MVP

 黒い刀を持った久瑠が、しゃがみこむスメシンへと歩み寄っていく。右腕の激痛を懸命にこらえながらも、光莉はこの打開策を必死に探した。何か策はないものか。しかし焦るとなおのこと、よい案は出てくる気配を消してしまう。

 その時だった。


「そこまでだ!」


 張りのある声と共に銃声のようなものが響き渡った。音のする方を振り向くと、そこには小型の拳銃を構えた近藤の姿がある。どうやら彼はあの時逃げていなかったらしい。

 それにしっかりと覚悟も決めた面構えもしており、声の震えは勿論のこと、初田と違い体の震えさえも一切見受けられなかった。さすがは場数をこなしている刑事と言ったところか。頼りない普段の姿が嘘みたいだ。


「君にこれ以上好き勝手はさせない。大人しくその武器を置け! 次は威嚇射撃じゃ済まないぞ!」


 再度拳銃を固く握り直し、徐々に久瑠の方へ歩み寄る近藤。無論拳銃の弾丸ごとき衝撃なぞ、カレントからすればデコピン程度の痛みしか感じられない。故に彼女へ近づくだけ彼の身には危険が迫ることを意味していた。

 だがまた彼のおかげで、彼女に一瞬の隙をつくことができた。まずは右手の感覚を確認する。反応なし、しばらくは左手だけの状態が続きそうか。


 とりあえず今の間を無駄にしないためにも、立ち上がりざまに落ちていた白ネギを拾い上げた。そして拾い上げると同時にその皮を、右手が使えないので自身の歯を使ってひん剥く。辛い。こんなもの生で齧るものではない。

 やはりスメシンが一度具現化を解いてから二分程が経過していたため、硬化はすでに切れていた。となると自分の体の硬化も、そろそろ解けていた頃だった言うことになる。またスメシンに触れてもらわないと、これでは命がいくつあっても足りない。


「スメシン!」


 口に残る辛味を我慢しつつ、左手に持っていたネギをスメシンの方へ放り投げる。それまでの所要時間は僅か三秒程だ。

 そして無事、彼はキャッチした。彼の手に渡った白ネギは、半端に剥いたことでその鋭さを増している。まさに彼女の刃物と差し違いないものとなっていた。


「しまったッ!」


 ようやくそれに気づいた久瑠が、途端に歯を食いしばった。近藤に目を取られてるからだ、ざまあみろ。

 まさにしてやったりと言う気分で、沈んでいた気分が少し晴れた。


「うううぅッ! お前は後でゆっくりとなぶり殺してやる! まずは光莉、お前からや!」


 怒りの感情に任せてか、久瑠はネギを受け取ったスメシンへと襲いかかる。ガシッーー。またしても二人の武器は鈍い音と共に、互いの目の前で交差した。

 互いの武器はその後も幾度となく交差し、硬いもの同士が打つかる音は止むことはなかった。


 しかしスメシンに武器が渡ったところで、形勢逆転とはまだ言い難い。何せ今の彼は片腕がなかった。このまま戦闘を続けていれば、彼が押し負けるのも時間の問題だ。

 加えて近藤も拳銃を構えたきり、なかなか引き金を引こうとはしない。おそらくは近くにいる、スメシンへの誤射を恐れたためだろうか。一体何のための拳銃なんだか。


 どうすればこの状況を打破できる……。光莉は辺りを見回し、使えそうなものはないかを模索した。しかし今の季節は真冬、硬化させて飛び道具として使えそうな木の葉もなかった。


「光莉ィ! もう結構厳しいで!」


 音の連鎖が収まった。そして片手で持っていた刀を両腕へと持ち替えた久瑠に、だんだんとスメシンが押し縮められていく。腕の骨が軋む感覚が、痛覚として伝わってきた。もう彼の防御も、そう長くはもたないか。


「スメシン! 一旦消えて!」


 苦肉の策だった。スメシンを消せば、確かに今のピンチは回避できる。だがその後スメシンが必ずしも具現化できるとは限らなかった。

 神眼の力は、維持するよりも具現化する際に最もエネルギーを使う。そしてただでさえ今日、スメシンは二回も具現化をしていた。つまり光莉の神眼に残されたエネルギーの量は、あとほんの僅かしかないのだ。この右目の疲れが何よりの証拠だった。


 一度光莉の方を向いて頷いたスメシンは、そのまま黒い粒子を撒き散らして消えた。こう言う時に光莉の指示をしたがってくれるのはありがたい。


「はぁ!?」


 スメシンと力比べをしていた久瑠が勢いに任せて前転する。ただ前転するにあたって自身の体を傷つけないよう、刀を外側に向けるあたり彼女が戦い慣れていることは一目瞭然だった。

 しゃがんだ状態へと体を起こした久瑠は、再び立ち上がるや不機嫌そうな顔を向けてくる。


「ええ加減にせぇよ光莉」


 まずい、彼女を本気で怒らせてしまったようだ。今の状態で彼女と交戦なぞしようものなら、圧倒的な力差による惨殺コースは免れないだろう。


「スメシン、スメシン、聞こえとる? まずいで、アタシ死んでまう」


 蚊の鳴くような小さな声で助けを求める。すると脳内から直接話しかけてくる形で、呆れた口調の彼が返答した。


〈聞こえとるわ。幸い、もっかい出てくる分ぐらいのエネルギーは残っとる。でもまぁせいぜい具現化できて五分程、その後しばらくできへんのは確実やな〉


 その後お前の右目も見えんくなるかもな、しれっと彼はそんなことも付け足した。何が右目も見えなくなるだ。そちらの方が具現化できないよりも、ずっと重要なことではないか。


「何ボソボソ話しとんねん!」


 黒い刀で目の前に人の字を描いた久瑠は、そのまま光莉へと襲いかかってきた。「どうするんや」頭に響くスメシンの声が、焦る気持ちを加速させる。

 するとまたしても銃声が、城跡に響き渡った。ただ、今度のはハッタリではない。久瑠の服の右肩部分に空いた小さな穴、そしてそこから出てくる白い煙。本当に彼は久瑠に向けて拳銃を撃ったのだ。

 法律的にどうであれ、また彼に助けられた。


「イッタァ……。よし決めた、まずあんたから殺すことにするわ」


 これに激怒した久瑠は、彼の方へと向き直った。例えデコピン程度の痛みでも、やはり痛みは痛みなのだろう。歯をギチチと音の出る程食いしばって、またも刀で人の字を描いた。


「やっぱり効いてへんか、ならもう無理やな」


 拳銃をスーツの内ポケットへとしまった近藤が肩を落とす。それとほぼ同じタイミングで、久瑠の足は動き始めた。彼女、本気で彼を殺す気か。


 二度も自分を助けてくれた以上、彼を見捨てるわけにもいかなかった。それに今のタイミングこそ、反撃のチャンスでもあった。そのためにも、光莉はこれからしようとする行動を、噛み砕いてスメシンに説明する。

 当然彼はその案を否定してきたが、今考えられる策を全て考えた上での結論だ。何も案を出さない指示待ちの男には言われたくない。


「いいからやる! もうアタシらには時間も選択肢も残されてへんねんから」


 まだぶつくさ言うスメシンを無視し、光莉は久瑠を追って走り出した。途端に周りには黒い粒子も舞い始め、瞬く間にスメシンも三度目となる降臨を果たした。

 ちなみにその右手は再降臨をしたためか、どうやら新しく生え変わったらしい。一応自分も右腕を動かしてみるが……ダメだった。早くこちらの右腕の感覚も、戻ってきてほしいものである。


 具現化するや二人でハイタッチを交わすと、彼は光莉を追い越した。そしてすぐさま久瑠へと追いつく。体の丈夫さで言えばカレントである久瑠が優っているが、筋力で言えばスメシンの方がやや上。これは前に戦闘した時で、すでに確証を得ていた。


「おりゃっ!」


 最終的には彼女を拘束するべく、スメシンは背後から彼女の体に抱きついた。実はこれも、光莉の注文したことだった。

 無論抱きつくだけでは拘束として心許ない。なので彼が今しているのは、かなり密着してのハグだった。当然側から見ればこの光景は、変質者が女児に抱きついている危ない光景でしかないだろう。


「離せ! この変態!」


 両腕を閉じた状態での拘束のため、刀を振り回すだけの動きは制限されている。それにしても彼女の発言はごもっともだ。


「おい光莉! 早よしてくれ!」

「わかっとるわかっとる」


 ゆっくりと二人を追い越した光莉は、雁字がんじがらめされた久瑠の正面に立つ。

 すると彼女も嫌な予感がしたのか、一層動きを荒立たせて暴れ出す。だが大人サイズのスメシンに拘束されている以上、その姿は駄々をこねる子供のようにしか見えなかった。実に滑稽な姿である。


「何するつもりやねん、お前!」


 まだ彼女に察してもらえていないようなので、試しに彼女の目の前で左手の手刀を作って見せた。ちなみた先程のハイタッチのおかげで、光莉の肉体はすでに硬化を終えている。故にこの手刀の硬さは、硬化させた白ネギのそれと同等だ。いくら光莉に腕力がないとは言えこれだけの強度があれば、彼女の体を貫通させることも容易い。


「……まさかッ!」


 ようやく察したらしい久瑠は、恐怖で歪んだ表情を見せた。口もアワアワさせてまるで、池で餌をもらう鯉だった。


「そのまさかや。一緒にお腹痛い痛いしよな」


 これで先生の仇も討てるかなーー。近くのベンチで座っている初田の亡骸を見て、息が詰まりそうになった。

 久瑠を殺したところで、初田が戻ってくるわけでもない。だがこれをしなければ、今の自分の時は動き出さないような気もした。


「やめ……やめろぉ!」


 手刀は勢いよく、久瑠の腹部とスメシンの腹部を貫通した。手に残る生暖かい温度。そして伝わってくる、腹部を貫く燃えるような痛み。彼女の口から出てきたのは罵倒や命乞いではなく、ペンキのように真っ赤な血であった。


「もう……限界や」


 突き刺した手刀を引き抜くと、痛みに耐えられず光莉の意識も遠のいていった。


 22


 気がつくとそこは、知らない天井だった。天井の模様は白い背景に焦げ茶色のウニョウニョ。普段の生活でもよく見る、ごくごく一般的なものだ。

 起き上がってみると、寝床が軋む音がした。家のベッドではそんな音もしないので、ここはどこかのベッドなのだろう。ふと目に入った小さなテレビと落ち着いた茶色の引き出しも、やはり見覚えのないものだった。


 ベッド周りはライムグリーンのカーテンで仕切られており、一つ思い当たる光景が目に浮かんだ。そうだ、ここはどことなく保健室に似ている。


「あれっ……アタシなんでここにおるんやっけ……」


 記憶を思い返し、なぜ自分がこんな場所にいるかを自問自答する。そして昨日あったであろう出来事に辿り着き、体を震わせて怯えた。


「そうや……アタシ昨日……久瑠ちゃんを殺したんや……」


 初めて犯した人殺しと言う罪。これは相手が悪人と言えども、決して拭うことのできないものだった。

 罪の重さを思い知り、体が恐怖で震える。自分は人を殺してしまった。ならばもう、自分と言う人間の立ち位置は久瑠達ツリーフレンズと同格。人間として、失格な気がした。どうせこんなことを考えるなら、あの場でやられていた方がよっぽどマシだったぐらいだ。

 すると頭の中から聞こえてきたのは、いつも聞き慣れた彼の声だった。


〈よぉ、随分長い間寝とったなぁ。ワイもおかげで退屈しまくりやで〉

「ス、スメシン!」


 そりゃあ神は眠れないから暇だったろうな。光莉は左の口角だけを上げて苦笑いした。それは変わらぬ彼の言葉を聞いて、一瞬だが光莉も、心を落ち着けたからだろう。

 ただ彼なら、なぜ自分がこんな場所にいるのかを知っているかもしれない。無論光莉も眠っている間は目を閉じていたので、彼に外部の情報がどれだけ伝わっているのかは知らないが。


「なぁスメシン、ア、アタシ、なんでこんな場所におるん!?」


 考えれば考える程、最悪の答えが思い浮かぶ。刑務所、もしくはそれを上回る隔離施設、か。


〈そんな取り乱すなよ光莉。安心せぇ、ここはただの美濃病院や〉


 美濃病院か……。この場所がどこであるのかを知れただけでも、多少の安心感は湧いた。


〈お前はワイの腹ごとぶち破って久瑠を倒した。ほんでその痛さに耐えれんくなって、そのまんま気絶してもたんや。しっかしお前と言うやつは、いくら倒す方法が思い浮かばんからってとんでもないことを考えよるわ〉


 それは褒め言葉か。否、不満そうな彼の口調から推測するに、単なる皮肉だろう。


〈とりあえず今は寝とけ。体を休める方が大事やからな〉


 確かに今はそんなことで思い悩むよりも、彼の言うことを素直に聞いておいた方がよさそうだ。再び布団を被り直した光莉は、目を閉じて眠りの世界へと戻っていった。


 しばらくしてガサゴソと物音が聞こえ始めた。その物音で目が覚めた光莉は、そぉっと横目で隣にいる者を確認する。どうやら二人いるらしく、一人は近藤、そしてもう一人は初めて見る顔だった。

 金に近い茶髪で碧色の瞳、おまけに日本人離れした高い鼻。それに座高の高さからでもわかるぐらい、身長も高い。外国人か。


「おや、起こしちゃったかい。それは悪いことをしたね、申し訳ない」


 彼は口元を緩ませながらそう言った。


「近藤さん、その人は?」

「この人はレーウェン・クロックフォード、カレントやハヤスギの研究をしとる人やねん」


 薄々は感じ取っていたが名前で確信した。やはり彼は外国人だ。


「ハヤスギの……研究?」

「ああ。僕は……文部科学省ってわかるかな。そこでカレントの行き過ぎた力の行使を止める、カレント対策委員会ってのに所属しているんだ。近藤さんとはちょっとした付き合いがあったんだけど、昨日初めて君のことを聞かされたよ。何でも身体に神様が宿っているみたいだね、君」


 なんだ、そこまで知っているなら話は早い。大方近藤が、予め光莉の眠っている間に話しておいてくれたのだろう。

 しかし彼の聞いている途中、近藤の顔はどこか不貞腐れたようだった。何かあったのだろうか、いや、聞くのも野暮なのでやめた。


 ともかく目覚めたからには、何が何でも聞いておきたいことが一つあった。


「昨日アタシが倒れた後、何があったん!? 久瑠ちゃんは、初田先生は!?」

「落ち着いて落ち着いて。まぁ話すと長くなるけど、それでも聞くかい?」


 何も言わず、口を閉じたまま頷く。それだけ色々あったのか。自分が眠っている間に。


「ならまず結論から言うね。立岩久瑠はまだ死んでいない。意識不明の重体ではあるけれど、多分カレントの治癒力があれば大丈夫さ。だから安心して、君は人殺しなんかしてない」


 よかった。自分はまだ、人殺しになれないようだ。


「じゃあ先生は!? 初田先生はどうなったん!?」


 胸を撫で下ろす暇もなく食いかかった。あの光景を見た後でこれを訊ねるのもなんだが、やはり確かめておかずにはいられなかった。

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