田ならどうするかと思った。彼女は孤独に闘う光莉を支えるべく、身の危険を承知でこの世界へと関わっていった。思い返せばそう、彼女は迫る危険に真っ向から勝負を挑んでいたのだ。

 いくら大人だからと言っても、それは中々できることではない。そんな彼女だからこそ、今の問いにどのような答えを出すのかは、光莉にも容易に想像ができた。


「闘う。アタシ、あいつらと闘うわ」


 おそらく初田が光莉の立場なら、迷わず家族を守るためにと戦いの道を選んだだろう。何せ彼女は優しかった。そして自分に関わりのある人の不幸は、どうしても見過ごせないタチだった。仮にもしそうでなかったとしても、光莉にはそう見えていた。

 ならそんな彼女の意志を継ぐのは、その面を知っている自分以外にありえない。光莉は声を震わせながら、腹の奥底から湧き出る覚悟の言葉を口に出した。


「やからレーウェンさん……力を貸して。もう二度と、智也くんみたいな犠牲者は出したくないから」


 それにもう、自分のせいで誰かが死ぬなんぞごめんだ。

 犠牲者はこれっきりにする。そしてこれからは己のためではなく、美濃市に暮らす全ての人達のために闘うのだ。


「わかった。なら僕達も、精一杯君のことをサポートするよ。ねぇ、近藤さん」

「えっ!? ああ、はい……」


 やっぱり頼りない。つくづく彼の頼りなさは目に余った。まぁ彼にも大切な人はいると思うので、その辺に関して言えば強要はできないが。


「もうしばらく休んでいるといい。さすがに今この状況じゃあ、奴らも襲ってこないだろうしね」

「うん、そうする。じゃあおやすみ」


 再び睡魔がやってきたので、それは拒まずに受け入れた。


 23


 光莉が眠りについた後、近藤はレーウェンと共に自販機コーナーへとおもむいた。今回は光莉の件や久瑠の件で色々と迷惑をかけたので、奢りで彼に缶コーヒーを買ってやった。

「ありがとうございます」そう言うと彼は近くの椅子は腰掛ける。同時に近藤もその隣に腰掛けた。


「船越光莉ちゃん……あの子があなたにハヤスギの力の存在を教えた子ですか」


 彼は缶コーヒーのプルタブを開けるや否や、そんなことを呟いた。


「気づかれてましたか。いやぁ、レーウェンさんに隠し事はできへんなぁ」


 やはり彼の勘は鋭い。それは彼と初めてカレントの話題をした時から、すでにわかりきっていたことだ。


「まぁ直に話してもらったと言うよりかは、間接的に伝えてもらったと言った方が正しいですけどね」


 今更光莉との関係を隠していても仕方ないので、包み隠さず話しておいた。ついでと言ってはなんだが、彼女について知っていることも加えてだ。

 これはいつか彼から情報を聞き出す際の切り札として……。そう思っていたあの頃の自分が恥ずかしい。今思えば自分には、そんな駆け引きなぞできるわけがなかったのに。


「ーー以上が、私と光莉ちゃんの一通りです」

「確かに、それだと間接的が一番似合いますね」


 話を聞き終えたレーウェンは薄ら笑いを浮かべた。その薄ら笑いも、顔立ちのよい外国人がやると風情がある。

 しかしそんなことよりも今は、もっと話し合わなければならないことがあった。


「それにしてもレーウェンさん。なんで光莉ちゃんにあんなこと言ってしまったんですか? あれじゃあまるで、光莉ちゃんに闘いを強要しているようなものじゃありませんか」


 当然、先程のレーウェンの話は耳を疑うものだった。光莉にツリーフレンズへの闘争心を掻き立てる。そんなこと、いくら彼が国で偉い立場であっても許されることではない。それなのになぜ、彼は光莉をツリーフレンズの闘いに巻き込もうとしているのだろうか。

 ともかく彼は、光莉のことを単なる道具としてしか見ていないことはわかった。これには子を持つ刑事として、一喝を入れた方がよさそうだった。


「光莉ちゃんは確かに特別な力を持っています。でもそれはあの子の力だ。あんたが好き勝手していいような力じゃあない」

「勿論、あなたの言っていることも正しい。僕だってあんな小さな女の子、正直戦わせたくないです」


 レーウェンは下を向いてしまった。それが罪悪感を表しているつもりなのだろう。近藤は次第に湧き上がってくる、大人らしからぬレーウェンの行動に怒りを覚えた。


「じゃあなんでッ!」

「今はその光莉ちゃんしか、頼れる人材がいないからです!」


 だが下を向いていた彼が、ふいに顔を上げた。その顔は、まさに真剣そのものだった。彼が光莉に、面白半分で闘志をみなぎらせたようには思えなくなった。


「まだ立岩久瑠からツリーフレンズ関与の確証がとれていない以上、対策委員会の方から人員を要請することはできません。その間にもしまた組織が動き始めたら……とても僕だけでは対処できない。だから彼女の力は、どうしても必要なんです」


 言われてみれば確かに、今の立岩久瑠は事を話せるような状態ではない。腹部の損傷による意識不明の重体。こうなる光景を間近に見ていたのだから、尚のこと何も言い返せなかった。その悔しさでつい、唇の裏を噛み締めてしまった。


「我々は一刻も早く、藪林啓司けいじやその周辺を洗いださないといけません。いつまでも彼女に負担をかけさせない、そのためにもね」


 智也の事件と田中の事件、そして今回の久瑠の事件と、これらの関連性を洗うべく、元相棒の神崎も捜査に協力してくれている。特に関連性を探る上でも、特に藪林の影が見え隠れしていた。ならばそろそろ、こちらとしても事件の進展に手を尽くさねばならぬ時がやってきたと言うわけだ。

 だがそう思うと同時に、昨日の無残な光景が浮かび上がってきた。外傷により体内の血液が少なくなり、青白い顔になって死亡した初田。そんな彼女は光莉に、ツリーフレンズに関わってしまったから殺されたのだ。

 故に次は彼女と同じように、智也や久瑠の事件に首を突っ込んでいる自分の番なのでは、そう思えてしかたなかった。


 加えてレーウェンが光莉に言っていた、家族を巻き込むかもしれないと言う話。それも過去に近藤へ向けて言っていたことの復唱だろう。おそらく彼が本当に話を向けていたのは、光莉ではなく自分だったのかもしれない。

 今更になってこの件に関わってしまったことへの後悔が、過去の安易な決断を覆い尽くした。何が残された遺族のためにも、だ。


「わかってますよレーウェンさん。ですからお互い、頑張りましょう」


 しかし口ではうまく切り出せず、つい思ってもないことを言ってしまう。どこまで自分は優柔不断だった。いっそのこときっぱり逃げたい、そう言えたらどれだけ楽か。


「はい。僕、近藤さんと出会えてよかったです。これからもよろしくお願いします」


 そんなに自分は立派な人ではないのに。彼の発言に後ろめたさを感じつつも、近藤は彼に笑みを浮かべながら頷いた。


「では私はこれで。コーヒー、ご馳走さまでした」


 一礼してから彼は、たくましい後ろ姿を向けて歩き出した。それと同時に自分が、レーウェンや光莉程心の強い人間でないことを思い知った。

 いつになったら自分はこの呪縛から解放されるのだろうか。そんな弱気な考えの方が、事件解決の心意気よりも優っていた。


 24


 敦は今日、藪林の誘いで美濃市から少し離れた十露市のファミリー居酒屋に来ていた。てっきり久瑠も同行するものだと思っていたが、気がつけば二人きりの入店となっていた。

 当然敦は未成年なので酒など飲めない。そこは藪林も気を使ってくれて、彼の飲み物のオーダーも烏龍茶のみだった。無論、運転者が酒を飲もうとすること自体犯罪行為なのだが。


 ここのファミリー居酒屋には個室と言うものがあるらしく、その一室の座敷で会話は始まった。座敷も襖でしっかりと区切られており、こう言った秘密裏な話をするにはもってこいの場だった。


「で、話ってなんですか? ああ、久瑠ちゃんのことなら俺、最近会ってないんでわかりませんよ。あの子電話してもひとっつも出ぇへんかったし」


 お通しのキャベツの千切りにはまだ箸をつけず、先に要件を問う。彼も教師だ。こうして軽々と敦に会ってくれる程暇でもない。なら考えられる理由は一つ、今日は何かしらの要件があると言うことを意味していた。

 だが久瑠の現在を知っているかと問われるなら、それこそお門違いである。何せ敦は二週間もの間、久瑠と連絡すらも取り合っていないからだ。


 ある時から久瑠は、ランニングに来なくなった。不思議に思った敦は携帯への連絡を試みたが、それでも彼女は着信拒否までして電話を拒否していた。

 自分が何か気に触るようなことをしたのか、正直覚えはない。それでも何らかの理由で彼女に拒絶されてしまっていることは、紛れもない事実だった。


「大丈夫、君に久瑠さんのことを訊くつもりはないよ。むしろこっちがあの子の置かれている状況を説明しにきたぐらいだ」

「ど、どう言うことですか?」


 置かれている状況、と言う言葉に不穏な空気が流れる。久瑠に、何かあったのだろうか。


「今、久瑠さんは船越光莉との戦闘で意識不明の重体になっている」

「えっ……ええええええっ!?」


 周りの者などの迷惑など関係ない。所構わず敦は大声を出して動揺を紛らわせようとした。だが無意味だった。どれだけ大きな声を出しても、心身共に動揺は隠せなかった。


 話を聞くと現在、久瑠は美濃病院にて集中治療を受けているらしい。かろうじて一命は取り留めたものの、現在も意識は戻っていないとのことだった。

 それがつい一昨日の出来事だと言うのだから、当然驚きも隠せない。何よりカレントとしてのキャリアが長い彼女が、負けたこと自体信じられなかった。


 さらに問いただすと、組織の上層部がこれ以上船越光莉を野放しにはできないと言う結論を出したらしい。そのためカレントの中でもかなりの実力を持つ久瑠に光莉の保護、あわよくば殺害の命令が下ったとのことだった。

 それにしてもあんな少女に殺人命令を下すなど、大人としての道徳がなっていない。一体彼らはどう言う神経をしているのだろうか。


「何でそんな大事なこと、俺に言わんかったんですか!?」


 こればっかりは彼への不信感が募った。なぜそれを早く自分に話してくれなかったのか。そんなに自分は信じられないのか、と。

 自身の呼吸も速くなっていくのを感じる。このまま行けば過呼吸になるかもしれない、それぐらいのスピードで。


「まずは落ち着くんだ敦くん。ほら深呼吸して、すぅ、はぁ」


 彼は両手でどうどう、と言わんばかりに敦を宥めてきた。ーー俺は犬か。

 一先ず呼吸を整えて、今一度彼に問いただす。


「で……どうして早く教えてくれなかったんですか?」


 声の震えで、未だに自分が落ち着ききれていないのがわかる。それ程までに彼女の存在が、自分の中で大きかったことを痛感した。


「何せ私もそれを知ったのは昨日でね。一向に彼女の携帯と繋がらないから、直接家に出向いたらそう言うことだったんだ。久瑠さんが船越光莉に挑むことはその前日に聞いていたからね、彼女が敗北したのはすぐにわかったさ」

「そう……だったんですね。ごめんなさい。俺、変なこと言ってもて」

「ふっ、構わないさ。君に不安を与えたのは、間違いでもないからな」


 そう言うと彼は机の上に貼られたメニューに目を通した。そろそろ何か注文しなければ、この場の居心地も悪くなってきたのだろう。それに合わせる形で敦も、壁にズラリと貼られた料理名に目を通し始めた。


 ちょっとした料理の注文を終えると、再び停まっていた会話が開始された。


「船越光莉はな、他のカレントとも異なる力を持っていたんだ。それのせいで、おそらく久瑠さんは負けた」

「カレントとも……異なる力……?」


 藪林の言葉につい首を傾げる。カレントとはまた異なる力が、まだこの世に存在すると言うのか。


「そう。神を具現化させる力だ」

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